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    <title>ウェーブ産経</title>
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    <updated>2012-05-16T07:52:15Z</updated>
    <subtitle>産経新聞ファンクラブ「ウェーブ産経」大阪事務局</subtitle>
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇し◇　聖徳太子(574～622)飛鳥時代の為政者</title>
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    <published>2012-05-16T07:48:55Z</published>
    <updated>2012-05-16T07:52:15Z</updated>

    <summary> 聖なる徳の極みをあふれ持ちて　太始の教え子は伝えたり  　１９４５年、日本が世界に新しい出発を宣言した年、聖徳太子は晴れがましく日本の顔になりました。庶民はこぞって聖徳太子を手に入れるため、日夜働きました。なぜあのとき、彼を最高額紙幣として発行されたのか、その意味をわたしはいみ...</summary>
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        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">聖</span></strong><span style="font-size: 130%;">なる<strong>徳</strong>の極みをあふれ持ちて<br />　<strong>太</strong>始の教え<strong>子</strong>は伝えたり</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="359" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/34-syoutoku.jpg" alt="34-syoutoku.jpg" /></span> </blockquote><p>　１９４５年、日本が世界に新しい出発を宣言した年、聖徳太子は晴れがましく日本の顔になりました。庶民はこぞって聖徳太子を手に入れるため、日夜働きました。なぜあのとき、彼を最高額紙幣として発行されたのか、その意味をわたしはいみじくも想像していました。<br />　父は用命天皇で母は欽明天皇の女(むすめ)、血統も資質もすばらしく「一を聞いて十を知る」神童といわれながら、そして推古天皇の皇太子までつとめながら天皇になれなかったのです。天下の大王(おおきみ)の即位を阻んだ事情は、権力と人間のいつの世も変わらぬドロドロしたものがあったに違いなくて学者たちが種々言及していますが、これもなにしろ憶測の域を出ることはないでしょう。</p><p>　一方、推古帝を補佐し冠位十二階や憲法十七条を制定したことは、日本国の基礎を確固たるものとしたのでした。さらに、太子の偉大なる構想は限りなく広がりました。それは、政治の基調に仏教をとり入れることだったといいます。仏教思想をもってひとびとの倫理性を高めようというのです。当時の仏教は学問、芸術の総合体でありましたから、政治と文化・仏教は切り離せないものだと彼は思ったのです。</p><p>　それともうひとつ、従来家柄によって身分が定まっていたのですが、これを廃止して、個人の功績によって栄誉を表彰したのです。これが先の冠位十二階の制定です。これはすばらしい英断です。今から1400年も前に進歩的なこのような秀れた頭脳の持ち主がいたということは、日本の誇りですね。しかもそれまでの外交はもっぱら朝鮮半島を介してやっていたのに、太子はまったく対等で中国に国書を交換し、留学僧や学問僧を送って積極的に中国文化を取り入れたというのですが、今だから当たり前のようですが、当時はびっくり仰天ではないでしょうか。</p><p>　かたや、黒駒(黒い馬)に乗って調使を伴い虚空を飛んだという伝説があります。太子は見晴るかす眼下のわが日本を、丸ごとそのまなこに納めたかったのではないでしょうか。だが、神は天才かつ有能なる太子に夭折の運を与えられました。しかも愛妻＝膳妃(かしわでのひめ)＝が亡くなった同じ年でした。</p><p>　十七条憲法の「和をもって貴しとなす」これはしびれます。いつの世までも―。（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇み◇　宮本武蔵(1584～1654)江戸時代初期の剣豪</title>
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    <published>2012-05-16T07:44:36Z</published>
    <updated>2012-05-16T07:48:12Z</updated>

    <summary> 宮柱　本色聡く生い立ちて　武士の志　蔵に満々  　わたしは武蔵の「枯木鳴鵙図」という掛軸の絵を京都のどこかで見たことがあります。茶がかった古い紙の中にこわい眼光を放った鵙がいました。今にもひっかきそうな、そのくせ固く噤んだ無表情な口もと。印象は枯渇とか枯淡とかいうよりも、無性に...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">宮</span></strong><span style="font-size: 130%;">柱　<strong>本</strong>色聡く生い立ちて<br />　<strong>武</strong>士の志　<strong>蔵</strong>に満々</span></p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="300" height="331" alt="33-miyamoto.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/33-miyamoto.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span> </blockquote><p>　わたしは武蔵の「枯木鳴鵙図」という掛軸の絵を京都のどこかで見たことがあります。茶がかった古い紙の中にこわい眼光を放った鵙がいました。今にもひっかきそうな、そのくせ固く噤んだ無表情な口もと。印象は枯渇とか枯淡とかいうよりも、無性に暗かったのです。鋭さよりも繊細さよりも、重厚さよりもただ人を容れぬ身の竦むような情感が凝縮されていたのを覚えています。この目は武蔵の必殺剣であるだろうと思ったのです。</p><p>　さて彼は幼少より不遇で独立独歩せざるを得なかった、ソリの合わない父親と別れ、日々の身過ぎも剣の道においても寸分の狂いも許さない厳しさで己に處したのでしょう。<br />巌流島の決闘でわざと２時間遅れて行き、心身ともにパニックにおとし入れることによって心理的な試合の効果を狙ったというのはフェアではない気がしますが、いかがでしょうか。勝ち負けはトータルした人間の勝負である。それでいいのだとするお方もいられるのでしょうが、わたしは世間知らずか幼稚かは存じませんが、剣聖というものはもっと堂々と純粋に戦ってほしいと思うものですが&hellip;。</p><p>　とまれ武蔵は険しい人生観を持し、鋼鉄の如き自信を貫いた厳しい男のようです。すなわち、晩年こもった熊本西郊の岩殿山霊巖洞で座禅瞑想の日々に徹したというのですが、彼の物語からはスキがひとつも匂ってきませんね。</p><p>　五輪書にいわく「神仏を尊び神仏に頼らず」「わが事において後悔せず」「&hellip;21歳にして都に上り天下の兵法者に逢いて数度の勝負を決すといえど、勝利を得ずということなし&hellip;」。実際、剣豪宮本武蔵は生涯六十数回の勝負のうち一度も負けたことがなかったそうでございます。まこと鑑の中の鑑！（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇め◇　目貫屋長三郎(生没年不詳)　江戸時代の人形浄瑠璃太夫</title>
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    <published>2012-05-16T07:40:15Z</published>
    <updated>2012-05-16T07:43:20Z</updated>

    <summary> 目ざすべき　道貫きて屋を成すは　長技の三味で　語る郎子  　人形浄瑠璃創始期の太夫で、天正から慶長ごろの人といわれています。はじめ京都東洞院の彫金家(ほりものや)でありましたが、受領して引田淡路掾になったと「和漢三才図絵」にはでておりますが、今日では専門家のあいだで否定されてい...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">目</span></strong><span style="font-size: 130%;">ざすべき　道<strong>貫</strong>きて<strong>屋</strong>を成すは<br />　<strong>長</strong>技の<strong>三</strong>味で　語る<strong>郎</strong>子</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="326" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/32-turanukiya.jpg" alt="32-turanukiya.jpg" /></span> </blockquote><p>　人形浄瑠璃創始期の太夫で、天正から慶長ごろの人といわれています。はじめ京都東洞院の彫金家(ほりものや)でありましたが、受領して引田淡路掾になったと「和漢三才図絵」にはでておりますが、今日では専門家のあいだで否定されているようです。浄瑠璃の起源および沿革・発展の書物をいさいさか散見してみましても、深いことがわかりません。</p><p>　正徳元年(1711)、に竹本筑後掾(義太夫)が「鸚鵡が杣」の序文として書いた文の中に目貫屋についての記述があります。</p><p>　長いので要約しますと「浄瑠璃が始まってから百十余年たちます」薬師の十二神をかたどり十二段というふしを語り出しました。&hellip;&hellip;この中に「都巡り」という一段があって、これは検校の門弟京東洞院、目貫屋長三郎なる人物の作品であります。これをときの慶長帝がご覧になって大層お気に召され人形浄瑠璃の受領が始まりました。それから浄瑠璃が世に出て盛んになり&hellip;&hellip;」ざっとこんなふうなのですが、専門家の分厚い記述にも彼に関してこれ以上の記述を見つけることができませんでした。</p><p>　浄瑠璃という名は牛若丸と浄瑠璃姫の情話を脚色した「浄瑠璃物語」＝十二段草子＝に由来するといわれておりますが、室町末期ごろから三味線と結びつき更に人形あやつりと結びついて人形浄瑠璃が生まれるに到ったのだと記憶しています。わたしは淡路島で数回、人形浄瑠璃というものを見ました。哀しげな白く冷たい人形の顔が悲劇のつまったおどろおどろしいものに見えました。<br />また、底太い地の荒い声の抑揚が、荒けずりな三味線と縄のようによじれて腹の中を揺さぶるようでした。それはあたかも、人間の粘着した内臓の苦しみのうごめきみたいでした。（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇ゆ◇　由比正雪(？～1651)江戸時代の楠流軍学者</title>
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    <published>2012-05-16T07:33:34Z</published>
    <updated>2012-05-16T07:38:11Z</updated>

    <summary> 自由然　比べて勝る正法あり 悠久の想い　雪天を指す   　この人は生年月日不詳で1651年に亡くなっています。楠正成を慕ってその子孫と称し、楠流軍楽を得意として諸侯・幕臣や牢人で彼の講釈を聞く人が多かったといいます。 歴史に残る慶安事件は正雪が中心となって他の数人と謀り、家光将...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><span style="font-size: 130%;">自<strong>由</strong>然　<strong>比</strong>べて勝る<strong>正法</strong>あり<br /> 悠久の想い　<strong>雪</strong>天を指す</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="334" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/31-yui.jpg" alt="31-yui.jpg" /></span> </blockquote> <p>　この人は生年月日不詳で1651年に亡くなっています。楠正成を慕ってその子孫と称し、楠流軍楽を得意として諸侯・幕臣や牢人で彼の講釈を聞く人が多かったといいます。<br /> 歴史に残る慶安事件は正雪が中心となって他の数人と謀り、家光将軍の死直後の社会不安に乗じて久能山の金蔵をおそったり、仲間には石川の煙硝蔵に放火さすなど世間を騒がせました。正雪はこの咎で捕えられ自殺して果てその一味は勿論のこと親族も残らず処刑されてしまうのです。</p> <p>　彼らの目的はいったい何だったのか、学者は尊皇精神に基づく討幕運動だとか大老酒井忠勝の専横に対する不満などと推測しながらも、実は牢人問題にあるのではないかという見方をとっております。</p> <p>　すなわち、関ヶ原の役以降多く発生した牢人数というのは、30万とも40万ともいわれておりまして、主取り(就職)が困難になり生活に困る者がまちに溢れたのですが、そのとき大名や旗本の付き合いのあった正雪を頼ってきたというのです。これを見るにしのびず、天下に大乱をおこし巷を戦場と化して牢人達に戦陣の功を競わせ名を挙げさせて主取りの機会を与えようと計画した―というのですが、こんな方法しかなかったのかと思って考えてみると、ほんとにあのころ、あの世、こんな方法しかないような気がしてしまいます。</p> <p>　これに乗じたかどうか、その後(1652)佐渡の牢人辻藤某も江戸の牢人戸次某も暴動をおこしたのです。幕府はようやく施政の欠点を自覚し対牢人政策を緩和し大名取りつぶしによる牢人の大量発生を防ぐことに気づきました。由比正雪は義の暴徒だったのです。だからこそ、人形浄瑠璃や小説・歌舞伎に残されて衆人の心の琴線を鳴らしているのでしょう。（辻歌子）</p> <p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>「本格京懐石と北斎展」を開催しました</title>
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    <published>2012-05-14T09:02:02Z</published>
    <updated>2012-05-16T01:58:13Z</updated>

    <summary>　印象派をはじめとする世界の美術界に大きな影響を与えた浮世絵画家・葛飾北斎について学ぶ、ウェーブ産経の「本格京懐石と北斎展」が３月１５日、京都市中京区の料亭「本格京懐石　花伝（かでん）」などで開かれました。　会員約７０人が参加し北斎の生涯や功績などを講座で学び、京都文化博物館で開...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="230" height="170" alt="20120315-hokusai-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120315-hokusai-01.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　印象派をはじめとする世界の美術界に大きな影響を与えた浮世絵画家・葛飾北斎について学ぶ、ウェーブ産経の「本格京懐石と北斎展」が３月１５日、京都市中京区の料亭「本格京懐石　花伝（かでん）」などで開かれました。</p><p>　会員約７０人が参加し北斎の生涯や功績などを講座で学び、京都文化博物館で開催していた「北斎展」を鑑賞。細やかに仕上げられた京料理も味わうなど、&ldquo;眼と舌の幸せ&rdquo;を満喫しました。&nbsp;</p> <h3 class="ttl_01">北斎とその時代</h3> <p>　まずは「花伝」隣の旅館「旅庵　花月（かづき）」の広間で講座です。講師は京都旅行企画会社「らくたび」代表の山村純也さん。「世界一の画工へ　葛飾北斎とその時代～生涯３万点もの絵を描いた絵画の巨人の人生とは～」をテーマに講演してくれました。</p> <p>◆葛飾北斎（１７６０～１８４９）<br /> ◆喜多川歌麿（１７５３？～１８０６）<br /> ◆東洲斎写楽（１７９４～１７９５に活躍）<br /> ◆歌川広重（１７９７～１８５８）<br /> ◆与謝蕪村（１７１６～１７８３）<br /> ◆円山応挙（１７３３～１７９５）<br /> ◆伊藤若冲（１７１６～１８００）</p> <p>　北斎と、ライバルの浮世絵師やほぼ同時代に活躍した日本画家らの生没年などです。これを踏まえ山村さんは「北斎は、江戸時代後期の文化・文政期に起きた町人文化『化政文化』を代表する画家」と紹介。米ライフ誌が１９９９年に選んだ「この１０００年で重要な功績を残した１００人」に、日本人では唯一選ばれたことや、明治に入ると見向きされなくなったのに海外に出て注目を集めたことなどを説明しました。</p> <p>　次いで、年代ごとの歩みです。</p> <p>　◎生誕～習作・春朗時代（０～３５歳）<br /> 下総国本所割下水（現・東京都墨田区）で生まれ６歳から絵筆を持つ。木版の版木彫り職などを経て、１９歳で役者絵を確立した浮世絵師・勝川春章の弟子に。才能を見込まれ２０歳でデビューし『勝川春朗』を名乗る。１５年間で浮世絵版画２００点以上など膨大な作品を残すが、師没後飛躍を目指し勝川派離脱。</p> <p>　◎宗理様式の時代（３５～４５歳）<br /> 狩野派や琳派の画法を学んで『宗理（そうり）』と名乗り、肉筆画や狂歌絵本の挿絵などに挑戦。墨摺でありながら緻密な挿絵はペン画に匹敵し、画家としての地位を確立した。蘭学者でもある司馬江漢の油絵から遠近法も学び、３９歳で『北斎辰正（ときまさ）』を名乗る。</p> <p>　◎読本挿絵と肉筆画の時代（４５～５２歳）<br /> 黄表紙や洒落本が規制を受け、教育的な読本が主流に。挿絵も技量が問われる墨一色になるが、この分野でも１０００を超える膨大な挿絵を描く。特に滝沢馬琴とは交流が深く、多くの読本で連携（後に対立し絶縁状態）。肉筆画でも最晩年に匹敵する数を残す。</p> <p>　◎絵手本の時代（５３～７０歳）<br /> 関西に旅に出て、名古屋の門人宅で絵手本をまとめた「北斎漫画」の版下を完成する。流行作家であり、門人希望者も多いため、画法を効率的に伝える絵手本作りに精力。プライベートでは娘や妻が他界し、中風にかかるなど多難。</p> <p>　◎錦絵の時代（７１～７４歳）<br /> 伊勢参りが流行し富士山が憧れとなる中、「冨嶽三十六景」を制作、大評判となる。現代の風景画のようなものは当時なく、新ジャンルを切り開いた。これ以外にも滝がテーマの「諸国瀧廻り」、水と漁労を描いた「千絵の海」、橋がモデルの「諸国名橋奇覧」など優れた作品群を生んだ。</p> <p>　◎肉筆画の時代（７５～９０歳）<br /> 「富嶽百景」に７５歳の時から取り組み、晩年の１０年間は肉筆画に傾倒。宗教画や自然を中心に描く。「あと１０年、いやせめて５年生かしてくれ。そうすれば真の絵描きとなってみせるのに」との言葉を残して没した。</p> <p>　山村さんは年代ごとに説明を加え、冨嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」など有名な作品はモニターで紹介。「例えば絵手本の着物の柄は、そのまま使えるほどデザイン力もある」「売れっ子なのにお金には無頓着」などと、逸話も披露してくれました。</p> <h3 class="ttl_01">京都ならではの繊細な味わい</h3> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="181" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120315-hokusai-02.jpg" alt="20120315-hokusai-02.jpg" /></span><p>　「花伝」に戻り、お待ちかねの昼食です。花伝はエントランスも素敵な料亭。石畳に沿ってせせらぎが流れ、庭石が巧みに変化をつけています。行灯や燈籠のほのかな灯りに導かれ、太鼓橋を渡ると、竹垣で飾られた入り口にたどり着きます。和の美を強調した京都らしい造りです。</p> <p>　食事の献立は▽取肴＝小巻玉子、ごま豆腐、サーモン手まり寿司、菜の花辛子和え、サワラ木の芽焼き、鴨ロース、ワカサギ南蛮漬など▽造り＝タイ、マグロなど▽蒸物＝グジの桜飯蒸し▽揚物＝エビや春野菜の天ぷら▽台物＝牛肉の朴葉味噌焼き－など。見た目にも艶やかで手の込んだ品が多く、京都ならではの繊細な味を堪能しました。</p> <h3 class="ttl_01">北斎展の見どころ</h3> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="200" height="301" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120315-hokusai-03.jpg" alt="20120315-hokusai-03.jpg" /></span><p>　食事後、近くの京都文化博物館へ。北斎生誕２５０周年記念の「ホノルル美術館所蔵　北斎展」が開かれています。まず、旧日銀京都支店で重要文化財に指定されている別館の一室で、同館学芸員から北斎展の見どころを聞きました。</p> <p>　ホノルル美術館は浮世絵版画を約１万点も所蔵しており、「日本よりいい作品が多い」という研究者もいるとか。今回は約１７０点の公開ですが、浮世絵は紫外線に弱いので入れ替えるため、この日見ることができるのは約９０点です。北斎は３０回以上名前を変え、９０回以上引っ越ししたとも言われるそうで、名前のサインを見ればどの時代のものかが分かり、画風の変遷も分かるとか。</p> <p>　説明を聞き、いよいよ展示会場へ。冨嶽三十六景の「山下白雨」や、没年の前年（１８４８年）の作で、版画では絶筆になる「地方測量図」などが並びます。展示作中、９０％余りは初刷りだそうで、会員のみなさんも北斎の目が行き届いた逸品の数々に見入っていました。</p>]]>
        
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    <title>第２弾「演劇と演芸の街、道頓堀体験」を開催しました</title>
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    <published>2012-05-10T03:15:16Z</published>
    <updated>2012-05-14T07:35:44Z</updated>

    <summary>　ナニワの『顔』・道頓堀を訪ね、おいしいもん食べて大衆演劇まで堪能するウェーブ産経の欲張りイベント「演劇と演芸の街、道頓堀体験」の第２弾が３月１２、１３、１５日、大阪市中央区の道頓堀界隈で開かれました。　３日間で計約７０人の会員のみなさんが参加し、法善寺で住職から話を聞いたり、楽...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 0px 10px; float: right" class="mt-image-right" alt="20120313-doutonbori-01.jpg" width="210" height="140" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-doutonbori-01.jpg" /></span><p>　ナニワの『顔』・道頓堀を訪ね、おいしいもん食べて大衆演劇まで堪能するウェーブ産経の欲張りイベント「演劇と演芸の街、道頓堀体験」の第２弾が３月１２、１３、１５日、大阪市中央区の道頓堀界隈で開かれました。</p><p>　３日間で計約７０人の会員のみなさんが参加し、法善寺で住職から話を聞いたり、楽しいステージに見入ったり、充実した一時を過ごしました。</p><h3 class="ttl_03">界隈の&quot;へそ&quot;　法善寺にて</h3><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="20120313-doutonbori-02.jpg" width="120" height="150" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-doutonbori-02.jpg" /></span><p>　集合場所は、買い物客でにぎわう道頓堀通や戎橋筋から奥へと入った、法善寺横丁にある浄土宗の寺・法善寺です。有名な『水かけ不動尊』がある所。まさに界隈の中心、へそとも言える場所です。寺では神田眞晃住職（写真左）が「人間て素晴らしい」をテーマに話をしてくれました。冒頭から「月の法善寺横丁」の曲がかかりムード満点です。</p><p>　神田住職はまず、寺へのお参りについて「参拝する時に『競馬で当たりますように』などと願って手を合わせるが、これは誤り。請求書ではなく領収書の拝み方を。『導いていただき、ありがとうございます』と拝んで」と一言。仏教における大切なポイントです。そして『和顔愛語（わげんあいご）』の布施について語ってくれました。</p><p>　和顔愛語とは文字通り、明るい笑顔とやさしい言葉という意味で、これを施すことで功徳になるということです。神田住職は、東日本大震災で被災し大阪へ移り住んだ人が、寺を訪れ涙ながらに辛かった思い出を話したことを紹介し「まず聞いてあげることが心の救いになる。聞き上手になって欲しい。そして、やさしい言葉を」と布施の実践の一端を説明しました。</p><p>　さらに、平成１４年と翌１５年に法善寺横丁が大火に見舞われた時、さまざまな支援を受け『平成の復興』が達成されたことを紹介し「周りの人たちの人情が励みとなり復興できた。やさしい心を伝えて欲しい。それが仏の慈悲の心」と締めくくりました。</p><h3 class="ttl_03">「夫婦善哉」も付いてます</h3><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="20120313-doutonbori-03.jpg" width="230" height="148" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-doutonbori-03.jpg" /></span><p>　講話後は、同寺隣の法善寺ＭＥＯＵＴＯビルにある「すし半　法善寺総本店」での食事です。「彩り膳」をいただきました。</p><p>　内容は、ブリの刺身▽天ぷら（タイ、エビ、南京など）▽煮物（南京、里芋、ホウレン草など）▽出し巻き玉子▽ニシンのしょう油煮▽茶碗蒸し▽ナメコの吸い物－などですが、なんと「夫婦善哉」と同じ味わいの、一口ぜんざいが付いていました。夫婦善哉ののれんを継いだすし半ならではのプラスアルファです。丹波大納言小豆を丁寧に煮込んだ、上品な甘みのぜんざいは格別でした。</p><h3 class="ttl_03">子どもたちの熱演に大拍手</h3><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="20120313-doutonbori-04.jpg" width="300" height="202" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-doutonbori-04.jpg" /></span><p>　午後からは、お待ちかねの大衆演劇。中座跡に建てられた中座くいだおれビルの地下にある劇場「道頓堀ＺＡＺＡ」へ向かいます。出演しているのは「劇団　要（かなめ）」（長谷竜也座長）で、今回が初の大阪公演だそうです。</p><p>　「要」は長谷座長が２６歳、花形の長谷剣伍さんが２３歳などメンバーは若いのですが、驚いたことに、この日出演した主なキャスト９人中、５人が１２歳以下の子どもたち。「兄弟や姉妹、親類など家族でやっている一座」（長谷座長）だそうです。</p><p>　まず見たのはお芝居で、演目は「生き人形」。ホラーなタイトルですが、実はかけたら体が固まってしまうという薬を使ったお話。主人公が対決するヤクザの一家に薬をかけて固まらせますが、逆に自分もかけられて全員が動けなくなる、というギャグで終わる愉快なストーリーでした。</p><p>　続く舞踊ショーでは、座長の妖艶な女形姿や、１２歳の若座長、長谷心平君のコミカルな演技も光りましたが、なかでも&quot;看板娘&quot;という１０歳の舞芽ひよこちゃんは、大人顔負けの色っぽい演技。歌の披露やコント風の踊りもあるなど、バラエティー豊かなステージで、盛んな拍手を集めていました。　</p>]]>
        
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    <title>アフタヌーン健康サロン＜第７回＞「動いて、未病を治す―イキイキ健康寿命―」</title>
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    <published>2012-05-09T07:42:15Z</published>
    <updated>2012-05-11T05:23:55Z</updated>

    <summary>      　現代人の多くの悩みタネとなっているのが肥満。そこで、体を動かすことが健康長寿につながることを学ぶ、アフタヌーン健康サロンの第７回「動いて、未病（みびょう）を治す―イキイキ健康寿命―」（ウェーブ産経、キリン堂共催）が５月８日午後２時から、大阪市北区梅田の大阪新阪急ホテ...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120508-kirinn-01.JPG" alt="20120508-kirinn-01.JPG" height="167" width="250" />
</span>
<p>　現代人の多くの悩みタネとなっているのが肥満。そこで、体を動かすことが健康長寿につながることを学ぶ、アフタヌーン健康サロンの第７回「動いて、未病（みびょう）を治す―イキイキ健康寿命―」（ウェーブ産経、キリン堂共催）が５月８日午後２時から、大阪市北区梅田の大阪新阪急ホテル「紫の間」で開催されました。</p>
<p>　計１２回シリーズの７回目。全国各地でドラッグストアを展開するキリン堂（本部・大阪市淀川区）の未病医療サポート室長、杉本幸枝さんが講師を務め、参加した８０人のウェーブ会員に体を動かすことの大切さを伝授しました。</p>
<p>　杉本さんはまず、参加者に座った状態のまま背筋をそらして手を前後に伸ばす簡単な体操を指導。リラックスした状態で講座を聴いてもらえるようにしました。</p>
<h3 class="ttl_01">人間がもつ栄養をため込む性質の"倹約遺伝子"</h3>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120508-kirinn-02.JPG" alt="20120508-kirinn-02.JPG" height="165" width="120" />
</span>
<p>　大型スクリーンを使った講座で最初に説明されたのは「ヒトの歴史」。杉本さんは、４０億年前に生命が誕生。７００万年にサルが２足歩行を開始、１万年に人類が誕生した歴史を紹介しました。</p>
<p>　そして、農耕が始まるまで食物が安定せず飢餓の時代が長く続いたことを説明。「人類史を１日（２４時間）で表すと農耕が開始されたのが２３時４３分、食物が安定したのが２３時５９分です」と述べ、飢餓の時代から脱したのがごく最近であることを強調しました。</p>
<p>　杉本さんはこのことを通じて「飢餓を体験した人類には栄養をため込む性質を持つ"倹約遺伝子"があり、それが車社会の現代のメタボリックシンドローム（内臓脂肪症候群）につながっています」と結論。私たちには太りやすい体質があることに触れました。</p>
<p>　続いて、摂取エネルギーが消費エネルギーを上回ることがメタボにつながること、高齢になれば内臓などを動かす基礎代謝量が減少し、肥満になりやすいことも詳しく紹介しました。</p>
<p>　そこで、それを解決するためにはエネルギーを消費する運動が大切であるとし＜１＞自宅でくつろぐ際は、体を起こす。＜２＞テレビのリモコン操作など立ってできるものは立ってする。＜３＞よく使うものは手元に置かず、立って取りに行く―と日常生活で、できるだけ体を動かすことをアドバイスしました。</p>
<h3 class="ttl_01">体を動かすことで。脳に新しい神経細胞が生まれる</h3>
<p>　さらに、食物を十分に与えたサルよりもやや少なめ（７０％）の方が高齢になっても若々しい事例を紹介。「飢餓が収まるまで老化を遅らせて、よい環境で子孫を残す"サーチュイン"と呼ばれる遺伝子があります」と述べ、「カロリー制限でサーチュイン遺伝子のスイッチをオンの状態にしておくことが大切」と話し、これにより老化抑制や寿命を延長させる効果があることを訴えました。</p>
<p>　加えて、齢（よわい）を重ねれば、体が動かしにくくなる「運動器症候群」（ロコモティブシンドローム）が起こり、骨粗鬆症（こつそしょうしょう）や脊柱管狭窄症（せきちゅうかんきょうさくしょう）となることを紹介しました。</p>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120508-kirinn-03.JPG" alt="20120508-kirinn-03.JPG" height="203" width="290" />
</span>
<p>　そのチェック方として＜１＞片脚立ちで靴下がはけない。＜２＞家の中でつまずいたり、滑ったりする。＜３＞階段を上るのに手すりが必要。＜４＞横断歩道を青信号で渡りきれない。＜５＞１５分続けて歩けない。＜６＞２キロ程度の買い物をして持ち帰るのが困難。＜７＞家のやや重い仕事（掃除機かけ）が困難―の７つがあり、１つでもあてはまれば、注意が必要と警鐘を鳴らしました。</p>
<p>　この対策として、開眼片足立ち（左右１分ずつ、１日３回）やスクワット（いすに座るような姿勢を保つ）のトレーニングがあることを説明しました。杉本さんが壇上で手本を示し、参加者全員で練習。ラジオ体操なども効果的であることを力説しました。</p>
<p>　最後に杉本さんは、体を動かすことで脳の新しいニューロン（神経細胞）が生まれること、メタボの予防改善、認知症予防となる効果に触れ「朝食をしっかりと食べ、十分な睡眠を取ることが大切」と述べ、１日３０分、週５日の早歩きなど「運動と思わず動いてみることが大切」と体を動かす習慣を付けることを参加者に提案し、講座を終えました。</p>]]>
        
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    <title>【優待】第４２回産経チャリティーショー「お笑いなにわ祭」</title>
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    <published>2012-05-09T02:41:40Z</published>
    <updated>2012-05-10T09:01:31Z</updated>

    <summary><![CDATA[       　６月９日、大阪国際交流センターで行われる第４２回産経チャリティーショー「お笑いなにわ祭」をウェーブ会員特別価格１６００円（通常２０００円）で優待します。 &nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;          【出演者】月亭八方（よしもと）横山たかし...]]></summary>
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        <![CDATA[<p><a href="editor-content.html?cs=UTF-8" name="top"></a></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="200" height="190" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/201205-sankeicharity-03.jpg" alt="201205-sankeicharity-03.jpg" /></span>      <p><img width="180" height="153" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/201205-sankeicharity-04.jpg" alt="201205-sankeicharity-04.jpg" /></p><p>　６月９日、大阪国際交流センターで行われる第４２回産経チャリティーショー「お笑いなにわ祭」をウェーブ会員特別価格１６００円（通常２０００円）で優待します。</p> <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p> <p>&nbsp;&nbsp;</p>  <blockquote>      <img width="120" height="106" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/201205-sankeicharity-05.jpg" alt="201205-sankeicharity-05.jpg" />  <p>【出演者】月亭八方（よしもと）横山たかし・ひろし（松竹）Ｗヤング（よしもと）桂梅團治（松竹）桂三風（よしもと）豊来家板里（松竹）こんばらさん（よしもと）チョップリン（松竹）男と女（よしもと・司会＝写真左）代走みつくに（松竹）</p> </blockquote> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://wave.sankei-kansai.com/pdf/201205-sankeicharity-02.pdf"><img width="450" height="637" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/201205-sankeicharity-02.jpg" alt="201205-sankeicharity-02.jpg" /></a></span> <table class="table_01" style="width: 100%; height: ">     <tbody>         <tr>             <th><p>開催日時</p></th>             <td><p>６月９日（土）午後１時</p></td>         </tr>         <tr>             <th><p>会　場</p></th>             <td><p><a href="http://www.ih-osaka.or.jp/">大阪国際交流センター</a>（大阪・天王寺）</p></td>         </tr>         <tr>             <th><p>優待料金</p></th>             <td><p>１６００円（全席自由）<br />             ※チケット代金のほか送料４００円がかかります。</p></td>         </tr>         <tr>             <th>応募締切</th>             <td><p>５月２５日必着</p></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>&nbsp;</p> <table width="100%" cellspacing="0" cellpadding="5" border="0">     <tbody>         <tr>             <td><a href="https://atform.ktvs.co.jp/f/NvEepl0Dt0cRSCOQ/form.cgi"><img width="280" height="60" alt="お申し込みはこちら" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/part-yes.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>             <td><a href="#kiyaku"><img width="280" height="60" alt="会員番号をお持ちでない方" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/part-no.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>&nbsp;</p> <p>&nbsp;</p> <p style="text-align: center;">◆　　◇　　◆　　◇</p> <p>&nbsp;</p> <p style="text-align: left;"><a href="editor-content.html?cs=UTF-8" name="kiyaku"></a></p> <p style="text-align: left;"><span style="color: rgb(0, 0, 255);">下記の会員規約をお読みの上、ご同意の方は、下部の「会員規約に同意する」ボタンをクリックして下さい。</span></p> <p><img width="560" height="1500" alt="kiyaku20120401.png" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/kiyaku20120401.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 0 0 0;" /></p> <p>&nbsp;</p> <table width="100%" cellspacing="0" cellpadding="5" border="0">     <tbody>         <tr>             <td><a href="https://atform.ktvs.co.jp/f/NvEepl0Dt0cRSCOQ/form.cgi"><img width="280" height="60" alt="規約に同意し入会を希望する" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/prat-agree.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>             <td><a href="http://wave.sankei-kansai.com/"><img width="280" height="60" alt="規約に同意しない" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/part-not_agree.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>         </tr>     </tbody> </table> <p style="text-align: right;">《<a href="#top">詳細に戻る</a>》</p>]]>
        
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    <title>文化サロン「３回で学ぶ京都・世界文化遺産対決シリーズ　前編」を開催しました</title>
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    <published>2012-05-08T01:02:26Z</published>
    <updated>2012-05-09T03:56:28Z</updated>

    <summary>　京都の旅行企画、観光ガイド、京都本のプロデュースを手がける「らくたび」の代表でプロガイド、山村純也さんによる「ウェーブ文化サロン」（ウェーブ産経主催）の人気企画「３回で学ぶ京都」の新シリーズが始まりました。　「世界文化遺産対決シリーズ　前編」の第１回が、４月１２日に大阪市浪速区...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="300" height="204" alt="20120412-kyoto-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120412-kyoto-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　京都の旅行企画、観光ガイド、京都本のプロデュースを手がける「<a href="http://www.rakutabi.com/">らくたび</a>」の代表でプロガイド、山村純也さんによる「ウェーブ文化サロン」（ウェーブ産経主催）の人気企画「３回で学ぶ京都」の新シリーズが始まりました。</p><p>　「世界文化遺産対決シリーズ　前編」の第１回が、４月１２日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれ、午前と午後の２回合わせて約８０人の会員が参加しました。<br /><br />　京都府内には「古都京都の文化財」として、１７の寺社などが世界遺産（世界文化遺産）に登録されています。その中から新シリーズの記念すべき１回目の題材に選ばれたのが「上賀茂神社・下鴨神社ＶＳ二条城・西本願寺」です。</p><p>　山村さんは「平安京の最初と最後に輝く世界遺産の価値とは」をテーマに話しました。まず、配られた資料をもとに「平安京以前から君臨した『賀茂社（上賀茂神社・下鴨神社）』の歩み」から振り返りましょう。<br /><br />　上賀茂神社は、正しくは賀茂別雷神社（かもわけいかづちじんじゃ）といい、下鴨神社は、正しくは賀茂御祖神社（かもみおやじんじゃ）といいます。平安京遷都後は、王城鎮護の社として社殿も整備され、皇室の厚い崇敬を受けました。武家の信仰も厚く、徳川家康は神紋の双葉葵から家紋を三つ葉葵にするほど厚く信仰しました。</p><p>　上賀茂神社の門前の社家町は、伝統的建造物保存地区に指定され、景観が保護されています。下鴨神社の境内を覆う森は「糺（ただす）の森」と呼ばれ、平安京以前の生態系を維持している貴重な自然の森となっています。<br /><br />　この糺の森は「恐らく、都会に残された唯一の原野」と言われているそうです。山村さんは「原生林というのは日本中、いたるところにありますけど、全部、山。都会の中に原生林として残っているというのは、日本中を探しても、実は、ないんです」と、その貴重さを説明。「この上賀茂神社、下鴨神社の価値というのは、長い歴史を持っているということです。１７カ所で一番歴史を持っています」とまとめました。</p><p>　また、賀茂社を創建した賀茂氏と、平安京遷都以前から京都で賀茂氏とともに２大勢力を誇った秦氏とのつながり、賀茂氏が陰陽師（おんみょうじ）の安倍晴明と、その子孫の土御門家を育てたといってもいいことなどにも触れました。<br /><br />　さらに、賀茂社の神紋、二葉葵と、徳川家の家紋、三つ葉葵が大変、似ていることについても解説。</p><p>　家康が将軍家以外に葵の紋の使用を禁じた際、家康の腹心だった本多正信が「当家は神代以来、京都の賀茂神社に奉仕する賀茂族、ゆえに賀茂の神紋である葵紋を用いるのは当然のこと」と言い返したため、家康も例外を認めざるを得なかったという逸話を紹介しました。<br />&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="300" height="225" alt="20120412-kyoto-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120412-kyoto-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　次の話題は「平安京に最後の光を放った『西本願寺・二条城』の歩み」に。まず、西本願寺から振り返りましょう。<br /><br />　浄土真宗の開祖、親鸞聖人が亡くなった後、末娘の覚信尼（かくしんに）が大谷廟堂を建てて、まつった後、次第に宗派として歩み出します。織田信長と対立し、長き戦いを経た後、豊臣秀吉から堀川五条に土地が与えられ、伽藍（がらん）が整備されました。</p><p>　しかし、慶長７（１６０２）年、引退していた教如（きょうにょ）上人が家康から烏丸七条に土地を寄進され、東本願寺を興し、東西に分離して、現在に至っています。</p><p>　続いて、二条城は慶長８（１６０３）年、家康が将軍上洛時の宿所として、また、西国大名や朝廷の監視を目的に築城。幕末の慶応３（１８６７）年、二条城大広間で江戸幕府の１５代将軍、徳川慶喜が大政奉還を行い、約２６０年、続いた江戸時代は幕を降ろしました。明治時代には、一時、京都府庁として使われ、その後、宮内庁管轄の二条離宮となり、昭和１４（１９３９）年、京都市の管轄となりました。</p><p>　山村さんは「二条城は歴史の生き証人。江戸時代の始まりと終わりの舞台である」と説明。二条城の価値として江戸時代が凝縮されていることを挙げました。</p><p>　最後に、平安京以前からの長い歴史の中で、いろいろな役割を果たしてきた上賀茂神社と下鴨神社、そして、平安京の最後に開花した絢爛（けんらん）豪華な西本願寺と二条城として、対比。「対照的な世界遺産ですよね。今回は勝ち負けは、つけません。皆さんに感じていただければいいかなと思います」と、まとめました。</p>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇き◇　喜多川歌麿(1753～1806)　江戸時代の浮世絵師</title>
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    <published>2012-05-07T04:45:04Z</published>
    <updated>2012-05-07T04:52:22Z</updated>

    <summary> 喜びは多事にわたりて　川岸を　歌いめぐれる麿のありけり 　彼は江戸時代の浮世絵師で美人画の第一人者とされております。出版元蔦屋重三郎に見出され、勉強をはじめた初期は、先輩の影響を強く受けて独自の境地は見られませんでしたが、彼がえらかったところは、動植物や貝の写生に没頭していたと...</summary>
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">喜</span></strong><span style="font-size: 130%;">びは<strong>多</strong>事にわたりて　<strong>川</strong>岸を<br />　<strong>歌</strong>いめぐれる<strong>麿</strong>のありけり</span></p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="300" height="353" alt="30-kitagawa.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/30-kitagawa.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span></blockquote><p>　彼は江戸時代の浮世絵師で美人画の第一人者とされております。出版元蔦屋重三郎に見出され、勉強をはじめた初期は、先輩の影響を強く受けて独自の境地は見られませんでしたが、彼がえらかったところは、動植物や貝の写生に没頭していたということです。つまり、虫を緻密に写生した「再本虫撰」や貝を写生した「朝干のつと」はともに絵本ですが、この地道な苦闘があってこそ後日の歌麿が生まれたということでしょう。写実という基本が書画の世界にいかに重要であるかが納得できるところです。</p><p>　さて、つぎの飛躍は従来の美人画の特色であった群像形式をやめて、１人の女性の顔を画面いっぱいに大きく描いた、いわゆる「大首絵」の発明なのであります。これで彼は何を志したかというと、女性の顔のみを大写することによって、その見えざる肉体や心を写し出し描き出したいということでした。この発想は文字によらず絵によらず目に見えない世界の語りかけや存在を、あたかも目の前に在るごとくキャッチして再現する創造精神でありましょう。だから当時評判の高かった遊女、芸者、水茶屋娘など、さまざまな女から「女」を九州しようとしたのです。</p><p>　１８０４年発表した「太閤五妻洛東遊覧之図」は幕府を誹謗したとして50日の手鎖の刑を受けたというのですが、作家の神の手を鉄鎖で縛るとはなんとむごい仕打ちでしょう。彼の作品は、写楽と違って気品に富み優雅な肉感的な女を表現していますね。あの美人画の「婦人相学十躰(浮気の相)」や「婦女人相十品(ビードロを吹く女)」は、なんと女でも魂を吸われてしまいそうな作品でございます。（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇さ◇西郷隆盛(1827～1877)幕末から明治初期にかけての政治家</title>
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    <published>2012-05-07T04:41:59Z</published>
    <updated>2012-05-07T04:50:17Z</updated>

    <summary> 国憂う　東西の士は郷にあふれ　天下隆々と　盛ゆる山河  　安政の大獄で幕吏の追及をうけて郷里の薩摩に帰りましたが、当時佐幕に傾いていた薩摩藩からも追われ鹿児島に身投げします。ところが、彼だけは助かってつぎは大島へ流されるのです。時あって再び召されますがまた藩王久光の怒りに触れて...</summary>
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><span style="font-size: 130%;">国憂う　東<strong>西</strong>の士は<strong>郷</strong>にあふれ<br />　天下<strong>隆</strong>々と　<strong>盛</strong>ゆる山河</span></p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="300" height="336" alt="29-saigo.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/29-saigo.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span> </blockquote><p>　安政の大獄で幕吏の追及をうけて郷里の薩摩に帰りましたが、当時佐幕に傾いていた薩摩藩からも追われ鹿児島に身投げします。ところが、彼だけは助かってつぎは大島へ流されるのです。時あって再び召されますがまた藩王久光の怒りに触れて、今度は沖永良部島に流されました。</p><p>　ようやく許されて帰藩し、やがて京都へ出て文久の政変に参加し、人ぞ知るや第一回征長の役には征長幕藩連合軍の首脳として華々しく戦うのです。そして、かの戊辰戦争においては、征討大総督参謀として江戸無血開城に成功したのでした。明治新政府成立後、薩摩藩政の改革にも着手しましたが、征韓論をめぐり大久保利通らと対立し、空しく帰郷します。</p><p>　その後の西郷は地元で士族暴動なるものをおこしますが、この故に1877年、政府軍は鹿児島県の城山に立てこもった西郷軍を滅多討ちにし、銃弾をうけ負傷した彼は自決せざるを得なかったのでした。</p><p>　数々の栄光に彩られ国の動乱期に生きた英雄はまた反面「金も名も命も要らぬ」という信念の持ち主だったとも伝えられています。錦絵などに見る西郷はヒゲをはやし大礼服をまとい馬上で戦っています。ヒゲは権威を象徴するもので、実際西郷が錦絵のような恰好であったかどうかというのは大いに疑問だというのです。</p><p>　恐らく長い重苦しい封建と制圧、生活の貧困にあえいでいた動乱期の大衆が改革の英雄西郷にかけた切ない幻の像なのではないかと思うものです。たぶん、昭和のわが日本の戦後よりも庶民は何倍も苦しかったのではないでしょうか。遺体とは別に首がどうしても見つからない、他国に移り住んだなどの伝説が紛々と流れていたというのは、民衆の西郷を失いたくない悲しみの絶叫ではないでしょうか。（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇あ◇　赤染衛門(960？～1041？)平安時代の歌人</title>
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    <published>2012-05-07T04:33:14Z</published>
    <updated>2012-05-07T04:37:08Z</updated>

    <summary> 赤心を　一途に染めて歌の道 衛れば門風　鮮やかに吹く   　平安時代の女流歌人であります。大江匡衡(まさひら)の妻となって拳周、江侍従を産みました。夫の匡衡は東宮学士となって三条天皇に侍じ後に一条天皇の侍読となった人物です。赤染衛門と結婚したのはその頃でありますが、彼女は若い頃...</summary>
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        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">赤</span></strong><span style="font-size: 130%;">心を　一途に<strong>染</strong>めて歌の道<br /> <strong>衛</strong>れば<strong>門</strong>風　鮮やかに吹く</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="312" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/28-akaemon.jpg" alt="28-akaemon.jpg" /></span> </blockquote> <p>　平安時代の女流歌人であります。大江匡衡(まさひら)の妻となって拳周、江侍従を産みました。夫の匡衡は東宮学士となって三条天皇に侍じ後に一条天皇の侍読となった人物です。赤染衛門と結婚したのはその頃でありますが、彼女は若い頃から一途の歌の道で伶名を馳せていましたが、結婚後はひとえに良妻賢母に徹し、夫やこどもの教育や栄達のために、力を発揮したということなのです。</p> <p>　中年になりましてから、清少納言、和泉式部、紫式部ら女流歌人の先輩格として歌壇で重んぜられたという記述が残っています。</p> <p>　彼女の歌は屏風や交際の歌が多いといわれておりますが、おだやかで品格のある社交的な歌風に人気があったようです。なかでもわたしの好きなのは、藤原道隆に贈ったといわれている、</p> <p>やすらは(わ)で　寝なましものをさよ(小夜)ふけて　かたぶく(傾く)までの月を見しかな</p> <p>　ですが、これは広く知られているようです。この一首でも分かるように、典雅で癖のない豊満な情緒が彼女の歌の特徴でしょう。夫が亡くなってからは尼となり、釈教歌に秀れたものが見られます。</p> <p>　かの栄華物語(宇多天皇から１５代にわたる宮廷貴族の歴史を仮名文を用いて記した歴史物語で４０巻)の作者でもあるとも、そうでないともいわれています。折口信夫などは男性の執筆だとしておりますが、通説では赤染衛門筆説が有力であります。なぜならば、筆法や心理描写が女性的観点を匂わせているということにあるといえます。地下の赤染衛門はこのうわさを知っているでしょうか。（辻歌子）</p> <p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇て◇寺田寅彦(1878～1935)明治・大正・昭和期の実験物理学者、文学者</title>
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    <published>2012-05-07T04:27:07Z</published>
    <updated>2012-05-07T04:32:04Z</updated>

    <summary> 寺社を出でて　田田と続く池のほとり 寅客を凌ぐ　彦　遊歩する  「天災は忘れた頃にやってくる」。誰もが耳にしたことがあるようなこの言葉が、かの寺田寅彦のものであることとは無知にしてわたしは知りませんでした。やっと納得がいきましたのは、彼が東大理学部教授を辞めて地震研究所へ務めた...</summary>
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">寺</span></strong><span style="font-size: 130%;">社を出でて　<strong>田</strong>田と続く池のほとり<br /> <strong>寅</strong>客を凌ぐ　<strong>彦</strong>　遊歩する</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="360" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/27-terada.jpg" alt="27-terada.jpg" /></span></blockquote> <p>「天災は忘れた頃にやってくる」。誰もが耳にしたことがあるようなこの言葉が、かの寺田寅彦のものであることとは無知にしてわたしは知りませんでした。やっと納得がいきましたのは、彼が東大理学部教授を辞めて地震研究所へ務めたという話を読んだからであります。</p> <p>　1922年、9月1日の関東大震災のとき、当時実験物理学のオーソリティーであった彼が逃げもせずに木造建築の適否に心を奪われていたというのです。そのとき美術館には人っ子ひとりいなかったというのですから、彼のすさまじい情熱が伝わってきますね。彼はそれ以後、地球物理学の立場から地震の研究に没頭し、数々の論文を発表して後進を育てたということです。</p> <p>　彼についてわたしが興味深く思うのは、これだけではありません。彼は実母に異常といってはいけませんが、傍目からするとマザコン的な執着の仕方のように思われるということです。妻も子もありながら常に母親を上位におき知人の年賀状を書くとき、妻子とお手伝いさんをともに「同居人」としたというのですが、実は何をかくしましょう。このくだりをもっとも羨ましいと思ったのは、ほかならぬわたくしメであります。つまりわたしの息子は、教育が悪かったため、マザコンムスコを卒業して「他人のムスコ」になったからでございます。　</p> <p>　さて、人間寺田寅彦のプライバシーまでしつこく迫りたくはございませんが、15歳の妻・夏子は一子を産んだ後死別。次の妻・寛子(ゆたこ)は四子を産み結核で死別、三番目の妻・紳子とも胸襟を開き得なかったという寅彦なのです。なぜかこのくだりが重苦しくわたしの胸のはしに引っかかるというのはどうしたことでしょうか。（辻歌子）</p> <p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>こころつたえ第十回「聖護院門跡を訪ねる」を開催しました</title>
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    <published>2012-05-07T04:02:30Z</published>
    <updated>2012-05-07T04:16:01Z</updated>

    <summary>　わが国の山岳宗教を切り開いた役行者を開祖とする本山修験宗の総本山「聖護院門跡」（京都市左京区聖護院中町）。第１０回の「こころつたえ」は３月１８日、皇室との関係も深いこの寺で開かれ、会員約１３０人が参加しました。宮城泰年門主が「カミとほとけ＝修験道の自然世界」と題して講話。「修験...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="288" height="191" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120318-kokoro-01.jpg" alt="20120318-kokoro-01.jpg" /></span><p>　わが国の山岳宗教を切り開いた役行者を開祖とする本山修験宗の総本山「聖護院門跡」（京都市左京区聖護院中町）。第１０回の「こころつたえ」は３月１８日、皇室との関係も深いこの寺で開かれ、会員約１３０人が参加しました。宮城泰年門主が「カミとほとけ＝修験道の自然世界」と題して講話。「修験者の立場で言えば、人が自然を汚染し冒とくするようなことはしてはいけない」などと語ってくれる言葉に、耳を傾けました。</p><p>　<strong>《神仏習合、本地垂迹（すいじゃく）&hellip;》</strong></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="160" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120318-kokoro-02.jpg" alt="20120318-kokoro-02.jpg" /></span><p>　宮城門主はまず「仏教が伝来するまで、日本人が信仰していたのは固有名詞を持たない自然神。山から流れる川の流域で農耕していた人は、死んだら霊魂は山へいくのだろうと思っていたはずで山は神のいる場所だった」と説明。その上で「仏教が伝来すると、仏はホトケガミなどと呼ばれ、早くも神と仏が同体化している」としました。</p><p>　そして「仏の世界を描いた曼荼羅の世界が山にもあてはめられ、山脈そのものが仏の世界であるという考えが山岳信仰の中に入ってきた」そうです。「仏教と自然神信仰が融合。やがて『神が仏法を喜び、供養を受けて仏法を守る』『神は仏法によって救われる』との２つの考えが現れ、神と仏は同化していった」とのことです。</p><p>　この神仏習合の流れを象徴するのが、権現信仰のようです。「権現とは『仮に現れる』という意味で神が仏の姿で現れたもの。そして仏を本地仏とし、そこから生まれるのが神（権現）とする『本地垂迹』の考えが日本人の中に大きく浸透した」そうです。江戸時代まで寺院の中に神社、神社の中に寺院がある所も多かったようですが、明治の神仏分離で寺が廃寺となったり仏教的資料が排除されるなどしたそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="258" height="182" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120318-kokoro-03.jpg" alt="20120318-kokoro-03.jpg" /></span><p>　<strong>《自然に抱かれて》</strong></p><p>　続いて、宮城門主は修験道や山での修行などについて話してくれました。「開祖の役行者は６３４年に葛城山近くで生まれ、１９歳で大峰山を開山したという伝説があるが、正史の続日本紀にも記されている実在の人。役行者は呪術をよくしたと言われるが、修験者は山岳修行もするし、病退散などの加持祈祷も行ってきた。医学が発達してない時代には非常に活躍した」そうです。</p><p>　同寺については「寛治４（１０９０）年に白河上皇が熊野本宮へ参った際、僧の増誉が案内し『聖体を護持した』ことで『聖護』の名前を頂いて寺を開いた。住職は私で５２代となり、うち２５代は皇室から入っている」とのことです。</p><p>　大峰山の参詣道が世界遺産に登録された時、宮城門主らは昔の行程通り１２泊１３日で歩いたそうです。「もちろん『行』だから食べるのは精進料理。山に入ると通り抜ける風を感じ、遠くに鳥の声が聞こえ、いろんな匂いがしてくる。山の霊気が染み込んだ香りが漂ってくる気がし、異界に自分の身が置かれている感じがする。これが神仏の世界だと思う」そうです。</p><p>　そして「神仏、自然は制御できないし、してはならない。制御できない世界は地球そのものではないか。原発問題が震災から話題になっているが、人の手で処理できない核廃棄物を作り出しており、地中に埋めても地層の変動で出てきたら自然を汚染する。修験者の立場から言えば、自然を冒とくするようなことはしてはならないと思う」と強調して話を終えました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="218" height="156" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120318-kokoro-04.jpg" alt="20120318-kokoro-04.jpg" /></span><p>　<strong>《特別御膳でほっこり》</strong></p><p>　お話の後は、寺に隣接する旅館「聖護院　御殿荘」での昼食です。料理は二段重ねのお重に入った特別御膳。天ぷら（エビ、サツマイモなど）▽山菜土佐煮▽サワラ幽庵焼▽麩饅頭▽カボチャやキヌサヤの煮物▽百合根饅頭▽ちりめんじゃこ▽サーモン寿司－など、バラエティー豊かです。これに、湯葉鍋▽茶碗蒸し▽香の物▽赤だし▽ゆかりご飯－まで付いて、十分満足できる内容でした。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="238" height="163" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120318-kokoro-05.jpg" alt="20120318-kokoro-05.jpg" /></span><p>　<strong>《皇室縁の華麗な書院や宸殿》</strong></p><p>　食後は寺内部の特別拝観です。人数が多いため３班に分かれて回りました。<br /><br />　まず入ったのが重要文化財の『書院』。江戸時代初期の約３４０年前に御所から移築した後水尾天皇の側室の建物だそうです。「奥の間」を見ましたが、狩野派の襖絵で飾られ、江戸時代に作ったガラスがはめ込まれた出窓があるなど、凝った造り。釘隠にも後水尾天皇が好きだった笹リンドウをかたどった七宝焼を用いるなど、さりげなくぜいたくでもあります。</p><p>　続いて訪れた『宸殿』は法親王が入寺した際の正殿になる建物だそうです。宮殿風に造られており「言わば聖護院の宮の自宅でもあり、一般の人は出入りできない場所。このため、多くの障壁画も保存状態が大変良い」と案内の僧が説明してくれました。</p><p>　宸殿では「大玄関」「孔雀の間」「太公望の間」などを見て回りましたが、なかでも「謁見の間」は天明の大火（１７８８年）で御所が燃えた際、同寺に避難した光格天皇が政務を取り扱った場所で、当時のまま残っているそうです。上段の間、二の間、三の間に分かれ、狩野益信による障壁画が描かれています。特に上段の間の松の絵は、権力を象徴するものだとか。</p><p>　また、宸殿中央の「大仏間」には、同寺唯一の銅像である「役行者像」などが安置されていました。</p><p>　最後に見学した『本堂』には、中央に本尊の「不動明王像」が鎮座。平安時代後期の作と伝わり「ぽっちゃりとした童子のような体型が特徴」とか。護摩をたくため、内部はすすで黒ずんでいます。本堂前の「南の庭」も、節分などの時には盛大な護摩祈祷が行われるそうです。&ldquo;修験者の本拠地&rdquo;。改めて、その印象も強くしました。</p><p>　<strong>《お茶請けは「八ツ橋」で》</strong></p><p>　見学後は講話会場に戻って一服。サンケイミュージック所属の歌手、小川千春さんの歌声に耳を傾けながら、お茶請けの「聖護院八ツ橋」を味わいました。</p>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇え◇江戸川乱歩(1894～1965)大正・昭和期の探偵小説家</title>
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    <published>2012-05-01T05:27:59Z</published>
    <updated>2012-05-01T05:32:09Z</updated>

    <summary> 江珠持ちて　門戸さとしき川千鳥　夜明けの乱舞　歩毬の如し 　本名は平井太郎というまじめな名前ですが、筆名はエドガー・アラン・ポーからもじったものであることは皆さん承知のとおりです。　でもはじめは江戸川藍峯と書いたそうですが、｢乱歩｣の方がずっと感じが出ていますね。　彼は早稲田大...</summary>
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">江</span></strong><span style="font-size: 130%;">珠持ちて　門<strong>戸</strong>さとしき<strong>川</strong>千鳥<br />　夜明けの<strong>乱</strong>舞　<strong>歩</strong>毬の如し</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="313" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/26-ranpo.jpg" alt="26-ranpo.jpg" /></span></blockquote><p>　本名は平井太郎というまじめな名前ですが、筆名はエドガー・アラン・ポーからもじったものであることは皆さん承知のとおりです。</p><p>　でもはじめは江戸川藍峯と書いたそうですが、｢乱歩｣の方がずっと感じが出ていますね。　彼は早稲田大学の政治経済学部を卒業したのち、十数種類の職業を経験しているといいますから、やはり平凡ではありません。</p><p>　彼も頭角を現すまでには並々ならぬ苦節を重ねたようです。「綺譚」と題する自家製の本を作り雑誌「新青年」を愛読し『二銭銅貨』『一枚の切符』と、次々に作品を発表していますが、名探偵明智小五郎が登場する『Ｄ坂の殺人事件』や『パノラマ島綺譚』は耳に新しい作品でありましょう。</p><p>　乱歩は1927年から３年間、朝日新聞に『一寸法師』を連載したのち、突如として休筆を宣言して旅に出ます。新しい発想と倫理性ある探偵小説を書こうと苦悩したのだとされていますが、まことに肯けることであります。作家はときどき立ちどまって、意識の転換をはかり零にかえってみることが大切だと思うからです。</p><p>　彼がいかに地道に研究したか、作家精神を表す一例として、自分に関係のある新聞記事、書評、雑文、住んだ家の間取りまで緻密、かつ詳細に記録しているということですが、平凡なようでいて実は日常的に困難なことであります。</p><p>　1929年の『蜘蛛男』、1930年の『黄金仮面』以下の怪奇長編は探偵小説への興味を一般に普及させ、研究評論の功績を評価されて、日本探偵作家クラブの初代会長におされております。また、還暦を記念して「江戸川乱歩賞」を設け、61年には紫綬褒章の栄に浴しました。（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇け◇今東光(1898～1977)昭和期の作家、平泉中尊寺貫主</title>
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    <published>2012-05-01T05:22:56Z</published>
    <updated>2012-05-01T05:27:01Z</updated>

    <summary> 今を生きる　今が洒脱と 東の　光　燦燦仰ぎて至上   　彼が昭和２６年、大阪・八尾の天台院住職になったとき、となりの市に住むわたしはなんとなく胸がとどろいたものでした。まわりの人たちも「ああ今東光の近くなのね」といわれたりして、なんということもないのに得意になったりしたのです。...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">今</span></strong><span style="font-size: 130%;">を生きる　今が洒脱と<br /> <strong>東</strong>の　<strong>光</strong>　燦燦仰ぎて至上</span></p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="300" height="344" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/25-kon.jpg" alt="25-kon.jpg" /></span> </blockquote> <p>　彼が昭和２６年、大阪・八尾の天台院住職になったとき、となりの市に住むわたしはなんとなく胸がとどろいたものでした。まわりの人たちも「ああ今東光の近くなのね」といわれたりして、なんということもないのに得意になったりしたのです。</p> <p>　ちょっとかわったお坊さんといわれた彼は明治３１年に横浜に生まれ、欧州航路の船長であった父について函館、小樽、横浜、大阪、神戸と小学校を変わり、関西中学、兵庫県豊岡中学は退学処分されたという履歴を持っています。</p> <p>　大正３年の上京後は型通りの文学青年となりましたが、音楽や絵画にも才能を発揮しましたから「新思潮」「文芸時代」などの新感覚派の芸術運動にもたずさわっていたということです。</p> <p>　花開く大正デモクラシー当時には第一創作集『痩せた花嫁』が出ています。</p> <p>　昭和前期、プロレタリア文学に関心を持ち、南部藩の百姓一揆を書いた『奥州流血録』はゾクゾクしながら一気に読み通したことをおぼえております。</p> <p>　昭和5年に剃髪して天台宗延暦寺の僧となり、さらに茨城県安楽寺の住職をされた後、八尾へ来られたのでした。</p> <p>　八尾では河内の歴史、風土、人情などが鮮やかな筆で語られ、それらについての造詣は卓抜だと、わたしにも思われました。</p> <p>　第３６回の直木賞作品「お吟さま」は、何という艶のある情感豊かな作品でしょうか。なめらかな語り口につられて読み進むと、それは平板な「ありきたり」ではなく、深い思索と感性と人生経験のないまざった、なんとも独特の味わいで、類いまれな豊穣な読後感をもたらしてくれるものでした。</p> <p>　昭和41年、岩手県平泉の中尊寺貫主となった今東光は「聖と俗」を兼備した人間僧侶であったと思うのです。（辻歌子）</p> <p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇ふ◇福沢諭吉(1835～1901)明治時代の民間啓蒙思想家</title>
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    <published>2012-05-01T05:09:06Z</published>
    <updated>2012-05-01T05:14:47Z</updated>

    <summary> 福徳と叡智は澤に漲りて 諭しみちびき世々は吉祥      　福沢氏といえば何をおいてもかの有名な「天は人の上に人を造らず　人の下に人を造らず」の言葉ですね。 　それから１万円の顔です。昭和59年、亡くなってから83年後に自分の顔がお札になるなんて彼は思っていなかったでしょう。な...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[
<p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">福</span></strong><span style="font-size: 130%;">徳と叡智は<strong>澤</strong>に漲りて<br />
<strong>諭</strong>しみちびき世々は<strong>吉</strong>祥</span></p>
<blockquote>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="300" height="360" alt="24-yukichi.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/24-yukichi.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" />
</span>
</blockquote>
<p>　福沢氏といえば何をおいてもかの有名な「天は人の上に人を造らず　人の下に人を造らず」の言葉ですね。</p>
<p>　それから１万円の顔です。昭和59年、亡くなってから83年後に自分の顔がお札になるなんて彼は思っていなかったでしょう。なにしろ、日清戦争のとき当時の１万円を献金したという豪傑ですし、金にきたない人物ではないのです。なにやら皮肉ですよね。</p>
<p>　彼は専ら進取、向学の精神に富み、封建の世に蘭学や英学を学び、文明開化のために自主独立の必要性を説きました。時代的には江戸を半分、明治を半分生きた人物であります。</p>
<p>　『学問のすすめ』＝初編＝は１１、１２歳から１５、１６歳を目標に書かれたものですね。これは全編17冊をあわせると340万部も売れたのだそうです。時あたかも近代の夜明け、時代に耳を澄ます若者のニーズにこれほどふさわしいものはなかったことでしょう。</p>
<p>　このほかにも『西洋事情』『福翁自伝』などの啓蒙的名著はもとより「時事小言(のちの時事新報)」の発刊を行うなど、目ざましい活躍をしています。もちろん慶応義塾を中心とした教育活動は、誰ひとりとして知らない者はありません。</p>
<p>　彼は173センチ、体重67キロという堂々たる男子であったそうです。そういえば首から上を見ても、その感じはなにやら納得できますね。</p>
<p>　わたしは「福翁百話」の中にある次の件が好きですが、皆さんはいかがですか。わたしは好きで好きで、読むほどにうっとりします。</p>
<p>　「&hellip;宇宙無変の考を以って独り自ら観ずれば、日月も小なり地球も微なり。況(ま)して人間の如き、無知無力見る影もなき蛆虫同様の小動物にして、石火電火の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、忽ち消えて痕なきのみ」（辻歌子）</p>
<p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p>
<div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<blockquote>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br />
<p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p>
</div>
</blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇け◇契沖(1640～1701)江戸中期の国学者</title>
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    <published>2012-05-01T04:58:46Z</published>
    <updated>2012-05-01T05:07:25Z</updated>

    <summary> 道を究む　日々契契と倦む日なく 成果の花は沖天にあり      　契沖は江戸中期の国学者であります。「万葉代匠記精撰本」などを書いた真言宗の坊さんです。 　大阪は尼崎の生まれで１１歳のとき、大阪市今里の妙法寺に住み込み仏学を学んだとされております。のちにそこの住職となりますが、...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="コラム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[
<p style="text-align: center"><span style="font-size: 130%;">道を究む　日々<strong>契</strong>契と倦む日なく<br />
成果の花は<strong>沖</strong>天にあり</span></p>
<blockquote>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="399" height="469" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/23-keicyuu.jpg" alt="23-keicyuu.jpg" />
</span>
</blockquote>
<p>　契沖は江戸中期の国学者であります。「万葉代匠記精撰本」などを書いた真言宗の坊さんです。</p>
<p>　大阪は尼崎の生まれで１１歳のとき、大阪市今里の妙法寺に住み込み仏学を学んだとされております。のちにそこの住職となりますが、まもなく弟子に譲って高津の円珠庵というところに隠住し専ら著述に従ったといわれます。</p>
<p>　さきに挙げた「万葉代匠記」は和漢書の出典を豊富にあげ、精密な解釈と独創的な意見に終始していて高く評価されているのだそうです。そのほかにも、古典の注釈としては「厚顔抄」「新勅撰集抄」などをはじめ随筆などもものしているということです。</p>
<p>　わたしにわかる彼の功績とは、万葉集の注釈と同時に歴史的な仮名遣いを実証的に説いているという点です。</p>
<p>　また文学観においても「もののあわれ」説のさきがけとなったのだと説く学者もいます。ところがある見方によれば、歌人でもある彼の歌には男女の愛の歌も見られ、人間観や恋愛観もすぐれていますが、実際には恋の経験もなかったらしいというのです。</p>
<p>　そんなことがどうして分かるのでしょうか。独身を貫いたら「清僧」なのでしょうか。わたしには分かりません。</p>
<p>　わたしの好きなのは、７歳で大病にかかったとき、医者の力も及ばなかったので天満天神の号を書いて毎日百遍唱えていますと、37日目に天神様が夢にあらわれて「吾是菅神、憐汝至誠、除病延命、他日為僧」とおっしゃったので、夢醒めて病はなおり、この話を両親に告げて出家を許されたという件です。こういう話は真偽のほどは分かりませんが、契沖というひとが、神仏のみ心に近い生まれつきだとわたしには思われてなりません。（辻歌子）</p>
<p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p>
<div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<blockquote>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br />
<p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p>
</div>
</blockquote>]]>
        
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    <title>舞台裏の見学に興奮　文楽鑑賞会を開催しました</title>
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    <published>2012-04-27T06:04:59Z</published>
    <updated>2012-05-01T00:47:54Z</updated>

    <summary>　４月公演を開催中の大阪・日本橋の国立文楽劇場で、舞台裏見学付きの文楽鑑賞会を行いました。舞台裏を特別に見学できるとあって、４月２０日、２３日、２５日の３日間で約１００人が参加しました。＜１＞「楽屋入口」の看板の前でスリッパに履き替えて。細い通路には技芸員さんや裏方さんの姿があり...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <category term="国立文楽劇場" label="国立文楽劇場" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="文楽" label="文楽" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<p>　４月公演を開催中の大阪・日本橋の国立文楽劇場で、舞台裏見学付きの文楽鑑賞会を行いました。舞台裏を特別に見学できるとあって、４月２０日、２３日、２５日の３日間で約１００人が参加しました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="436" height="336" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120425-bunraku-01.JPG" alt="20120425-bunraku-01.JPG" /></span><p style="text-align: left;">＜１＞「楽屋入口」の看板の前でスリッパに履き替えて。細い通路には技芸員さんや裏方さんの姿があり、のれんの奥からは三味線の音が聞こえてきたりと異空間のワクワク感たっぷり。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="436" height="336" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120425-bunraku-02.JPG" alt="20120425-bunraku-02.JPG" /></span><p style="text-align: left;">＜２＞こんなに近くで人形を見ることができるのもファンにはたまらないですね。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="436" height="336" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120425-bunraku-03.JPG" alt="20120425-bunraku-03.JPG" /></span><p style="text-align: left;">＜３＞いま終わったばかりの舞台に上り、セットを間近に興味津々の皆さん。客席からは見えない所に大道具、小道具が置かれていて、「実は文楽劇場は幅より奥行きの方があるんですよ」。同劇場職員平井康久さんの説明に納得の表情。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="436" height="336" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120425-bunraku-04.JPG" alt="20120425-bunraku-04.JPG" /></span><p>＜４＞大夫や三味線奏者の座るところを裏から見るとこうなっています。足元はなぜかザラザラ。その理由は「文楽も昔は神事として行われていました。だから今も塩を撒いています」</p><p>　いつも好評の「舞台裏見学」。「あっ、勘十郎さんや！」。お目当ての技芸員とすれ違ったラッキーな人や、終わってからも熱心に質問をしていた人も。<br />今回参加されなかった方はぜひ次回をお楽しみに。</p>]]>
        
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    <title>九度山町の真田まつり「大阪の陣を大河ドラマにする会」トーク・ショー開催決定</title>
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    <published>2012-04-24T08:51:53Z</published>
    <updated>2012-04-24T11:16:52Z</updated>

    <summary>5月4日・5日の両日に、和歌山県九度山町で真田まつり＝写真武者行列＝が開催されます。この真田まつりは、戦国の波乱に満ちた時代を生きた真田昌幸・幸村父子を偲んで古くから開催されています。真田の市や武者行列などが行われ九度山町の最も大きい祭の一つとなっています。5月5日午前10時30...</summary>
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        <name>ウェーブ産経大阪事務局</name>
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        <category term="関連行事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="masayuki (200x200).jpg" width="200" height="200" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/masayuki%20%28200x200%29.jpg" /></span>5月4日・5日の両日に、和歌山県九度山町で真田まつり＝写真武者行列＝が開催されます。</p><p>この真田まつりは、戦国の波乱に満ちた時代を生きた真田昌幸・幸村父子を偲んで古くから開催されています。</p><p>真田の市や武者行列などが行われ九度山町の最も大きい祭の一つとなっています。</p><p>5月5日午前10時30分から、「大阪の陣を大河ドラマにする会」トーク・ショーが、真田まつり会場で開催されます。</p><p>題して『幸村公ゆかりの地からのお招きに応じ、いざ大阪から九度山に出陣！</p><p>&nbsp;２０１４・１５年の大坂の陣四百年に向けて、大坂の陣の魅力を広く紹介し、ゆかりの地や人とつながりながら、気運を楽しく盛り上げていく「大坂の陣を大河ドラマにする会」。大坂の陣を語るには欠かせない真田幸村公ゆかりの地・九度山町からお招きを受けまして、恒例の真田まつり「トークショー」で参陣！会のメンバーが九度山町・幸村公・大坂の陣の魅力を、大阪弁にてしゃべりつくします。</p><p>◆出演　桜花昇ぼるさん（OSK日本歌劇団　トップスター）　、旭堂南陽さん（講談師）</p><p>　　　　　 北川央さん（大阪城天守閣研究主幹）、六波羅雅一さん（建築家）</p><p>■開催日時　５月５日（土）　午前１０時半～１１時半</p><p>■開催場所　真田まつり会場（九度山町入郷駐車場、南海高野線九度山駅から西へ徒歩１５分）</p><p>●真田まつり全体は、<a href="http://www.town.kudoyama.wakayama.jp/dd.aspx?itemid=3164#itmid3164">九度山町役場</a></p>]]>
        
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    <title>「平成♪なにわの語りべ劇場　２０１２早春ｉｎブリーゼ」を開催しました</title>
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    <published>2012-04-24T02:45:23Z</published>
    <updated>2012-04-24T09:16:53Z</updated>

    <summary>　大阪の文化や歴史を語りと音楽、映像の組み合わせで紹介する「平成♪なにわの語りべ劇場（シアター）　２０１２早春ｉｎブリーゼ」が３月６日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれました。大阪ガスエネルギー・文化研究所とウェーブ産経の共催で、約８５０人もの市民らが参加。駅ビル新築な...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="260" height="116" alt="20120306-kataribe-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kataribe-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　大阪の文化や歴史を語りと音楽、映像の組み合わせで紹介する「平成♪なにわの語りべ劇場（シアター）　２０１２早春ｉｎブリーゼ」が３月６日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれました。大阪ガスエネルギー・文化研究所とウェーブ産経の共催で、約８５０人もの市民らが参加。駅ビル新築など建設ラッシュで大きく変貌しつつある梅田の歴史や、上町台地を舞台にした芸能などの紹介に耳を傾けました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="120" height="147" alt="20120306-kataribe-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kataribe-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><strong>《語り・映像・音楽のコラボ》</strong></span></p><p>　このイベントは、同研究所の栗本智代研究員（写真左）による企画。大阪がもつ独自の歴史や多彩な文化的資産などを掘り起こし、肩の凝らない分かりやすい形で紹介しようと続けているのが、この「なにわの語りべ」活動だそうです。</p><p>　２部構成で、テーマは１部が「梅田は西からやってきた」、２部は「上方芸能の舞台としての上町台地」です。栗本さんが語り役。古写真やイラストなどをスクリーンに映しながら、解説を加えます。ピアニストの宮川真由美さんらが要所要所で曲を奏で、ムードを盛り上げました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="130" height="190" alt="20120306-kataribe-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kataribe-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><strong>《梅田は西からやってきた》</strong></span></p><p>　１部は、江戸時代の梅田が曾根崎村にあり、梅田の地名は泥の田を埋めた（埋め田）からとも、地主が梅田さんだったからとも言われることや、墓地や牛の放牧地しかない淋しい場所だった、との説明から始まりました。この地が、明治７（１８７４）年に大阪駅ができてから、一気に変わっていったそうです。<br /><br />　当初は駅を堂島に作る予定だったのに、地元の反対があり、将来の延伸を考えると通過型が良いこともあり、現在地に整備された経緯を説明。約２０年後の明治２８年の古地図も示され周囲が大きく変貌していることが分かります。「『梅田のステンショ』と親しみを込めて呼ばれていた」そうで、黎明期の活気が想像できます。</p><p>　界隈は発展し、昭和４年には日本初のターミナル百貨店である阪急百貨店もできました。ところが、昭和６年に&ldquo;阪急クロス問題&rdquo;が起こったそうです。前身の箕面有馬電気軌道時代から国鉄（当時は省線、現ＪＲ）の線路上を高架でまたいでいた阪急ですが、鉄道省が「国鉄を高架化するので、その下を走れ」と一方的に通告。建設費のこともあって阪急側も反発したそうですが、結局地上へ移ったそうです。その時作られたドーム状の屋根が印象的なホームやコンコースが、阪急三番街の上に駅が移るまで、百貨店横にあったのを思い出しました。</p><p>　語りでは、昨年オープンした大阪ステーションシティなど、現在の姿にもふれ「大阪駅の北側では再開発も進んでいる。産・官・学・民が本気で手をつなげば、梅田の北ゾーンは新たな都市になる」と締めくくりました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="230" height="133" alt="20120306-kataribe-04.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kataribe-04.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><strong>《ミニコンサートでブレイク》</strong></span></p><p>　１部の後はミニコンサート。大阪のＪＲや各私鉄の駅で流れる、列車の到着メロディーを組み合わせた曲を披露してくれました。映画「第三の男」のテーマもありましたが、これは阪急梅田駅で終電前の午後１１時４５分に流す曲だとか。曲に合わせて各社の電車や駅の写真も写しだされ、鉄道好きに好評でした。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 255);"><strong>《上方芸能の舞台としての上町台地》</strong></span></p><p>　２部では、元々海に突き出した高台で、大阪の&ldquo;原点&rdquo;とも言える上町台地で育まれた芸能についてのお話です。</p><p>　◎落語『鷺とり』</p><p>　上町台地の要に設けられた四天王寺などの近辺では古くから芸能が盛んで、落語も発達したとか。まずは落語の「鷺とり」のストーリーが、イラストを交えて紹介されました。</p><p>　現在の北区にある円頓寺の池で寝ていたサギを男がたくさん捕りますが、気付いて飛び立たれ、一緒に空中へ。あわやの所で四天王寺の五重塔につかまって逃げます。そして僧４人が広げてくれた布に飛び降りますが、男は助かったものの僧たちは頭をぶつけあって死んじゃう、という割とひどい話。ですが、地域における四天王寺の象徴性も伝わってきます。</p><p>　◎浄瑠璃「摂州合邦辻」</p><p>　大名家の世継ぎ争いを背景に、後妻の玉手御前が自分が悪い人間であるようにみせかけ、最後は命を捨ててまで、先妻の子・俊徳丸を守りきって世継ぎ争いを防ぐという悲しい人情話。こちらはしっとりとした語りで演じられました。</p><p>　この物語の舞台である合邦が辻の「閻魔堂」や「月江寺」も四天王寺の近所。閻魔堂には玉手の碑まであるそうで、まさに上町台地で誕生した浄瑠璃の話と言えるでしょう。</p><p>　２部では、生国魂神社に上方落語発祥の地の祈念碑があることや、近松門左衛門、織田作之助らこの界隈に縁の作者が多いことなども紹介。「上方芸能の舞台は上町台地。現地に足を運んで&ldquo;時空散歩&rdquo;を」と結び、最後は観客のみなさんと「ふるさと」を合唱、フィナーレを迎えました。</p>]]>
        
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    <title>アフタヌーン健康サロン＜第６回＞「高血圧の予防－高血圧予防は食事・生活習慣の工夫次第－」</title>
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    <published>2012-04-23T01:00:00Z</published>
    <updated>2012-04-23T03:21:51Z</updated>

    <summary>　高血圧を予防する食事とは？　ホテルでティータイムとともに健康について学ぶ「アフタヌーン健康サロン」（ウェーブ産経主催、キリン堂共催）の第６回が、４月１０日に大阪市北区の新阪急ホテルで開催されました。　今回のテーマは「高血圧の予防－高血圧予防は食事・生活習慣の工夫次第－」。約８０...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="110" height="144" alt="20120310-kirin-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-kirin-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　高血圧を予防する食事とは？　ホテルでティータイムとともに健康について学ぶ「アフタヌーン健康サロン」（ウェーブ産経主催、キリン堂共催）の第６回が、４月１０日に大阪市北区の新阪急ホテルで開催されました。</p><p>　今回のテーマは「高血圧の予防－高血圧予防は食事・生活習慣の工夫次第－」。約８０人の会員が参加し、キリン堂栄養情報担当者で薬剤師の北側智之さんが講師を務めました。</p><p>　北側さんは「生活習慣病対策は食事から～高血圧編～」と題して、まず血圧についての説明から話を始めました。「血圧は生活習慣病の中で一番数字の変動が激しい」と強調し、「正しい血圧を知っていただくのが一番大事」と訴えました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="230" height="177" alt="20120310-kirin-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-kirin-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　そして、正しい血圧の測り方を教えてくれました。まず家で測ることを挙げ、朝と晩に、トイレを済ませ、１～２分、いすに座ってから上腕で測りましょうと呼びかけました。</p><p>　また、測り方のポイントとして、測るときの精神状態に気をつける、何かをした直後は避ける、深呼吸をしてから測るなどとアドバイスもありました。</p><p>　特に、深呼吸にはリラックス効果があり、正確に血圧を測ることができるそうです。</p><p>　続いて、血圧を上げる食塩（塩化ナトリウム）を制限するために食塩量の計算方法の説明がありました。食料品に表示されている栄養成分のナトリウム量に２．５４をかけると、食塩量になります。最近は、あらかじめ食塩相当量として表示されている場合もあるので、注意してみてみると、いいでしょう。</p><p>　さらに、海水を蒸発させただけの未精製塩には、マグネシウムやカリウムなど、血圧を下げるミネラルが含まれることを紹介。一方、リン酸塩、グルタミン酸塩など、食品添加物に含まれる塩分にも注意しなければならないという解説もありました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="210" height="162" alt="20120310-kirin-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-kirin-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　最後に、日常の食事から高血圧を予防する方法を紹介してくれました。亜麻仁（あまに）油、えごま油など、血管の柔軟性を高め、血液をさらさらにする効果があるオメガ３系の油を積極的に摂取することを推奨。</p><p>　また、豆乳には血圧やコレステロールを下げる効果があり、豆乳の中でも無調製豆乳が一番体にいいそうです。北側さんも自宅の料理で、牛乳の代わりに豆乳を使っているそうです。そして、リンゴ酢にも血圧を下げる効果があるほか、中性脂肪を下げる効果もあり、ダイエットにもいいそうです。</p><p>　参加者には「健康食品を使ったお料理レシピ」として、「豆乳ココアブラマンジェ」「黒ゴマ豆乳プリン」「簡単手作り豆腐と、りんご酢のネバネバソース」「アップルパイ」などの作り方の資料も配られました。</p>]]>
        
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    <title>アフタヌーン健康サロン＜第５回＞「季節と身体（春の養生）」を開催しました</title>
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    <published>2012-04-18T05:19:49Z</published>
    <updated>2012-04-18T05:33:19Z</updated>

    <summary>　ウェーブ産経とキリン堂が、「未病」対策をテーマに開催しているアフタヌーン健康サロン。その第５回講座が３月６日、大阪市北区の新阪急ホテルで開かれました。今回は「健康長寿は未病対策から～季節と身体（春の養生）」としてキリン堂マーケティング戦略室室長で薬剤師の百海（どうみ）典子さんが...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="270" height="205" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kirin-01.jpg" alt="20120306-kirin-01.jpg" /></span><p>　ウェーブ産経とキリン堂が、「未病」対策をテーマに開催しているアフタヌーン健康サロン。その第５回講座が３月６日、大阪市北区の新阪急ホテルで開かれました。今回は「健康長寿は未病対策から～季節と身体（春の養生）」としてキリン堂マーケティング戦略室室長で薬剤師の百海（どうみ）典子さんが講演。参加した会員約７０人が「春は不快な症状が多く出る辛い季節。『肝』を補養し、ストレスを発散しよう」などと強調する百海さんの言葉に耳を傾けました。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《東洋医学とは》</strong></span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="200" height="217" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kirin-02.jpg" alt="20120306-kirin-02.jpg" /></span><p>　今回はまず、東洋医学の基礎理論を学びました。ご存じのように悪い部分を取り除くのが中心の西洋医学に対し、東洋医学は体の自然治癒力を引き出すことが基本です。『健康観』でも西洋が正常値や基準値を重視するのに対し、東洋では体調は変化するもので常に一定ではない、との姿勢で臨むそうです。</p><p>　東洋医学の『整体観』は人間の体は自然界の一部であり、自然界と同じことが体内で起こっている、との考え方。あらゆるものを陰と陽に分け、バランスが崩れた時病気になると考える『陰陽論』、古代中国の宗教観に基づく『五行説』も独自の理論です。</p><p>　なかでも『臓腑』は五臓（脾・肺・腎・肝・心）と六腑（胃・大腸・膀胱・胆・小腸・三焦）に分けられるそうです。実際の臓器と言うより、機能としての名称のようで、それぞれが互いに、相手の機能を強めたり弱めたりする関係があるとされています。</p><p>　また、『病因』について『七情の内因なければ、六淫の外邪犯さず』との考え方も教えてくれました。「七情」（喜・怒・憂・悲・思・恐・驚）の感情が過ぎると、「六淫」（風邪・湿邪・暑邪・燥邪・寒邪・熱邪）の外邪を招き入れてしまうという考えで、過度な感情が体に影響を与えるという意味では納得できるものです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="230" height="144" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kirin-03.jpg" alt="20120306-kirin-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《春は辛い季節》</strong></span></p><p>　ところで中国の古典『黄帝内経』には「春は生じ、夏は長じ、秋は収じ、冬は蔵する」ということが書かれています。「冬に病気が出て、春は治るための不快な症状がいっぱい出て、夏に治る。秋にはまたストレスが始まる」という意味になるそうで、「春は不快な症状が出る辛い季節」ということになります。</p><p>　これは、現代医学でみても当てはまります。春に気温が上がると新陳代謝が加速し、健康な人にはこの変化が心地よいのですが、体力のない人やお年寄りらには負担になるということです。春に起こりやすい症状は▽だるさ▽のぼせ▽眼病・ものもらい・結膜炎▽花粉症▽ニキビ・吹き出物▽胃腸炎▽神経痛・ぎっくり腰・寝違え▽生理不順▽イライラ▽不眠▽精神不安▽うつ病▽自律神経失調症－などだそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="270" height="194" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120306-kirin-04.jpg" alt="20120306-kirin-04.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《春の養生》</strong></span></p><p>　春の養生として、体の陽気が自然の気に応じて、外に向かって発散する傾向があるため、陽気の保持に努める必要があるとのこと。これを補って気の流れを良くする食べ物は、ソバ・大根・セリ・セロリなどだそうです。</p><p>　また、五臓の中で「肝」を補う必要があると言います。肝の機能は、全身の気の働きを調節する働き（疎泄作用）と、血脈中の血流量を調整する働き（蔵血作用）の２つとされ「『気』と『血』の部分に大きい影響がある」とか。肝の変調で▽目の不調▽消化不良▽感情の不安定化▽筋力低下－などの症状になるそうで、肝を補養する食べ物として牛乳・豆乳・卵・ゴマを上げてくれました。</p><p>　さらに味覚では、適度な酸味が肝の働きを正常にして体の疲れをとり、精神のいら立ちを抑えるとか。食べ物では、酢の物▽レモン▽イチゴ▽梅干し▽ナツメ▽シソ－などです。ただし摂りすぎると胃腸の働きを阻害するため、注意も必要です。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《有効な漢方薬は》</strong></span></p><p>　不安感の強い人には、抗うつ作用のある半夏（はんげ）▽香附子（こうふし）▽蘇葉▽竜骨－などの生薬が用いられます。薬としては、真武湯、補中益気湯など冷えをとり体力を上げる漢方薬が基本。イライラや不安感が強いときは柴胡加竜骨牡蠣（ぼれい）湯、加味逍遥（しょうよう）散、女神（にょしん）散などが処方されるそうです。</p><p>　また、自律神経の乱れを改善してくれる桂皮、甘草、紫胡、芍薬などの生薬も有効なようです。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《大切なストレス解消》</strong></span></p><p>　最後に百海さんは「病気につながる怒りや緊張は持続しないように」と強調しました。精神的なストレスは『肝』を高ぶらせ、相克関係にある『胃』にも影響するとか。深呼吸などで心を落ち着けるのも有効なようです。「早寝早起きして散歩するなどし、心身ともにのびのびとした気持ちで活動しましょう」と講演を締めくくりました。</p>]]>
        
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    <title>「コシノ家ゆかりの岸和田散策５」を開催しました</title>
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    <published>2012-04-18T01:00:00Z</published>
    <updated>2012-04-17T09:14:33Z</updated>

    <summary>　大阪府岸和田市を舞台に世界的なファッションデザイナー、コシノ三姉妹の母、小篠綾子さんの人生を描き、人気を呼んだＮＨＫ連続テレビ小説「カーネーション」の放送が、３月３１日に終わりました。　その舞台を訪ねるイベント「コシノ家ゆかりの岸和田散策５」（ウェーブ産経主催）が、ドラマの最終...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="230" height="173" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120326-kisiwada5-01.JPG" alt="20120326-kisiwada5-01.JPG" /></span><p>　大阪府岸和田市を舞台に世界的なファッションデザイナー、コシノ三姉妹の母、小篠綾子さんの人生を描き、人気を呼んだＮＨＫ連続テレビ小説「カーネーション」の放送が、３月３１日に終わりました。</p><p>　その舞台を訪ねるイベント「コシノ家ゆかりの岸和田散策５」（ウェーブ産経主催）が、ドラマの最終回を前に３月２６日、同市内で開催されました。</p><p>　約７０人の会員が参加し、見事な庭園でも人気の「がんこ岸和田五風荘」に集合。南海本線蛸地蔵駅から歩いて３分ほど。岸和田城が見える絶好のロケーションに参加者から「うわー、ええとこやね」などと感嘆の声があがりました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="230" height="173" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120326-kisiwada5-02.JPG" alt="20120326-kisiwada5-02.JPG" /></span><p>　まず岸和田ボランティアガイドの会長、永谷裕久さんから「カーネーションのまち　岸和田」をテーマに話を聞きました。</p><p>　永谷さんは「カーネーション」の時代、風俗考証を担当しました。劇中で使われた岸和田弁について、「本当の岸和田弁を使うと、北海道から沖縄の方まで、理解していただくのは難しいかなと思いまして、ある程度、分かるくらいの岸和田弁に変更しております」と裏話を披露。</p><p>　劇中に登場する食事についても漁港が近い岸和田の地元色を出すために、魚料理を基本にしたそうです。当時の食事について、地元のお年寄りの方にも話を聞いたそうで、イワシを毎日のように食べたことから、好きなものにも、嫌いなものにもイワシの名前があがったそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="200" height="185" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120326-kisiwada5-03.JPG" alt="20120326-kisiwada5-03.JPG" /></span><p>　また、この五風荘でドラマの撮影が行われたことにも触れました。須賀貴匡さんが演じた安岡泰蔵と、田丸麻紀さんが演じた安岡八重子の結婚式の場面も、五風荘で撮影され、泰蔵に思いを寄せていた奈津役の栗山千明さんが実際に座った庭の石が「奈津の石」（写真右）として今や名物になったという話には、笑いが起こりました。</p><p>　五風荘は戦前の財閥、寺田銀行・寺田紡績の社長、寺田利吉さんが昭和４（１９２９）年から１０年かけて作った邸宅です。２４００坪（約７９３４平方メートル）を超える広大な敷地に建坪３００坪（約９９２平方メートル）の屋敷、３つの茶室と回遊式庭園があります。</p><p>　利吉さんの戒名が「五風院」だったことから五風荘と呼ばれるようになりました。現在、市の文化財に指定されています。</p><p>　永谷さんの話を聞いた後は、五風荘自慢の美しい庭園を散策しました。石柱のある山門から入ると、さっそく話題の「奈津の石」があります。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="240" height="162" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120326-kisiwada5-04.JPG" alt="20120326-kisiwada5-04.JPG" /></span><p>　１３重の塔「十三石の塔」は鎌倉時代の文永元（１２６４）年に作られたものだそうです。織田信長が安土城に持ち込み、大阪城などを転々とし、利吉さんが手に入れました。</p><p>　８つの異なる窓がある茶室「利庵・八窓席」や、貴賓用の茶室「利庵・残月席」も見学。八幡神をまつる「屋敷神」の社は、布団太鼓に屋根をつけています。「山亭」と呼ばれる茶室は、京都の清水寺と同じ懸崖造りという建築様式で、まるで石から木が生えているように見えました。</p><p>　池には船着き場もあり、かつては月見の宴なども催されたそうです。真ん中の「蓬莱島」には、仙人が住んでいるといわれています。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="200" height="150" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120326-kisiwada5-05.JPG" alt="20120326-kisiwada5-05.JPG" /></span><p>　昼食は「春御膳」をいただきました。「韃靼（だったん）そば茶豚しゃぶ」をはじめ、地元で採れたホウレンソウのおひたし、タケノコ煮、タイの子、牛しぐれ煮、卯の花、茶碗（ちゃわん）蒸し、天ぷらなどにデザートも付き、おなかもいっぱいになりました。</p><p>　午後は岸和田ボランティアガイドの案内で岸和田城と、岸和田だんじり会館へ向かいました。</p><p>　岸和田城は文政１０（１８２７）年、落雷によって天守閣が消滅しました。昭和２９（１９５４）年に天守閣が再建され、４４（１９６９）年には城壁と櫓が再建されました。</p><p>　約２２メートルの高さの天守閣に上ると、素晴らしい眺めが広がります。眼下には先ほど散策や食事を楽しんだ五風荘も見えます。この天守閣では、結婚式を挙げることもできるそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="160" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120326-kisiwada5-06.JPG" alt="20120326-kisiwada5-06.JPG" /></span><p>　だんじり会館のイベント広場では、実物のだんじりと大型マルチビジョンによる「だんじり祭」の映像を見ることができます。</p><p>　さらに、体験コーナーでは、３Ｄだんじりビジョンで立体カメラが記録した映像で祭りが再現され、画面から飛び出してくるような迫力に圧倒されました。</p><p>　最後は、岸和田駅前商店街のギャラリー「コシノ洋装店」で解散し、それぞれ商店街を散策。カーネーションの放送が終わるのを前に、その舞台の世界に浸りました。</p>]]>
        
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    <title>第１回「道明寺合戦の古戦場を訪ねる」</title>
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    <published>2012-04-17T07:39:10Z</published>
    <updated>2012-04-17T08:06:10Z</updated>

    <summary><![CDATA[　大坂夏の陣で後藤又兵衛基次が徳川勢を相手に奮戦した「道明寺合戦」の地を訪れ、戦いを&ldquo;実感&rdquo;しようという、ウェーブ産経の「大坂の陣を訪ねる～歴史の舞台の現場検証～」シリーズの第１回「道明寺合戦の古戦場を訪ねる」が３月８日、大阪府の藤井寺、柏原両市で開かれま...]]></summary>
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        <![CDATA[<p>　大坂夏の陣で後藤又兵衛基次が徳川勢を相手に奮戦した「道明寺合戦」の地を訪れ、戦いを&ldquo;実感&rdquo;しようという、ウェーブ産経の「大坂の陣を訪ねる～歴史の舞台の現場検証～」シリーズの第１回「道明寺合戦の古戦場を訪ねる」が３月８日、大阪府の藤井寺、柏原両市で開かれました。会員約７０人が参加し、同行した大阪城天守閣の北川央（ひろし）研究主幹から、当時の状況などについての説明を受けました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="120" height="160" alt="20120308-doumyouji-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-doumyouji-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《大野治房生存、又兵衛の子孫は？》</strong></span></p><p>　集合場所は藤井寺市の道明寺天満宮。まず北川さんの講演を聴きました。テーマは「後藤又兵衛の遺族～それから」です。が、なぜか豊臣方の武将、大野治房の話から始まりました。</p><p>　治房は通説では大坂城落城で逃げ出したが捕らえられ斬首、となっています。しかし、生き延びたとみられるという幕府方の史料があるそうです。そして近江（滋賀県）の浄土真宗の名門寺院だった箕浦誓願寺で隠棲したそうで、その事をうかがわせる史料も。実は夏の陣の約３カ月後、元々豊臣家に仕えていた武将は責任を免除されており、十分ありえる話でしょう。</p><p>　この寺で、１７世紀半ばごろ「箕浦誓願寺事件」というものが起こったそうです。同寺は治房の長女が継ぎ、これを頼って治房の子の大野宗説が近くで暮らしていたのですが、悪行で寺を追放された僧が逆恨みして領主の井伊家に「大野一族が城を築き幕府に対抗しようとしている」と密告。これが元で宗説は捕らえられて斬首され、寺はつぶされたそうです。</p><p>　で、ここまで語った北川さんは「この事件が、豊臣方残党や遺族の再就職に影響を与えた」と言います。ようやく又兵衛関係の話が出てきそうです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="240" height="159" alt="20120308-doumyouji-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-doumyouji-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　先に示したように大坂の陣後、以前からの豊臣家家臣は約３カ月後に、又兵衛や真田幸村らと同様に合戦のため集まった新参者も約８年後には赦免され、大名が召し抱えても良いようになったそうです。ところが「この事件が『揺り返し』になり新参者は再び『おたずね者』になった」そうです。「細川家記」の「後藤又兵衛子左太郎申分」＝慶安２（１６４９）年３月１４日付＝でも、又兵衛の子で体が不自由なため、大坂城で人質になっていた左太郎が、事件の影響で取り調べを受けた内容が書かれています。申分では左太郎は兄弟・姉妹のことも正直に述べているようです。</p><p>　ただし、不都合な事は除いており、肥後・加藤家のお家騒動の処分書（１６１６年）に登場し、豊臣家に内通したとして処分された加藤家美作派に属した奥村弥八郎も兄弟ですが、語ってはいません。このように一部例外はあるものの、大坂の陣から後に「又兵衛や幸村らの子孫はもてはやされ、『揺り返し』はあっても、その後も家名を存続することができた」そうで、陣で轟かせた武名が、最終的には子孫に良い影響をもたらしたようです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="120" height="160" alt="20120308-doumyouji-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-doumyouji-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《道明寺の歴史について》</strong></span></p><p>　次いで道明寺天満宮の南坊城（みなみぼうじょう）光興禰宜（写真右）が神社の歴史などについて説明してくれました。同神社は元は「土師神社」と言い土師氏の氏神。仏教伝来で同じ場所に土師寺が建立されたそうです。土師氏は、先祖が相撲の祖でもある野見宿禰（のみのすくね）とされ、宿禰が古墳造営での殉死をやめさせ埴輪を作った功績で、土師の姓を与えられたと伝わるそうです。</p><p>　土師氏は、天皇の葬儀を担ってきたそうですが「菅原道真の曾祖父にあたる土師古人が、葬式の一族とのイメージを変えようと菅原氏に姓を改めた」とか。道真の死後、神社は天満宮になり、寺は道明寺に改称。「全国の天満宮でも道真が使ったものはここしか残っていない」そうです。</p><p>　南坊城禰宜は、道明寺が明治の神仏分離令で隣に移ったことや、道明寺の戦いは石川の対岸側が戦場となり、周辺は被害を受けていないことも紹介。「付近では道明寺が最も有名で、この名が付けられたのでは」としました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="260" height="172" alt="20120308-doumyouji-04.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-doumyouji-04.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《ようやく見頃の梅を愛でる》</strong></span></p><p>　講義後の昼食は地元の料亭「梅廼家」のお弁当「道明寺御膳」です。かき揚げ▽エビ、里芋、こんにゃくの煮物▽魚の梅肉巻き▽だし巻き▽イカのぬたあえ▽塩鮭▽タケノコの木の芽あえ▽イチゴゼリー－など。道明寺の尼が作ったことで名前が付けられた道明寺粉を使った「道明寺蒸し」も付く多彩な内容でした。</p><p>　８０種・８００本という境内の梅ですが、寒さのせいで、ようやく七分咲きの見頃を迎えています。食後は梅の風情を楽しみ、宝物館にある道真遺品の国宝の伯牙弾琴鏡や青白磁円硯などを鑑賞しました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《古戦場を訪ねて》</strong></span></p><p>　いよいよ、実際の古戦場を目指します。道明寺駅前の商店街を抜け、石川に架かる「玉手橋」を渡って右岸の柏原市に入りました。橋は近鉄の前身・大阪鉄道が昭和３年に架設した５径間吊り橋で、装飾のある低い主塔が個性的。現在は柏原市の所有で国登録有形文化財に指定されています。歩行者・自転車専用で、大勢で渡ると揺れて少しスリリングでした。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="290" height="193" alt="20120308-doumyouji-05.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-doumyouji-05.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　川から離れ住宅地を歩くと、丘陵が近づいてきました。市立玉手山公園です。元は近鉄玉手山遊園地、そして夏の陣で激しい争奪戦が展開された古戦場です。急斜面の階段を上り息を切らしてたどりついた頂上広場に、後藤又兵衛基次と部下の吉村武右衛門の石碑。そして一段高い場所には、夏の陣の戦没者供養塔が立っています。</p><p>　「ここは大和川と石川が合流する地で、北と南から山が迫り平野はわずかしかない。このため、大坂城方面への道を遮断するために押さえることは容易。この玉手山丘陵は一帯を一望できる場所だけに、争奪戦の焦点になったのもうなずける」と北川さん。</p><p>　石碑の前では、建立に尽力した元柏原市長の山西敏一さんが経緯を紹介。北川さんは、又兵衛が討死した後、武右衛門が首を隠したとの定説に対して「生き延びて、別の場所に墓があるなどとする史料もある」と紹介しました。さらに丘陵を下りながら、元々一帯を所有し供養塔も建てた「安福寺」や丘陵の先端部分である小松山の「小松山古戦場跡石碑」、徳川方で戦死した武将・奥田忠次の墓碑などを見てゆきました。</p>]]>
        
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    <title>【ミニニュース】満開の花の下、西高野街道を歩いた</title>
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    <published>2012-04-17T00:41:25Z</published>
    <updated>2012-04-17T02:26:23Z</updated>

    <summary>　４月８日（日）に、第２回「黄金のまち堺から聖山高野山へ」のウオークイベントが開催。当日は絶好の行楽日和。参加者約２００人は、南海高野線「北野田駅」に集合し、堺観光ボランティアガイドの説明を聞きながら、十一里石を目指し歩きました。最初に野田城跡を見学です。南朝楠木正成の家来であっ...</summary>
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        <![CDATA[<p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="IMG_52771.JPG" width="200" height="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/IMG_52771.JPG" /></span>　４月８日（日）に、第２回「黄金のまち堺から聖山高野山へ」のウオークイベントが開催。</p><p>当日は絶好の行楽日和。参加者約２００人は、南海高野線「北野田駅」に集合し、堺観光ボランティアガイドの説明を聞きながら、十一里石を目指し歩きました。</p><p>最初に野田城跡を見学です。南朝楠木正成の家来であった野田氏三代の居城だった野田城は、野田四郎正勝という鎌倉時代の武将が、７００年前に穂出籬<span>山</span>（ほでかきやま）と呼ばれた自然の要害に築いた砦だとのこと。現在は、南海電車の線路わきに木標があるだけで、それも倒れていました。</p><p>西高野街道は、旧街道らしい雰囲気のあふれる街並みが数多く残っており、街道筋には常夜燈などもよく見かけました。</p><p>福田１番地<img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="IMG_52941.JPG" width="133" height="200" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/IMG_52941.JPG" />の三又交差点に、延命地蔵尊が建っており、「右　こうや大ミね　左　たきたに金剛山」の道標もありました。福田という地名は、江戸時代に豪商・福田屋の氏家次郎兵門の協力で新田開発したことから、福田屋の「福」と新田の「田」をとって福田となったとのことです。</p><p>福田から陶器という地名に入りました。この地名は、古墳時代から約５００年ほど続いた日本最大の須恵器生産地帯であったことが由来となっているそうです。</p><p>ここから街道をちょっとそれて、「陶荒田神社」に参拝し、境内で昼食です。神社の由緒書には、創建された太田田根子命が、崇神天皇の勅命により、大和朝廷があった奈良の大神神社をおまつりし世の中の乱れを鎮められた<img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="IMG_53271.JPG" width="200" height="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/IMG_53271.JPG" />と日本書紀に記されています、と書かれています。</p><p>&nbsp;</p><p><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="IMG_53421.JPG" width="200" height="300" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/IMG_53421.JPG" /></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>十一里石は緩やかな坂道を登り切った付近にありました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今回は、ここで西高野街道に別れを告げ、今日の最終目的地の狭山池に向かいました。<img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="IMG_53521.JPG" width="200" height="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/IMG_53521.JPG" /></p>]]>
        
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    <title>春季文化財特別公開の堺の歴史を訪ねる</title>
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    <published>2012-04-13T07:30:04Z</published>
    <updated>2012-04-25T00:22:57Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 　堺の歴史と文化を物語る貴重な文化財などを特別に公開する「堺文化財特別公開」。今回は&quot;小西行長と堺ゆかりの戦国武将～謎多き行長と堺の歴史を探る～&quot;をテーマに、５月２３日から２７日まで開催されます。 　初日の２３日に、堺の伝統産業を一堂に集めた堺伝統産業会館＝...]]></summary>
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        <![CDATA[<p><a name="top" href="editor-content.html?cs=UTF-8"></a></p>
<p><img width="200" height="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hphamono.jpg" alt="hphamono.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" /></p>
<p>　堺の歴史と文化を物語る貴重な文化財などを特別に公開する「堺文化財特別公開」。今回は&quot;小西行長と堺ゆかりの戦国武将～謎多き行長と堺の歴史を探る～&quot;をテーマに、５月２３日から２７日まで開催されます。</p>
<p>　初日の２３日に、堺の伝統産業を一堂に集めた堺伝統産業会館＝写真右＝に集合し、堺観光ボランティアガイドと一緒に、「堺打刃物」の伝統の切れ味を受け継ぎ、焼入や研ぎなどの工程を一貫して行う榎並刃物製作所や、享保年間（１７１６年）創業で、香りがいざなうやさしい時間を追求し続ける奥野晴明堂を見学。</p>
<p><img width="300" height="128" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/%EF%BD%88%EF%BD%90fusume.jpg" alt="ｈｐfusume.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" /></p>
<p>　全線開通１００周年を迎えた阪堺電車で、行長にゆかりのある大安寺と南宗寺を拝観します。</p>
<p>　昼食は、大安寺で創業明治元年の老舗「八尾治」の本格精進料理をご賞味ください。</p>
<p>　大安寺は納屋助左衛門等の居宅を移したとされる書院造りの部屋もある総檜造りの本堂と、１７世紀前半の狩野派の作といわれる内部の障壁画＝写真上＝は重要文化財で、普段は内部非公開となっています。</p>
<p><img width="200" height="134" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hpnannsyuuji.jpg" alt="hpnannsyuuji.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" /></p>
<p>　南宗寺は、１５５７年三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套（だいりんそうとう）を開山に建立。消失後沢庵宗彭（たくあんそうほう）らが再建。仏殿の天井には「八方睨龍」＝写真右＝が描かれています。</p>
<p>　おみやげは慶長元年（１５９６創業の大寺餅河合堂のくるみ餅を。</p>
<table style="width: 100%; height: " class="table_01">
    <tbody>
        <tr>
            <th>
            <p>開催日時</p>
            </th>
            <td>
            <p>５月２３日（水）　午前１０時～午後３時</p>
            </td>
        </tr>
        <tr>
            <th>
            <p>会　場</p>
            </th>
            <td>
            <p>堺伝統産業会館（大阪府堺市・阪堺線花田口電停下車すぐ）</p>
            </td>
        </tr>
        <tr>
            <th>
            <p>参加費</p>
            </th>
            <td>
            <p>６０００円</p>
            </td>
        </tr>
        <tr>
            <th>募集人数</th>
            <td>
            <p>ウェーブ会員４０人<br />
            ※応募者多数の場合は抽選とし、応募締め切り後、１週間〜１０日以内に当選者のみお知らせします。</p>
            </td>
        </tr>
        <tr>
            <th>応募締切</th>
            <td>
            <p>締め切りました</p>
            </td>
        </tr>
    </tbody>
</table>
]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第１２回こころつたえ「新緑の多武峯、談山神社を訪ねる」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://wave.sankei-kansai.com/2012/04/post-69.php" />
    <id>tag:wave.sankei-kansai.com,2012://6.60151</id>

    <published>2012-04-13T07:30:03Z</published>
    <updated>2012-04-26T00:23:56Z</updated>

    <summary>  　日本人の美しい心を次世代に伝える「こころつたえ」。 　第１２回は、平成の大修理により新たな姿を見せる多武峯・談山神社（奈良県桜井市多武峯）を訪れ、長岡千尋宮司からお話を聞きます。  　テーマは「詩歌に現はれた多武峯の霊性」ということで、多武峯に因んだ万葉集の詩を解説いただき...</summary>
    <author>
        <name>ウェーブ産経大阪事務局</name>
        <uri>http://wave.sankei-kansai.com</uri>
    </author>
    
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        <category term="受付終了" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<p><a name="top" href="editor-content.html?cs=UTF-8"></a></p> <span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="200" height="150" style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="hohonndenn.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hohonndenn.JPG" /></span> <p>　日本人の美しい心を次世代に伝える「こころつたえ」。</p> <p>　第１２回は、平成の大修理により新たな姿を見せる多武峯・談山神社（奈良県桜井市多武峯）を訪れ、長岡千尋宮司からお話を聞きます。</p> <p><img width="200" height="150" style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="hpgonndenn.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hpgonndenn.JPG" /></p> <p>　テーマは「詩歌に現はれた多武峯の霊性」ということで、多武峯に因んだ万葉集の詩を解説いただき日本人のこころを学びます。</p> <p>　講話会場の権殿＝写真左＝は、天禄元年（９７０）摂成右大臣藤原伊尹（これただ）の立願によって創建された重要文化財の建物です。</p> <p>　「談山」の名は、若き日の中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿の暗殺という計画を談り合ったことに因むといわれています。「大化の改新」という歴史の大舞台の謀（はかりごと）がなされた場所で、古人の深く篤い心に思いを馳せる一時を過ごします。</p> <p><img width="150" height="200" style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="hptou.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hptou.JPG" />　昼食は、「一語一笑」の特別弁当を。</p> <p>　午後からは、境内を拝観します。</p> <p>　藤原鎌足をお祀りする本殿＝写真右＝は、もと聖霊院、大織冠社、多武峯社とも称し、三間社隅木入春日造の絢爛豪華な様式で知られています。大宝元年（７０１）の創建で、現存は嘉永３年（１８５０）に建て替えられたものです。</p> <p>　十三重塔＝写真左＝は、父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等によって西暦６７８年に建立されました。現存の塔は、享禄５年（１５３２）の再建で、木造のものとしては世界唯一のものです。</p> <p style="text-align: right;">協力＝神仏霊場会。</p> <blockquote> <p><b>長岡　千尋（ながおか　せんじ）宮司の略歴</b></p> <img width="146" height="200" style="margin: 0px 0px 20px 20px; width: 106px; float: right; height: 138px" class="mt-image-right" alt="hpguuji.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hpguuji.jpg" /> <p>昭和28年（１９５３）生まれ。国学院大学卒、同・神道学専攻科修了。談山神社宮司。現代歌人協会会員。現代歌人集会会員。「日本歌人」選者。防衛省新聞「隊友」「おやばと」歌壇選者。&quot;折口信夫（しのぶ）博士顕彰&quot;近畿迢空（ちょうくう）会幹事・事務局長。講道館柔道四段。<br /> 歌集に「晩春祭」（創文館）、「仙境異聞」（創美出版）、「天降人」（北羊館）、近刊に「静歌」（北羊館）。<br /> 著書に「大和多武峯紀行－談山神社の歴史と文学散歩－」（梅田出版）、「大和文学散歩－萬葉と歴史の風土－」（梅田出版）がある。</p> </blockquote> <table class="table_01" style="width: 100%; height: ">     <tbody>         <tr>             <th><p>開催日時</p></th>             <td><p>５月２５日（金）　午前１０時４５分～午後３時</p></td>         </tr>         <tr>             <th><p>会　場</p></th>             <td><p>談山神社（奈良県桜井市多武峯　近鉄・JR電車「桜井」駅からバスで約３０分<br />             <span style="color: #ff0000">※当日は桜井駅北口から１０時にバスが出ます。運賃は４８０円です</span><span>）</span></p></td>         </tr>         <tr>             <th><p>参加費</p></th>             <td><p>４５００円</p></td>         </tr>         <tr>             <th>募集人数</th>             <td><p>ウェーブ会員１００人<br />             ※応募者多数の場合は抽選とし、応募締め切り後、１週間〜１０日以内に当選者のみお知らせします。</p></td>         </tr>         <tr>             <th>応募締切</th>             <td><p>４月２４日</p></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>&nbsp;</p> <table width="100%" cellspacing="0" cellpadding="5" border="0">     <tbody>         <tr>             <td><a href="https://atform.ktvs.co.jp/f/DVPVwKkX9tz2GKPX/form.cgi"><img width="280" height="60" alt="お申し込みはこちら" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/part-yes.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>             <td><a href="#kiyaku"><img width="280" height="60" alt="会員番号をお持ちでない方" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/part-no.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>&nbsp;</p> <p>&nbsp;</p> <p style="text-align: center;">◆　　◇　　◆　　◇</p> <p>&nbsp;</p> <p style="text-align: left;"><a href="editor-content.html?cs=UTF-8" name="kiyaku"></a></p> <p style="text-align: left;"><span style="color: rgb(0, 0, 255);">下記の会員規約をお読みの上、ご同意の方は、下部の「会員規約に同意する」ボタンをクリックして下さい。</span></p> <p><img width="560" height="1500" style="text-align: center; display: block; margin: 0 0 0 0;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/kiyaku20120401.png" alt="kiyaku20120401.png" /></p><table width="100%" cellspacing="0" cellpadding="5" border="0">     <tbody>         <tr>             <td><a href="https://atform.ktvs.co.jp/f/DVPVwKkX9tz2GKPX/form.cgi"><img width="280" height="60" alt="規約に同意し入会を希望する" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/prat-agree.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>             <td><a href="http://wave.sankei-kansai.com/"><img width="280" height="60" alt="規約に同意しない" src="http://wave.sankei-kansai.com/imge-tmp/part-not_agree.png" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block;" /></a></td>         </tr>     </tbody> </table> <p style="text-align: right;">《<a href="#top">詳細に戻る</a>》</p>]]>
        
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    <title>精神文化 後世に伝えたい　刀工　月山 貞利さん（６５）</title>
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    <published>2012-04-13T07:30:00Z</published>
    <updated>2012-04-13T03:49:16Z</updated>

    <summary>　約８００年の歴史を持ち、多くの名刀を生み出してきた刀工、月山派の伝承者、月山貞利さん。刀身に施す精緻な彫刻、「綾杉肌」と呼ばれる美しい地肌を特徴とするその日本刀は美術品として国際的に高い評価を受けている。精力的な作刀活動を支えているのは「日本の精神文化の象徴である日本刀をしっか...</summary>
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    <category term="刀" label="刀" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<p>　約８００年の歴史を持ち、多くの名刀を生み出してきた刀工、月山派の伝承者、月山貞利さん。刀身に施す精緻な彫刻、「綾杉肌」と呼ばれる美しい地肌を特徴とするその日本刀は美術品として国際的に高い評価を受けている。精力的な作刀活動を支えているのは「日本の精神文化の象徴である日本刀をしっかりと後世に伝えていきたい」という熱い思いだ。</p><p style="text-align: right;"><span style="font-size: 90%;">（文・若狭弘、写真・南本哲雄）</span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="290" height="216" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201204-katana-01.JPG" alt="201204-katana-01.JPG" /></span><p style="text-align: left;"><span style="font-size: 120%;"><span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>日本刀作りを支える心</strong></span></span></p><p style="text-align: left;">　小気味よく鉄を鍛える槌音がこだまする月山さんの日本刀鍛錬道場は、三輪山をご神体とする大神神社（奈良県桜井市）に近い山の辺の道沿いにある。道場には記念館が併設され、貞利さんや後継者の長男、貞伸さんの作品などを展示しており、海外から日本刀を買い求めるために訪れる人も多くなっている。</p><p style="text-align: left;">　一派のルーツは鎌倉時代、出羽国（現在の山形県）の霊峰として名高い月山を拠点とした刀工集団にさかのぼる。幕末に大坂に移転して以来、関西を拠点に活動するようになった。戦後の一時期、刀剣の制作そのものが禁止されるという苦難の時代もあったが、決して日本刀づくりをあきらめることなく技と魂を伝えてきた。</p><p style="text-align: left;">　「刀工の家に生まれたのは運命。この道を志して４３年になりますが、まだまだ先代の足元にも及びません。生涯をかけて全身全霊で打ち込まなければならない仕事だと思っています」。苦労する父親の姿を見てきたが後を継ぐことに迷いはなかったといい、その思いは貞伸さんにも受け継がれている。</p><p style="text-align: left;">　「今はひたすら修行に励む毎日。知識ではなく体で覚えなければならないことがたくさんあります。先代に少しでも追いつき、いつか何百年と伝わっていく名刀を世に送り出したい」と貞伸さん。一歩、道場に入れば父と子ではなく、師匠と弟子の間柄。日々精進を積んで名門の歴史に新たな１ページを加えている。</p><blockquote><p style="text-align: left;"><strong>がっさん・さだとし</strong>　昭和２１年、大阪府生まれ。人間国宝、月山貞一の三男。昭和４４年、大阪工業大学建築学科卒業後、貞一を師として刀匠となる。平成７年、全日本刀匠会会長に就任し、現在、顧問。平成１５年、奈良県指定無形文化財保持者に認定。<br /><strong>がっさん・さだのぶ</strong>　昭和５４年、奈良県生まれ。月山貞利の長男。平成１０年、京都産業大学在学中、貞利を師として入門。平成１９年、新作名刀展新人賞。その他のコンクールでも受賞を重ねる。</p></blockquote>]]>
        
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    <title>「いずみホール　たのしっくクラシック♪」モーツァルトのオペラを解説付きで（コンサート形式・ハイライト）</title>
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    <published>2012-04-10T12:07:41Z</published>
    <updated>2012-04-10T12:43:09Z</updated>

    <summary> 　ウェーブ会員の皆さまにクラシックをより楽しんでいただこうと、いずみホールでのコンサート鑑賞付きの企画「クラシック連続講座」。第２弾は《オペラにふれる、楽しむ》と題して、４月２０日（金）と５月２５日（金）にモーツァルトの名作オペラをお楽しみいただきます。 　今回ご覧いただくのは...</summary>
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        <category term="コラム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="いずみホール" label="いずみホール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="500" height="205" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201204-classic2-01.png" alt="201204-classic2-01.png" /></span> <p>　ウェーブ会員の皆さまにクラシックをより楽しんでいただこうと、いずみホールでのコンサート鑑賞付きの企画「クラシック連続講座」。第２弾は《オペラにふれる、楽しむ》と題して、４月２０日（金）と５月２５日（金）にモーツァルトの名作オペラをお楽しみいただきます。</p> <p>　今回ご覧いただくのは「〜モーツァルトのオペラは管楽器で〜　フィガロの結婚&times;コジ・ファン・トゥッテ」（５月２５日）です。</p> <p>　これは国立音楽大学招聘教授の礒山雅さんが各地で上演し、好評を得ている企画です。今回は物語のハイライトとなるシーンを抜粋編曲し、ひと晩で２つのオペラを楽しんでいただきます。</p> <p>　礒山さんは「モーツァルトのオペラでは良いところも悪いところもある人たちがおもしろおかしい出来事を繰り広げる様子が生き生きと描かれている」と言います。昔のオペラはアリア（独唱）に重点が置かれていましたが、モーツァルトの場合はさらに複数の歌手が絡み合う重唱も素晴らしい。登場人物たちが置かれている状況とそれぞれの気持ちの揺れを礒山さんがわかりやすくレクチャーします。</p> <p>　また礒山さんが注目するのは、モーツァルトの天才的な管楽器の扱い方です。彼が書いたフルートやオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンなどの多彩な音色は新鮮な発見に溢れ、飽きることがありません。</p> <p>　もちろん公演当日は開演前にウェーブ会員の方だけのレクチャーもあります。本番中の解説とはまた違う礒山さんの率直なお話にご期待ください。</p> <p>　なお、この公演に先駆けて４月２０日には、いずみホールのスタッフによるレクチャーを行います。いずみホール独自のオペラを担当したスタッフが語る２０年間の経験談。そして、ほとんどすべての公演に立ち会うステージマネージャーの実践を交えたリアルなステージ解説をお聞きいただく予定です。&nbsp;</p> <table width="500" cellspacing="1" cellpadding="1" border="0" align="center">     <tbody>         <tr>             <td><p><strong>連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」２</strong></p>             <p>◆第１回　４月２０日（金）午後２時〜３時半<br />             レクチャー　講師：いずみホールサービス推進部課長兼副支配人　濱﨑修二<br />             ステージ見学　ナビゲーター：いずみホールステージマネージャー　小味渕彦之</p>             <p>◆第２回　５月２５日（金）午後４時〜４５分<br />             レクチャー　講師：国立音楽大学名誉教授　礒山雅</p>             <p>解散後、午後７時〜　コンサート鑑賞「〜モーツァルトのオペラは管楽器で〜フィガロの結婚&times;コジ・ファン・トゥッテ（コンサート形式・ハイライト）」<br />             曲目／モーツァルト（足本憲治編）：オペラ「フィガロの結婚」から、<br />             オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」から<br />             出演／澤畑恵美、高橋薫子（ソプラノ）、経種廉彦（テノール）、久保田真澄（バス）ほか</p></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」２のお申し込みは<a href="https://atform.ktvs.co.jp/f/R3nRh9FpmBnvabNF/form.cgi">こちら</a></p> <blockquote> <p>《石田富美子さんのプロフィル》<br /> 事業局営業部副長。平成元年の開設準備当時から現在まで、いずみホールを見守ってきた。小鼓をたしなむ&ldquo;キャリアウーマン&rdquo;。<br /> いずみホールホームページは<a href="http://www.izumihall.co.jp/">こちら</a></p> </blockquote>]]>
        
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    <title>「千利休が生きた中世の堺を巡る」を開催しました</title>
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    <published>2012-04-09T00:00:00Z</published>
    <updated>2012-04-16T04:34:10Z</updated>

    <summary>　千利休といえば、堺が誇る茶人です。利休にゆかりの南宗寺や利休の屋敷跡などを見学するイベント「千利休が生きた中世の堺を巡る」（ウェーブ産経主催）が、３月１６日に堺市堺区で開催され、約７０人の会員が参加しました。　チンチン電車の愛称で親しまれ、大阪では唯一の路面電車、阪堺線寺地町か...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="20120316-rikyu-01.JPG" width="270" height="160" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120316-rikyu-01.JPG" /></span><p>　千利休といえば、堺が誇る茶人です。<br /><br />利休にゆかりの南宗寺や利休の屋敷跡などを見学するイベント「千利休が生きた中世の堺を巡る」（ウェーブ産経主催）が、３月１６日に堺市堺区で開催され、約７０人の会員が参加しました。</p><p>　チンチン電車の愛称で親しまれ、大阪では唯一の路面電車、阪堺線寺地町からすぐのホテルサンルート堺に集合。まず「千利休と中世の堺」と題して、堺観光ボランティア協会の相談役、吉良隆司さんから利休について話を聞きました。</p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="20120316-rikyu-02.JPG" width="120" height="187" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120316-rikyu-02.JPG" /></span><p>　利休の先祖は現在の千葉県の南総里見家の一族で、祖父の時代に堺にやってきたそうです。利休は大永２（１５２２）年、魚屋（ととや）の長男として堺今市町（現宿院町西１丁）で生まれました。祖父が足利将軍の同朋衆で千阿弥と称していたことから、後に「千」姓を名乗りました。</p><p>　早くから茶の湯に親しみ、北向道陳、武野紹鷗に師事。織田信長の茶頭として重用され、その死後は豊臣秀吉の茶頭として仕えながら、茶道を大成したといわれています。</p><p>　吉良さんは、なぜ利休が秀吉から切腹を命じられたのかについて触れました。大徳寺三門楼上に利休自身の木像を置いたのは無礼極まるというのが最大の理由とされていることを説明。それ以外に、利休が茶器類の鑑定で私腹を肥やした、後家となっていた利休の娘を側室にと秀吉が所望したが拒否されたなどの説も紹介しました。</p><p>　また、利休が生きた中世の堺について、「最も堺の街が華やかな、エネルギーを発散した時代でありました」と解説しました。</p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="20120316-rikyu-03.JPG" width="230" height="172" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120316-rikyu-03.JPG" /></span><p>　昼食は同ホテル自慢の「王茶碗（ちゃわん）弁当（写真左）」。直径が約４０センチという大きな椀（わん）を、お茶のようにまわしながら、いただきました。<br /><br />　午後は堺観光ボランティアガイドの案内で、まず南宗寺へ。「龍興山」という額が掲げられた総門から入ると、甘露門（山門）が現れます。正保４（１６４７）年の建立とされ、国指定重要文化財でもあります。</p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="20120316-rikyu-04.JPG" width="230" height="204" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120316-rikyu-04.JPG" /></span><p>　境内にある坐雲亭は、同寺の中で最も古い建築物というだけに趣がありました。昭和２０年に空襲で焼失した開山堂跡には「伝説の徳川家康の墓」があります。かつて床下にあった卵形の無名碑が家康の戦死埋葬碑という伝説があるそうです。</p><p>　石と砂で山河を表現した石庭（枯れ山水）は国の名勝庭園に指定されています。曹渓の庭（水琴窟）に敷かれた那智黒石の一角から「キーン」という澄んだ水滴の音がします。竹筒を耳にすると、はっきりと聞こえるので、参加者の皆さんも楽しそうに聞いていました。</p><p>　利休好みの茶室、実相庵を眺めながら、唐門へ。１７世紀中頃のものとみられ、こちらも国指定重要文化財。ここには、徳川家康の墓（東照宮跡碑）があります。</p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="20120316-rikyu-05.JPG" width="210" height="158" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120316-rikyu-05.JPG" /></span><p>　南宗寺を象徴する仏殿も国指定重要文化財。中に入り、天井を見上げると、狩野信政による「八方睨（にら）みの龍（写真左）」が描かれています。八方睨みというだけあって、どの場所から見上げても、まるで龍が見守ってくれているようです。</p><p>　南宗寺を巡った後は、いよいよ千利休屋敷跡へ。椿の井戸と、大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形が残されています。</p><p>　最後に、利休が愛したという伝統の銘菓を現代に伝える「本家小嶋」へ。天文元（１５３２）年創業の老舗で、上質の芥子（けし）の実を使った芥子餅を土産に、堺のまち歩きを満喫しました。</p>]]>
        
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    <title>平野の地雷火　打倒家康の大殊勲は真田幸村</title>
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    <published>2012-04-06T23:00:00Z</published>
    <updated>2012-04-13T00:39:19Z</updated>

    <summary>　戦国時代、平野は堺と並ぶ自治都市・商業都市として大いに栄えた。防衛のため、周囲には濠（ほり）がめぐらされ、１３カ所の出入り口には木戸が設けられた。それらの木戸を通じて、街道が放射状に各地へと延びていた。それぞれの木戸の傍らには地蔵堂が建てられたが、樋尻口（ひのしりぐち）の地蔵堂...</summary>
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        <name>ウェーブ産経大阪事務局</name>
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        <category term="外伝「大坂の陣」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="大坂の陣を訪ねる" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="ｈｐhinoguti1.JPG" width="150" height="240" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/%EF%BD%88%EF%BD%90hinoguti1.JPG" /></span></p><p>　戦国時代、平野は堺と並ぶ自治都市・商業都市として大いに栄えた。防衛のため、周囲には濠（ほり）がめぐらされ、１３カ所の出入り口には木戸が設けられた。それらの木戸を通じて、街道が放射状に各地へと延びていた。それぞれの木戸の傍らには地蔵堂が建てられたが、樋尻口（ひのしりぐち）の地蔵堂もその一つで、ここを舞台に大坂夏の陣にまつわる逸話が伝えられている。</p><p><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="hpkubi1.JPG" width="200" height="179" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hpkubi1.JPG" /></p><p>　豊臣方の智将・真田幸村は、敵の大将・徳川家康が必ずこの樋尻口から平野に入るに違いないと予測し、樋尻口の地蔵堂に地雷を仕掛けた。案の定、樋尻口にやってきた家康ではあったが、まさに地雷が爆発しようというその瞬間になって、急な尿意を催し地蔵堂を離れたことで、家康は間一髪で難を逃れた。</p><p>　けれども、幸村の用意した伏兵が一斉に攻めかかったため、家康は大久保彦左衛門らわずかな側近に守られ、命からがら泉州方面へと逃げた。途中で葬式行列に出会った一行は、交渉して葬式駕籠（かご）を譲り受け、その駕籠の中に家康の身を隠して、泉州へ急いだ。</p><p><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="hpnannsyuuji1.jpg" width="200" height="161" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/hpnannsyuuji1.jpg" /></p><p>　ところがそこに紀州から引き揚げてきた豊臣方の勇将・後藤又兵衛が現れ、一行を不審に思った又兵衛は馬上から槍で駕籠を一突きし、そのまま大坂城へと帰って行った。大久保彦左衛門が慌てて駕籠の中を確認したところ、槍はものの見事に家康を刺し貫き、既に家康は事切れていた。彦左衛門はそのまま堺の南宗寺（なんしゅうじ）を訪ね、同寺に家康を葬り、丁重に供養を頼んだ。</p><p>　以後の家康は実は影武者で、南宗寺境内の家康の墓こそ、真実の墓だというのである。この伝説は、大正１１年刊行の『大阪府全志』に載せられ、家康の亡くなった日を「時に元和元年四月二十七日なり」とするのであるが、豊臣贔屓（びいき）の方々にはまことに残念ながら、家康が京都・二条城を出陣するのは５月５日のことで、４月２７日に平野へ到着することはありえない。</p><p>　ところが昭和５年刊行の『堺市史』が紹介する「口碑」では、家康死去に至る状況が少し変化する。５月７日の最後の決戦で茶臼山から攻めかかった真田幸村勢が徳川家康本陣を蹂躙し、真田軍に追い立てられた家康は駕籠に乗って堺方面に向かって必死に逃げたが、そこに後藤又兵衛が姿を現し、馬上から槍で駕籠を貫いたというのである。</p><p>　たしかに５月７日なら家康は天王寺表にいたが、今度は後藤又兵衛の方が前日の道明寺合戦で既に討死を遂げており、家康を槍で突き刺すことは不可能なのである。</p><p>　しかし近年、この家康死亡説はまた新たな展開をみせている。駕籠に乗って逃げた家康は、追いすがる真田幸村勢によって討ち取られたというのである。</p><p>　現代の我々は、かつての伝説の語り手に比べて、はるかにたくさんの知識を持っている。そうした知識や情報を駆使して、奔放に語られてきた伝説・伝承から不都合な部分を取り除き、新たな情報を加味して、伝説の再生をはかる傾向が見受けられる。荒唐無稽な伝説に、合理的解釈が成り立つように加工を施すのである。この家康死亡説などもその典型で、伝承の改変によって、打倒家康の大殊勲は真田幸村が後藤又兵衛から横取りする形となった。</p><p style="text-align: right">（大阪城天守閣研究主幹　北川央）</p>]]>
        
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    <title>「神戸市立博物館『平清盛展』とオリエンタルホテルでランチ」を開催しました</title>
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    <published>2012-04-06T06:08:28Z</published>
    <updated>2012-04-06T06:25:59Z</updated>

    <summary>　ＮＨＫ大河ドラマの主人公、平清盛のゆかりの地として知られる神戸市。関連イベントで盛り上がる同市で清盛展を鑑賞し、名門ホテルでの昼食なども楽しもうという、ウェーブ産経の「神戸市立博物館『平清盛展』とオリエンタルホテルでランチ」が３月１日、同市中央区の同博物館などで行われました。会...</summary>
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    <category term="オリエンタルホテル" label="オリエンタルホテル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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        <![CDATA[<p>　ＮＨＫ大河ドラマの主人公、平清盛のゆかりの地として知られる神戸市。関連イベントで盛り上がる同市で清盛展を鑑賞し、名門ホテルでの昼食なども楽しもうという、ウェーブ産経の「神戸市立博物館『平清盛展』とオリエンタルホテルでランチ」が３月１日、同市中央区の同博物館などで行われました。会員約５０人が参加。国宝や重要文化財が多数出品されている同展では、学芸員による解説も聞き、&ldquo;清盛の時代&rdquo;への理解を深めました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="230" height="153" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-kiyomori-10.jpg" alt="20120301-kiyomori-10.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《名門ホテルは食も自慢》</strong></span></p><p>　集合場所は旧居留地の京町筋に面した「オリエンタルホテル」。隣は同博物館となります。ここの６階バンケットルームで、まずは昼食をいただきました。</p><p>　同ホテルは資料などによりますと、開業は１８７０（明治３）年ごろ。外国人の滞在用に、わが国最古のホテルの１つとして神戸に誕生したそうです。１９０７（明治４０）年に、メリケン波止場近くの海岸通に移転しましたが、１９４５（昭和２０）年の神戸大空襲で焼失。戦後の１９４９（昭和２４）年、現在地に移転・再建されました。</p><p>&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="160" height="211" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-kiyomori-02.jpg" alt="20120301-kiyomori-02.jpg" /></span><p>　名門として親しまれましたが、１９９５（平成７）年の阪神淡路大震災で被災し、休業した後に廃業。ところが、この跡地に三井不動産が複合商業ビル「神戸旧居留地２５番館」を建てることになり、ビルの核となるホテルの運営会社が名称使用権を取得し、２０１０年３月、約１５年ぶりに「オリエンタルホテル」を&ldquo;再開&rdquo;したそうです。</p><p>　戦前には、あのヘレン・ケラーがホテルのシェフの腕前を絶賛したように&ldquo;料理が自慢&rdquo;とか。伝統は新生ホテルにも受け継がれているそうです。</p><p>　この日のメニューは▽オリエンタルサラダ＝ゆで卵やオニオン、紫キャベツ、タマネギなど。ガラスの器に盛られています▽但馬地鶏のグリル　レモンとジェノベーゼソースで＝地鶏の風味を生かした味付けで、レモンの酸味がアクセント▽ヘーゼルナッツのヌガーグラッセ＝濃厚なのに後口スッキリ。一流のパティシエが作ればこうなるのでしょう▽パン▽コーヒー（または紅茶）－という内容。品数は少ないものの、それぞれよく吟味された料理が並びました。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《ロビーは最上階》</strong></span></p><p>　ところで、ホテル入り口は複合ビルを東西に貫くコリドール（回廊）に面し、渋めですがいかにもヨーロピアンな装い。さらに、驚くことにフロントは最上階の１７階にありました。これは、訪れた人たちに高層階からの眺めを楽しんでもらおう、という趣向からとか。我々もついでにおじゃましました。</p><p>　１７階は北側がレストランのフロア。フロントのある南側はガラス窓で神戸港を一望に見渡せます。窓に沿ってイスが置かれ、鉢植えが並ぶリラックス空間。しばしたたずみ、景色を堪能しました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="210" height="157" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-kiyomori-03.jpg" alt="20120301-kiyomori-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《風格ある神戸市立博物館へ》</strong></span></p><p>　続いて訪れた市立博物館はホテルの南隣。１９３５（昭和１０）年に横浜正金銀行神戸支店として建設された建物を使っており、国登録有形文化財に指定されています。ネオクラシックとも評される外観は、旧居留地の風情にピッタリとマッチしています。</p><p>　同館では、高久智広学芸員が、外国人居留地や同館の歴史、清盛展の見所などについて解説してくれました。まず、神戸の歴史ですが、清盛の福原京以降はさびれていたようですが、大きく変わったのが明治直前の１８６８（慶応３）年の神戸開港。しかし、明治初期の生田神社周辺の写真でも、神社の他には何もない状況で、変遷の大きさが分かります。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="280" height="177" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-kiyomori-04.jpg" alt="20120301-kiyomori-04.jpg" /></span><p>　外国人居留地ですが「日本と条約を結んだ国の人が住む場所。中国（清）とは条約を結んでいなかったため、中国の人は近くの雑居地に住み、これが今の南京町になった」とか。また、居留地のメーンストリートは、同館が面する京町筋だったそうです。</p><p>　博物館は１９８２年１１月の開館で、一階ロビーの天井が旧銀行時代のままであるなど、内部も当時の雰囲気を残していることも紹介。所蔵品は「桜ヶ丘町出土銅鐸」（国宝）や、日本で肖像が描かれているのはこの１点のみという「聖フランシスコ・ザビエル像」（重要文化財）をはじめ、古地図や源平合戦図屏風などもあると説明してくれました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="250" height="162" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-kiyomori-05.jpg" alt="20120301-kiyomori-05.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《特別展「平清盛」に興奮》</strong></span></p><p>　清盛のことも事前にレクチャー。活躍した平安時代末期は、貴族社会の内部紛争や飢饉による治安悪化、盗賊の追討などで武士が盛んに登用され、勢力を伸ばしたことなどを説明してくれました。そして平家に悪いイメージがあるのは「明治維新で江戸幕府が滅んだ時も同じ。&ldquo;勝てば官軍&rdquo;で、同じようなことが平家から源氏へ政権が移った時も起こった」とか。なるほどと納得です。</p><p>　清盛展は５つの章に分かれています。平氏隆盛の足跡▽清盛を巡る人々▽平氏の守り神　厳島神社▽平氏の時代と新たな文化▽平家物語の世界－で、それぞれのテーマに沿って出品作を振り分け展示しています。</p><p>　主な展示物は、▽六波羅合戦図屏風＝江戸時代・東京国立博物館蔵＝平治の乱を描いた屏風。門前で兜の緒を絞めているのが清盛だと言われる▽平敦盛像＝狩野久蔵筆・桃山時代・須磨寺蔵＝敦盛の菩提を弔う同寺に豊臣家が寄進▽平重盛書状＝文化庁蔵▽法華経　提婆達多品（だいばだったほん）第十二＝平安時代・厳島神社蔵＝国宝の平家納経を代表する逸品▽伝平清盛寄進　密教法具＝平安時代・勝福寺蔵＝大輪田泊改修での尽力への礼で寄進されたと伝わる。重要文化財▽源平盛衰記（じょうすいき）絵巻＝江戸時代・個人蔵＝水戸徳川家の伝来品で初公開－などです。</p><p>　これだけ価値ある歴史的な品々が一堂にそろったとあって、会員のみなさんも熱心に鑑賞していました。</p>]]>
        
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    <title>文化サロン「映画取材の現場からⅣ ～監督編～」を開催しました</title>
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    <published>2012-04-04T06:04:01Z</published>
    <updated>2012-04-04T06:16:45Z</updated>

    <summary>　この監督が撮影する作品だけは見逃すわけにはいかない―。そのような監督が国内外に少なからず存在します。　産経新聞大阪本社文化部の戸津井康之次長が、映画の製作秘話を紹介するウェーブ文化サロン「映画取材の現場からⅣ」（ウェーブ産経主催）が、３月１３日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="270" height="203" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-movie-01.JPG" alt="20120313-movie-01.JPG" /></span><p>　この監督が撮影する作品だけは見逃すわけにはいかない―。そのような監督が国内外に少なからず存在します。</p><p>　産経新聞大阪本社文化部の戸津井康之次長が、映画の製作秘話を紹介するウェーブ文化サロン「映画取材の現場からⅣ」（ウェーブ産経主催）が、３月１３日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開催され、会員ら約２０人が参加しました。</p><p>　第４回となる今回のテーマは「監督編」。大阪、東京両本社の文化部で映画を担当し、国内外の監督を取材してきた戸津井次長が、監督から直接、取材で聞いた話や、撮影現場で目撃したとっておきの話を披露しました。</p><p>&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="181" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-movie-03.JPG" alt="20120313-movie-03.JPG" /></span><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《世界で共通する映画監督の資質とは》</strong></span></p><p>　まず昨年１２月に亡くなった森田芳光監督の話から始まりました。戸津井次長は生前、４回ほど取材し、追悼の記事も書きました。</p><p>　監督の人生は順風満帆に見えましたが、実は、映画評論家から「８ミリ作品は映画とは認めない。３５ミリを名刺代わりに持ってこい」と言われたという逸話を披露しました。監督は、なんと、自宅を抵当に入れ、数千万円の制作費を用意して、デビュー作「の・ようなもの」を撮影し、勝負を賭けたという執念を紹介しました。</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《名作が生み出される土壌とは》</strong></span></p><p>　続いて、「ＡＬＷＡＹＳ　三丁目の夕日」の話になりました。山崎貴監督は取材に対し、「これまでの作品では『僕が作りました』とばかり言ってましたが、今回はこう言います。全員で作った映画です」と話したそうです。</p><p>　主演の吉岡秀隆さんも「これまでは正直、できがあまり良くないなぁと思う映画でも、宣伝のために『この作品はいいですよ』と僕は嘘をついていたことを明かします。でも、今回は違います。心からこの作品はいいと言えます」と笑いながら話したそうです。</p><p>　また、セットの隅には七輪が置かれ、スタッフがメザシを焼いていたという話も紹介。劇中、そのような場面はありませんが、カメラに映ることのない場所にまで七輪を置き、臨場感をもたらし、俳優もスタッフも全員が本気になる状態を監督が作り出したと解説しました。</p><p>&nbsp;</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="260" height="162" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120313-movie-02.JPG" alt="20120313-movie-02.JPG" /></span><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《恐るべきリーダーシップと個性で作り上げる監督たち》</strong></span></p><p>　次に、強烈なリーダーシップを発揮する監督の話題になり、まず中島哲也監督の名前が挙がりました。監督の作品は「下妻物語」「嫌われ松子の生涯」「告白」など、活字の小説の世界を一度、分解し、映像として再構築し、そこにいっさいの妥協はないそうです。</p><p>　「キャストもスタッフも僕をうらんでいるはずです。全員、逃げ出したかったはずです。だって、一番辛くて、何度も現場から逃げ出そうと思っていたのが、僕なんですから」。そう話すほど、監督は自分を追い込んだという秘話を披露しました。</p><p>　次に、内田けんじ監督は映画の本場、米国の映像学校で修業していたころを振り返り、「正直、これなら勝てると思いました」と豪語したそうです。その言葉通り、帰国後に撮影したデビュー作「運命じゃない人」は、邦画界を震撼（しんかん）とさせました。</p><p>　香港映画にも触れました。「インファナル・アフェア」シリーズは当初、１作のみで終わる予定だったそうです。しかし、アンドリュー・ラウ、アラン・マック両監督と脚本家のフェリックス・チョンのチームが、緻密な脚本により、ヒットの方程式を確立。チョンさんは「僕は完璧な脚本を書く自信がある」と説得し、パート３を作りあげました。</p><p>　また、フランスのリュック・ベッソン監督の本音も披露。「脚本を書いているときが一番楽しいよ。製作費など、余計なことを考えなくていいからね」と、苦笑しながら漏らしたそうです。</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《番外編　才能豊かな監督は爪を隠す》</strong></span></p><p>　アニメ「鷹の爪団」シリーズのフロッグマンこと、小野亮監督は、脚本からキャラクターデザイン、絵コンテ、製作、声優まで１人でこなす異色のクリエイターです。監督は映画の島根県ロケで現地スタッフだった女性と結婚し、島根に移り住みました。</p><p>　たった１人でアニメを作り上げる技術を生み出した理由を尋ねたところ、「島根だからですよ」と、ひと言。地元に声優がいなかったため、１人で何役もこなすしかなかったというわけです。</p><p>　最後に、宮崎駿監督の後継指名を断った細田守監督を触れました。細田監督のアニメ「時をかける少女」は、国内外で高く評価されました。監督は「プレッシャーですか？　これでだめだったら、アニメの世界で生きていけなかったでしょうね」と、明かしたそうです。</p><p>　映画取材の経験が豊富な戸津井次長は、国内外の監督たちの素顔を次々に紹介。映画好きの会員たちは熱心に耳を傾けていました。</p>]]>
        
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    <title>文化サロン「子供の字がうまくなる」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-29T03:28:21Z</published>
    <updated>2012-03-29T03:38:43Z</updated>

    <summary>　老若男女問わず、うまい字には、あこがれるものですよね。　ウェーブ文化サロン「子供の字がうまくなる」（ウェーブ産経主催）が、３月１０日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開催され、会員ら約２０人が参加しました。　講師を務めたのは、正川子葉（まさかわ・しよう）さん。書芸術の国際交流を...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="260" height="156" alt="20120310-syuji-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-syuji-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　老若男女問わず、うまい字には、あこがれるものですよね。</p><p>　ウェーブ文化サロン「子供の字がうまくなる」（ウェーブ産経主催）が、３月１０日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開催され、会員ら約２０人が参加しました。</p><p>　講師を務めたのは、正川子葉（まさかわ・しよう）さん。書芸術の国際交流を進める「産経国際書展」を開催する「産経国際書会」（東京都千代田区）の常務理事で、書道教室「大阪ＣＭＯ（カルチャー・マネジメント・オフィス）文化学院」（大阪府富田林市）の代表でもあります。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="129" height="196" alt="20120310-syuji-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-syuji-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　正川さんは、小筆とペン字を同時にマスターすることができ、現代人にマッチした書き込み式テキストを作り出すなど、独自の教え方による書道教室を主宰。これまで近畿地区で５００人以上の指導者を輩出してきました。</p><p>　今回のサロンは「子供の字が―」というタイトルでしたが、子供ではなく、大人が対象。正川さんが多くの子供たちを指導してきたノウハウをもとに、子供を持つ親たちに向けて、講義が行われました。</p><p>　意外にも正川さんは、もともと字がうまかったわけではないそうです。ずっと子供を教えることを夢見てきたそうで、一念発起して、書道の資格を取り、書道教室を立ち上げたそうです。最初は、いとこを１人から教え始め、一時は約２５００人もの生徒を抱え、現在、約千人の団体を運営しています。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="230" height="186" alt="20120310-syuji-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-syuji-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　正川さんは「とりあえず、『書く、書く、書く』です。書こうという気持ち。そして、継続」と、字を書き続けることの大切さを説明しました。そして、字を書くときに気をつける点として、横棒はやや右上がり、へんとつくりのバランス、筆順などを挙げました。</p><p>　現在、書道教室は少子化の影響などを受けているそうです。それでも、「世の中にもう一度、書道の基盤を作っていきたい」と、書道にかける熱い思いを訴えました。</p><p>　話を聞いた後は、いよいよ実技です。正川さんが開発した書き込み式テキストを使い、ひらがなから漢字まで、見本に従って書きながら、画数や総画数も書き込むテストに挑戦。皆さん、童心に帰って、ペンで字を書いていました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="210" height="160" alt="20120310-syuji-04.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120310-syuji-04.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　書き順を間違えやすい字などのアドバイスも受け、楽しみながら答え合わせをしました。書き順も書きやすく変わっているものもあるそうで、「皆さんが間違えているわけではありません。昔の教育と変わっているんです」という説明もありました。</p><p>　また、正川さんは平成１９年に阪神淡路大震災の慰霊碑を兵庫県淡路市の野島断層北淡震災記念公園に建立。毎年、写経を奉納している活動なども紹介しました。</p><p>　続いて、正川さんが実演を見せてくれました。正川さんが字を書くパフォーマンスは、モニター画面にも映し出されましたが、まわりに集まり、間近で見ることもでき、皆さん、熱心に見入っていました。</p><p>　最後に、「堂々と書けば、それなりの字に見えます。筆に操られては駄目です。操るくらいにならなければ。そのためには人より書く努力がいります」と呼びかけました。</p>]]>
        
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    <title>「３回で学ぶ京都～歴史人物対決シリーズ　女性編３～」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-28T08:53:42Z</published>
    <updated>2012-05-09T03:58:05Z</updated>

    <summary>　昨年のＮＨＫ大河ドラマ「江～姫たちの戦国～」にも登場した淀と高台院（北政所）。おなじみの２人をテーマにした文化サロン「同時代に生きた人物対決　女性編」（ウェーブ産経主催）が、３月８日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開催されました。　京都観光の企画プロデュース会社「らくたび」の...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="270" height="173" alt="20120308-kyoto-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-kyoto-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　昨年のＮＨＫ大河ドラマ「江～姫たちの戦国～」にも登場した淀と高台院（北政所）。おなじみの２人をテーマにした文化サロン「同時代に生きた人物対決　女性編」（ウェーブ産経主催）が、３月８日に大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開催されました。</p><p>　京都観光の企画プロデュース会社「<a href="http://www.rakutabi.com/">らくたび</a>」の代表でプロガイド、山村純也さんによる「３回で学ぶ京都」の新シリーズ第３回で、午前と午後の２回合わせて約８０人の会員が参加しました。</p><p>　シリーズ最終回となる今回のテーマは「北政所ＶＳ淀殿～女性の身内争いが大きく時代を動かした！～」。豊臣秀吉の正室、北政所と側室、淀殿。歴史を動かした２人について学びました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="220" height="234" alt="20120308-kyoto-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-kyoto-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　《天下人・豊臣秀吉にとって絶対的存在であった「北政所」とは》</p><p>　会場で配られた資料をもとに、まず北政所の生涯を振り返ってみましょう。</p><p>　１４歳で秀吉に嫁いだ北政所（おね）は、内助の功を存分に発揮して、出世を支えました。常に秀吉のよき相談相手であり、２人は終生、仲が良く、２人きりのときは尾張弁丸出しの大声で話したと伝わります。</p><p>　秀吉が亡くなると、速やかに大坂城の西の丸から京都へ引退し、豊臣家から一線を引く形をとりました。秀吉と築いた豊臣家は、一大名として残したいというのが北政所の願いではありましたが、豊臣家は滅亡し、高台寺にて秀吉の菩提（ぼだい）を弔いながら静かな日々を過ごしました。</p><p>　山村さんは、「江」でも描かれた大坂城について「残念ながら、大阪の陣で炎上します。その後、徳川家が作ります。その徳川家が作ったものが、現在の大阪城の基本形」と解説。「よく勘違いされている方がいらっしゃるんですけど、いま皆さんが目にされている大阪城公園には、残念なことに秀吉が作ったものは、ほとんどないんです」と説明しました。</p><p>　一方、ねねが建立した高台寺には、創建当時のものが残っているそうです。この高台寺と、ねねが晩年を過ごした圓徳院の間にある石畳の道が「ねねの道」と呼ばれ、観光名所として、にぎわっています。</p><p>　《織田家の血を引きながら豊臣家を背負った「淀殿」とは》</p><p>　続いて、淀殿の生涯を振り返りましょう。</p><p>　浅井長政と、織田信長の妹、お市の長女として生まれた淀殿は、信長との戦いによって、父を失います。信長が本能寺の変で倒れると、お市は柴田勝家に嫁ぎます。しかし、秀吉との間に勃発した賤ケ岳の戦いに勝家は敗れ、お市は自害したため、淀殿は秀吉の保護のもとにおかれました。</p><p>　当初は秀吉を恨み抜いていた淀殿でしたが、次第に心を許し、鶴松を身ごもります。この時、産所として城を与えられ、そこで過ごしたことから「淀殿」と呼ばれるようになりました。鶴松は早世しましたが、秀頼を出産し、秀吉亡き後は、跡継ぎの秀頼の生母として大きな権力を持ちました。</p><p>　しかし、徳川家康が関ケ原の戦いを通じて豊臣家を分断し、次第に淀殿と秀頼を追い詰めました。家康のたくみな戦略に乗せられ、淀殿は結果的に豊臣家を滅亡へと導いてしまいました。</p><p>　山村さんは淀殿と家康の戦いについて「淀殿は連戦連敗。残念ながら負け続けます」と解説。「負け方にもいろいろあり、自分の立場を守って退却する負け方もあれば、惨敗する負け方もあります。淀殿は後者。一か八かの負け方をしてしまいました」と説明しました。</p><p>　《北政所ＶＳ淀殿～永遠のライバルの軌跡～》</p><p>　そして、いよいよ２人のライバル対決の物語に話は移ります。こちらも資料をもとに振り返ってみましょう。</p><p>　《両者と秀吉の出会い》</p><p>　北政所は戦国時代において、珍しい恋愛結婚だったといわれています。淀殿は「父の敵」として出会います。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="220" height="139" alt="20120308-kyoto-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120308-kyoto-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　《秀吉の長浜時代～賤ケ岳の戦いまで》</p><p>　北政所は長浜城主となった秀吉をよく支えました。淀殿は、お市や妹とともに伊勢や尾張でひっそりと暮らしていました。</p><p>&nbsp; 《賤ケ岳の戦い～天下統一まで》</p><p>　北政所は相談相手として秀吉を支え続けました。淀殿は、ついに秀吉を受け入れるようになります。</p><p>　《淀殿に「鶴松」が生まれる》</p><p>　北政所は鶴松の世話を任されました。淀殿は世継ぎを生んだことで北政所に次ぐ地位を確立しました。</p><p>　《淀殿に「秀頼」が生まれる》</p><p>　秀頼の世話は淀殿にさせるという秀吉の意向もあり、北政所は一歩引いた形の立場となりました。淀殿は秀頼を生んだことで、さらに自信をつけました。</p><p>　《慶長３（１５９８）年８月１８日　秀吉が亡くなる》</p><p>　北政所は東山へ退去し、高台寺を創建して隠棲しました。淀殿は豊臣家を事実上、まとめることになります。だが、関ケ原の戦いに敗れ、次第に孤立していきます。</p><p>　《その後の両者の勝敗の行方は》</p><p>　北政所は隠棲しながら、ひたすら天下の安寧と家の存続を願い続けました。淀殿は大坂の陣を起こし、豊臣家と秀頼を滅亡へ追い込みました。</p><p>　山村さんは、２人の人物対決について「淀殿は豊臣家を守り抜こうという意気込みは高く評価できる」とした上で、「もうちょっと見る目があれば、わが子、秀頼を殺さずにすんだかもしれない」としました。そして、「北政所が指揮をとっていれば、豊臣家は残っていたと思います」とも話しました。</p><p>　また、「２人が仲違いしていたかというと、実際は、そうではないようで、お互いに連動していたことも多いようです」という最近の研究による説も披露。「２人はライバルですけど、共通の目的があったんです。それは豊臣家の繁栄、存続。ただ、着地点が違っただけ」と、まとめました。</p>]]>
        
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    <title>【ミニニュース】上町台地・聖地フォーラム「まちなかの聖地～祈りと営みを重ねてきた上町台地」を開催</title>
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    <published>2012-03-27T01:05:24Z</published>
    <updated>2012-03-27T01:11:00Z</updated>

    <summary>　大阪のまちなかを南北に貫く上町台地。そこは、古来より人々の営みが積み重ねられてきた場所でもあります。建物に覆われた現代の町並みのなかにも、古来より受け継がれてきたさまざまな物事が密やかに息づいています。　営みの積み重ねのなかで、先人の多くに感じ取られ、継承されてきた「聖地」もそ...</summary>
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        <![CDATA[<p>　大阪のまちなかを南北に貫く上町台地。そこは、古来より人々の営みが積み重ねられてきた場所でもあります。建物に覆われた現代の町並みのなかにも、古来より受け継がれてきたさまざまな物事が密やかに息づいています。</p><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　営みの積み重ねのなかで、先人の多くに感じ取られ、継承されてきた「聖地」もその一つ。神社仏閣の多い上町台地にあって、その北端である大阪城・北堀江（天満橋）一帯は、特に「聖地」として古人に崇められてきた地でもありました。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　日々を過ごすまちのそばに、足元に、今も眠るパワー・スポット。「聖地」の名残をたどりながら、まちのなかから明日への英気を吸収してみませんか。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">第1部＝講演</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">テーマ：「まちなかの聖地～承け継がれてきた上町台地北端の歴史」</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">講師：北川央氏（大阪城天守閣研究主幹）</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">生國魂神社や坐摩神社、窪津王子・坂口王子、渡辺浄土堂、大坂（石山）本願寺など、大阪城から北堀江（天満橋）一帯にあったとされる寺社の盛衰をたどりながら、上町台地北端という場所が持った意味を考えます。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">第2部＝パネル・ディスカッション</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">テーマ：「２１世紀のまちなかで感じる、祈りと営みのリレー」</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">語り手：有栖川有栖氏（作家）</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　　　　中村文隆氏（生國魂神社禰宜）</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　　　　北川央氏（大阪城天守閣研究主幹）</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">大阪・上町台地ゆかりの寺社の変遷、祭礼の移り変わりや氏子をはじめ町衆とのつながりの継承などもたどりながら、２１世紀のまちなかで、聖なる地域力との出会い方や暮らしのなかでの受け継ぎ方などを楽しく考察し、それらを通じて、伝統ある都心でのまちや暮らしの作法に思いを馳せる機会を得ます。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>開催日：４月１４日（土）　午後１時半～４時半（予定）（１時開場）</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>開催場所：山本能楽堂</div><div style="text-indent: 10.5pt; margin: 0mm 0mm 0pt">（大阪市中央区・地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目」駅４番出口から北西へ徒歩５分）</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>参加費：１０００円/人</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>参加定員：１８０人（椅子席と座布団席の合算）　申し込み受付は先着順。</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>申込締切日：４月１０日（火）。それまでに参加定員を上回った場合は募集打ち切り。</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>参加申込方法：</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 39pt"><span>・<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>マルゼンボタンギャラリーまでEメールはFAXにて申し込み。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt 21pt">　　　E-Mail：<a href="mailto:info@mbgallery.jp">info@mbgallery.jp</a><span>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; FAX:</span>０６・６９４３・５２５７</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt 21pt">・Eメールの場合は件名を「聖地フォーラム参加申し込み」としていただき、文中に参加者のお名前、住所、電話番号（携帯も可）ご所属を明記。</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 39pt"><span>・<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>FAXの場合も、文中に参加者のお名前、住所、電話番号（携帯も可）、ご所属を明記。同伴者がある場合は、その方のお名前、住所なども併記。</div><div style="margin: 0mm 0mm 0pt 21pt">&nbsp;</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>主催：上町ぶんか機構</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>共催：大坂の陣を大河ドラマにする会　上町台地・職人研</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>後援：北堀江地区まちづくり実行委員会　上町台地マイルドHOPゾーン協議会</div><div style="text-indent: -18pt; margin: 0mm 0mm 0pt 18pt"><span>■<span style="font: 7pt 'Times New Roman'">&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; </span></span>協力：NPO法人大水都史を編み後世に伝える会　山本能楽堂</div>]]>
        
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    <title>「ウェスティンホテル大阪『故宮』で　ミシュラン一つ星の中国料理満喫」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-26T05:07:11Z</published>
    <updated>2012-03-26T05:20:53Z</updated>

    <summary><![CDATA[      　ミシュランガイドと言えば料理の世界では最も権威ある案内書でしょう。このガイドに掲載されるだけでも大変なことですが、ましてや星付きともなると&hellip;。今回はあこがれの一つ星レストランでの食事を楽しみます。題して「ウェスティンホテル大阪『故宮』で　ミシュラン一つ...]]></summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="210" height="212" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120229-kokyu-03.jpg" alt="20120229-kokyu-03.jpg" />
</span>
<p>　ミシュランガイドと言えば料理の世界では最も権威ある案内書でしょう。このガイドに掲載されるだけでも大変なことですが、ましてや星付きともなると&hellip;。今回はあこがれの一つ星レストランでの食事を楽しみます。題して「ウェスティンホテル大阪『故宮』で　ミシュラン一つ星の中国料理満喫」です。２月２９日に大阪市北区のウェスティンホテルにある同店で開かれ、参加した会員約６０人が洗練された中国料理の味わいを堪能しました。</p>

<p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《中国流マナーも学ぶ》</strong></span></p>
<p>　「故宮」は２０１２年まで３年連続で、ミシュランの一つ星を獲得している中国料理の名店。その屋台骨を支えるのが王憲生料理長です。冒頭、王料理長が姿を見せ「忙しいところをお越しくださり、ありがとうございます。きょうは（ミシュラン一つ星の）実力を証明したい。ひと味違う料理を味わって良い思い出になるよう頑張ります」と歓迎のあいさつをしました。</p>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="210" height="174" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120229-kokyu-01.jpg" alt="20120229-kokyu-01.jpg" />
</span>
<p>　次いで、同店マネージャーの丸田高弘さんが中国料理のテーブルマナーについて紹介してくれました。丸田さんは「中国人は礼を尊ぶ儒教の影響で、もてなしの心を大切にする」と説明し、基本の心得として▽相手への思いやり▽美しく食べる▽会話にも気配りする▽お店への感謝を表す（きれいに残さず食べる）－の４点を挙げました。</p>
<p>　さらに、緊張しすぎないなど「食事を楽しむための五箇条」や、入店から退店までのマナーなども紹介。「ナプキンは二つ折りにし折った部分を手前にして膝にかける」「ナプキンで口をふく時は服が汚れないよう裏側で」「中国料理で箸は、長めであることや回転台の大皿から取りやすいこともあり、客から見て縦に置く」など要点を説明してくれました。</p>
<p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《至福の逸品、次々と》　</strong></span></p>
<p>　お待ちかねの料理がチャイナ服のウエートレスさんらにより次々と運ばれてきました。中国料理ですがフランス料理のように一皿ずつ個別に提供されます。<br />
&nbsp;</p>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="550" height="121" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120229-kokyu-02.jpg" alt="20120229-kokyu-02.jpg" />
</span>
<p>　【１】特製オードブル盛り合わせ（写真左）＝クラゲ大根巻き▽鶏肉冷製▽鴨肉しょう油風味▽フォアグラ▽辛味甘酢漬けキュウリ▽トマト桂花陳酒漬け▽カニ身とエビのすり身の湯葉巻き<br />
<br />
すべての材料が丁寧に下ごしらえされています。味付けは控えめで、素材本来の旨みが引き出されているように感じました。<br />
<br />
【２】トリュフ入りふかひれスープ（写真左から２つめ）<br />
中国料理の王道に、フランスの&ldquo;スーパースター&rdquo;が加わりました。独特の香りが、絶妙のハーモニーを奏でています。<br />
<br />
【３】タラバガニの白身魚巻き　ＸＯソース（写真左から３つめ）<br />
カニと白身の魚を組み合わせる工夫。ソースも深いコクがあります。<br />
<br />
【４】アワビの姿煮込み　クリームソース（写真左から４つめ）<br />
豪華な一品。洋食のようにナイフとフォークでいただきました。<br />
<br />
【５】牛肉のステーキ　黒胡椒ソース（写真左から５つめ）<br />
料理名だけ見ると洋食のようですが、風味は中国由来。ライ麦のパンが敷いてあり、香ばしくて、もちっとした食感がアクセントになっています。<br />
<br />
【６】五目入りもち米の蓮の葉包み蒸し・胡麻団子・杏仁豆腐　マンゴージュース添え（写真左から６つめ）<br />
デザートに至るまで、手は抜いていません。胡麻団子は甘みを抑えた上品な風味。杏仁豆腐は濃厚なのにあっさりとして、いくらでも食べられそうです。</p>
<p>　　　◇</p>
<p>　食べ終えた充実感は相当なものです。「一つ星レストラン」の実力が遺憾なく発揮された献立に、会員のみなさんも大変満足した様子でした。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>「３回で学ぶ京都～歴史人物対決シリーズ　女性編２～」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-26T00:22:33Z</published>
    <updated>2012-03-26T00:30:54Z</updated>

    <summary>　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」。このシリーズとなる「歴史人物対決　女性編」の第２回講座が２月１６日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。テーマは「建礼門院ＶＳ小督局（こごうのつぼね）～平清盛に翻弄された女性の人生とは～」です。講師は京都観光企画会社「らくた...</summary>
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    <category term="文化サロン" label="文化サロン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="280" height="212" alt="20120216-rakutabi-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120216-rakutabi-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」。このシリーズとなる「歴史人物対決　女性編」の第２回講座が２月１６日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。テーマは「建礼門院ＶＳ小督局（こごうのつぼね）～平清盛に翻弄された女性の人生とは～」です。講師は京都観光企画会社「<a href="http://www.rakutabi.com/">らくたび</a>」代表の山村純也さん。午前と午後の部に会員計約９０人が参加し、清盛の思惑や源平の争いなどに巻き込まれ、波乱の生涯を送った女性たちの歩みをたどりました。</p><p><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><strong>　《「建礼門院」の歩み》</strong></span></p><p>　山村さんは建礼門院徳子について「日本史上で、これほど人生の落差が大きかった人はいない」と強調しました。確かに、天皇を産んで国母となったのに、平家が滅亡して壇ノ浦に飛び込み、それでも死ねずに一族を弔うという紆余曲折。「こんな極端な人生を味わった人はどこにもいないと思う」との言葉には説得力があります。</p><p>　清盛と正妻・時子の娘であり、高倉天皇に入内し安徳天皇を産んだ建礼門院ですが、この人の運命を左右したのが、義父でもある後白河法皇。清盛の死後は源氏を操って平家を追討、滅亡に追い込みます。</p><p>　その法皇が晩年、京都・大原の寂光院で隠棲する建礼門院を訪ねた、と「平家物語」に書かれています。「建礼門院にとっては平家を滅ぼした憎むべき相手。しかし、今は訪れる人もいない自分を見舞ってくれたことを感謝し、自らの人生を仏教でいう『六道』（天道、人道、餓鬼道など）になぞらえ切々と語った（六道語り）」と言います。『諸行無常』をテーマに平家の栄光と滅亡を描いた物語の、ラストにふさわしい逸話でしょう。</p><p><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><strong>　《「小督局」の歩み》</strong></span></p><p>　小督局は貴族の藤原成範（しげのり）の娘で、建礼門院お付きの女性でした。宮中一の美貌で、琴の名手でもあるという評判の女性だったそうです。この小督局は貴族の藤原隆房の愛人でありながら、高倉天皇からも愛されたそうです。</p><p>　ところが高倉天皇はもちろん、隆房の妻も清盛の娘とか。「清盛からみれば２人の娘が嫁いだ夫２人が、ともに小督局を愛するという状況。さすがに清盛の怒りを恐れ、小督局は嵯峨野に隠れ住んだ」そうです。しかし、あきらめきれない高倉帝は笛の名手である源仲国に命じて行方を捜させます。月の夜、嵯峨野を調べていた仲国が、かすかに聞こえる琴の音を頼りに小督局を探し出したといいます。この場面は能にもなっているそうです。</p><p>　「説得に折れて宮中へ密かに戻った小督局は高倉帝と密会を続け、内親王を産むが、さすがにばれて清盛の怒りは頂点」になったようです。「小督局は捕まって無理矢理出家させられ、気落ちした高倉帝は２年後に２１歳の若さで亡くなった」とか。結局は悲劇となりましたが、実は京都・東山区の清閑寺近くにある高倉天皇陵内には、小督局の墓である宝篋印塔（ほうきょういんとう）があるそうです。「皇后でもない女性の墓が同じ場所にあるというのは、基本的にはないこと」だとか。あの世では結ばれたのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="290" height="319" alt="20120216-rakutabi-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120216-rakutabi-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><strong>　《永遠のライバルの軌跡》</strong></span></p><p>　ところで２人が帝をめぐって&ldquo;対決&rdquo;するようになったのは、どのような経緯からでしょう。前述のように小督局は建礼門院の付き人で違和感もあります。</p><p>　実はこのような関係が生まれたのは、建礼門院が入内した当時に要因があったそうです。建礼門院が中宮となったのは１７歳。その時、高倉帝は１１歳で、ちょうど同い年ぐらいの「葵の前」という女性と仲良くなったそうです。「ところがこの女性が亡くなり、悲嘆する帝を何とかしなくては、と建礼門院が紹介したのが小督局だった」とか。</p><p>　結局は建礼門院のやさしさが始まりだったのですが「２人は相思相愛になり、建礼門院にとっては、さぞ複雑な思いだったと思う。父・清盛の激怒は小督局に向かったが、自分は父の期待を受けながら天皇の寵愛を一心に待った。このようなところに人間的な力を感じる」そうです。</p><p>　そして、清盛については「建礼門院を入内させて子を産ませようとするなど、このあたりは藤原道長と同じことをしている。すごい実力者の彼でも朝廷に入ったら同じようにして権力を握るしかなかった。が、真の意味での武士の時代を開くには、これをやっていては難しい」としました。</p><p><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><strong>　《どちらが&ldquo;勝った&rdquo;のか》</strong></span></p><p>　建礼門院と小督局の２人が&ldquo;ライバル&rdquo;となった原因の高倉帝（亡くなった時は上皇）ですが「容姿端麗で温厚。宮中でも慕われており、譲位した安徳天皇の父親としての存在感もあった」そうです。そして「後白河法皇と平家のパイプ役であり、双方のバランスをとっていた。この人を失ったのは平家にとって大きなマイナスであり、２人の人生も大きく左右した」ということになります。</p><p>　結局、建礼門院は一族の『幕引き役』として最後まで生き抜き、見届けることになります。一方、『愛に生きた』小督局は、通説では４４歳で亡くなったと言われるそうです。山村さんは「恋愛では小督局が上回ったが、全体をみれば建礼門院が勝っているとも言える。勝ち負けがどちらとは言いにくい」と締めくくりました。</p>]]>
        
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    <title>連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-23T01:00:00Z</published>
    <updated>2012-03-26T00:44:30Z</updated>

    <summary>　連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」（ウェーブ産経主催）の第２回が、３月１日に大阪市中央区の「いずみホール」で開かれました。　２月に行われた第１回の講座では、クラシック音楽専用の同ホールで舞台裏を見学し、コンサートやアーティストの裏話を聞きました。そして、いよい...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="280" height="159" alt="20120301-classic-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-classic-01.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」（ウェーブ産経主催）の第２回が、３月１日に大阪市中央区の「いずみホール」で開かれました。</p><p>　２月に行われた第１回の講座では、クラシック音楽専用の同ホールで舞台裏を見学し、コンサートやアーティストの裏話を聞きました。そして、いよいよ本番！　同ホールで開催されるコンサート「樫本大進&times;コンスタンチン・リフシッツⅡ」を鑑賞します。第１回に続き、約８０人の会員が参加しました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="100" height="116" alt="20120301-classic-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-classic-02.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　今回も、まずロビーに集まり、副支配人の水畑孝之さん（写真右）からヨーロッパのオーケストラなどについて学びました。この夜のコンサートに出演するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第１コンサートマスター、樫本大進さんの話から聞きました。</p><p>　樫本さんは、ロン・ティボー国際コンクールをはじめ、数々の国際コンクールで優勝しています。水畑さんは、その華麗なる経歴について「なかなか、そういう方はいない。すごいバイオリニスト」と絶賛しました。</p><p>　そして、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに世界最高といわれるベルリン・フィルのコンサートマスターに２０１０年１２月、就任したことにも触れました。コンサートマスターは、オーケストラの団員をまとめ、時には指揮者の代わりも務めるだけに、「単に技術だけでなく、人間性も見られて、団員の投票をへて、正式にコンサートマスターになった。彼は団員に認められたということだ」と解説しました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="160" height="214" alt="20120301-classic-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120301-classic-03.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　続いて、ウィーン、ベルリンの２大オーケストラについて説明しました。まず決定的に違う点として、ウィーンフィルは、もともとウィーン国立歌劇場のオーケストラであり、定期演奏会は年に２０回しか公演されないことを挙げました。</p><p>　それに対し、ベルリンフィルは、定期演奏会は年間で計１２８回も公演されます。つまり、ウィーンフィルはオペラのためのオーケストラ、ベルリンフィルはコンサートのためのオーケストラということです。</p><p>　ベルリン・フィルといえば、指揮者のカラヤン。１９８４年に大阪のザ・シンフォニーホールで起きた有名な「振り間違い」事件も紹介しました。</p><p>　カラヤンは予定されていた「ドン・ファン」ではなく、静かに始まる曲と間違えてしまい、ゆっくりと指揮棒を振り始めたため団員は音を出すことができず、緊張感が走りました。そこで、コンサートマスターが合図し、演奏を始めることができたのです。自分が間違えたことに気づいたカラヤンは、にっこりと笑って演奏を止め、最初からやり直したそうです。</p><p>　最後に、大阪のオーケストラ事情にも触れました。現在、大阪には大阪フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪交響楽団と、４つのオーケストラがあります。</p><p>　水畑さんは「オーケストラというものは本当にお金がかかるもの」と、資金や運営が厳しい状況を説明。「そういうことも含めて、ぜひ大阪のオーケストラを応援してあげてください」と結びました。</p><p>　講座を聴いた後は、いったん解散。それぞれ食事や休憩をしてから再び同ホールに集まりました。</p><p>　この夜のコンサートには、樫本さんとピアニスト、コンスタンチン・リフシッツさんが出演。名手の演奏によるベートーベンのバイオリン・ソナタに耳を傾けました。</p>]]>
        
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    <title>「難波葱と河内鴨を味わう」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-22T03:13:03Z</published>
    <updated>2012-03-22T03:28:16Z</updated>

    <summary>      　「難波葱（なんばねぎ）」をご存じですか？　実は、大阪の難波は、かつてネギの産地だったのです。「難波」が鴨肉とネギを入れたそば「鴨なんば」の由来になったという説もあり、難波葱は京都の九条葱や関東の千住葱のルーツとも言われています。 　その難波葱をゆかりの地で紹介する食...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="230" height="128" alt="20120216-nanbanegi-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120216-nanbanegi-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　「難波葱（なんばねぎ）」をご存じですか？　実は、大阪の難波は、かつてネギの産地だったのです。「難波」が鴨肉とネギを入れたそば「鴨なんば」の由来になったという説もあり、難波葱は京都の九条葱や関東の千住葱のルーツとも言われています。</p>
<p>　その難波葱をゆかりの地で紹介する食事会「難波葱と河内鴨を味わう」（ウェーブ産経主催）が、２月１６日に大阪市中央区の「なんばオリエンタルホテル」で開催されました。「難波葱の会」の協力で、会員ら約５０人が参加しました。</p>
<p>　会場は同ホテルのレストラン「和（な）ぎ」。和ぎでは、大阪の食材をふんだんに使い、大阪でしか楽しむことができない旬の料理を提供しています。今回は、特別に難波葱と大阪産の「河内鴨」による鍋料理を作ってもらいました。</p>

    <img width="100" height="135" alt="20120216-nanbanegi-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120216-nanbanegi-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　まずネギ農家の上田隆祥さん（写真左）から難波葱について話を聞きました。かつて南海難波駅の周りにはネギ畑が広がり、難波といえば、ネギの代名詞だったという説明から始まりました。現在の難波からは想像もつかない話です。</p>
<p>　難波葱は葉が長くて柔らかく、独特の甘みや、ぬめりがあります。ただ、その柔らかさから折れやすく、流通に向かないために市場から姿を消してしまったそうです。</p>
<p>　この幻のネギを応援し、「なにわの伝統野菜」への認証をめざしているのが、難波葱の会です。大阪市住吉区の畑で難波葱を守り続けている上田さんも「こんなにおいしいネギが大阪にあったんかと思っていただけるとうれしいです」と呼びかけました。</p>

    <img width="100" height="135" alt="20120216-nanbanegi-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120216-nanbanegi-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />

<p>　そして、ネギと言えば、鴨。というわけで、河内鴨の専門店「ツムラ本店」の専務、津村佳彦さんからも話を聞きました。大阪府松原市にある同店は、合鴨の孵化（ふか）から飼育までを手がけています。</p>
<p>　かつて河内平野は、一面が真っ白に見えるほど鴨を飼育していたそうです。豊臣秀吉が鴨の飼育を奨励したとも言われ、古くから大阪は、鴨の産地だったのです。</p>
<p>　津村さんは「エサに薬は、いっさい入れない。さばくときも機械をできるだけ使わず、ハンドメイド」というこだわりを持って、明治初期からの河内鴨の伝統を守っています。鴨といえば、フランス料理の定番。津村さんが「いつかフランスのレストランに『カワチガモ』が入るのが、私の夢」と語ると、拍手が起きました。</p>
<p>　難波葱と河内鴨について学んだ後は、いよいよ鍋を囲む食事会の始まりです。</p>

    <img width="450" height="111" alt="20120216-nanbanegi-04.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120216-nanbanegi-04.JPG" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" />

<p>　前菜は「河内鴨味噌（みそ）漬け難波葱鋳込み焼き」「難波葱大徳寺納豆炒め」「天王寺蕪寿司（すし）」。いきなり難波葱と河内鴨が登場しました。</p>
<p>　「天王寺蕪」は、大阪市が認証する、なにわの伝統野菜の一つ。天王寺付近が発祥とされるカブラで、甘みがあるのが特長です。このように難波葱と河内鴨だけでなく、この日は大阪に伝わる野菜も、ふんだんに使われました。</p>
<p>　お待ちかねの鍋は、難波葱をはじめ、「大阪しろな」「大阪みずな」「天王寺蕪」「田辺大根」「茨木しめじ」「赤坂椎茸（しいたけ）」などの野菜盛り。そして、「河内鴨と河内蓮根の摘入れとロース肉の盛り合わせ」。</p>
<p>　鍋に入れた難波葱には、説明された通り、独特の甘みがありました。大阪しろなと田辺大根も、なにわの伝統野菜です。そして、河内鴨のロース肉をしゃぶしゃぶすると、独特のうまみを味わうことができました。<br />
<br />
「鴨南蛮（かもなんばん）仕立蕎麦」でしめ、デザートは「田辺大根のジェラート　菜っ葉のアンジェリカ添え」。最初から最後まで知られざる大阪の味を堪能する食事会になりました。</p>]]>
        
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    <title>連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-21T02:44:57Z</published>
    <updated>2012-03-21T03:03:04Z</updated>

    <summary>      　コンサートホールの舞台裏は、どのようになっているのでしょう？ 　連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」（ウェーブ産経主催）の第１回が２月１３日、大阪市中央区にあるクラシック音楽専用のいずみホールで開催されました。希望者は講座の前に「ランチタイムコンサー...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="250" height="199" alt="20120213-classic-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120213-classic-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　コンサートホールの舞台裏は、どのようになっているのでしょう？</p>
<p>　連続講座「いずみホールで学ぶ大人のクラシックサロン」（ウェーブ産経主催）の第１回が２月１３日、大阪市中央区にあるクラシック音楽専用のいずみホールで開催されました。希望者は講座の前に「ランチタイムコンサート」も楽しみ、約８０人の会員が参加しました。</p>
<p>　第１回のテーマは「舞台裏見学とお話」。ホールの舞台裏を見学した後、アーティストの素顔やコンサートの裏話を聞き、クラシックを楽しく学ぶという趣向です。</p>
<p>　いずみホールは住友生命保険相互会社の６０周年記念事業の一環として、平成２年にオープン。理想の音場の原点をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地、ウィーン楽友協会大ホールに求めたシューボックス（靴箱）型のコンサートホールで、８２１席。天井や壁のデザインをはじめ、床、椅子、シャンデリアなどの緻密に計算された音響効果により、「楽器の集合体」に包み込まれるような空間を実現しています。</p>
<p>　残響時間はクラシックの室内楽にふさわしい１．８～２秒。明るくやわらかな音色が特長のフランス・ケーニッヒ社製のパイプオルガン、ベートーベンと同時代（１８２０年代）の製作家、ナネッテ・シュトライヒャーが作ったオリジナルのフォルテピアノ（古典ピアノ）など、特色のある楽器を備えています。</p>
<p>　参加者は、赤い絨毯と金色の装飾が優雅なロビーに集合。オーケストラの団員が座る椅子が用意され、実際に座り、団員になったような気分も味わうことができました。まず３つの班に分かれて、舞台裏を見学。通常は入ることができない場所だけに皆さん、興味津々の様子でホールの&ldquo;探検&rdquo;を楽しみました。</p>
<p>　最初に訪れたのは、演奏家が出番を待つ舞台袖のアーティストラウンジ。まるで演奏家になった気分で奥の開いたドアから舞台へ入ると、目の前に客席が広がります。</p>

    <img width="550" height="159" alt="20120213-classic-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120213-classic-02.JPG" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" />

<p>　この日は舞台の後ろに据えられているパイプオルガンの練習が行われていたため、荘厳な響きの中、ホールを見渡すことができました。舞台から見た客席は意外に近く、一番後ろの席も遠くに感じません。</p>
<p>　美しいシャンデリアは照明デザイナー、石井幹子さんのデザイン。客席や壁の木には、楽器にも用いられる北海道産のナラ材が使われているそうです。</p>
<p>　続いて、舞台の裏を通り、アーティスト控室を見学してから、ピアノ庫へ。フォルテピアノ、チェンバロ、３台のピアノを収納しており、２４時間、適切な温度と湿度で管理されているそうです。</p>

    <img width="110" height="153" alt="20120213-classic-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120213-classic-03.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　めったに見ることができない舞台裏をのぞいた後は、裏話です。副支配人の濱崎修二さんから「これを知っておくとさらに楽しめるクラシックコンサート」をテーマに話を聞きました。<br />
<br />
「コンサートが始まる～コンサートホールの１日」と題して、「コンサートホールで最初に何をするか？　鍵を開けるんです」と笑いを交えながら、説明が始まりました。</p>
<p>　この日のランチタイムコンサートは午前１１時半開演でしたが、リハーサルは１０時から始まり、８時には担当スタッフが鍵を開けたそうです。なぜならば、ピアノの調律には最低でも２時間はかかるからだそうです。</p>
<p>　ピアノを調律している間に楽屋を開け、お茶を用意し、冬には暖房を入れ&hellip;。「われわれはコンサートの仕事というより、ほとんど人の世話をしています。アーティストも人間ですから、気持ちよく演奏できるための環境作りがスタッフの仕事」と解説。「音楽が好きでも、人の世話が好きじゃないと務まりません」というだけに、スタッフの仕事も重要ですね。</p>
<p>　アーティストの裏話も跳びました。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、ライナー・キュッヒルさんは奥さんが日本人で、ウィーンの自宅では日本語で話しているそうです。椅子に座るとき、「どっこいしょ」と言うという話には思わず、笑いが起きました。</p>
<p>　日本人スタッフとも日本語で話すそうで、逆に楽団員に対して、「ねー、ねー」と日本語で話しかけてしまったりもするそうです。</p>
<p>　そして、ドイツ語の「トイ、トイ、トイ」で「行ってらっしゃい」とアーティストを舞台へ送り出し、コンサートが始まるまでをおもしろおかしく説明してくれました。</p>
<p>　ちなみに、コンサートが始まってから一番怖いことは？　やはり地震だそうです。</p>
<p>　この連続講座では、３月１日に行われた第２回で、実際にコンサートを鑑賞しました。コンサートホールの舞台裏やアーティストの裏話に触れたことで、新たな楽しみ方ができたのではないでしょうか。</p>]]>
        
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    <title>【会員証提示で割引】光と影のファンタジー「藤城清治　影絵展」 　同伴者２人も</title>
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    <published>2012-03-16T08:31:00Z</published>
    <updated>2012-03-16T01:45:51Z</updated>

    <summary>  　４月７日（土）〜６月２４日（日）、奈良県立美術館（奈良市）で開催の光と影のファンタジー「藤城清治　影絵展」にウェーブ産経会員証提示で割引で入場いただけます。作品に光を透すことで生まれる光と影のコントラストと、鮮やかな色彩。独自の世界観で夢と希望を与える作品約２００点を展示し...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="優待・招待・プレゼント" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p><a name="top" href=""></a></p>  <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="170" height="181" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/201203-fujishiro-02.jpg" alt="201203-fujishiro-02.jpg" /></span><p>　４月７日（土）〜６月２４日（日）、奈良県立美術館（奈良市）で開催の光と影のファンタジー「藤城清治　影絵展」にウェーブ産経会員証提示で割引で入場いただけます。作品に光を透すことで生まれる光と影のコントラストと、鮮やかな色彩。独自の世界観で夢と希望を与える作品約２００点を展示します。</p> <table style="width: 100%; height: " class="table_01">     <tbody>         <tr>             <th><p>開催日時</p></th>             <td><p>４月７日（土）〜６月２４日（日）午前９時〜午後５時<br />             毎週金・土曜日は午前９時〜午後７時（入館は閉館の３０分前まで）<br />             休館日は月曜日（ただし４月３０日は開館）</p></td>         </tr>         <tr>             <th><p>会　場</p></th>             <td><p><a href="http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-11842.htm">奈良県立美術館</a>（奈良市登大路町）</p></td>         </tr>         <tr>             <th><p>優待内容</p></th>             <td><p>会員証提示で<br />             一　般&hellip;１０００円（通常１２００円）<br />             大高生&hellip;　８００円（通常１０００円）<br />             中小生&hellip;　４００円（通常５００円）</p></td>         </tr>     </tbody> </table>]]>
        
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    <title>夕刊フジが編集・制作します！ 『めもりある新聞』</title>
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    <published>2012-03-16T08:31:00Z</published>
    <updated>2012-03-19T01:50:22Z</updated>

    <summary><![CDATA[結婚・誕生・入学・卒業・同窓会・還暦&hellip;ｅｔｃアナタの『めもりある新聞』つくりませんか？―夕刊フジが編集・制作します！―　「めもりある新聞」は、結婚する二人の紹介を、号外風にして披露宴会場で配ったり、こどもの誕生記念紙として親戚や友だちに贈ったりと、さまざまな活用方法...]]></summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="インフォメーション" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p style="text-align: center;"><strong>結婚・誕生・入学・卒業・同窓会・還暦&hellip;ｅｔｃ<br />アナタの『めもりある新聞』つくりませんか？<br /></strong><span style="font-size: 120%;"><strong>―夕刊フジが編集・制作します！―</strong></span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="140" height="210" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/201203-fuji-01.jpg" alt="201203-fuji-01.jpg" /></span><p>　「めもりある新聞」は、結婚する二人の紹介を、号外風にして披露宴会場で配ったり、こどもの誕生記念紙として親戚や友だちに贈ったりと、さまざまな活用方法がある、夕刊フジの「特別版」です。</p><p>　夕刊フジの編集スタッフが電話で取材し記事を編集します。写真はお持ちのデジカメのデータや、プリントを送っていただくだけでＯＫ。</p><p>　新聞はＡ３またはＡ４サイズの２種類で、表裏カラーで制作します。仕上がった新聞は１枚ずつラッピングして、似顔絵、記念グッズ、開運占いなどをセットにして宅配便でお送りします。（代金引換）。費用（基本セット２０枚）は、Ａ３サイズ２万３０００円、Ａ４サイズ２万２０００円。</p><p>　＜問い合わせ＞<br />　夕刊フジ　電話０６・６６３３・６３１３<br />　Ｅメール　ｏ&minus;ｆｕｊｉ&minus;ｋｉｎｅｎ＠ｓａｎｋｅｉ．ｃｏ．ｊｐ</p>]]>
        
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    <title>「日本に歌を歌い継ぎたい」　１０周年イベント出演の佐藤しのぶさん</title>
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    <published>2012-03-16T08:30:00Z</published>
    <updated>2012-03-16T01:12:42Z</updated>

    <summary>　ウェーブ産経の発足１０周年を記念して昨年１０月に開催した「佐藤しのぶさんとトークなひととき＆ランチ」。世界的オペラ歌手の佐藤さんがウェーブ会員１２０人を前に「日本人のやさしさや思いやりは世界で一級。誇るべき」とトークで会場を沸かせ、記念写真撮影会もあって大盛り上がりでした。　佐...</summary>
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        <category term="インタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="佐藤しのぶ" label="佐藤しのぶ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="130" height="165" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201203-main-02.jpg" alt="201203-main-02.jpg" /></span><p>　ウェーブ産経の発足１０周年を記念して昨年１０月に開催した「佐藤しのぶさんとトークなひととき＆ランチ」。世界的オペラ歌手の佐藤さんがウェーブ会員１２０人を前に「日本人のやさしさや思いやりは世界で一級。誇るべき」とトークで会場を沸かせ、記念写真撮影会もあって大盛り上がりでした。</p><p>　佐藤さんにウェーブ会員とのふれ合いの印象をお聞きすると「真剣に聴いてくださり、共感し合うことができて素晴らしいお客様でした。質問を受けるというのもドキドキして楽しいものですね」とほほ笑みながら話してくれました。</p><p>　参加者のアンケートにも書かれていましたが、「佐藤さんに日本の歌を歌ってほしい」という要望がウェーブ事務局に多く寄せられています。それに応えるかのように、今年、佐藤さんは日本の歌を収録したＣＤを発売されます（発売日は未定）。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="289" height="175" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201203-main-01.jpg" alt="201203-main-01.jpg" /></span><p>　１０年くらい前から構想はあったそうですが、昨年の東日本大震災でその思いが強くなったそうで、「今の子供たち、日本の歌を知らないんですもの。受け継いだ文化、生活、歴史を大切にするのは当たり前。歌を通じて伝えていきたいと思います」</p><p>　５月６日の「母の日コンサート」で、ＣＤから何曲かを披露する予定だそうです。</p><p>　「ふるさと、荒城の月、待ちぼうけ&hellip;。日本人の心に響くあったかい歌を歌いたいと思っています」</p>]]>
        
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    <title>こころつたえ第九回「妙法院門跡を訪ねる」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-15T01:00:00Z</published>
    <updated>2012-03-14T05:21:55Z</updated>

    <summary> 　皇族出身者の天台座主が幾度も門主に任じられ、京都でも屈指の名刹として名高い「妙法院門跡」。伝統文化を重んじ、日本人の美しい心を伝える「こころつたえ」の第９回「三十三間堂本坊　妙法院門跡を訪ねる」が２月２０日、京都市東山区の同寺で行われました。 　会員約１００人が参加し、「信仰...</summary>
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        <category term="イベントレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="250" height="169" alt="20120220-kokoro-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120220-kokoro-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　皇族出身者の天台座主が幾度も門主に任じられ、京都でも屈指の名刹として名高い「妙法院門跡」。伝統文化を重んじ、日本人の美しい心を伝える「こころつたえ」の第９回「三十三間堂本坊　妙法院門跡を訪ねる」が２月２０日、京都市東山区の同寺で行われました。</p> <p>　会員約１００人が参加し、「信仰心について」をテーマに菅原信海門主からお話を聞いて、改めて日本人と宗教の関係などについて考えを深めました。</p> <p>　「こころつたえ」とは、１５０社寺で構成する神仏霊場会の協力で、住職や宮司らの講話を聞き、文化財にも触れて、日本人の心や生き方を再発見しようという運動です。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="110" height="148" alt="20120220-kokoro-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120220-kokoro-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《人も自然もともに》</strong></span></p> <p>　講話の中で菅原門主がまず投げかけたのは、宗教とはなんであるかという問題提起です。「一応の定義では教祖、教典、教団がないと宗教とは認められない。仏教は当てはまるが、神道はどうか。この３つの条件はない」と言います。しかし「東洋、日本のアニミズムの神々は軽視されているが、信仰を考える上では重要な要素。我々は自然とともにあるのだから、自然も人間も同じようなものだとみる」と説きました。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="220" height="150" alt="20120220-kokoro-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120220-kokoro-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　そして「天台宗では『草木国土、悉皆（しっかい）成仏』という言葉で、草や木、土などすべてのものが仏になる素質があり、心を持っていると考えている」と説明。額田王が詠んだ万葉集の『三輪山をしかも隠すか雲だにも　情あらなむ隠さうべしや』の句などを例に挙げ「雲に対し人と同じように心を持って行動してくれ、と言っている。日本人は自然とのつきあい方から独特の日本文化を作っていった。我々の特性も他のものを思いやる、この利他の心から生まれてくる」としました。</p> <p>　さらに、戦後にＧＨＱが出した神道指令にもふれて「神道指令では政教分離の徹底などが指示されているが、欧米でもキリスト教が政治にかかわっていないわけではない。昔がすべて良いわけではないが、良い点は残すべきだと思う。日本人には日本人の伝統を引き継ぐ義務があり、怠るから心が空虚になる」などと述べました。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="200" height="134" alt="20120220-kokoro-04.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120220-kokoro-04.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《京ならではの精進料理》</strong></span></p> <p>　講話後は同寺南側の智積院にある「一休庵」で「豆腐湯葉御膳」の昼食。湯豆腐やおから、生湯葉、生麩の揚げ物、酢蓮根など工夫を凝らした精進料理で、赤こんにゃくの煮物など珍しい品もありました。</p> <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>  <p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《国宝の庫裏などに感嘆》</strong></span></p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="280" height="189" alt="20120220-kokoro-05.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120220-kokoro-05.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　食後は妙法院に戻り、通常は非公開となっている建物内の見学です。まず入ったのが国宝の「庫裏」。桃山時代の建立と伝わり豊臣秀吉が先祖供養をした際、お膳を作る台所として使われたとか。土間と板間の上部は望楼部分に至るまで吹き抜けとなっており、煙を逃す煙突の構造。むき出しになった梁や貫などが力強さを感じさせます。</p> <p>　次いで入った「大書院」（重要文化財）は、後水尾天皇の中宮・東福門院が入内の際、御殿を移した江戸時代初期の建物とか。狩野派作という障壁画は重要文化財です。「護摩堂」には不動明王立像（同）などが鎮座しています。</p> <p>　宝物殿である「龍華蔵」の所蔵品では、秀吉がポルトガル領ゴアのインド副王から受け取ったという羊皮紙製の「ポルトガル国印度副王信書」（国宝）をはじめ、「秋草蒔絵踏台」（重要文化財）、「後小松天皇宸翰消息」（同）などがあり、歴史の深さが一目で分かります。「宸殿」には、歴代天皇や中宮らの位牌がまつっていました。</p> <p>　また、庭を挟んで離れた一角に本堂の「普賢堂」があります。その名の通り重要文化財の「普賢菩薩像」が安置され、実はこれが寺の本尊。この仏を本尊にした例は珍しいようです。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="310" height="150" alt="20120220-kokoro-06.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120220-kokoro-06.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《おなじみの、なが～いお堂》</strong></span></p> <p>　妙法院境内で主なものは以上ですが、同寺は有名な国宝「三十三間堂」（蓮華王院）も管理下に置いています。当然、こちらも見学しなければなりません。</p> <p>　三十三間堂まで歩いてすぐ。「通し矢」でも知られる、南北１２０メートルの長大なお堂が見えてきました。元々、平安末期に院政を行った後白河上皇が、平家の財政的な協力を得て院御所内に創建したとか。ところが１２４０年代に火災で焼失。その後文永３（１２６６）年に再建されたのが今の建物だそうです。</p> <p>　ちなみに「三十三」という数字は、お堂内陣の柱間が３３あることと、観音菩薩の変化身・３３身に基づくものだとか。内部には、再建時に湛慶が完成させたという「中尊（ちゅうそん）」の「千手観音座像」（国宝）を中心に、「千体千手観音立像」（重要文化財）が並び圧倒的な迫力。締めくくりにふさわしい内容でした。</p>]]>
        
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    <title>文化サロン「大阪町人、その暮らしと四季」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-14T03:53:24Z</published>
    <updated>2012-03-14T04:09:16Z</updated>

    <summary>　大阪の古地図を題材にした著書で知られる作家、本渡章さんが新刊「大阪暮らし　むかし案内【江戸時代編】絵解き　井原西鶴」（創元社）を出版しました。本渡さんを講師に迎え、江戸時代の人間模様を解説する文化サロン「大阪町人、その暮らしと四季」（ウェーブ産経主催）が、２月２日に産経新聞大阪...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <category term="本渡章" label="本渡章" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="290" height="160" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120202-osakacyonin-01.JPG" alt="20120202-osakacyonin-01.JPG" /></span><p>　大阪の古地図を題材にした著書で知られる作家、本渡章さんが新刊「大阪暮らし　むかし案内【江戸時代編】絵解き　井原西鶴」（創元社）を出版しました。本渡さんを講師に迎え、江戸時代の人間模様を解説する文化サロン「大阪町人、その暮らしと四季」（ウェーブ産経主催）が、２月２日に産経新聞大阪本社で開催され、約４０人の会員が参加しました。</p><p>　本渡さんは、これまでに古地図の俯瞰（ふかん）図と細部拡大図の両方から大阪の地誌や暮らしを探る案内書「大阪古地図　むかし案内　読み解き大坂大絵図」「続　大阪古地図　むかし案内　明治～昭和初期編」（ともに創元社）を出版。「読み解きスタイル」という独自の趣向を確立しています。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="169" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120202-osakacyonin-02.JPG" alt="20120202-osakacyonin-02.JPG" /></span><p>　新刊の題材は井原西鶴の浮世草紙（小説）と、その挿絵。見開き全体図と部分図の両方から謎解きを試みる読み解きスタイルは健在で、商売から四季の暮らし、色恋沙汰まで絵と物語を解読する面白さを味わいながら、江戸時代の庶民の暮らしを案内する内容になっています。</p><p>　西鶴といえば、浮世草紙の作家で俳諧師です。本渡さんは新刊の題材に選んだことについて「井原西鶴のことを書きたかった。それが一番の動機です」と説明。さらに「西鶴は一種の天才」と続けました。</p><p>　その理由として、当時、誰も書くことができなかった独創的な作品を書き、誰の追随も許さなかったことを挙げました。ただ、有名な割には、その作品が読まれていないのが残念とし、自分で書いてみようと思ったそうです。</p><p>　「西鶴ほど誤解されている人物も少ないかなという気もします」とも指摘。テレビや映画などで金や色恋などのイメージが定着し、現物を読まれていないのが原因ではないかと推測しました。それに対し、西鶴は本当の意味で人間を書いたと言い、「読んでいる人が多かったら、誤ったイメージが定着しなかった気もします」と話しました。</p><p>　さらに、配られた浮世草紙の挿絵をもとに話が進められました。正月の風景を描いた商人の屋敷の絵では、門松が今のものとは違うことや、くわをふるっている使用人が裸足であり、主人は何かを履いていることを指摘。当時の挿絵には屋外を裸足で歩く人物が多く描かれているそうです。絵師が描き間違えたとは思えないので、西鶴が生きた時代に裸足で歩いた人物が恐らく、かなりいたのではないかと推測しました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="220" height="158" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120202-osakacyonin-03.JPG" alt="20120202-osakacyonin-03.JPG" /></span><p>　遊郭を描いた絵では、洪水が来ても遊ぶのをやめずに、船に乗って遊女が客のもとへ行ったり、三味線を弾きながら船に乗っていることを笑いを交えながら紹介。井戸替えの絵では、おばあさんが井戸の中から出てきた人形や包丁などをのぞき込んでいる姿を説明。「描かれている絵には何らかの時代背景や暮らしぶり、現代人には想像もつかないようなことが含まれている」と解説しました。</p><p>　また、俳諧師しての西鶴にも触れました。俳諧とは、発句から連想された俳句を付け合っていくもので、「いろいろと制限はありますが、基本的に連想ゲーム」と説明。西鶴は２４時間で２万３５００句、つまり約４秒に１句を詠んだという逸話に触れ、「人間業とは思えない」と絶賛しました。</p><p>　最後に日本文学者、小西甚一の著書「日本文学史」から西鶴について「日本にはじめて小説らしい小説をもたらしたといってよい」という記述や作家、太宰治の著書「新釈諸国噺」から「西鶴は、世界で一ばん偉い作家である」という言葉なども紹介。数ある西鶴本の中で小説家、富岡多恵子さんの「西鶴の感情」を挙げました。</p><p>　本渡さんは「大阪がおもしろい場所であることは確か。年をとってきて、やっと分かりました。書くこともいっぱいある」と、しめくくりました。</p><p>　会場では著書の販売とサイン会も開かれ、購入者との記念撮影も行われました。</p>]]>
        
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    <title>「コシノ家ゆかりの岸和田散策４」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-12T01:00:00Z</published>
    <updated>2012-03-12T06:48:14Z</updated>

    <summary>　世界的ファッションデザイナー・コシノ３姉妹の母親、故・小篠綾子さんを主人公のモデルにした朝の連続テレビ小説「カーネーション」（ＮＨＫ）の舞台・大阪府岸和田市を訪ね、ドラマの舞台裏を聞いたり、名所を見学するウェーブ産経の「コシノ家ゆかりの岸和田散策」が２月８日、同市内で開かれ、会...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <category term="岸和田" label="岸和田" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="230" height="155" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120208-kisiwada-01.jpg" alt="20120208-kisiwada-01.jpg" /></span><p>　世界的ファッションデザイナー・コシノ３姉妹の母親、故・小篠綾子さんを主人公のモデルにした朝の連続テレビ小説「カーネーション」（ＮＨＫ）の舞台・大阪府岸和田市を訪ね、ドラマの舞台裏を聞いたり、名所を見学するウェーブ産経の「コシノ家ゆかりの岸和田散策」が２月８日、同市内で開かれ、会員約７０人が参加しました。</p><p>　岸和田探訪は１０月２２日▽１１月１９日▽１２月１０日－に続く４回目。今回の集合場所は、岸和田城の新御茶屋跡などに昭和初期、地元の寺田財閥が造営した邸宅で、現在は「がんこフードサービス」が料亭として営業している「がんこ岸和田五風荘」です。市指定文化財でもある五風荘の客殿で、カーネーションのドラマで時代・風俗考証を担当している岸和田ボランティアガイドの永谷裕久会長から「伝統文化とカーネーション」のテーマでお話を聞きました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="173" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120208-kisiwada-02.jpg" alt="20120208-kisiwada-02.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 102, 255);"><strong>《事実はドラマよりも&hellip;》</strong></span></p><p>　永谷会長はまず、カーネーションの裏話から紹介してくれました。撮影が行われているＮＨＫ大阪放送局（大阪市中央区）の収録現場もよく訪れるそうですが「スタジオセットを見るとテレビとどう違うかがよく分かる。出演の女優さんらの生の声の聞こえ臨場感がある」そうです。</p><p>　そして、コシノヒロコさんがモデルの長女とコシノジュンコさんがモデルの次女が、かばんを巡って激しいケンカをし、話題になったシーンについては「実は次女役の川崎亜沙美さんは女子プロレスラーでもあり、その力で引っ張ったためにカバンの革が裂けてしまった」と裏話を聞かせてくれました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="220" height="167" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120208-kisiwada-03.jpg" alt="20120208-kisiwada-03.jpg" /></span><p>　演技は大げさだったのかと思ったのですが「最近ヒロコさん本人に会ったので聞いてみると『もっとひどかった』と&hellip;。本当に、思いっきりケンカしていたようだ」とのこと。開いた口が塞がりませんが「ライバル心丸出し。でもこれが世界に羽ばたくバネになっていると思う」とか。恐れ入りました。</p><p>　ところでカーネーションという題名ですが「最近サブタイトルが花言葉になっている。最後はカーネーションの『母に対する思い』になるのかなと思う」そうです。主役が、尾野真千子さんから夏木マリさんに変わりましたが「尾野さんの年齢は３０歳。ところが長女役の新山千春さんも３０歳で、むしろ新山さんは結婚して子供もおり、ふだんは落ち着いた雰囲気。最後は９０歳代までいく老け役でもあり交替は仕方ないと思う」そうです。バトンタッチは最初から決まっていたそうで「昨年９月の岸和田の祭りに、コシノ３姉妹とともに夏木さんも来ていた」とか。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="190" height="138" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120208-kisiwada-04.jpg" alt="20120208-kisiwada-04.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 102, 255);"><strong>《岸和田と言えば&hellip;》</strong></span></p><p>　だんじりに関する話題も欠かせません。永谷会長はカーネーションでのシーンにも関連して「太平洋戦争中は女性が中心で曳いており、これが契機で女性も参加するようになったが、不文律として２０歳ぐらいになると引退する。しかし結婚して母親になると、子供の手を引いて走るようになる」と女性の参加状況を説明してくれました。</p><p>　岸和田には８２台のだんじりがあり、阪和線から海側の３５台は９月祭礼、山側の４７台は１０月祭礼で登場するそうです。「実はだんじりは大阪市内にも７１台あり、結構盛ん。大阪はだんじり文化で、元は天神祭で始まり岸和田まで伝わった」とか。そして「岸和田は&ldquo;やんちゃ&rdquo;というイメージがあると思うが普段はそんなことはない。祭りになると、安全のためもあり『下がれ』などと荒っぽい言葉を使うだけ」「１台が約１億円するが、走ると振動で壊れてくるため寿命は約１００年」などと紹介してくれました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="240" height="159" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120208-kisiwada-05.jpg" alt="20120208-kisiwada-05.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 102, 255);"><strong>《名園の風情にひたる》</strong></span></p><p>　お話の後は、名庭園の散策です。「五風荘」は昭和４年に着工、１０年の歳月をかけ完成したそうです。敷地面積は約２４００坪もあり、約２０００坪の回遊式庭園には３つの茶室などがあります。庭の中央には「ふくべ池」。ふくべとはヒョウタンのことでくびれた形をしています。池には中国・秦の時代に不老不死の薬を求めて旅をした「徐福伝説」にちなむ蓬莱島。近くの石が徐福の乗った船とされています。</p><p>　主屋近くには&ldquo;新名所&rdquo;の「栗山千明さん　腰かけの岩」。五風荘では、栗山さん演じる吉田奈津らのあこがれ・泰蔵兄ちゃんの結婚式のシーンが撮影され、その際に栗山さんが腰をかけたのがこの石とか。ちなみに五風荘は年中無休。撮影は営業前の午前６時から行われたそうです。</p><p>　茶室は「利庵」内に貴賓客用の「残月席」と親しい人を招く小さい「八窓席」があり、さらに京都・清水寺と同じ懸崖造りが特徴の「山亭」があります。池をわざわざ渡るための船着き場、八幡神をまつる「屋敷神」などもありますが、特筆は「十三石の塔」と呼ばれる石塔。文永元（１２６４）年建造とされ近江（滋賀県）の寺にあったものを信長が安土城に持ち去り、次いで秀吉が大坂城に運ぶなど転々とした塔で、本来なら重文クラスとか。ぜい沢さには驚きました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="170" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120208-kisiwada-06.jpg" alt="20120208-kisiwada-06.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 102, 255);"><strong>《昼食は特別御膳》</strong></span></p><p>　再び客殿に戻り、お待ちかねの昼食です。特別御膳の内容は、前菜盛り（牛肉しぐれ煮、ホウレン草のおひたし、タコとタケノコの煮物など）▽刺身（タイ、マグロ、ブリ）▽韃靼そば茶の豚しゃぶ▽天ぷら（エビや野菜）▽茶碗蒸し▽アサリの蒸し寿司▽赤だし－と豪華。寿司はおかわりができ、食後のデザートとコーヒーまで付きました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 102, 255);"><strong>《だんじり会館にも、あの『店』が&hellip;》</strong></span></p><p>　食後訪れたのは、おなじみの岸和田だんじり会館。ですが、今回は１階で、カーネーション番組展（３月３１日までの予定）が開かれていました。目玉は大正時代の「小原呉服店」のスタジオセット。２階部分が再現され、窓を開けて身を乗り出せば&ldquo;だんじりを見るコシノ一家&rdquo;ごっこが可能。出演者のサイン、番組の様子がわかるパネルなども展示されていました。</p><p>　だんじり会館の後は、岸和田城、駅前商店街にあり綾子さんの店をリニューアルした「洋装コシノ」ギャラリーなども探訪、充実した１日となりました。</p>]]>
        
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    <title>「洛中　ご利益めぐり　ウオーク」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-09T06:07:16Z</published>
    <updated>2012-03-09T06:24:32Z</updated>

    <summary><![CDATA[　縁結びから金運上昇、商売繁盛、長寿、そして、縁切りまで&hellip;。京都をめぐる歴史探訪「洛中　ご利益めぐり　ウオーク」（ウェーブ産経主催）が１月２６日と３１日に京都市内で開催されました。初回の２６日は雪がちらつく寒さの中、３５人の会員が参加し、２班に分かれて歩きました。　...]]></summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="230" height="200" alt="20120126-goriyaku-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120126-goriyaku-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　縁結びから金運上昇、商売繁盛、長寿、そして、縁切りまで&hellip;。京都をめぐる歴史探訪「洛中　ご利益めぐり　ウオーク」（ウェーブ産経主催）が１月２６日と３１日に京都市内で開催されました。初回の２６日は雪がちらつく寒さの中、３５人の会員が参加し、２班に分かれて歩きました。<br /><br />　京都の旅行企画などを手がける「<a href="http://www.rakutabi.com/">らくたび</a>」（京都市下京区）の観光ガイドで京都検定１級合格、坂田肇さんの案内で地下鉄二条城前駅から出発。まず南へ向かい、神泉苑（しんせんえん）を訪れました。</p><p>　神泉苑の池にはアヒルが住み、そのアヒルが境内をうろうろ歩き、のどかな空気が流れていました。平安京の南東にあり、池や石は平安京ができた当時のままの状態で残されているそうです。この池で平安時代に貴族が船遊びをしたと聞くと、１２００年の歴史を感じます。</p><p>　弘法大師、空海が雨ごいをしたことでも知られ、源義経が静御前を見初めた場所とも伝えられています。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="140" height="227" alt="20120126-goriyaku-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120126-goriyaku-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　日本で唯一の恵方社もあります。恵方とは、恵方巻きで知られるようになりましたが、干支によって定められる縁起の良い方角のことです。毎年、大みそかの夜に翌年の恵方の方角にほこらの向きを変え、今年は北北西に向いています。</p><p>　神泉苑には善女龍王という龍神が住むとされています。今年の干支、辰にちなんで、１年の健康と開運を祈願しました。<br /><br />　さらに南へ向かい、坂本龍馬とお龍の縁結びで知られる武信稲荷神社（たけのぶいなりじんじゃ）へ。高さ２３メートル、樹齢８５０年の榎が神木で、京都市の天然記念物でもあります。</p><p>　この榎に触った手で、体の悪いところをなでると、よくなるそうです。早速、参加者は自分の腰や足をなでなでしていました。また、榎は「えんのき」とも読まれることから、縁結びにご利益があると言われています。<br /><br />　かつて神社の南には六角獄舎があり、お龍の父が勤王家の医師であったため、とらわれていました。龍馬とお龍もたびたび訪れていたそうです。</p><p>　龍馬自身も追われる身であったため榎の幹に「龍」と彫り、この伝言を見たお龍と再会することができたと言われています。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="240" height="163" alt="20120126-goriyaku-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120126-goriyaku-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　続いて、東へ向かい、北側にある御金神社（みかねじんじゃ）＝写真右＝へ寄り道。全国でも珍しい「お金」にまつわる神社だけに、楽しみにしていた人も多かったのではないでしょうか。</p><p>　イチョウの神木が龍に見えると最近、話題になったそうです。もちろん、皆さん、金運上昇を祈願したことでしょう。</p><p>　さらに東へ向かい、午前中の最後に訪れたのが、「縁結びの柳」で知られる六角堂（ろっかくどう）。本堂が六角形であることから六角堂と言われていますが、隣のビルのエレベーターから見下ろすと、本当に六角形に見えました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="220" height="193" alt="20120126-goriyaku-04.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120126-goriyaku-04.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　実は、この縁結びの柳、２本の枝を１つのおみくじで結ばなければならないそうです。１本の枝に結ぶと、ご利益を得られないかも&hellip;。３本の枝を結んでしまったら、ひょっとして、三角関係に？</p><p>　境内には、かつて京都の中心地だったことを示す「へそ石」もあります。<br /><br />　昼食は六角堂から東へ１００メートルほどのところにある「にしむら」へ。かつて呉服屋だった町屋を改装した京料理の店です。風情のある部屋で、特製の昼膳をいただき、ワカサギの天ぷらや牛肉の朴歯みそ焼きなどを味わいました。</p><p>　おなかがいっぱいになったところで、ウオークを再開。北へ、再び東へ、さらに北へ向かい、大福寺を訪れました。「大福」という縁起のいい寺の名前から商人が商売繁盛を願い、宝印をもらったことが「大福帳」の由来になったそうです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="240" height="167" alt="20120126-goriyaku-05.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120126-goriyaku-05.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　続いて、東へ向かいながら少し北に寄り道して、革堂（こうどう）こと、行願寺（ぎょうがんじ）＝写真右＝へ。こちらは京都の七福神めぐり「都七福神」の札所のひとつ。長寿の神様、寿老神に長寿を祈願しました。</p><p>　最後に訪れた法雲寺は、縁切りのご利益で知られます。小野小町を愛した深草少将が百夜通いを続けたときに腰掛けたと伝えられる石がご神体で、あと一夜で思いを果たせず、亡くなった深草少将の無念が、男女の縁を切るそうです。</p><p>　縁切りとは、ちょっと怖い響きですが、悪縁を切りたい人には、ご利益があるかもしれませんね&hellip;。</p>]]>
        
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    <title>初春文楽公演鑑賞会「人形遣い、桐竹勘十郎さんが文楽の魅力語る」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-07T00:54:19Z</published>
    <updated>2012-03-07T01:16:59Z</updated>

    <summary>　初春文楽公演鑑賞会「人形遣い、桐竹勘十郎さんが文楽の魅力語る」（ウェーブ産経主催）が１月２０日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開催されました。初春公演を上演していた同劇場に約１１０人の会員が集まりました。　開演前に同劇場小ホールで人形遣いの桐竹勘十郎さんが文楽の楽しみ方や魅力につ...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="275" width="200" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120120-bunraku-01.JPG" alt="20120120-bunraku-01.JPG" /></span><p>　初春文楽公演鑑賞会「人形遣い、桐竹勘十郎さんが文楽の魅力語る」（ウェーブ産経主催）が１月２０日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開催されました。初春公演を上演していた同劇場に約１１０人の会員が集まりました。</p><p>　開演前に同劇場小ホールで人形遣いの桐竹勘十郎さんが文楽の楽しみ方や魅力について話しました。</p><p>　勘十郎さんの父は人間国宝の人形遣い、二世桐竹勘十郎さんで、姉は女優の三林京子さん。勘十郎さんは昭和４２年に文楽協会人形部研修生になり、三世吉田簑助さんに入門。吉田簑太郎を名乗り、平成１５年、父の名跡を継いで、三世桐竹勘十郎を襲名しました。２０年には紫綬褒章を受章しています。ウェーブ産経の設立１０周年を記念して、今回、特別に出演していただきました。</p><p>　勘十郎さんは、まず「人形は古くからあります。平安時代くらい、千年ほど前から人形を使った芸能がありました」と解説。また、いまでは３人で１体の人形を操る文楽ですが、昔は「１人使い」だったことも説明しました。</p><p>　そして、実際に歩いてみせ、「普通に歩く、これがなかなか難しい。嘘やと思ったら、やっていただいて結構です」と笑わせました。なぜ難しいかというと、緊張すると、動きがぎこちなくなり、余分な力が、すべて人形に出てしまうからだそうです。</p><p>　町人や侍の動き方の違いなども見せ、人形が投げられて、飛ばされる動きには「うわー」と歓声があがりました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="218" width="250" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120120-bunraku-02.JPG" alt="20120120-bunraku-02.JPG" /></span><p>　人形は普段、ばらばらだそうです。顔の部分は「かしら」といい、檜でできているそうです。何年も水に浸して、脂分を落として、何年も乾かして作るというから大変です。</p><p>　人形の下の部分を持ちますが、中指がかかっているところに一番大切な仕掛けがあり、もし切れると、続けられないそうで、「たまに切れます。心臓が止まりそうになります」という言葉に客席からは笑いが漏れました。</p><p>　また、顔の表情の変化も見せてくれましたが、「むやみに使いません。ここ一番というときに使うと、効果的」と説明してくれました。</p><p>　舞台で履くげたは、音がしないように、適度に滑るようにワラジが付いているそうで、「お店には売ってません」と笑わせてくれました。</p><p>　人形を３人で使う様子も見せてくれました。つまずくときのしぐさには「あー」と関心する声があがりました。「ほほほほほ」と笑うしぐさや、恥ずかしがる様子、泣く姿など、まるで生きているような人形の動きに参加者も見とれてしまいました。</p><p>　最後に人形が「どうもありがとうございました」とあいさつ。勘十郎さんは「これが２８０年ほど前に大阪で考え出された３人使い。ああいう風に遣ってんねんなと楽しみながら舞台をごらんいただければ」としめくくりました。</p><p>　その後、第１部を同劇場の１等席で鑑賞。演目は、名作「義経千本桜」と、夫婦の絆と愛情をテーマにした正月らしいハッピーエンドの物語「壺坂観音霊験記」。華やかな初春公演を楽しみました。</p>]]>
        
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    <title>アフタヌーン健康サロン＜第４回＞「健康長寿は未病対策から」を開催しました</title>
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    <published>2012-03-05T05:40:00Z</published>
    <updated>2012-03-05T05:40:59Z</updated>

    <summary>　「未病」対策をテーマとして、ウェーブ産経とキリン堂が開催しているアフタヌーン健康サロン。その第４回講座が２月７日、大阪市北区の新阪急ホテルで開かれました。今回は「健康長寿は未病対策から～気血水を正して未病を治（ぢ）す～」としてキリン堂未病医療サポート室室長で薬剤師の杉本幸枝さん...</summary>
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    <category term="キリン堂" label="キリン堂" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="260" height="180" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120207-kirin-01.jpg" alt="20120207-kirin-01.jpg" /></span><p>　「未病」対策をテーマとして、ウェーブ産経とキリン堂が開催しているアフタヌーン健康サロン。その第４回講座が２月７日、大阪市北区の新阪急ホテルで開かれました。今回は「健康長寿は未病対策から～気血水を正して未病を治（ぢ）す～」としてキリン堂未病医療サポート室室長で薬剤師の杉本幸枝さんが講演。参加した会員約９０人が「気（生命エネルギー）を正すことこそ未病を治す最善策」などと強調する杉本さんの言葉に耳を傾け、対策の呼吸法や体操などにも取り組みました。</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>　</strong></span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="130" height="178" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120207-kirin-02.jpg" alt="20120207-kirin-02.jpg" /></span><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《気血水とは》</strong></span></p><p>　このサロンでも何度か紹介され、漢方医学では重要な考え方である「気血水」についての復習から始まりました。まず『気』ですが「これは生命エネルギー。身体の活動を制御するもので一番重要」だそうです。『血』は、血液や胆汁なども含み「体を巡り栄養を与える、色のついた液体」。『水』は「体を潤し栄養を与える無色の液体。リンパ液や消化液なども含まれる」とのことです。健康とは「気血水が過不足なく流れている状態。流れが滞ったりすると未病になる」そうです。</p><p>　『気』の異常は▽気鬱（うつ）＝気はあるがうまく流れていない。症状は胸が苦しい、のどのつかえ感、無気力▽気逆＝気の流れが正常とは逆。発作性頭痛、動悸、のぼせ▽気虚＝気が不足。疲れやすい、食欲不振、だるさ－となります。『血』は▽<span class="st">瘀</span>血（おけつ）＝小さな血管が詰まる状態。眼輪部の色素沈着、月経障害・肩こり、冷えのぼせ、唇の暗赤化▽血虚＝血が足りない。顔面蒼白、貧血、集中力低下など。『水』は▽水毒＝たちくらみ、頭重感、めまい・むくみなど。各症状に対し、それぞれ有効な漢方薬剤があるとのことです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="250" height="183" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120207-kirin-03.jpg" alt="20120207-kirin-03.jpg" /></span><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>　《実証、虚証とは》</strong></span></p><p>　ここで、チェックシートを使った体質のチェック。Ａ～Ｈの８つのタイプがあり、▽Ａ脾虚＝気が不足し疲れやすく免疫力も弱い▽Ｂ腎陽虚＝冷えが強く活力の貯金が少ない▽Ｃ血虚＝血色が悪く栄養が全身に届かない▽Ｄ陰虚＝体が乾燥し元気が持続しない▽Ｅ気滞＝気の流れが悪くすぐイライラする▽Ｆ湿熱＝暑がりで汗っかき。肥満になりやすい▽Ｇ血<span class="st">瘀</span>＝血が滞り黒ずみや塊ができやすい▽Ｈ湿痰＝水が多くて寒がりで暑がり。むくみやすい－に分かれます。</p><p>　このうちＡ～Ｄが多いと『虚証』、Ｅ～Ｈが多いと『実証』と言うそうです。そして、病気と戦う力があり栄養などが過剰なら『実証』、戦う力がないのなら『虚証』とされます。なぜ分けるのかと言うと「漢方では同じ症状でも、体力の有無などによって使う薬が違ってくるから」。これを【同病異治】と言います。</p><p>　例えば「頻尿」では、実証から虚証へ向けて、竜胆瀉肝湯▽五淋散▽猪苓湯▽当帰芍薬散▽八味地黄丸▽小建中湯－の順番となります。一番良く使われる中間症向けは「猪苓湯」や「当帰芍薬散」。有名な「八味地黄丸」は虚証に近い人向けで、誰が飲んでも良いという訳ではないそうです。近年では個人で漢方薬を使うことも多くなり、一昨年から効能・効果のところに「実証・虚証」を『しばり表現』で掲載しているそうです。つまり、「体力充実した人の&hellip;」「体力中等度以下の人の&hellip;」などと書いてあるのがそれで、気をつけなければならないポイントでしょう。</p><p>　また、漢方には【異病同治】という言葉も。これは同じ薬が別の症状にも効くということで、例えば子供の「疳（かん）の虫」に効く「抑肝散」の場合、認知症の人の周辺症状（はいかい、暴力など）改善や介護者のストレス軽減に効果があるとか。漢方薬ならではの興味深い話でした。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="240" height="149" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120207-kirin-04.jpg" alt="20120207-kirin-04.jpg" /></span><p><span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>　《気を正して治未病》</strong></span></p><p>　ところで、体を制御するために重要な『気』を正すにはどうすればよいのでしょう。杉本さんは「食事や呼吸、運動、睡眠からもたらされる『後天の気』はコントロールできる」とし、心と身体は分けることができず、一体化しているとする『心身一如』の考え方を示しました。</p><p>　その上で、へそ下３寸（約９センチ）にある丹田を意識して腹式呼吸を行う「丹田呼吸法」を紹介し、全員で実践。「気を正すツボ」として、頭頂部にある「百会」やコメカミの「太陽」、親指と人差し指の付け根にある「合谷」などを教えてくれました。</p><p>　最後に、朝食をしっかりとるなど「気を正す食事」や、自然治癒力を高める高麗人参やプラセンタエキスの効能を紹介。「人は自然の一部で、環境から大きな影響を受ける存在。自然との調和を大切にする『天人相応』の考えを意識して、未病の克服を」と呼びかけました。</p>]]>
        
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    <title>大阪城・エッゲンベルグ城友好城郭提携３周年記念「日欧のサムライたち―オーストリアと日本の武器武具展」</title>
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    <published>2012-03-02T23:00:00Z</published>
    <updated>2012-03-02T07:59:28Z</updated>

    <summary><![CDATA[　３月２４日（土）から５月６日（日）まで、大阪市中央区の大阪歴史博物館６階特別展示室で開催。「豊臣期大坂図屏風」の発見が&rdquo;縁&rdquo;で両城郭が友好提携して３周年にちなみ開催。エッゲンベルグ城のあるオーストリア・シュタイヤーマルク州立博物館などに所蔵される神聖ロー...]]></summary>
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        <category term="関連行事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>　３月２４日（土）から５月６日（日）まで、大阪市中央区の大阪歴史博物館６階特別展示室で開催。「豊臣期大坂図屏風」の発見が&rdquo;縁&rdquo;で両城郭が友好提携して３周年にちなみ開催。エッゲンベルグ城のあるオーストリア・シュタイヤーマルク州立博物館などに所蔵される神聖ローマ帝国時代の武器や武具、当時の様子を伝える版画などを４６点展示する。</p><p>　また、大阪城が所蔵する合戦図屏風や武器武具も紹介し、東西の歴史文化や戦闘方法などを比較する。</p><p>　特別展の観覧料は大人千円（常設展との共通券１５００円）、高校・大学生７００円（同１０３０円）。</p><p>◆問い合わせは大阪歴史博物館（☎０６・６９４６・５７２８）。</p><p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>【ミニニュース】黄金のまち堺から聖山高野山へ～観光ボランティアガイドとテクテク十三里</title>
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    <published>2012-03-01T04:55:26Z</published>
    <updated>2012-03-01T05:22:40Z</updated>

    <summary>　2月26日（日）、西高野街道を歩く「黄金のまち堺から聖山高野山へ」（高野街道にぎわい再発見プロジェクト実行委員会主催）の第1回ウオークが開催されました。参加者約200人は堺市役所前広場に集合し、観光ガイドの説明を聞きながら、寒風の中荻原天神までの約８kmを歩きました。&amp;nbsp...</summary>
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        <name>ウェーブ産経大阪事務局</name>
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        <category term="大阪を学ぼ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px; width: 190px; height: 138px" height="148" alt="0071.JPG" width="200" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/0071.JPG" /></span>　2月26日（日）、西高野街道を歩く「黄金のまち堺から聖山高野山へ」（高野街道にぎわい再発見プロジェクト実行委員会主催）の第1回ウオークが開催されました。参加者約200人は堺市役所前広場に集合し、観光ガイドの説明を聞きながら、寒風の中荻原天神までの約８kmを歩きました。</p><p>&nbsp;</p><p>　まず、市役所前の交差点を渡ると、百舌鳥古墳群への道案内の石碑である道標「履<img class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0px 20px 20px 0px; width: 119px; height: 200px" height="212" alt="0121.JPG" width="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/0121.JPG" />中・仁徳・反正天皇陵御陵道」があり、道標に沿って歩くと、慶安元年（1648）に僧夢幻永海が願主となり建立された榎宝篋印塔を目にし、この道が信仰への道であることを実感しました。その先に「高野山女人堂江十三里」と刻まれた、高野<img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px; width: 126px; height: 206px" height="211" alt="0141.JPG" width="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/0141.JPG" />山女人堂まで約５２ｋｍの最初の里石「十三里石」を発見。石碑の隣には「太子講地蔵堂」もあり、この付近（堺市榎元町）が竹内街道と西高野街道の分岐点になっていたことが偲ばれました。</p><p>　ここから大阪中央環状線に架かる榎歩道橋を渡り仁徳天皇陵へ。この歩道橋からは、前方に仁徳天皇陵のほか、履中天皇陵、後ろを振り返ると反正天皇陵の姿を見ることができます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　仁徳天皇陵に沿って少し国道沿いを歩き、第1チェックポイントに到着し、その後左手に三国が丘駅を見て国道３<img class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0px 20px 20px 0px; width: 154px; height: 104px" height="153" alt="0301.JPG" width="200" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/0301.JPG" />１０号線を進むと梅北交差点です。ここを左に入り、家の中に地蔵堂があるような古い街並みを歩き、戦国武将として名高い筒井順慶を祖先に持つ名家・筒井家に到着。門前にある「百舌鳥のくす」(大阪府指定天然記念物の筒井家の楠)にびっくり。幹周は、１０．１m、樹高は１３m、樹齢は推定８００～１０００年といわれ、霊験あらたかなご神木として崇められたそうです。<img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px; width: 193px; height: 134px" height="147" alt="0341.JPG" width="200" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/0341.JPG" /></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　少し歩くと第2チェックポイントのある大阪府立大学、ここで昼食休憩。午後は泉北高速鉄道のガード下をくぐって、野尻町を超えたあたりから、旧家がちらほら目に<img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px; width: 120px; height: 188px" height="213" alt="0531.JPG" width="133" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/0531.JPG" />つく静かな街並みを歩きました。関茶屋という地名は旅人が立ち寄る茶屋があったことが由来とか、路傍にも地蔵堂などが多く見られて、昔ながらの街道筋の雰囲気が色濃く残っていました。道々のお地蔵さんに挨拶しながら歩いて行くと十二里石を発見です。途中、出雲大社大阪分祠にも参拝しました。ここは、悪因縁を切り良縁を結ぶ神様として、近隣の方々からは「初芝さん」と呼ばれ親しまれているそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　ベコニア公園内にある日置荘西町窯跡群の説明を聞き、今日の最終目的地である萩原天神に到着しました。梅がちらほら咲く境内を歩き、宮司さんの案内で宝物館も特別に拝観できました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>■第２回は北野田駅から野田城址、十一里、狭山池などを巡るウオークを４月８日（日）に開催。（北野田駅集合～大阪狭山市駅　約７km）参加費：無料　受付午前９時半より（１０時スタート）</p><p>・申し込みは往復はがきに代表者の住所・氏名・年齢・電話番号・同行者人数を記入のうえ</p><p>　　　　　　　　　　　　NPO法人堺観光ボランティア協会まで（〒590-0077　堺市堺区中瓦町2-3-24）</p><p>・申込み締切日３月１５日（火）必着</p><p>・お問い合わせは℡.072-233-0531</p>]]>
        
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    <title>「いずみホール　たのしっくクラシック♪」難病を克服、さらなる境地に達したリートデュオ 「日本のうた　～白井光子＆ハルトムート・ヘル」</title>
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    <published>2012-02-27T04:17:19Z</published>
    <updated>2012-02-29T07:59:49Z</updated>

    <summary>　３月１６日の「日本のうた」の演奏曲目がすべて決まりました。　演奏は、メゾ・ソプラノの白井光子さんとピアニストのハルトムート・ヘルさん。二人は、歌手と伴奏ピアニストという形に飽き足らず、歌とピアノの二重奏というべき「リートデュオ」として、多くのコンクールで優勝を重ね、ヨーロッパで...</summary>
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        <category term="コラム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="いずみホール" label="いずみホール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<p>　３月１６日の「日本のうた」の演奏曲目がすべて決まりました。</p><p>　演奏は、メゾ・ソプラノの白井光子さんとピアニストのハルトムート・ヘルさん。二人は、歌手と伴奏ピアニストという形に飽き足らず、歌とピアノの二重奏というべき「リートデュオ」として、多くのコンクールで優勝を重ね、ヨーロッパで確固たる地位を築きました。</p><p>　日本で生まれ育った白井さんは、ドイツ人以上のドイツ語で歌うといわれます。詩を深く理解し、正確で柔らかな発音で語るように歌う。そこに、ヘルさんのピアノが温かな共感をもって寄り添います。</p><p>　白井さんは２００６年にギラン・バレー症候群にかかり、身体の自由が全く利かなくなりました。まばたきしかできない状態から、やっと回復の兆しが見えたとき、歌えるようになるかどうか医師に尋ねたそうです。</p><p>　リハビリを繰り返し２００８年ステージに復帰、欧州各地でコンサートや公開レッスンを行うようになりました。</p><p>　ひとつひとつのことばをたいせつに歌う白井さんとヘルさん、ドイツ歌曲を一筋に極めてきた二人が、今の日本の人々のためにおくるコンサートです。</p><p>◆「日本のうた」 ３月１６日（金）午後７時いずみホール（大阪市中央区）</p> <p>出演／白井光子（メゾ・ソプラノ）、ハルトムート・ヘル（ピアノ）</p> <blockquote> <p>曲目／木菟（三好達治・作詞／中田喜直・作曲）ほおずき　（萩原朔太郎・作詞／三善　晃・作曲）少年（三好達治・作詞／諸井三郎・作曲）追分（北原白秋・作詞／平井康三郎・作曲）さくら横ちょう（加藤周一・作詞／中田喜直・作曲）たあんき　ぽーんき（山村暮鳥・作詞／中田喜直・作曲）雪女（北原白秋・作詞／團　伊玖磨・作曲）しぐれに寄する抒情（佐藤春夫・作詞／大中　恩・作曲）中国地方の子守歌（岡山県民謡／作詞不詳／作曲不詳／山田耕筰・編曲）花季（大木　実・作詞／團　伊玖磨・作曲）ちびつぐみ（北原白秋・作詞／平井康三郎・作曲）おまつりはどこ　（岸田衿子・作詞／中田喜直・作曲）ねむの木（野口雨情・作詞／中田喜直・作曲）冬の日（冬木京介・作詞／石桁真礼生・作曲）曼珠沙華（北原白秋・作詞／山田耕筰・作曲）山は雪かよ（北原白秋・作詞／平井康三郎・作曲）野の羊（大木惇夫・作詞／服部　正・作曲）鐘が鳴ります（北原白秋・作詞／山田耕筰・作曲）五月　（萩原朔太郎・作詞／三善　晃・作曲）村祭（堀内幸枝・作詞／中田喜直・作曲）烏（小川未明・作詞／中田喜直・作曲）さくら横ちょう（加藤周一・作詞／別宮貞雄・作曲）からたちの花（北原白秋・作詞／山田耕筰・作曲）＊事前に発表いたしました一部の曲目から、多少の変更がございます。</p> </blockquote> <p>料金／定価４０００円<br /> <br /> ◆ウェーブ会員の皆さんには優待価格（３６００円）でご案内しています。</p> <p style="text-align: center;"><a href="https://atform.ktvs.co.jp/f/fuenQX5bO0P2kUVC/form.cgi"><strong>ウェーブ会員ののお申し込みはこちら</strong></a></p> <p style="text-align: right;">（いずみホール　石田富美子）</p> <blockquote> <p>《石田富美子さんのプロフィル》<br /> 事業局営業部副長。平成元年の開設準備当時から現在まで、いずみホールを見守ってきた。小鼓をたしなむ&ldquo;キャリアウーマン&rdquo;。　いずみホールホームページは<a href="http://www.izumihall.co.jp/">こちら</a></p> </blockquote>]]>
        
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    <title>道頓堀体験　第１弾「演劇と演芸の街」を開催しました</title>
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    <published>2012-02-27T01:43:37Z</published>
    <updated>2012-02-27T03:05:50Z</updated>

    <summary><![CDATA[　江戸時代初期に水路が開削され周辺に芝居小屋などが設けられたことから、有数の歓楽街として発展した道頓堀界隈。今では大阪市の&ldquo;顔&rdquo;になったこの一帯を巡り、芝居文化を継承する大衆演劇を楽しむウェーブ産経のイベント「演劇と演芸の街　道頓堀体験」が１月２３～２６日...]]></summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="イベントレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <category term="大衆演劇" label="大衆演劇" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="道頓堀" label="道頓堀" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="道頓堀ＺＡＺＡ" label="道頓堀ＺＡＺＡ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="238" height="160" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120123-dotonbori-01.jpg" alt="20120123-dotonbori-01.jpg" /></span><p>　江戸時代初期に水路が開削され周辺に芝居小屋などが設けられたことから、有数の歓楽街として発展した道頓堀界隈。今では大阪市の&ldquo;顔&rdquo;になったこの一帯を巡り、芝居文化を継承する大衆演劇を楽しむウェーブ産経のイベント「演劇と演芸の街　道頓堀体験」が１月２３～２６日、同市中央区の「中座くいだおれビル」などで開かれました。３日間の開催で会員計約７０人が参加し、道頓堀名物のうどんにも舌鼓をうつなど&ldquo;コテコテの大阪&rdquo;を堪能しました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="208" height="137" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120123-dotonbori-02.jpg" alt="20120123-dotonbori-02.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《道頓堀の歴史を学ぶ》</strong></span></p><p>　中座くいだおれビルと言えば、０８年に飲食店「くいだおれ」が閉店した後、名前を継ぎ、看板スターだった「くいだおれ太郎」を引き取ったビル。店頭には縞々シャツにトンガリ帽子でおなじみの太郎君が鎮座しています。お好み焼きや串カツなど、大阪を代表するグルメや土産物店、カフェなどがあるビルですが、会場は、地下にある演劇場「道頓堀ＺＡＺＡ」。まずは、関西大学大阪都市遺産研究センターが作ったＣＧ映像作品「道頓堀五座の風景」を観賞、道頓堀の歴史を学びました。</p><p>　道頓堀は慶長１７（１６１２）年、東横堀川と西横堀川の汚濁を解消するために成安道頓（安井道頓）らが私財を投じて起工、元和元（１６１５）年に完成したそうです。当初は新川と呼ばれていましたが、道頓が大坂夏の陣で死去し、これを悼んで大坂城主の松平忠明が「道頓堀」と命名したとか。沿岸開発で芝居小屋が移転された後、次々と芝居小屋が建ち並ぶようになり、江戸時代の最盛期には計１２座に。天保の改革令で５座に減らされたものの、筋向かいの川側には芝居茶屋も並び、芝居街として繁栄したそうです。</p><p>　明治～大正時代の「道頓堀五座」とは、浪花座▽中座▽角座▽弁天座▽朝日座－です。ＣＧ映像では「大阪松竹座」＝大正１２（１９２３）年完成＝ができる前の「五座」がある街並を再現。和式の豪壮な芝居小屋、役者名や演目を書いて掲げられた巨大な旗など、今では見ることができない光景を目の当たりにすることができました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="138" height="213" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120123-dotonbori-03.jpg" alt="20120123-dotonbori-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《「浮世小路」から「法善寺横丁」へ》</strong></span></p><p>　続いて街並の散策。最初はすぐ近くにある&ldquo;秘密の抜け道&rdquo;「浮世小路」を歩きます。案内役は同小路を企画したイラストレーターでプロデューサーの吉里忠史さんです。</p><p>　わずかに幅約１・２メートル、長さ約４８メートルという、建物に挟まれた路地裏の浮世小路。ここにレトロムードの提灯が灯り、「夫婦善哉」の旧店や劇場の入り口なども再現されています。壁面のイラストには江戸から昭和初期にかけての界隈の様子が、独自のタッチで描かれています。お椀の船で難波の浦から京を目指したという一寸法師のおとぎ話にちなみ、「一寸法師大明神」をまつったミニ社までありました。</p><p>　&ldquo;タイムトンネル&rdquo;をくぐり抜けると、「法善寺横丁」はすぐそこです。石畳の路地に沿って料理店やバーなどが並びます。法善寺の水掛不動尊や金毘羅堂の辺りは、線香の香りが絶えません。「夫婦善哉」の店舗もあります。周囲の喧噪からは隔絶された、昔ながらの浪花を伝えるディープスポット、というところでしょうか。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="238" height="161" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120123-dotonbori-04.jpg" alt="20120123-dotonbori-04.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《名物きつねうどん》</strong></span></p><p>　昼食は浮世小路隣の、うどんの名店「道頓堀今井」で。今井徹社長が「うちは江戸創業時は芝居小屋で戦前は楽器屋。うどん屋となったのは戦後で、家族経営で始めた。うどん屋のことなど分からず、祖母がカツオと昆布を大量に使って出汁（だし）をとったら旨いので、そのまま提供したら評判を集めた。材料を使いすぎとの指摘もあるが『出汁の今井』として頑張っている」と歴史を紹介してくれました。</p><p>　味わったのは「今井御膳」です。大あげが入った名物のきつねうどんと貝柱入り炊き込みご飯に加え、ブリの照焼▽だし巻き玉子▽セリの白和え▽小芋、レンコン、フキなどの煮物▽黒豆▽高野豆腐▽紅白かまぼこ－などがつく、バラエティ豊かな内容。自慢のうどんの出汁は、さすがに奥深い味わいです。さらにデザートとしてわらび餅まで付いて、みなさんも十分満足されたようでした。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="168" height="245" alt="20120123-dotonbori-06.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120123-dotonbori-06.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《笑いと人情、華麗に妖艶に》</strong></span></p><p>　再び「道頓堀ＺＡＺＡ」に戻り、お待ちかねの大衆演劇の鑑賞です。出演は藤間智太郎（ともたろう）座長率いる「藤間劇団」。初日（２３日）は、劇団「花組むらさき」の南條のぼる座長＝写真右＝らがゲスト出演していました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="408" height="180" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120123-dotonbori-05.jpg" alt="20120123-dotonbori-05.jpg" /></span><p>　最初の演目は芝居「河内の次郎長」です。次郎長が堕落した元弟分を立ち直らせるという話ですが、大阪らしく、笑いあり、ホロッとさせるシーンもありと楽しめる内容でした。芝居後は智太郎座長が「大阪には大衆演劇がたくさんあり、通天閣周辺には演芸場も数多い。ＺＡＺＡでも毎月色々な催しをやっているが、知らない人も多い。これを機に、これからもどうぞごひいきに」とあいさつしました。</p><p>　休憩をはさみ、後半は舞踊ショー。芝居でコミカルな演技を見せていた団員たちが、華麗な衣装をまとって次々登場します。あっと驚く&ldquo;華麗なる変身&rdquo;。智太郎座長や南條のぼる座長の女形姿の色っぽさに圧倒されたのはもちろん、驚いたのは、まだ１５歳という藤間歩君の&ldquo;色気&rdquo;。先輩たちの姿を身近に学んできたことが、いかに大きいかを伺わせます。熱心なファンが「おひねり」を次々渡すのも、さもありなん。大衆演劇の底力を見せられた気がしました。</p>]]>
        
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    <title>「第１回歴史まち再発見！貝塚　寺内町を巡る」を開催しました</title>
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    <published>2012-02-27T00:00:00Z</published>
    <updated>2012-03-14T04:21:17Z</updated>

    <summary>      　ウェーブ産経の「第１回歴史まち再発見！貝塚　寺内町を巡る」が２月１１日、貝塚市の願泉寺周辺で行われ、会員約８０人が参加しました。同寺の卜半了顕（ぼくはんりょうけん）住職、市郷土資料室の上畑治司さんらから同寺や寺内町の歴史をうかがい、貝塚観光ボランティアガイド協会のメ...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="248" height="223" alt="20120211-kaizuka-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120211-kaizuka-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　ウェーブ産経の「第１回歴史まち再発見！貝塚　寺内町を巡る」が２月１１日、貝塚市の願泉寺周辺で行われ、会員約８０人が参加しました。同寺の卜半了顕（ぼくはんりょうけん）住職、市郷土資料室の上畑治司さんらから同寺や寺内町の歴史をうかがい、貝塚観光ボランティアガイド協会のメンバーらの案内で昔懐かしい町家を散策しました。</p>
<p>　同寺の１７代目、卜半住職は「地元では願泉寺より私の苗字にちなんで『ぼっかんさん』と呼ばれています」とあいさつ。山門の両側のツバキは、同寺発祥の「卜半ツバキ」で、茶花として親しまれていることにも触れました。</p>
<p>　上畑さんは江戸時代初期、慶安元（１６４８）年の町絵地図を使い、同寺を中心に堀をめぐらせた南北８００メートル、東西５５０メートルの寺内町の成り立ちなどを解説しました。</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="228" height="184" alt="20120211-kaizuka-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120211-kaizuka-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
</span>
<p>　概略すると、同寺は天文１９（１５５０）年に本願寺・第１０代門主、証如（しょうにょ）から方便法身尊像（ほうべんほっしんそんぞう）を下付された浄土真宗の寺院。戦国時代の天正５（１５７７）年、織田信長が一向一揆衆の拠点、貝塚を攻撃しましたが、一揆衆は海路退散したため、同寺はほとんど被害を受けずにすみ、同１１（１５８３）年に第１１代門主、顕如（けんにょ）が和歌山・鷺ノ森から移り、２年間だけ本山・本願寺が置かれました。</p>
<p>　江戸時代初期、本願寺が東と西に分かれ、慶長１２（１６０７）年に、西本願寺の最初の門主、准如（じゅんにょ）から寺号「願泉寺」を下付されました。同１５（１６１０）年に徳川家康から寺内諸役免許の黒印状が発給され、以後、卜半家は貝塚寺内の地頭（領主）となり、明治４（１８７１）年まで支配しました。</p>
<p>　顕如が移動したきっかけは、信長の跡を継いだ豊臣秀吉の根来寺、雑賀衆を討つ、紀州攻めが迫ったためで、上畑さんは「石山本願寺の合戦で信長と和睦し、和歌山・鷺ノ森に退いていたが、秀吉と懇意にしていたため、居続けるのはまずいとの考えがあったのでしょう」と説明しました。</p>
<p>　本願寺が一時置かれ、下付された寺号から江戸時代から「貝塚御坊　願泉寺」と呼ばれるようになったが、最近の研究でそれ以前は、『海塚坊（かいづかぼう）』と呼ばれていたことが分かりました。</p>
<p>　「本願寺から与えられた掛け軸の裏書や梵鐘に『海塚』と書かれ、中世の本願寺の日記にも『海塚』の地名が見られます。絵地図にも『南海塚村』と記され、今の南海の貝塚駅あたりで、海塚（うみづか）と読まれていますが、当時は「かいづか」と読んでいたことから推測されます」と上畑さん。</p>
<p>　なぜ、家康が黒印状を与えたのか。諸説ありますが、上畑さんによると「大坂夏の陣のとき、願泉寺が家康を匿い、麦を炒った『水の粉（みずのこ）』、現在のはったい粉のようなものを、家康に差し上げて、大変喜ばれた」との言い伝えが残っているそうです。</p>
<p>　代々の将軍にも、暑中見舞いの贈答品として献上され、その礼状が願泉寺に伝わっているそうです。</p>
<p>　このほか、「名古屋、江戸、大阪、和歌山に屋敷を与えられ、今も和歌山城の近くに卜半町という地名が残っている」「将軍家の代替わりのときなど、大名たちは列を作って謁見したが、卜半家は単独で将軍に会ってもらえた」「寛永１３（１６３６）年、卜半家４代了周（りょうしゅう）が、徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺で剃髪得度（ていはつとくど）を受けた」など、小さな町の領主ながら卜半家の格の高さ、徳川家との深い関係がうかがわれる話がありました。</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="168" height="227" alt="20120211-kaizuka-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120211-kaizuka-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　卜半住職は「戦国時代、江戸時代、明治維新を通じて宗教自治都市、バチカン市国のようにたくましく生き残ったのかな」と感想をもらした。</p>
<p>　昼食は、地元の老舗料亭「深川」で「早春の泉州の彩『四季彩膳』」に舌鼓を打ちました。味はもちろんのこと、大阪産（もん）の泉だこをはじめ、ワタリガニ、エビイモ、水菜など泉州の新鮮な食材へのこだわりが感じられました。</p>
<p>　午後からは、ボランティアガイドの案内で、利齋家住宅、吉村家住宅など国の重要文化財に指定されている町家を巡りました。そのうち普段公開されていない利齋家住宅、吉村家住宅では、当主の方の好意で内部を見学することができました。</p>
<p>　最も古い住宅は利齋家のもので代々、薬種問屋を営み、ほぼ江戸時代を通じて町年寄役を務めていたそうです。住宅前の坂道は同家にちなんで「利齋坂」と呼ばれています。</p>

    <img width="228" height="194" alt="20120211-kaizuka-04.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120211-kaizuka-04.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　近代になって開業医をなされていて、主屋は診察室と待合室に使われていたそうです。部屋のかたわらに「のぼせ引下薬」の看板が掛けられていて、薬種問屋だったことがうかがえました。</p>
<p>　吉村家は江戸時代、油屋や両替商（金融業）を営んでいて、北前船によりさまざまな物資が貝塚にも運ばれたため、同家も繁栄したそうです。</p>
<p>　同家に伝わる文書「文政三年諸用記」によると、町年寄の格式を持っていていたといいます。</p>
<p>　このほか、外観だけですが、　代々卜半家の重臣で近代は貝塚町などの役人を輩出した並河家、卜半家の家来で江戸時代から古美術商に転じた山田家、江戸時代に廻船問屋を営んでいました廣海家など、各住宅を見て回りました。</p>]]>
        
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    <title>ロイヤル・ホースで歌声フォークを開催しました</title>
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    <published>2012-02-23T01:14:12Z</published>
    <updated>2012-02-23T07:20:44Z</updated>

    <summary>　関西有数の老舗ジャズライブハウスとして知られる「ロイヤル・ホース」（大阪市北区兎我野町）。この名店で、ちょっと異質な歌声フォークを楽しもうという、ウェーブ産経のイベントが１月２２日に開かれました。昼と夜の２回にわたって公演が行われ、「下園弘明＆フレンズ」が出演。参加した計約１６...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="290" height="189" alt="20120122-utagoe-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120122-utagoe-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　関西有数の老舗ジャズライブハウスとして知られる「ロイヤル・ホース」（大阪市北区兎我野町）。この名店で、ちょっと異質な歌声フォークを楽しもうという、ウェーブ産経のイベントが１月２２日に開かれました。昼と夜の２回にわたって公演が行われ、「下園弘明＆フレンズ」が出演。参加した計約１６０人の会員とともに、６０～７０年代の懐かしの曲を合唱し、大いに盛り上がりました。</p><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《ブルーノートの殿堂》</strong></span></p><p>　ロイヤル・ホースは昭和５２年の開業で、アート・ペッパー、レイ・ブラウン、サラ・ヴォーンら、ジャズ界の世界的なアーティストも出演してきた名門です。「ブルーノート」（ジャズ特有の音階）が染みついたこの&ldquo;聖地&rdquo;で、歌詞カードを見ながら歌声フォークを楽しむのは、これが初の試みとなりました。ライブハウスでもあるので、ワンドリンクにオードブルが付きます。アルコールも少し入り、なごんだ雰囲気で開演を待ちました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="230" height="165" alt="20120122-utagoe-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120122-utagoe-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《冒頭から爽やかに》</strong></span></p><p>　昼の公演は午後１時から始まりました。昨年還暦を迎えたのにまだまだ若々しい下園さんやギターの西口善之さんら、メンバーが登場しました。全員がダーク系のスーツ姿で、いつもより少しフォーマルな印象です。オープニングは「この広い野原いっぱい」（森山良子）。早速、大きな歌声が店内いっぱいに響き渡ります。</p><p>　「有名なジャズの老舗、ロイヤルホースということで、いつもとは雰囲気も違っています。こういう形でやるのは僕たちも初めて」と下園さん。勝手が違い緊張しているのかと思いましたが、２曲目に「風」（シューベルツ）を披露した後には「この時期のライブはリスキー。どこでどんな風邪（風）をもらうかも分からない」などと&ldquo;おやじギャグ&rdquo;も。ベテランに心配は無用のようです。</p><p>　遠い世界に（五つの赤い風船）▽結婚しようよ（吉田拓郎）－と続いた後、メンバーの紹介。次いで、白い色は恋人の色（ベッツィ＆クリス）▽イムジン河（ザ・フォーク・クルセーダーズ）▽あの素晴らしい愛をもう一度（加藤和彦＆北山修）▽神田川（かぐや姫）▽白いギター（チェリッシュ）－と、しっとりした曲が続きます。前半の最後は「友よ」（岡林信康）で締めくくりました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="150" height="221" alt="20120122-utagoe-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120122-utagoe-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《後半はより元気に》</strong></span></p><p>　休憩後の後半は、ミニコンサートでスタート。白い冬（ふきのとう）▽大空と大地の中で（松山千春）▽限りない夢（オリジナル）－の３曲を一気に歌い上げました。下園さんは、続く「なごり雪」（イルカ）の後には「１年１年、きれいになっていけばいいのですが&hellip;」と笑いを誘い、「翼をください」（赤い鳥）の前には、東日本大震災にも触れて「被災された人たちに元気を届けるためにも、ウェーブ産経の大合唱を」と呼びかけました。</p><p>　さらに、岬めぐり（山本コータロー＆ウィークエンド）▽心の旅（チューリップ）▽時代（中島みゆき）－を歌い、エンディングの「アリス」バージョンへ。君の瞳は１００００ボルト（堀内孝雄）▽今はもう誰も（アリス）▽冬の稲妻（同）－が次々と披露されました。会場のみなさんも両手を上げて拍手を送ります。アンコールでは、再び「あの素晴らしい愛をもう一度」が披露され、みなさんも懸命に声を張り上げていました。</p>]]>
        
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    <title>西宮市大谷記念美術館鑑賞と播半ゆかり立峰の松花堂弁当</title>
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    <published>2012-02-22T04:15:29Z</published>
    <updated>2012-02-22T04:28:07Z</updated>

    <summary>　近代の日本画、油彩画を鑑賞し、谷崎潤一郎の小説「細雪」に登場する料亭、播半（はりはん）ゆかりの料理を味わうイベント「西宮市大谷記念美術館鑑賞と播半ゆかり立峰（りっぽう）の松花堂弁当」（ウェーブ産経主催）が、１月１６日に兵庫県西宮市内で開催されました。初回のこの日は約３０人の会員...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="270" height="203" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120116-nishinomiyam-01.JPG" alt="20120116-nishinomiyam-01.JPG" /></span><p>　近代の日本画、油彩画を鑑賞し、谷崎潤一郎の小説「細雪」に登場する料亭、播半（はりはん）ゆかりの料理を味わうイベント「西宮市大谷記念美術館鑑賞と播半ゆかり立峰（りっぽう）の松花堂弁当」（ウェーブ産経主催）が、１月１６日に兵庫県西宮市内で開催されました。初回のこの日は約３０人の会員が参加しました。</p><p>　阪神香櫨園駅から南西へ６分ほど歩くと、閑静な住宅街にたたずむ同美術館が見えてきます。</p><p>　同美術館は昭和電極（現エスイーシー）の元社長、故大谷竹次郎さんから寄贈された土地と建物、美術品をもとに、そのコレクションを広く一般に公開するため昭和４７年に開館しました。日本近代洋画、近代日本画、フランス近代絵画を中心とした当初のコレクションに加えて、地元の作家や版画など、現在では、千点もの館蔵品を収蔵しているそうです。</p><p>　平成３年に増改築工事を行い、現在の建物が完成。７年に阪神大震災の被害を受け、避難所に使われるなど、一時、閉館しましたが、翌８年から事業を再開しました。</p><p>　ロビーに入ると、大きな窓の外に流れる滝が、目に飛び込んできます。そして、一面に水と緑が美しい庭園が広がります。</p><p>　参加者は、まず同美術館の和室「緑爽庵」で昼食をいただきました。この和室は、かつて大谷氏の寝室があった場所だそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="250" height="188" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120116-nishinomiyam-02.JPG" alt="20120116-nishinomiyam-02.JPG" /></span><p>　味わったのは同市内の料理店、立峰の松花堂弁当。この店は「細雪」に「芝居は鴈治郞、料理は播半かつるや」と描かれた播半の元料理長が開きました。かつて播半は、政財界の重鎮や文化人の交流の場としてにぎわい、「成功したら、一度は敷居をまたいでみたい」といわれた伝説の高級料亭でした。</p><p>　阪神大震災で大きな被害を受け、平成１７年に惜しまれながら閉店。その味が再現された立峰から取り寄せた弁当は、見た目も華やか。伝説の味を堪能することができました。</p><p>　昼食後は、２月１２日まで開催されていた展覧会「新春によせて」を鑑賞しました。同館のコレクションの中から近代の日本画と油彩画の計約６０点が「描かれた容姿」「花鳥と静物」「移ろう景色」の３つのテーマに分けて紹介されていました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="230" height="142" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120116-nishinomiyam-03.JPG" alt="20120116-nishinomiyam-03.JPG" /></span><p>　まずロビーに集まり、同美術館の理事で副館長、森田正樹さんから美術館の説明を受けた後、学芸員から解説を聞きました。</p><p>　この展覧会には、美人画で知られる上村松園の「蛍」も展示されていました。昭和１８年に描かれたもので、松園は２４年に亡くなったため、ほぼ晩年の作品といえます。</p><p>　松園は女性表現の中でも髪形、髷（まげ）について研究したそうで、蛍に描かれた女性のまげは「立兵庫（たてひょうご）」といわれる結い方だそうです。ただし、松園自身は、実は、髪形に頓着せず、長い髪の毛を簪（かんざし）ひとつでつるしていたという逸話に耳を傾けました。</p><p>　松園のほか、伊東深水、横山大観らの日本画、小磯良平や梅原龍三郎らの洋画を鑑賞。岡本太郎らの作品が展示してある庭園も散策し、新春を飾る優雅な時間を過ごしました。</p>]]>
        
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    <title>「サンスポデスクのプロ野球展望」を開催しました</title>
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    <published>2012-02-21T00:45:16Z</published>
    <updated>2012-02-21T00:58:23Z</updated>

    <summary>　今年のプロ野球は？、阪神はどうなる－。球界ウォッチャーからディープな話題を聞く、ウェーブ産経のスポーツサロン「サンスポデスクのプロ野球展望」が１月１７日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。会員約４０人が参加して、サンケイスポーツ編集局運動部の三木建次デスクの解説に耳...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="248" height="172" alt="20120117-sanspo-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120117-sanspo-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　今年のプロ野球は？、阪神はどうなる－。球界ウォッチャーからディープな話題を聞く、ウェーブ産経のスポーツサロン「サンスポデスクのプロ野球展望」が１月１７日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。会員約４０人が参加して、サンケイスポーツ編集局運動部の三木建次デスクの解説に耳を傾け、熱心に質問しました。<br /><br />　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《タイガース人生》</strong></span></p><p>　三木デスクの経歴ですが昭和６３年入社で、サンスポ、夕刊フジで勤務してきましたが、うち１４年ほどは阪神タイガースの担当。「暗黒時代にはじまり、星野、岡田、真弓の各監督にも取材してきた。&ldquo;生活がすべてタイガース&rdquo;状態。田舎から出てきた選手がますます天狗になったり、あるいは失敗してやけになったり&hellip;。本当にいろんな姿を見てきた」そうです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="120" height="167" alt="20120117-sanspo-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120117-sanspo-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　ちなみに、スポーツ記者にとって必要条件とはなんでしょう。それは&ldquo;女性を口説けなければならない&rdquo;ことだとか。「少なくとも女性と仲良くできるような人でなければできないということ。悪口を書いて怒られたり文句を言われたり。しかしその後、どのように仲直りできるかが大切だから」だそうです。</p><p>　ところでサンスポと言えばタイガースですが、三木さんは、この日付けの紙面で&ldquo;証拠&rdquo;を示しました。「昨日は浜崎あゆみさんの離婚報道があり、他紙はこのニュースが一面。ところが、大阪のサンスポは藤川球児選手の話題を一面にしている。実質は大した話ではないが、なぜか関西ではこちらの方が売れるから」とのことです。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《球界の出来事総括》</strong></span></p><p>　昨年の球界の総括。まずは一番影響があった「統一球」問題についてです。</p><p>　「統一球は西武の『おかわり君』（中村剛也選手）のように、リストが柔らかくボールを乗せて飛ばすタイプには問題なかったが、力で強引にもっていくバッターは影響を受けた。投手も今まで以上に変化球がよく曲がったようだ。しかし意識過剰で混乱した面もある。要は芯でとらえることが基本」だそうです。</p><p>　巨人内部でのゴタゴタは「清武ＧＭ（当時）の暴露は、サラリーマン的立場から言えば気持ちは分かる。が、相手は会長で、しかも日本シリーズ前。球界の最大行事をつぶしたのはいかがなものか。これで江川氏の球界復帰が遠のいたことも残念」としました。</p><p>　中日の落合監督がやめた件は「ナゴヤドームは一昨年も昨年もお客が入らなかった。年間席を企業に買ってもらうため、監督が頭を下げてという仕事があるが落合監督はオフの間、そういうことは一際せず、企業も買わないという状況だった。選手も慕っていたのは一部。年俸が高額なこともあり、成績とは関係なく切られた」とのことです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="268" height="200" alt="20120117-sanspo-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120117-sanspo-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《今年の阪神は？、和田新監督は？》</strong></span></p><p>　参加したみなさんにとって一番気になるテーマでしょう。が、三木さんは「他球団は戦力補強などで大きく動いたが、阪神は和田監督に変わっただけ」。事実とは言え、突き放されたような気分です。</p><p>　その和田新監督ですが「線が細く、頭は切れるが軟弱系－と見ている人が多いが、意外と熱くて芯がある」そうです。「記事に対しても理路整然と違いを指摘してくる。真弓監督は全く何も言わないし、審判にも抗議しなかった。やはり抗議してくれると選手も熱さを感じる。コメントを聞いても、和田監督は思っている以上に熱くなれるのでは」とのことです。</p><p>　そして「データを重視するタイプ。打撃コーチの時も、ブラゼルや鳥谷、金本らの選手にワンポイントでアドバイスし、評価されていた。選手と監督の距離は一気に縮まりそうだ」といいます。少しは光明が見えてきました。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《戦力と順位予想》</strong></span></p><p>　阪神の戦力ですが「プラスと言えるのはドラフト１位で慶応大学から入った伊藤選手だけ」だそうです。その伊藤選手ですが「将来の事を考えたら、八番でいいから使って欲しい」。金本選手は「右肩の状態もいい感じ。今年、最後の一花を咲かせてくれるだろう。全盛期の力はないが、新井選手よりは四番にふさわしい」としました。</p><p>　また城島選手は「ケガのなおりがあまりよくない。今年どれだけ座れるかは微妙。性格もいいし、投手からも信頼されているが、バクダンも抱えている。和田監督が一塁コンバートを示唆するのも、あながちリップサービスだけではない」とのことです。</p><p>　投手陣は「榎田投手の使い方がポイント。昨年は中継ぎで活躍したが、将来構想では先発候補。少ない先発陣を補うことができる」とのことです。</p><p>　セリーグの順位予想は、阪神担当キャップが１位＝ヤクルト▽２位＝阪神▽３位＝巨人。三木さんは１位＝巨人▽２位＝ヤクルト▽３位＝阪神－だそうです。またパリーグは「トレードやＦＡなどでの移籍が影響し、西武、オリックスの２強になるのでは。特に、岡田オリックスには頑張ってほしい」そうです。</p><blockquote><p>　<span style="color: rgb(0, 128, 128);"><span style="font-size: 120%;"><strong>《Ｑ＆Ａ》</strong></span></span></p><p>　参加者の質問に三木さんが答えました。</p><p>　<strong>Ｑ－マートン選手はメジャーに帰ると言われたが、なぜ残ったのか。鳥谷選手の動向は？。</strong></p><p>　Ａ－マートン選手自身は帰りたかったが、バッターは日本で活躍しても評価は低く、メジャーで契約できるかはぎりぎりの線。待遇なども考え残留した。鳥谷選手はメジャー指向がかなりあり、阪神や関西への愛着はあまりない。今年は抜けると思う。</p><p>　<strong>Ｑ－ＷＢＣ（ワールド・ベースボール・クラシック）はどうなる？。</strong></p><p>　Ａ－日本はオーナー会議で参加する方向で決まっているが、実はギャラの大半が米側にいくため、選手の方がもめている。しかし最終的には開催できるはず。メジャーは基本的に力を入れていないので、日本の３連覇の可能性はある。</p><p>　<strong>Ｑ－スポーツ紙のシェアは？。</strong></p><p>　Ａ－大阪の駅売りではサンスポが断トツ。</p><p>　<strong>Ｑ－井川投手は日本に帰ってくるのか？。</strong></p><p>　Ａ－日本には帰るが、阪神は好きじゃないのでまず再入団はない。楽天かソフトバンクに入るだろう。</p></blockquote>]]>
        
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    <title>山のエネルギーに触れよ　聖護院門跡門主　宮城　泰年さん（８０）</title>
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    <published>2012-02-17T07:30:00Z</published>
    <updated>2012-02-16T21:29:27Z</updated>

    <summary>　山で修行を積み、悟りを求める修験道。その総本山である聖護院門跡の宮城泰年門主は、「感動」に鈍感になってきた現代人の五感を刺激するのは、山という自然のエネルギーにふれることだという。（文・写真＝南本哲雄） 五感鍛える方法　「修験者ですから、山の中では神や仏に包まれて歩かしてもろて...</summary>
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        <category term="インタビュー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="聖護院門跡" label="聖護院門跡" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="190" height="253" alt="201202-miyagi-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201202-miyagi-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　山で修行を積み、悟りを求める修験道。その総本山である聖護院門跡の宮城泰年門主は、「感動」に鈍感になってきた現代人の五感を刺激するのは、山という自然のエネルギーにふれることだという。（文・写真＝南本哲雄）</p> <p><span style="color: rgb(51, 51, 0);"><span style="font-size: 120%;"><strong>五感鍛える方法</strong></span></span></p><p>　「修験者ですから、山の中では神や仏に包まれて歩かしてもろてる思いがあります」</p> <p>　昨年の１０月には夫婦でアンナプルナ（ヒマラヤ山脈に属する山群の総称）でのトレッキングに参加し、ベース・キャンプで護摩供養を行った。</p> <p>　山好きを自認する。どこの山を登っても感じることがある。自然はコントロールしようのないもの、してはならないもの。我々は共存していかねばならない―。その巨大なエネルギーに触れることが&ldquo;五感&rdquo;を刺激するという。</p> <p>　その五感が今の日本人は鈍くなってきていると指摘する。</p> <p>　「人間は感情の起伏をもっている。しかしいま、感動や感激することが少なくなってきているんじゃないか」と、厳しい表情で現状の日本を憂う。</p> <p>　「食」ひとつとっても、出来合いを出し、それを当たり前のように食べる。作る人と食べる人とのつながりのない食卓、思いの伝わらない食事事情&hellip;。そこには人を思いやる心や余裕が置き去りにされていると感じる。</p> <p>　「五感とは人間が本来、持っているもの。子供に対してもケガさせんようにと神経質になりすぎる。五感を育てるためには信じてやることをしないかん」</p> <p>　五感を研ぎ澄ますには、慣れきった日常に非日常を持ちこむことだとアドバイスする。</p>  <p>　「作庭されていないお寺の庭にいってみるとか。京都やったら足を延ばして大文字へでもすすめたいね。何も考えなくていい。季節によってはトンボや蝉しぐれの中に身を置いてもいい。生かされている命を感じ取れるのではないか」と、山の話に表情が和らいだ。　</p> <blockquote><p><strong>《プロフィル》　みやぎ・たいねん</strong><br /> 昭和６年、京都市左京区聖護院内の積善院に生まれる。新聞社に勤務後、聖護院に奉職。庶務部長、宗務総長、聖護院門跡執事長などを歴任し、平成１９年、門主に就任。龍谷大学客員教授。</p></blockquote><p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>こころつたえ第八回「城南宮を訪ねる」を開催しました</title>
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    <published>2012-02-14T06:26:02Z</published>
    <updated>2012-02-14T06:47:29Z</updated>

    <summary><![CDATA[      　平安遷都の際、城（平安京）の南に都の守護を願ってまつられ、御所の&ldquo;裏鬼門&rdquo;を守る「方除（ほうよけ）の大社」としても信仰を集めるようになった京都市伏見区の城南宮。伝統文化を重んじ日本人の美しい心を伝える、ウェーブ産経の「こころつたえ」の第８回会...]]></summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="300" height="199" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120127-jyonan-01.jpg" alt="20120127-jyonan-01.jpg" />
</span>
<p>　平安遷都の際、城（平安京）の南に都の守護を願ってまつられ、御所の&ldquo;裏鬼門&rdquo;を守る「方除（ほうよけ）の大社」としても信仰を集めるようになった京都市伏見区の城南宮。伝統文化を重んじ日本人の美しい心を伝える、ウェーブ産経の「こころつたえ」の第８回会合は１月２７日、白河上皇らが執政した城南離宮の守護神でもあった同宮で開かれました。</p>
<p>　「こころつたえ」は、関西の１５０社寺で構成する神仏霊場会の協力で、宮司らの講話を聞き、日本人の心や生き方を再発見する運動です。今回は会員約１００人が参加。同宮の鳥羽重宏宮司が「めざす（芽差す・目指す）ところ」をテーマに講演してくれました。</p>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="140" height="180" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120127-jyonan-02.jpg" alt="20120127-jyonan-02.jpg" />
</span>
<p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《城南宮の歩み》</strong></span></p>
<p>　講演は神楽殿で行われました。まず、紹介してくれたのが城南宮や城南離宮などについての歴史です。</p>
<p>　「城南宮の『城』とは平安城（京）のこと。平安遷都の際、都の守護を願って建てられ１２００年以上の歴史がある。鴨川と桂川が合流するこの地に白河上皇が造ったのが城南離宮。東西１・５キロ、南北１・２キロの土地に御殿やお堂などを建造した」そうです。そして「引き継いだのが孫の鳥羽上皇で、従ったのが平清盛や佐藤義清（のりきよ＝後の西行）ら北面の武士。保元・平治の乱で権勢を築く清盛の活躍の舞台であるのに、清盛の解説本でも紹介されていない穴場」とのことです。</p>
<p>　鳥羽は川の水運に加え幹線の街道も通り、古くから交通の要衝。「例えばおとぎ話の一寸法師も、淀川を遡って降りた所が鳥羽だったと、江戸時代に書かれた御伽草子にあり、城南宮でも法師のキャラをつくってＰＲしている」とか。幕末の鳥羽・伏見の戦いの舞台にもなり「薩摩軍が神社の参道に大砲を据えて拠点にした」そうです。</p>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="280" height="189" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120127-jyonan-03.jpg" alt="20120127-jyonan-03.jpg" />
</span>
<p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《古事記の教えとは》</strong></span></p>
<p>　ところで、今年は古事記が７１２（和銅５）年に太安万侶（おおのやすまろ）によって編さんされ、１３００年となる記念の年だそうです。講演は古事記を通じた訓話に移りました。</p>
<p>　「昨年は東日本大震災で大変だったが、津波被災地で葦（あし）が芽を出し、命が現れることを感じて元気をもらった、という話をテレビで見て、古事記の一節を思い出した。古事記では『国が浮いた脂のように漂っていたとき、葦の芽のように萌え出たものから神が生まれた』とある。泥から芽を出す葦に命を見出すのは、昔も今も変わらないと思った」そうです。</p>
<p>　そして伊耶那美命（いざなみのみこと）が、火の神を産むが火傷で死んだことも「火は文明を発達させるが、一方では恐ろしいものだという戒め」。伊耶那岐命（いざなぎのみこと）が黄泉の国から逃げる途中、追いかける伊耶那美命が１日に千人殺すと迫り、伊耶那岐命が１日に千五百人を産むようにすると応えたことも「生も死も、神のはからいであることを教えている」などと説明。その上で「古事記の中で、神様は少しでもよい国をつくりなさいと繰り返し言っている」と強調しました。</p>
<p>　さらに、「神道では『清らかで明るく正しく直（なお）く』を大切な徳目としており、これらが日本人の心の底にあり世の中が美しく保たれてきたが、教育が変わり大事なものが失われてきたように思う」「今は伝統という根が枯れてきている。ご先祖様から聞いたしきたりやおとぎ話、伝統行事などを支え、守り、伝えていってほしい。地域社会を少しでも良くしようと考え、子供たちが誇りに思える地域社会づくり、国作りを進めてほしい」と締めくくりました。</p>
<p>　お話の後は、本殿での正式参拝。宮司の祝詞に耳を傾けながら、思い思いに祈りを捧げました。</p>

    <img width="170" height="215" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120127-jyonan-04.jpg" alt="20120127-jyonan-04.jpg" />

<p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《昼食は特別膳で》</strong></span></p>
<p>　小川のほとりに貴族の装束をまとった歌人がたたずみ、和歌を詠み、流れてきたお神酒を味わう「曲水の宴」。城南宮の庭園で行われる古式ゆかしい行事ですが、斎舘での昼食には、この優雅な宴にちなむお膳が登場しました。</p>
<p>　名付けて「離宮すし」。ちらし寿司ですが、中央には錦糸玉子を使って、ゆるやかに蛇行する小川の流れを表現しています。周囲に配されたアナゴやエビ、レンコン、シイタケ、タケノコ、山菜など色とりどりの具材は、さながら着飾った平安貴族たちでしょうか。</p>
<p>　キスやエビ、シシトウ、カボチャなどの天ぷら、湯葉の入った吸い物も付き、満足できる内容でした。</p>

    <img width="260" height="200" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120127-jyonan-05.jpg" alt="20120127-jyonan-05.jpg" />

<p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《美しい庭を愛でる》</strong></span></p>
<p>　食後は神職らの先導で自慢の庭を巡りました。「源氏物語には約１１０種の植物が登場するが、うち約８０種の植物を植えている。様々な時代の庭園を再現した歴史庭園」だそうです。まず訪れたのは境内西側にある「春の山」。枝垂れ梅が有名だそうです。時期が早すぎて花はまだありませんが、木々にはつぼみが膨らみかけ、盛時の雰囲気を想像させてくれます。</p>
<p>　本殿裏を通って、社殿東側へ出たところが「平安の庭」。あの曲水の宴が行われる場所です。段落ちの滝と清い流れの小川が風情を醸し出しています。宴が開かれる春と秋には大勢のギャラリーで溢れかえるそうですが、今はひっそりとたたずんでいました。</p>
<p>　続いて向かったのが境内南側の庭。池泉廻遊式庭園で紅枝垂れ桜や藤、ツツジなどを楽しむことができる「室町の庭」、芝生が広がり安土・桃山時代の豪壮な気風を反映したという「桃山の庭」、枯山水庭園で、一帯が最も華やかだった離宮時代の風景を表わしたという「城南離宮の庭」がありました。どの庭も個性的で、庭文化の変遷も学ぶことができました。</p>

    <img width="210" height="172" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120127-jyonan-06.jpg" alt="20120127-jyonan-06.jpg" />

<p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《ハイテク部品や美術品なども見学》</strong></span></p>
<p>　散策後は斎舘に戻って休憩です。お茶とデザートの「礎（いしづえ）餅」をいただきながらサンケイミュージック所属の歌手、小川千春さんの歌に耳を傾け、最後は全員で「春よ来い」を合唱しました。</p>
<p>　この後、通常は解散ですが、この日はさらにお楽しみが。近くの京セラ本社にあるファインセラミック館と美術館の見学です。</p>
<p>　京セラが作るファインセラミックは先端技術には欠かせない材料で、同館では電子機器などに用いられてはいるものの、ふだんは見ることができない部品などを展示するとともに、製造工程や発展の歴史などを分かりやすく紹介していました。また、美術館には中国・清王朝時代のガラス製品やパブロ・ピカソの版画、ファインセラミックの茶器など様々な美術・工芸品が並び、会員の人たちも熱心に眺めていました。</p>]]>
        
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    <title>大阪城不思議の城　後藤又兵衛の首</title>
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    <published>2012-02-10T21:00:00Z</published>
    <updated>2012-02-11T07:42:12Z</updated>

    <summary> 　後藤又兵衛基次（ごとうまたべえもとつぐ）は播磨（はりま）（兵庫県西部）出身の武将で、豊臣秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛孝高（くろだかんべえよしたか）（如水（じょすい））とその子長政に仕え、秀吉の全国平定戦に従軍してたびたび戦功を挙げ、その武名を天下に轟（とどろ）かせた。秀吉...</summary>
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        <name>ウェーブ産経大阪事務局</name>
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        <category term="外伝「大坂の陣」" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
        <category term="大坂の陣を訪ねる" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="191" height="214" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/komatuyama1.JPG" alt="komatuyama1.JPG" style="float: left; margin: 0px 20px 20px 0px" class="mt-image-left" /></span> <p>　<span style="font-size: 100%">後藤又兵衛基次（ごとうまたべえもとつぐ）は播磨（はりま）（兵庫県西部）出身の武将で、豊臣秀吉の軍師として名高い黒田官兵衛孝高（くろだかんべえよしたか）（如水（じょすい））とその子長政に仕え、秀吉の全国平定戦に従軍してたびたび戦功を挙げ、その武名を天下に轟（とどろ）かせた。秀吉没後に起った慶長５年（1600）の関ヶ原合戦においても、徳川家康方東軍に属した黒田家の部将として活躍し、戦後、長政が筑前（ちくぜん）52万3千石の太守（たいしゅ）となると、又兵衛は領内大隈（おおくま）（福岡県嘉麻市（かま））で1万6千石を領する城主となった。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　ところが、声望の高い又兵衛を、主君長政が次第に疎んじるようになり、長政との確執が限界に達した又兵衛は、慶長11年、ついに大隈城主の座を抛（なげう）ち、黒田家を出奔する。豊前（ぶぜん）・中津城主の細川家や播磨・姫路城主の池田家などに身を寄せた又兵衛であったが、そのたびごとに旧主長政から猛烈な抗議が入り、仕官かなわず、やむなく浪々の身となった。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　そんな又兵衛のもとに、大坂城からの使者が訪れる。豊臣秀頼の招きに応じた又兵衛は、慶長19年10月、堂々と大坂城への入城を果たした。又兵衛は、真田幸村（信繁（のぶしげ））・長宗我部盛親（ちょうそがべもりちか）・毛利勝永・明石全登とともに「五人衆」と称され、大名格の客将として、大坂城中において重きをなし、冬の陣では同年11月26日の鴫野（しぎの）・今福（いまふく）合戦で、苦戦する木村重成を援（たす）けて徳川方の佐竹義宣隊を散々に破ってみせた。翌年の夏の陣では、5月6日の道明寺（どうみょうじ）合戦で徳川方の大軍相手に大奮戦し、一時は徳川方を後退させるほどの戦いぶりであったが、結局は衆寡敵（しゅうかてき）せず、壮絶な討死を遂げた。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　現在、柏原市片山町に「後藤又兵衛基次奮戦之地」の石碑が建ち、同市玉手町の玉手山公園内に<img width="150" height="214" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/matabee1.JPG" alt="matabee1.JPG" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px" class="mt-image-right" />は「後藤又兵衛基次之碑」と刻まれた石碑が建つ。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　後者は、隣の八尾市で天台院住職を務め、『お吟さま』『悪名』などの作品で知られる直木賞作家・今東光（こんとうこう）師が揮毫（きごう）したものであるが、この碑に近接して「吉村武右衛門之碑」と刻まれた石碑が建つ。裏面に刻まれた略伝によると、吉村武右衛門も又兵衛と同じく黒田家の家臣であったとのことで、又兵衛出奔の際、行動をともにし、大坂の陣で又兵衛の麾下（きか）に属した武右衛門は、重傷を負った又兵衛から、「我が首を打て。構えて敵手に授く勿（なか）れ」と、命じられたという。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　又兵衛を介錯（かいしゃく）した武右衛門は、その首を泥田の中に深く埋めて隠し、陣後ひそかに掘り出して、又兵衛の母方の伯父が住職を務める伊予（いよ）（愛媛県）の長泉寺（ちょうせんじ）に首を届け、丁重に埋葬し、供養を依頼したと伝えら<img width="150" height="212" src="http://wave.sankei-kansai.com/img/yosimura1.JPG" alt="yosimura1.JPG" style="float: left; margin: 0px 20px 20px 0px" class="mt-image-left" />れる。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　長泉寺は今も愛媛県伊予市に法灯を伝え、「後藤又兵衛基次公菩提所」として、同市から史跡の指定を受けており、近傍の大塚家の屋敷地内に又兵衛の首塚がある。</span></p> <p>&nbsp;<span style="font-size: 100%">　武右衛門はそののち摂津国喜連（きれ）村（大阪市平野区）で帰農し、姓を「水井」と改めたという。玉手山公園内の「吉村武右衛門之碑」は、子孫の水井恒雄氏が昭和<span>54年に建立したものである。（大阪城天守閣研究主幹　北川央）</span></span></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <blockquote> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"><span><span><span style="display: none" id="1328590775479S">&nbsp;</span><span style="display: none" id="1328590834546S">&nbsp;</span></span></span></ruby></p> <p><ruby style="ruby-align: distribute-space"></ruby></p> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><b>北川　央</b>　<span>kitagawa hirosｈi　</span><span style="font-size: 9pt">（大阪城天守閣研究主幹）</span></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 8pt">１９６１年、大阪生まれ。神戸大学大学院文学研究科修了。８７年に大阪城天守閣学芸員となり、同主任学芸員、同研</span></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 8pt">究副主幹を経て、現在は同研究主幹。この間、多くの大学、研究機関などで講師・研究員・委員を歴任。現在は関西</span></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 8pt">大学大阪都市遺産研究センター研究員、国立劇場伝統芸能伝承者養成研修講師などを兼ねる。著書に「大阪城ふ</span></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 8pt">しぎ発見ウォーク」（フォーラム・Ａ）、「神と旅する太夫さん」（岩田書院）、「おおさか図像学」（東方出版、編著）、「大</span></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt"><span style="font-size: 8pt">和川付替えと流域環境の変遷」（古今書院、共編著）ほか多数。　　<b>　　　</b></span></div> </blockquote> <p><span style="display: none" id="1328596733611S">&nbsp;</span></p>]]>
        
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    <title>音楽の舞台裏～ランチタイム・コンサートｖｏｌ．７９　２月１３日～</title>
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    <published>2012-02-09T08:39:49Z</published>
    <updated>2012-02-09T08:51:03Z</updated>

    <summary>立春を過ぎても寒い日が続きます。陽の差す暖かなお昼間にコンサートにお出かけになりませんか？平日の昼前に開演する「ランチタイム・コンサート」シリーズの企画と構成、司会を担当するのは日下部吉彦さんです。朝日放送のニュースキャスターとしてご記憶の方も多いかもしれません。２月１３日（月）...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="120" height="359" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201202-izumi-01.jpg" alt="201202-izumi-01.jpg" /></span><p>立春を過ぎても寒い日が続きます。<br />陽の差す暖かなお昼間にコンサートにお出かけになりませんか？<br />平日の昼前に開演する「ランチタイム・コンサート」シリーズの企画と構成、司会を担当するのは日下部吉彦さんです。朝日放送のニュースキャスターとしてご記憶の方も多いかもしれません。</p><p>２月１３日（月）の「ランチタイム･コンサートｖｏｌ．７９」は、作曲家・中田喜直の歌曲を特集します。皆様がよくご存知の「雪の降るまちを」や「夏の思い出」、そして《金子みすゞの詩による歌曲》に収められている歌などをソプラノの加藤かおりさんとバリトンの小玉晃さんが歌います。</p><p>プログラムのメインは「２人のモノローグによる歌曲集《木の匙》」。<br />オペラ界で活躍する岩田達宗さんが演出にあたります。<br />この歌曲集は、朝日放送が１９６４年に第１９回芸術祭参加作品として中田さんに委嘱しました。中田さんは、「ひろく国民に愛され親しまれるような歌曲集を作りたい」と考えたといいます。歌詞は、詩人の寺山修司さんが「若い夫婦がひとつの生活を作り上げていく過程を、それぞれのモノローグ〔独白〕の『歌』によって構成」しています。</p><p>そもそも、これは日下部さんが朝日放送でプロデューサーをしていた時代に中田さんに発案し、ラジオドラマとして企画演出した作品でした。<br />初演時の現場を知る関係者ならではの裏話を交えてお楽しみいただきます。</p><blockquote><p><strong>≪コンサート≫</strong><br />２月１３日（月）午前１１時３０分<br />いずみホール　ランチタイム･コンサートｖｏｌ．７９<br />「《木の匙》―中田喜直の世界」<br /><br />出演／加藤かおり（ソプラノ）、小玉　晃（バリトン）、丸山耕路（ピアノ）、岩田達宗（《木の匙》演出）、日下部吉彦（企画・構成、お話）<br />曲目／中田喜直：《こどものうた》より　森の夜明け、紋白蝶々の郵便屋さん、夕方のお母さん<br />《金子みすゞの詩による歌曲》より　たいりょう、星とたんぽぽ<br />雪の降るまちを、小さい秋みつけた、夏の思い出<br />２人のモノローグによる歌曲集《木の匙》全曲<br />料金／一般２０００円</p></blockquote><p>お問い合わせ・お申し込み／いずみホールチケットセンター<br />電話０６・６９４４・１１８８</p><p>　※ウェーブ産経「クラシック連続講座」（２月１３日実施）申し込みの方は、１８００円になります。申し込みの際にその旨お伝えください。</p><blockquote><p>　《石田富美子さんのプロフィル》<br />事業局営業部副長。平成元年の開設準備当時から現在まで、いずみホールを見守ってきた。小鼓をたしなむ&ldquo;キャリアウーマン&rdquo;。<br />いずみホールホームページは<a href="http://www.izumihall.co.jp/">こちら</a></p></blockquote>]]>
        
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    <title>元日本代表の林敏之さんの講演とラグビートップリーグ観戦を開催しました</title>
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    <published>2012-02-09T00:56:15Z</published>
    <updated>2012-02-09T01:13:30Z</updated>

    <summary>　ラグビーについて元日本代表、林敏之さん（ＮＰＯ法人ヒーローズ理事長）にその魅力や苦労などを聞いて、トップリーグの試合も観戦するウェーブ産経のイベントが１月１５日、神戸市兵庫区のホームズスタジアム神戸で開かれました。会員の人たちら約２０人が参加し、スタジアム内のレストランで食事も...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="200" height="267" alt="20120115-rugby-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120115-rugby-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　ラグビーについて元日本代表、林敏之さん（<a href="http://www.npo-heroes.com/">ＮＰＯ法人ヒーローズ</a>理事長）にその魅力や苦労などを聞いて、トップリーグの試合も観戦するウェーブ産経のイベントが１月１５日、神戸市兵庫区のホームズスタジアム神戸で開かれました。会員の人たちら約２０人が参加し、スタジアム内のレストランで食事も味わうなど、ラグビーとの&ldquo;ふれあい&rdquo;を楽しみました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《フィールドを眺めながら》</strong></span></p><p>　同スタジアムは開閉式屋根が付いた全天候型で、陸上トラックもないフットボール専用スタジアム。トーク会場は、ここの１階にあるレストラン「ＵＬＴＩＭＯ」です。床はフィールドと同じ高さで、面する部分は全面ガラス張りになっており、まさにパノラマビューが楽しめます。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《ラグビーの歴史とは》</strong></span></p><p>　身長１８４センチ、体重１００キロ。５０歳を越えた林さんですが、現役時をほうふつとさせる偉丈夫です。熱弁をふるう姿を見ていると、日本代表のフォワードとして、白いヘッドキャップと口ひげ姿で猛烈なタックルを繰り返し、「壊し屋」の異名まで奉られた当時の勇姿がよみがえってくるようです。</p><p>　林さんはまず、ラグビーの起源から説明を始めました。「英国のラグビー校で１８２３年、フットボールの試合中、興奮した少年がボールを持って走りだしたのが始まりと言われる」そうですが、これはあくまで&ldquo;伝説&rdquo;のようです。実際は「中世のイングランドの農村で行われていた『フォーク・ゲーム』が原点。村が２つに分かれてボールを奪い合う荒っぽい競技だった」そうです。</p><p>　ところが「産業革命が進むと、村の人たちが労働力として都市に出たため参加人数が減って下火になり、それを引き継いだのがパブリックスクール。団体競技の中で男らしさや責任感を身につけさせる教育として取り入れていった」とか。この頃は各校ごとにルールも違ったそうですが、１９世紀後半にケンブリッジで各校代表がルール統一を目指して協議。「手を使わない」としたグループと、それを良しとしないグループが分かれ、「アソシエーションフットボール（サッカー）」と「ラグビーフットボール（ラグビー）」の誕生となったそうです。</p><p>　そのラグビーも今や「世界の３大スポーツの１つとなった」と言います。つまり、サッカーワールドカップ（ＷＣ）、オリンピックにラグビーワールドカップ（ＷＣ）を加えたものが、３大大会だとか。さらに、オリンピックでも７人制ラグビーが種目に加わるそうです。「であるのに、日本では残念ながら注目されていない。２０１９年にはラグビーＷＣが日本で開かれる。それまでには盛り上げていかなければ」と熱を込めました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img width="240" height="258" alt="20120115-rugby-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120115-rugby-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《徳島から世界へ》</strong></span></p><p>　林さん自身の経歴も話してくれました。徳島県生まれの林さんは中学時代、サッカー部でしたが、２年の時、クラブ内でいさかいがあり、やめてラグビーを始めたそうです。県立城北高時代は県内で準優勝し四国大会に出場。これで注目を集め、高校日本代表に選ばれオーストラリアへ遠征したのが、現在の地歩を築く第一歩となったようです。</p><p>　「遠征の時に出会ったのが、京都の伏見工高を日本一に育て、ドラマのモデルにもなった山口良治さん。コーチとして参加しておられたが、熱く語る一言一言が胸に刺さった。ボロ負けした時『同じ高校生、同じ人数でやって、こんなに負けた。悔しくないのか』と涙を流しながら言ってくれた。その言葉に奮い立った」そうです。</p><p>　同志社に進んだ大学時代は、関東の壁を破るためのハードな練習の日々だったと言います。そして、神戸製鋼に入社。「俺がチームを強くしてやる」。そんな意気込みだったそうですが「当時の神戸製鋼は、練習も仕事が終わってから。１５人集まらない時もあり、そこそこは強くても、強い相手には勝てないチーム」だったとか。</p><p>　日本一だった新日鉄釜石にボロ負けした時のことだそうですが「そこで先輩が言ったのが『１回くらいはトヨタに勝ちたい』という言葉。私はそれを聞いて腹が立ってたまらなかった。確かにトヨタは上位のチームだが、それは違うだろうと。日本一になりたいからここでラグビーしているのだから」。その言葉通り、林さんに引っ張られたチームは、後に計９回日本一という記録を樹立するに至りました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《ラグビーの&ldquo;心&rdquo;を教育に》</strong></span></p><p>　「乾いた時代だと言われる。だから適度な湿り気がいる。涙がいる。（ラグビーを通じて）とめどなく涙を流した時、飾れない自分がいた。作れない瞬間がラグビーの中にはある。新たな体験が、新たな自分自身を作っていく」。これがラグビーでしょうか。</p><p>　そして「ボールを後ろの誰かに託す。みんなの信頼が籠もったボール。ここで大切なのが感謝の気持ち。みんなの気持ちを感じた時に力が出る。『ワン・フォー・オール　オール・フォー・ワン』。ここに輪ができ、物語が生まれる」。だからこそ、このかけがえのない感動を生むラグビーを教育に生かしていきたいのだそうです。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《本物の迫力に興奮》</strong></span></p><p>　お話を聞いた後は、ベーコンと青菜・キノコのパスタ▽トマトやレタスのサラダ▽フランスパン▽コーヒー－のランチです。林さんは食事中も質問攻め。食後は記念撮影にも気軽に応じてくれました。林さんのサインが入ったＴシャツなどが当たる抽選会も行われ、盛り上がりました。</p><p>　そうこうするうちに、フィールドでは「神戸製鋼コベルコスティーラーズ」の練習が始まりました。間近で見ていると、迫力も十分です。きょうの対戦相手は「Ｈｏｎｄａ　Ｈｅａｔ」です。キックオフ前にスタンドに上がり、「神戸」の赤い小旗を振って声援を送ります。応援の甲斐あって「神戸」の勝ちでノーサイド。充実した&ldquo;ラグビー三昧&rdquo;となりました。</p>]]>
        
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    <title>「３回で学ぶ京都～歴史人物対決シリーズ　女性編～」を開催しました</title>
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    <published>2012-02-01T01:27:05Z</published>
    <updated>2012-02-01T01:37:54Z</updated>

    <summary>　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」の新シリーズ「歴史人物対決シリーズ　女性編」。この第１回講座が１月１２日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。初回は「紫式部ＶＳ清少納言～女流文学二大巨頭の宮廷内での争いとは～」がテーマで、講師は京都観光企画会社「らくたび」代...</summary>
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    <category term="文化サロン" label="文化サロン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="201" width="250" alt="20120112-taiketu-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120112-taiketu-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」の新シリーズ「歴史人物対決シリーズ　女性編」。この第１回講座が１月１２日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。初回は「紫式部ＶＳ清少納言～女流文学二大巨頭の宮廷内での争いとは～」がテーマで、講師は京都観光企画会社「<a href="http://www.rakutabi.com/">らくたび</a>」代表の山村純也さん。午前と午後の両部に会員計約９０人が参加し、二人の歩みや作品の魅力、活躍した時代背景などについての解説に耳を傾けました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《女流文学誕生のなぜ》</strong></span></p><p>　まず、２人が活躍した１０世紀末から１１世紀初頭についての説明から始まりました。当時は一条天皇がいた時代で、藤原氏による摂関政治の最盛期でもありました。なぜ、女性が活躍できるきらびやかな時代となったのか。</p><p>　「平安時代で言えば、後半にさしかかった頃で、通常なら制度が合わなくなって下り坂。しかし地方の乱れで武士が台頭し、新支配者の武士と、旧支配者の官吏が、それぞれ年貢を納めるという一時的な&ldquo;Ｗインカム&rdquo;状態になり、藤原氏ら中央貴族が繁栄し余裕があったから」だとか。これが理由の１つです。</p><p>　もう１つが、日本文化への注目です。「平安初期の桓武天皇のころは、中国文化のコピーが中心。ところが中期の宇多天皇の時、菅原道真の進言もあって遣唐使が中止になり、国風文化に切り替わってきた。平仮名が発展し、古今和歌集の編さんも始まるなど、この流れの中で女流文学も登場した」とか。</p><p>　そして「どちらか一方でも欠けたら、紫式部も清少納言も&ldquo;生まれなかった&rdquo;可能性が高い」そうです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="161" width="230" alt="20120112-taiketu-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120112-taiketu-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《紫式部の歩み》</strong></span></p><p>　父は中流貴族の藤原為時ですが、男性中心の世界なので生年や本名は不詳。為時の役職が文書まとめ役の「式部丞（しょう）」で、ここから名前がとられたといわれているそうです。為時は越前を受領し現地に赴きますが、その時式部も同行したというのが定説。女性ながら、父の影響で幼い時から漢詩文に親しんだとのことです。</p><p>　母は早くに亡くし、夫は親子ほど年の差があり何人もいた妻の１人だったそうで、その夫にも１女を設けたあと先立たれます。「失意の中、貴族の暮らしの体験から人間の愛憎を書いていったのが源氏物語だという。作品は宮中でも評判になり、権力者の藤原道長の目にもとまった」「娘の彰子を一条天皇の中宮として入内させている道長は『これほど素晴らしい作品が書けるのなら、娘の教育係にしよう』と思った、と伝わっている」そうです。</p><p>　「話題の式部で、天皇の気を彰子に向けさせる」作戦が功を奏し、彰子は後に天皇となる子を次々産み、道長の権力基盤は盤石に。式部も源氏物語を書き続けてさらに評判を高めます。「世界的にもまれに見る長編小説で登場人物も多く、展開を飽きさせない小説としての技法も素晴らしい」作品で、当時の歌人・藤原俊成をして「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」とまで言わしめたそうです。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《清少納言の歩み》</strong></span></p><p>　著名な歌人であった清原元輔の娘。式部と同様に元輔が周防守に赴任した時、随行したとみられ、また幼い頃から漢詩も教え込まれたとも伝わります。１５歳で結婚するも、やがて離婚し、一条天皇の中宮・定子に仕えました。</p><p>　「博学で才気にあふれる明るい性格。機知に富む歌の贈答も評判となり、定子に大層気に入られた」そうです。ところが、藤原道長が関白になると状況が変わってきます。「清少納言は道長が送り込んでいるスパイだ、とのあらぬ噂が流れた」そうです。傷ついた清少納言は家に引きこもりますが、定子が清少納言を慰めようと上質な紙を贈り、感激した清少納言は復帰を果たします。</p><p>　ところが、今度は道長が自分の娘・彰子を中宮として強引に送り込み、１人の天皇に２人の皇后という異例の状態となります。「失意の定子は子供を１人生んだものの、そのまま２４歳の若さで亡くなり、定子を敬愛していた清少納言も宮中を去った」そうです。</p><p>　枕草子はその頃から、宮中で見聞きしたり、日常を観察して感じたことを、鋭い切り口で率直に書いた随筆です。一説では定子に献上するため書き始めたとも言われます。「『をかし』（＝興味深い）が文全体のテーマ。清少納言の瑞々しい感性がちりばめられている。例えば『にくきもの』では、局にこっそり忍んでくる人（女性に会いにきた男性）をみてほえる犬や、戸を開ける時に音をたてる男（宮中では音をたてることは極端に嫌がられた）などを挙げているが、これらも今の女性が書いたかのよう。現代人と変わらない感覚が面白い」そうです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="191" width="300" alt="20120112-taiketu-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120112-taiketu-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 153);"><strong>《ライバルとしての軌跡》</strong></span></p><p>　「２人とも幼い時に一時都を離れ、都を地方からみる視点を持っており、父の影響で自然と漢詩に通じ教養があった」ことなど共通点は多かったようです。</p><p>　ところが定子の父・藤原道隆と彰子の父・藤原道長は、兄弟でありながら激しく権力を争ったライバル。「定子は父が早く死んだことが痛手となり、兄の伊周（これちか）らが頑張るものの道長に負けた」結果となります。定子は１０００年ごろ亡くなり、清少納言も宮中を退きますが、紫式部が宮中に入るのは１００５年ごろとされ「２人はおそらく顔すら合わせてないだろうというのが歴史家の間では定説」だそうです。</p><p>　しかし、一方で「源氏物語と枕草子は、同じ時代に宮中で読まれ、評判を集めた」のも事実のようで、その意味では２人はライバルにもなるのでしょう。紫式部日記には、清少納言について手厳しい批判が書かれており「式部が先に活躍した清少納言を意識していた証拠」であるようです。</p><p>　山村さんは「枕草子には一切暗い話がなく、定子と生きた時代がいかに素晴らしかったかを伝えようと描かれている。当時の雰囲気を実感できるのはすごい力で、源氏物語は世界的に有名だが、勝るとも劣らない作品。時代の巡り合わせで生まれた、素晴らしいライバルだったと思う」と締めくくりました。</p>]]>
        
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    <title>アフタヌーン健康サロン＜第３回＞「生活習慣病対策は食事から」を開催しました</title>
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    <published>2012-01-23T00:00:00Z</published>
    <updated>2012-01-19T08:52:53Z</updated>

    <summary>　動脈硬化を予防する食事とは？　健康について学ぶ「アフタヌーン健康サロン」（ウェーブ産経主催、キリン堂共催）が、１月１１日に大阪市北区の新阪急ホテルで開かれ、約８０人の会員が参加しました。　第３回となる今回のテーマは「生活習慣病対策は食事から」。キリン堂の栄養情報担当者で薬剤師の...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="158" width="240" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120111-kirin-01.JPG" alt="20120111-kirin-01.JPG" /></span><p>　動脈硬化を予防する食事とは？　健康について学ぶ「アフタヌーン健康サロン」（ウェーブ産経主催、<a href="http://www.kirindo.co.jp/">キリン堂</a>共催）が、１月１１日に大阪市北区の新阪急ホテルで開かれ、約８０人の会員が参加しました。</p><p>　第３回となる今回のテーマは「生活習慣病対策は食事から」。キリン堂の栄養情報担当者で薬剤師の北側智之さんが講師を務めました。</p><p>　北側さんは心疾患、脳血管疾患の原因となる動脈硬化の予防をテーマに対策などを紹介。心疾患、脳血管疾患を引き起こす大きな要因に高コレステロール、高血圧、高血糖を挙げ、その中から今回はコレステロールに絞って、話を進めていきました。</p><p>　まずコレステロールの役割から説明。実は、コレステロールは体になくてはならない成分であり、悪玉コレステロールといわれるＬＤＬも多すぎれば「悪玉」ですが、最低限は必要であること、また、コレステロールを下げすぎると、脳の血管が弱くなったり、免疫力が低下するなど、下げすぎるのもよくないことを指摘しました。</p><p>　そして、コレステロールが高いだけで動脈硬化になるわけではなく、血管内でコレステロールと活性酸素が結び付くことで動脈硬化が引き起こされることを説明。活性酸素を発生させないために抗酸化栄養素を積極的に摂取することを勧めました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="168" width="260" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120111-kirin-02.JPG" alt="20120111-kirin-02.JPG" /></span><p>　それでは、抗酸化栄養素が含まれる食べ物とは、どんなものでしょうか？　たとえば、緑黄色野菜にはファイトケミカルという抗酸化栄養素が豊富に含まれているそうです。また、果物に含まれるビタミンＡ、Ｃ、Ｅや、サケに含まれるアスタキサンチン、ブルーベリーや赤ワインに含まれるアントシアニン、大豆食品に含まれるイソフラボン、茶に含まれるカテキンやタンニン、ゴマに含まれるゴマリグナン、ウコンに含まれるクルクミンも体にいいそうです。</p><p>　続いて、油の種類を見直しましょうと提案。肉類やバター、乳製品などの動物性脂肪などは、できるだけ控えましょうと呼びかけました。では、体に良い油とは、どういうものでしょうか？　植物性の油が良いそうです。</p><p>　たとえば、アマニ油、エゴマ油は、熱と光に弱いため、ドレッシングなどの生食がおすすめ。ポリフェノールがたっぷり含まれるブドウの種子油であるグレープシードオイルは無味無臭で、くせがなく、どんな食材にも使いやすいそうです。熱にも強く、揚げ物にもおすすめだそうです。また、オリーブオイルには、善玉コレステロールを下げずに悪玉コレステロールだけを下げるオレイン酸が豊富に含まれています。熱に強いため加熱調理に向いているそうです。</p><p>　また、内臓脂肪が増える理由としてビタミン、ミネラルの不足、飲み過ぎ、食べ過ぎ、運動不足を挙げ、動脈硬化を予防するために内蔵脂肪を減らすことも訴えました。</p><p>　その上で、北側さんは食べ物を丸ごとすべて食べる「一物全体食」という考え方を提案。玄米には、人間が健康に生きるために必要な４５種類の栄養素のうち、４０種類が含まれているそうで、内蔵脂肪対策の食事の工夫として、白米を玄米に変えたり、白米に玄米を混ぜることを紹介。さらに、小麦粉のパンを全粒粉のパンに変えることや、砂糖を黒糖に変えることなども紹介しました。</p><p>　最後に、食事の素材の選び方として「まごたちはやさしい」という合い言葉を紹介。まめ、ごま、たまご、ちち（乳製品）、わかめ（海藻）、やさい、さかな、しいたけ（きのこ）、いもの頭文字で（わかめの「わ」は「は」）、これらの素材によって健康的な食事ができると、まとめました。</p>]]>
        
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    <title>春日大社&quot;初詣で&quot;を開催しました</title>
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    <published>2012-01-20T07:35:21Z</published>
    <updated>2012-01-24T03:35:48Z</updated>

    <summary>　藤原氏一族の氏神で、古都・奈良の代表的な社寺の１つである春日大社を初詣でで訪れる、ウェーブ産経のイベントが１月１０日、奈良市春日野町の同大社で開かれました。境内には約３０００基もの石燈籠や釣燈籠があることで知られ、今井祐次禰宜からその由来や特徴などについての解説を聞いた後、実際...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px" height="157" alt="20120110-kasuga-01.jpg" width="210" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120110-kasuga-01.jpg" /></span><p>　藤原氏一族の氏神で、古都・奈良の代表的な社寺の１つである春日大社を初詣でで訪れる、ウェーブ産経のイベントが１月１０日、奈良市春日野町の同大社で開かれました。境内には約３０００基もの石燈籠や釣燈籠があることで知られ、今井祐次禰宜からその由来や特徴などについての解説を聞いた後、実際に見て回りました。</p><p>　<span style="color: rgb(128,0,0)"><strong>《燈籠の基礎知識》</strong></span></p><p>　燈籠は仏教伝来で日本に伝わったと言われますが、インドにはなく中国・朝鮮半島で生まれたと見られるそうです。神仏に火を献ずるほか、照明器具としても発展。燈籠自体を供物として献上する風習もでき、数を増やしたのだとか。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0px 20px 20px 0px" height="133" alt="20120110-kasuga-02.jpg" width="200" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120110-kasuga-02.jpg" /></span><p>　国内最古の燈籠は、奈良県明日香村の飛鳥寺で発掘された、飛鳥時代の石燈籠の基礎部分だそうです。続く奈良時代のものは当麻寺（奈良県葛城市）の石燈籠で「穴虫」と名付けられ、燈籠の形を残しているものでは最古。同大社にある古いものは、平安時代の「柚ノ木型燈籠」と鎌倉時代の「御間型燈籠（元亨＝げんこう＝石燈籠）」で、それぞれ重要文化財となっています。</p><p>　石燈籠の構成ですが、上部から順に、宝珠▽笠▽火袋（ひぶくろ）▽中台▽竿▽基礎▽基壇－に分かれます。デザイン面では、八角型石燈籠が奈良～鎌倉中期の古いものに多く、八角型は仏教とともに伝来したとみられるそうです。鎌倉時代以降に発達した六角型は武士の簡素を好む気質や作図上の容易さなどから広まったと言われ、一方、鎌倉後期になって生まれた四角型は当初神社の献灯用として作られ、後に寺院や庭園用にもなったようです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px" height="180" alt="20120110-kasuga-03.jpg" width="120" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120110-kasuga-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(128,0,0)"><strong>《春日燈籠について》</strong></span></p><p>　同大社の燈籠は、石燈籠が約２０００基、釣燈籠が約１０００基。石燈籠では石清水八幡宮（京都府八幡市）の約６５０基、毛利家菩提寺でもある大照院（山口県萩市）の約６００基など、多数ある寺社をしのいで日本一の数。特に、室町～安土桃山時代の燈籠は、全国で確認されているうち約半数にあたる約４００基があるそうです。</p><p>　どうして、これほど多いのでしょう。知名度や奈良石という材料と奈良町の石工の存在も大きかったようですが、やはり燈籠を建立するよう勧進を行った「御師」たちの努力なくては実現しなかったのでは、と思います。室町時代には地元の郷士らから、この世とあの世の幸せ「二世安楽」を願った寄進が多く、江戸時代には大名ら武家に加え、経済力を持った商人や自治組織からの奉納が大幅に増加しているようです。江戸時代の奉納料は一応１基１０両。現在は石燈籠３００万円、釣燈籠２００万円で、製作・設置代を除く分については広大な境内の維持管理費に使われるとか。</p><p>　ところで、江戸時代まで同大社は幕府から灯明料として毎年1650石の知行があり燈籠も毎夜ともしていたそうです。今井禰宜によれば「幕末までは明るい夜だったが、明治になると真っ暗になったようだ。このままでは神様に申し訳ないと明治２１年の節分に復興。そして現在は、年に２回行われる『春日万燈籠』になった」とのことです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0px 20px 20px 0px" height="183" alt="20120110-kasuga-04.jpg" width="280" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120110-kasuga-04.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(128,0,0)"><strong>《著名人奉納の燈籠も》</strong></span></p><p>　説明を受けた後は、実物の見学。まずは、宝物殿のピロティに移設・保存されている重要文化財の２基です。うち「柚ノ木型燈籠」は保延３（１１３７）年、関白・藤原忠通が寄進したと伝わり、宝珠と火袋などは後世の補作とみられるそうですが、古式でかつ洗練されたデザイン。「御間型燈籠」は、元亨３（１３２３）年との銘があり、全体のバランスや彫り物が秀逸だそうです。</p><p>　境内は一目見ただけで、燈籠の多さが分かります。代表的な六角の形で&ldquo;春日燈籠&rdquo;とも呼ばれる「秡戸（はらいど）型燈籠」をはじめ、「奥ノ院型燈籠」「雲朴型燈籠」など様々なタイプが並びます。この中には、奈良を治めた筒井家に仕え、後に石田三成の右腕として名をはせた嶋左近をはじめ、藤堂高虎、直江兼続ら著名な武将が奉納した燈籠も。また、仏が仮の姿で神として現れたとする考えから生まれた「春日大明神」の名を付けた石燈籠が１５基あるといいます。「一晩で３基見つけ出したら長者になれるという言い伝えがある」と説明してくれました。</p><p>　燈籠を見ながら、４棟の本殿（国宝）がある中心エリアへとやってきました。堂々とした南門（重要文化財）から入り、釣燈籠が並ぶ回廊を進みます。本殿前の中門（同）で参拝。周囲には重要文化財の弊殿、直会殿、宝庫などがあり、歴史の古さをうかがわせていました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline"><img class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0px 0px 20px 20px" height="168" alt="20120110-kasuga-05.jpg" width="240" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20120110-kasuga-05.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(128,0,0)"><strong>《&ldquo;神饌&rdquo;を味わう》</strong></span></p><p>　見学の後はお待ちかねの昼食です。神社とあって、神様への供物のお下がりをいただく直会（なおらい）と同じお膳になりました。中央には、ウイキョウを練り込んだご飯を高く積み上げています。周囲には小皿に入れた８種の神饌が並びます。ブリの照り焼き▽高野豆腐▽厚焼き玉子▽シイタケの煮物▽山芋▽干し柿－などです。いかにも厳かな、現代ではちょっと珍しい雰囲気のランチでした。</p>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇ま◇　松下幸之助(1894～1989)　実業家</title>
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    <published>2012-01-19T03:16:54Z</published>
    <updated>2012-01-19T06:14:54Z</updated>

    <summary> 松柏の　緑の下に幸満ちて　発明之王に　天助清しも  松下電機の創始者であり、経営の神様である氏の業績は、わずかな紙数で語り切れるものではありません。大正７年(1918)、松下電機製作所が創業されてから実に90年、世界の松下となった氏の思想や行動の原点は何かと思うとき、わたしはす...</summary>
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        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">松</span></strong><span style="font-size: 130%;">柏の　緑の<strong>下</strong>に<strong>幸</strong>満ちて<br />　発明<strong>之</strong>王に　天<strong>助</strong>清しも</span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="300" width="300" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/22-matsushita.jpg" alt="22-matsushita.jpg" /></span>  </blockquote><p>松下電機の創始者であり、経営の神様である氏の業績は、わずかな紙数で語り切れるものではありません。<br />大正７年(1918)、松下電機製作所が創業されてから実に90年、世界の松下となった氏の思想や行動の原点は何かと思うとき、わたしはすずやかな感動に打たれます。</p><p>　それは「素直な心」と彼が常に持たれた信条であります。</p><p>　「素直な心」といいますと、簡単じゃないか、誰にでも分かっていることだと思いがちでありますが、これはなかなかむずかしいことではないでしょうか。彼のような大物で、周囲に諸々の人間を動かすとき、幼稚園や小学生の教訓のような信条を持ち出すなんてとわらう人がいましたが、それはまちがって居ります。<br />仕事にも広く社会を見るまなこにも、すべてに要求されるのが「素直な心」なのだとわたしは思いました。</p><p>　かくて澄み切った精神に浮かびあがったパワーで産業人の使命として世の中の貧乏を克服すべく一途励んだことでした。すべての物質を無尽蔵に生産することである、物の値段を安くするべきであると長期にわたって偉大な構想を実現し続けました。</p><p>　幸之助の社会福祉施設への貢献は数えきれません。昭和56年には勲一等旭日大綬章を、62年には民間人としては最高の勲一等旭日桐花大綬、さらに海外からの受章も多いときいております。また63年&ldquo;花と緑の博覧会&rdquo;に50億円、11月自社株(１千万株)、その時点で335億円を国際科学技術財団に寄附しています。</p><p>　松下幸之助個人が70億円、松下グループが120億円を基金とした(財)松下政経塾は、人の知るところです。<br />ＰＨＰ(繁栄によって平和を)。</p><p>　氏の心は永遠に世界の人類の渇仰するところでありましょう。（辻歌子）</p><p>&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇や◇　安岡正篤(1898～1983)昭和期の国家主義運動家</title>
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    <published>2012-01-19T03:08:07Z</published>
    <updated>2012-01-19T03:13:01Z</updated>

    <summary> 安居して　学の岡陵治めつつ　正しく篤く偉業泰然  　東洋政治哲学と人物学の権威である彼の故郷はわが大阪であります。　四条畷中学から東京帝国大学政治学科に進みました。６年後に金●学院、さらに４年後に日本農士学校を設立しています(※●は奚偏に隹)。　　昭和58年12月逝去されるまで...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">安</span></strong><span style="font-size: 130%;">居して　学の<strong>岡</strong>陵治めつつ<br />　<strong>正</strong>しく<strong>篤</strong>く偉業泰然</span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="300" width="300" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/21-yasuoka.jpg" alt="21-yasuoka.jpg" /></span>  </blockquote><p>　東洋政治哲学と人物学の権威である彼の故郷はわが大阪であります。</p><p>　四条畷中学から東京帝国大学政治学科に進みました。６年後に金●学院、さらに４年後に日本農士学校を設立しています(※●は奚偏に隹)。</p><p>　　昭和58年12月逝去されるまで、彼は実に多くの珠玉の文献を残されました。そのいずれも甲乙つけ難い逸品です。気紛れにパラパラめくっていても、そのうち引きずり込まれてしまうのです。</p><p>　なかでも安岡青年が大学生の頃に書いたという「蘇東坡&ldquo;養生&rdquo;の法」を読むだけで彼がいかに秀逸な学者であるかがわかります。わたしも最初は大学の教授が書いたものだと思っていましたが、やはり中国の学者も帝大の教授の作とまちがえたということでした。</p><p>　それは東坡が「荘子」を学んで開眼した件を秀徹した目(まなこ)であますところなく論じ、この養生の法から到達したのが、行住坐臥、常に「坐」であり、そこから一切の生命力がほとばしり流れ溢れるのであるという宇宙観・生命観でありました。<br />翻って安岡氏の人間の大きさは著書「心身の学」の中の「笑科」に見ることができます。それは「狂授　九返舎一六」というペンネームでユーモアとペーソスに溢れ、独特の見識とスケールの大きさがうかがわれて感服いたしました。</p><p>　なかでも忘れられないのは「生命の姿のもう一つの特長は簡易ということであります。シンプルであります。&hellip;&hellip;学問学理でも、道程は道程は非常に複雑困難でありますけれども、学理もその薀奥(うんのう)にいたりますときわめて簡易(・・)であります」(・点＝筆者)は、含蓄の深い言葉ではありますまいか。</p><p>　かく木佛金佛・謹厳無比の安岡氏が晩年、女流占術家との仲を騒がれましたが、彼が「人間」であったことの当たり前さをわたしはうれしく存じました。（辻歌子）</p><p>　 「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇く◇　九条武子(1897～1928)　大正時代の歌人</title>
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    <published>2012-01-19T03:02:46Z</published>
    <updated>2012-01-19T03:19:28Z</updated>

    <summary> 九行の條に　したがい日ごと夜ごと　武夫をあがめて　遊子を想う  　女流歌人でありまして、京都本願寺大谷光尊の次女として生まれ、のちに男爵九条良致と結婚されました。一度は一緒に外遊されましたが、なぜか単身帰国されまして、それからは仏教婦人連合会の会長として全国をめぐって活躍された...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">九</span></strong><span style="font-size: 130%;">行の<strong>條</strong>に　したがい日ごと夜ごと<br />　<strong>武</strong>夫をあがめて　遊<strong>子</strong>を想う</span></p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="300" width="300" alt="20-kujyou.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20-kujyou.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>  </blockquote><p>　女流歌人でありまして、京都本願寺大谷光尊の次女として生まれ、のちに男爵九条良致と結婚されました。一度は一緒に外遊されましたが、なぜか単身帰国されまして、それからは仏教婦人連合会の会長として全国をめぐって活躍されたのであります。<br /><br />　彼女は関東大震災の直後、兵庫県の小西完宛てに長文の手紙を書いておりますが、それは単に被災の描写・報告ではなく、完全な文学作品として読めるもので驚嘆に値します。また、幼少から培われました宗教心が、激震の揺るぎの中で新しいエネルギーとなって、さらに勢いを増していることにうなずけます。</p><p>　被害者救済運動に活躍し「六華園」の創設、女性の自立を願って婦人職業補導館を設け、編み物・裁縫・ミシンなどの無料講習を行ったことでも有名です。</p><p>　また、刑務所から社会復帰する女性たちにも援助の手を差しのべ、完全に社会へ帰っていけるまで一定期間保護する「両全会」という機関も作っています。</p><p>　むかし、一部の記述物からわたしが想像していた武子像は白亜の城に住む高貴な歌詠みの婦人に過ぎませんでしたが、どうやらこれはまちがっておりました。</p><p>　彼女は混迷の大正デモクラシーをいち早く感じ取り、女性の人権・人格の擁護発展のために、能動的に思案・行動しておられたことがうかがわれます。</p><p>　「拾遺集」という歌集には、<br /><br />女達おそれてゆかぬ道あらば　われに教へよゆくべしわれは<br />鍵持ちて扉背にして男子いう　今や女は放たれりと<br /><br />　など、胸のすくような強い歌に接することができました。</p><p>　その半面、あの封建の色濃い京都のやんごとないお屋敷で彼女が守った十年の孤閨を、わたしは想像することができませんが、<br /><br />なやましな　みはてぬ夢の魂ごもり　もつれてとけぬけさの黒髪<br /><br />は、訴えることのない女の魂の慟哭(どうこく)のように思われてなりません。（辻歌子）</p><p>　 「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇お◇　織田作之助(1913～1947)　昭和期の小説家</title>
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    <published>2012-01-19T02:55:05Z</published>
    <updated>2012-01-19T03:00:49Z</updated>

    <summary> 文織りの田土作りて書く日々は　之子よろこびて　自らを助く  　大阪が生んだ、大阪くさい作家という風に思います。彼は1913年(大正３年)に天王寺上汐町に生まれ、名門高津中学から第三高等学校へ進んでおります。処女作『夫婦善哉』をはじめ、郷土大阪及び大阪人をテーマとする長短の佳篇に...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><span style="font-size: 130%;">文<strong>織</strong>りの<strong>田</strong>土<strong>作</strong>りて書く日々は<br />　<strong>之</strong>子よろこびて　自らを<strong>助</strong>く</span></p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="300" width="300" alt="19-oda.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/19-oda.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>  </blockquote><p>　大阪が生んだ、大阪くさい作家という風に思います。彼は1913年(大正３年)に天王寺上汐町に生まれ、名門高津中学から第三高等学校へ進んでおります。処女作『夫婦善哉』をはじめ、郷土大阪及び大阪人をテーマとする長短の佳篇には、わたしの知っている地名が頻繁に出てまいりまして、直ちに懐かしく忽ちその文中にさまよい歩くことができます。<br /><br />　彼の墓は上本町の楞厳(りょうげん)寺にありまして、終戦の前年夏没した愛妻と共に眠っています。</p><p>　彼は自然描写、とくに花などには興味を示さなかったというのですが、金木犀は好きだったようなのです。それは、愛妻となった宮田一枝とひと頃、一緒に住んでいたのが銀閣寺界隈で木犀の多いところだったというのは、にわかに作之助の人柄と作品を彷彿とさせるから不思議です。</p><p>　彼は若いときから肺の病を持っておりましたが、読売新聞に連載されていた</p><p>　『土曜婦人』は連載85回に及びましたが、あと４回を残して未完となってしまいました。</p><p>　最後の章「走馬燈」の冒頭は四条通りの夜更けの底を敲く雨&hellip;、屍の上に降り注ぐ雨&hellip;、ふと金木犀のにおいを光らせて降る雨&hellip;、一雨一雨冬に近づく秋の冷雨&hellip;。と、まるでしつこく雨のオンパレードでありますが、まさしく彼が原風景として持つ木犀の花の匂い、色とりどりの雨、そしてもの哀しいラ・クンパルシータでありましょう。</p><p>　そして、彼は人生観その根底に「偶然」という運命的な観方を強く信じて譲らない人でした。それは彼の「可能性の文学」にも発展していきますが、作品の奥に作中人物の設定に於いて常に「偶然」をもってきています。</p><p>　若干34歳の作家は、旅先の東京で喀血のためこの世を去りました。憂愁と孤独と愛憐も、偶然とともに空しくなってしまったのでしょうか。（辻歌子）</p><p>　 「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇の◇　野口英世(1876～1928)　明治・大正期の細菌学者</title>
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    <published>2012-01-19T01:33:22Z</published>
    <updated>2012-01-19T01:38:01Z</updated>

    <summary> 野に在りて　仁智の口を究めつつ 英特の医は　世々に燦たり   　日本が誇る世界の細菌学者・野口英世は、福島県の猪苗代湖畔の貧農の子に生まれたそうです。わたしは磐梯山を望む生家の跡を訪れたことがあります。 　ひとり田舎に残された母親が、渡米している息子の英世にあてたたどたどしい涙...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">野</span></strong><span style="font-size: 130%;">に在りて　仁智の<strong>口</strong>を究めつつ<br /> <strong>英</strong>特の医は　<strong>世</strong>々に燦たり</span></p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="300" width="300" alt="18-noguchi.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/18-noguchi.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>  </blockquote> <p>　日本が誇る世界の細菌学者・野口英世は、福島県の猪苗代湖畔の貧農の子に生まれたそうです。わたしは磐梯山を望む生家の跡を訪れたことがあります。</p> <p>　ひとり田舎に残された母親が、渡米している息子の英世にあてたたどたどしい涙の文字が拡大して展示してありました。<br /> 「&hellip;はやくかへってくたされ　くたされ　たのみまする&hellip;」のくだりは、息子を持つ母親のわたしの心に表現しがたい悲しみを伝えてきました。いろりの中に落ちて不具となった頭脳のすぐれた少年と親の苦しみはどんなであったことでしょう。</p> <p>　彼はその後、苦難を乗り越えて医師となり、北里柴三郎伝染病研究所に入り、またロックフェラー医学研究所で梅毒の病原体であるトレポネーマ(スピロヘータ・バリータ)という細菌の存在を見つけ、華々しい功を治めたのです。</p> <p>　ところが、黄熱病の病原体を発見するためアフリカのガーナで研究に没頭していたのですが、自らがこの菌に侵され崇高な生命をとられてしまったことはひとのよく知るところではあります。ものの本によれば、黄熱病の病原体は1万分の１ミリの微生物ウイルスであることが、現在では分かっているのですが、その頃は分からなかったのだそうであります。</p> <p>　医学のこともよく分かりませんが、彼が身を以って証明してくれた偉大な事実を後世は大層ありがたく思わねばなりませんね。彼はナポレオンは一晩に３時間しか眠らなかったのだから、自分もそうするのだといったそうです。アメリカで結婚した女性とのことはよく分かりませんが、家庭がなかった彼が克服した人生の寂寥とはどんなだったでしょうか。</p> <p>　少年の彼が「―たとえ片手が不自由でもきっと立派な人間になってみせます―」と仰いだであろう磐梯山は、今も見事な四季を見せていることでしょう。（辻歌子）</p> <p>　「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></p> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇ゐ◇　石川啄木(1886～1912)　明治時代の詩人・歌人・評論家</title>
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    <published>2012-01-19T01:19:40Z</published>
    <updated>2012-02-22T06:45:11Z</updated>

    <summary> 石菖の　匂う川辺に啄々と 木々を恋する　キツツキの歌      　東海の小島の磯の白砂に　われ泣きぬれて蟹とたわむる 　友が皆われよりえらく身ゆる日は　花を買い来て妻とたのしむ まず思い出すのはわたしの好きな歌ですが、彼には27年という短い生涯の間、いつも貧困がついてまわってお...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote>
<p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">石</span></strong><span style="font-size: 130%;">菖の　匂う<strong>川</strong>辺に<strong>啄</strong>々と<br />
<strong>木</strong>々を恋する　キツツキの歌</span></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="300" height="300" alt="17-ishikawa.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/17-ishikawa.jpg" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" />
</span>
</blockquote>
<p>　東海の小島の磯の白砂に　われ泣きぬれて蟹とたわむる</p>
<p>　友が皆われよりえらく身ゆる日は　花を買い来て妻とたのしむ<br />
<br />
<br />
まず思い出すのはわたしの好きな歌ですが、彼には27年という短い生涯の間、いつも貧困がついてまわっておりました。</p>
<p>　生地の岩手県から上京。そして渋民村、北海道の函館、小樽、釧路を経て再び東京と、転々漂泊の旅を続けました。最後は小石川久堅町の侘しい借家でひっそりと亡くなったのです。</p>
<p>　啄木は、甘い哀しいさびしい歌ばかりを詠んでいますが、なかには、ようやく見つけた朝日新聞社の校正係という職を得たとき、上司を「太いなる彼の身体(からだ)が憎かりき　その前にゆきて物を言う時」と謳い放っていて爽快です。</p>
<p>　啄木は写真などで見るに、蒼白く弱々しい印象を受けます。まして胸の病いを抱えていましたから、猛々しい男性とはいい難かったでしょう。彼が強靭な肉体に対する眩しい憧れは想像できます。</p>
<p>　また、彼は叙情詩人の魂だけでなく、一時社会主義思想に接近し、国家権力への抵抗を感じてつぎの時代に対する新思想の啓蒙に情熱を燃やしはじめた時期もあったというのですが、なにしろ肺結核という業病には勝てませんでした。</p>
<p>　わたしは彼が底をつく貧乏の中を仕事探しに腐心していたとき、どこの雑誌社も見向きもしなかったということが、なにか理不尽のように思われてなりません。朝日入社後の歌、</p>
<p>こころよきああこの疲れ　息もつかず仕事をしたる後のこの疲れ</p>
<p>　に、啄木の複雑な慟哭を感じるではありませんか。処女歌集『一握の砂』から死後出版の『悲しき玩具』まで、啄木の抒情は日本の詩歌の宝であります。（辻歌子）</p>
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<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<blockquote>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br />
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</div>
</blockquote>]]>
        
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    <title>文化サロン「平安時代のライバルたち」第３回を開催しました</title>
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    <published>2012-01-16T03:10:38Z</published>
    <updated>2012-01-16T03:30:24Z</updated>

    <summary><![CDATA[      　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」。このシリーズで、&ldquo;平安時代のライバルたち&rdquo;をテーマにした「歴史人物対決シリーズ　平安時代編」の第３回講座が１２月１５日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。京都観光企画会社「らくたび」代表...]]></summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
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        <category term="イベントレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="162" width="240" alt="20111215-rakutabi-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111215-rakutabi-01.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
</span>
<p>　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」。このシリーズで、&ldquo;平安時代のライバルたち&rdquo;をテーマにした「歴史人物対決シリーズ　平安時代編」の第３回講座が１２月１５日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。京都観光企画会社「<a href="http://www.rakutabi.com/">らくたび</a>」代表の山村純也さんが「崇徳上皇ＶＳ後白河天皇～日本最大の怨霊ＶＳ日本国第一の大天狗～」と題して、午前と午後の部で講演。会員計約８０人が参加し、平安末期の朝廷での権力闘争などについての話に耳を傾けました。</p>
<p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《院政と貴族の没落》</strong></span></p>
<p>　まず、２人が活躍する直前の時代背景について考察しました。この頃は藤原氏による摂関政治の黄金期、紫式部らも活躍した道長・頼通の時代です。</p>
<p>　「この華やかな貴族文化がなぜ起こったのかと言うと、社会の乱れもあって新たな荘園領主が増え、認めてもらいたい新領主が中央の貴族に年貢を納め、一方で旧領主も少ないながらも納めていたため、収入が急に増える状況に一時的になった」からだそうです。</p>
<p>　しかし「そのうち新領主は、納めなくともすむことに気付いて納付をやめ、武士になっていった」ので貴族は経済的に打撃。朝廷も「藤原氏主流に縁が薄い白河天皇が上皇となり、しがらみを断って院政を行いだした」ため、藤原氏らは力を弱めていったようです。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="170" width="260" alt="20111215-rakutabi-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111215-rakutabi-02.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《崇徳上皇の歩み》</strong></span></p>
<p>　崇徳上皇と後白河天皇はともに、鳥羽天皇（上皇）と藤原璋子（待賢門院）の子供とされます。しかし鎌倉時代初期の説話集「古事談」によると崇徳は（鳥羽の祖父の）白河法皇と璋子の子で、鳥羽は崇徳を「叔父子（おじご）」と呼んでいた、とあります。「自分の子ではないのかもと思ったら愛情は感じない。鳥羽は璋子は好きだったが、若い藤原得子（美福門院）に傾いていった」という状況だったようです。</p>
<p>　崇徳は幼くして天皇になりますが、２４歳の時に鳥羽と美福門院の子（近衛天皇）に皇位を譲ることを強いられます。「まだ若く不満はあったようだが、自分の子を皇位につかせる可能性は残っていた」ため耐えたようです。その近衛天皇は夭折したものの「鳥羽と美福門院の画策で、同母弟の後白河が皇位を継ぐことになって崇徳は大いに落胆した」とのこと。</p>
<p>　後白河は崇徳に対して警戒を強め「鳥羽の臨終の際も末期の対面を許さず、初七日を勝手にやるなど崇徳を追い詰めた」そうです。この結果、起こったのが崇徳と後白河が争った『保元の乱』。この時代に台頭してきた平氏、源氏を巻き込んでの大乱となりましたが、崇徳は敗れて讃岐へ流されました。</p>
<p>　讃岐で崇徳は仏教に傾倒し写経に専念します。完成した五部大乗教の写本を朝廷に送りますが、呪いが込められていると考えた後白河に送り返され怒り心頭。「舌をかみ切って出た血を使い、自分は大魔王となって皇を民に民を皇とする、などとした呪いの言葉を記して憤死した」そうです。その後、二条天皇や高倉天皇が若くして死に、平清盛（民）が太政大臣になり、飢饉も起きたことなどから「崇徳が史上最大の怨霊であると認識された」とのことです。</p>
<p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《後白河天皇の歩み》</strong></span></p>
<p>　一方、後白河も本来は皇位を望める状況ではなく、「若い頃は謡いである今様にのめり込む気楽な遊び人の生活を送っていた」そうです。しかし、２９歳の時に急きょ天皇にまつりあげられ、崇徳との政治対決に勝利した後は、４年後に実子（二条天皇）に皇位を譲ってからも、３０年余りにわたり院政を行います。</p>
<p>　その長期政権ですが「一貫した政治方針はなく、その場しのぎで大局観には乏しいもの」。保元の乱後は清盛を抜擢するものの、平氏の勢力が大きくなりすぎると『鹿ケ谷の陰謀』を企て、平氏が都を去ると源義仲、源義経、源頼朝と頼る相手を次々と節操なく変えて暗躍します。</p>
<p>　「良く言えば、しぶとく粘り強い。のらりくらりの態度は京都らしいとも言える」そうで、後に頼朝から「日本国第一の大天狗」とまで評される、武士を右往左往させた策略家となります。が、結局は初の武家政権である鎌倉幕府の誕生を許してしまいます。</p>

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    <img height="205" width="140" alt="20111215-rakutabi-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111215-rakutabi-03.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
</span>
<p><span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《『保元の乱』と２人の影響》</strong></span></p>
<p>　ところで、２人の運命を決定づけた『保元の乱』ですが、後白河方の平清盛、源義朝は、ともに源平の若きリーダー。「芸術好きで取り巻きも同じようなメンバーしかいない後白河のため、亡くなる前の鳥羽が、頭領が味方するように画策した」ためのようです。</p>
<p>　崇徳方にも清盛の叔父・平忠正や義朝の父・源為義ら実力者がつきますが「後白河側が夜討ちで先制攻撃を仕掛け、混乱を招いて大勝利」となります。つまり「後白河は乱では何もできず、父（鳥羽）が残してくれた力で切り抜けたが、ここから人生の第２ステージが始まった」ということです。「年長の崇徳は必死で頑張ったが及ばなかった。もし、崇徳が勝ったら歴史的にも変わった可能性がある、日本史上でも重要な戦い」となるようです。</p>
<p>　崇徳はその後「最後の怨霊とされ朝廷に悪いことがあると、すべて崇徳の祟りとされた」とか。一方「信仰するとご利益がある」ともされ、崇徳をまつる白峯神社は、明治天皇が勅命で建立。昭和天皇も東京オリンピック開催の時に、成功を願ってこの神社に勅使を出したそうです。</p>
<p>　一方、後白河は今様歌謡の集成である『梁塵秘抄』を残し、熊野神社など三熊野を京都に勧請。蓮華王院（三十三間堂）を建立したほか、朝廷の財政を支えた広大な領地の「長講堂領」も残しました。２人とも後々にまで大きな影響を与えており「ある意味で、すごい兄弟だったとも言える」そうです。</p>]]>
        
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    <title>近寄り過ぎないのがいい　女優 冨士眞奈美さん・吉行和子さん</title>
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    <published>2012-01-13T08:00:00Z</published>
    <updated>2012-01-13T08:04:36Z</updated>

    <summary>　女優の冨士眞奈美さんと吉行和子さん。仲の良さはテレビの旅番組などでもおなじみ。私生活では俳句という共通の趣味を持つ以外、お互いのライフスタイルを尊重し深く関わらない大人の関係が長続きの秘訣だという（文・南本哲雄、写真・瀧誠四郎）大人の関係 　「２５年くらい付き合ってるけど、約束...</summary>
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    <category term="歌に生き、恋に生き" label="歌に生き、恋に生き" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p>　女優の冨士眞奈美さんと吉行和子さん。仲の良さはテレビの旅番組などでもおなじみ。私生活では俳句という共通の趣味を持つ以外、お互いのライフスタイルを尊重し深く関わらない大人の関係が長続きの秘訣だという（文・南本哲雄、写真・瀧誠四郎）</p><p><span style="color: rgb(0, 51, 102);"><span style="font-size: 120%;"><strong>大人の関係</strong></span></span></p> <p>　「２５年くらい付き合ってるけど、約束してご飯食べたりしたことは一度もない。近寄り過ぎないのがいいのよね」</p> <table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0" align="left" width="1" class="catp">     <tbody>         <tr>             <td><img height="210" width="140" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201201-iv-01.jpg" alt="201201-iv-01.jpg" /></td>         </tr>         <tr>             <td align="left"><strong><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><span style="font-size: 90%;">ふじ・まなみ</span></span></strong><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><span style="font-size: 70%;">　静岡県出身。俳優座養成所卒。昭和４５年～４８年のテレビドラマ「細うで繁盛記」の小姑役でブレーク。映画「切られ与三郎」テレビ「奥様は１８歳」など多数に出演。主な著書に随筆集「てのひらに落花」、初句集「瀧（たき）の裏」。</span></span></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>　沈黙が嫌いと賑やかにしゃべり続ける冨士眞奈美さん。その横でニコニコしながらうなずく吉行和子さん。女優として経験してきた役柄も違えば、私生活も正反対。家にいるのが大好きで、作った料理を近所におすそ分けしたりするという冨士さんに対し、吉行さんは「隣に住んでいる人が誰なのか全然知らないの」とおっとり表情で話す。</p> <table cellspacing="0" cellpadding="0" border="0" align="right" width="1" class="catp">     <tbody>         <tr>             <td><img height="210" width="140" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201201-iv-02.jpg" alt="201201-iv-02.jpg" /></td>         </tr>         <tr>             <td align="left"><strong><span style="color: rgb(0, 51, 102);"><span style="font-size: 90%;">よしゆき・かずこ</span></span></strong><span style="color: rgb(0, 51, 102);"><span style="font-size: 70%;">　東京生まれ。映画「愛の亡霊」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。最近は「佐賀のかばいばあちゃん」「おくりびと」などに出演。エッセー集「どこまで演（や）れば気がすむの」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。</span></span></td>         </tr>     </tbody> </table> <p>　一人の自由が好きという吉行さんも、子を産み育ててきた冨士さんの生き方がうらやましいと感じることがある。わが子を初めて抱きしめた時の柔らかさや温かさは一生忘れられないと聞かされた時に、「私は女としてとても大きな忘れ物をした気がした」と思ったという。</p>  <p>　「何でも欲張っちゃだめよ。私が子供の後を追っかけまわしてる時にあなたは恋愛したり、いい仕事して賞をもらったりして拍手を浴びてきた。おしめ変えたからって誰も拍手してくれるわけじゃない。引き換えよ」と話す冨士さんの言葉がお互いのライフスタイルを尊重し合う間柄を物語る。</p> <p>　人生の楽しみ方は悩まないことだと口をそろえるお二人。「朝起きてすることがある、何かしたいという希望があることが元気になる薬。自分を喜ばせる新しいものを常にを探しています」という吉行さんに対し、冨士さんは「若い時は悩みも快楽だけど、欲望から解放された今は心が自由で平凡に生きることが人生を楽しむ秘訣」だという。</p> <p>　「若い頃にいろいろあったことを乗り越えてきた二人が大人になってから巡り合い、（人生）最後の部分を一緒に向き合って」楽しんでいる関係は&quot;素敵&quot;という言葉以上に輝いていた。</p>]]>
        
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    <title>「コシノ家ゆかりの岸和田散策３」を開催しました</title>
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    <published>2012-01-06T08:31:29Z</published>
    <updated>2012-01-06T08:57:34Z</updated>

    <summary>　世界的ファッションデザイナー・コシノ３姉妹の母親で、朝の連続テレビ小説「カーネーション」（ＮＨＫ）の主人公のモデルでもある故・小篠綾子さんの足跡をたどる、ウェーブ産経の「コシノ家ゆかりの岸和田散策」が１２月１０日、大阪府岸和田市内で開かれました。　１０月２２日、１１月１９日に次...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="253" width="170" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111210-kisiwada-01.jpg" alt="20111210-kisiwada-01.jpg" /></span><p>　世界的ファッションデザイナー・コシノ３姉妹の母親で、朝の連続テレビ小説「カーネーション」（ＮＨＫ）の主人公のモデルでもある故・小篠綾子さんの足跡をたどる、ウェーブ産経の「コシノ家ゆかりの岸和田散策」が１２月１０日、大阪府岸和田市内で開かれました。</p><p>　１０月２２日、１１月１９日に次ぐ３回目で、会員約８０人が参加。綾子さんが通学（後に中退）した泉南高等女学校の跡地なども初めて見て回りました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《&ldquo;カーネーション&rdquo;色の商店街》</strong></span></p><p>　今回も南海本線岸和田駅が集合場所。岸和田ボランティアガイドの永谷裕久会長らの案内で、４班に分かれて出発しました。</p><p>　まずは、綾子さんの&ldquo;お膝元&rdquo;である「岸和田駅前通商店街」へ。入り口に綾子さんと夫、３姉妹を描いた絵が掲げられています。「以前はだんじりの絵だったが、カーネーション放映に合わせて変えられた」のだとか。綾子さんが愛しただんじりに関しては、商店街の路面がだんじりの重さに耐えるインターロッキングブロックになっていることや、だんじりが通る路地は看板が邪魔しないよう折り畳み式にしていることなども説明してくれました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="196" width="200" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111210-kisiwada-02.jpg" alt="20111210-kisiwada-02.jpg" /></span><p>　綾子さんの実家兼洋装店を改装したギャラリー「洋裁コシノ」を見学。向かいにあるＮＨＫのギャラリー「カーネーション」には、綾子さんがモデルになった主人公・小原糸子を演じる尾野真千子さんの等身大パネルや番組紹介パネル、糸子が作った心斎橋百貨店の制服やアッパッパなど&ldquo;番組出演&rdquo;グッズも並び、みなさんも興味深げに眺めていました。</p><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《古い街並を巡って》</strong></span></p><p>　商店街を離れ、府道を旧紀州街道方面へ向かって歩きます。２階に綾子さんの洋裁教室があった「アメリカ衣料」、ジュンコさんが曳いただんじりがある「五軒屋町だんじり小屋」などがあります。３姉妹が通った「中央小学校」の校舎も外から見ました。昭和６年建築というレトロな講堂が魅力的です。</p><p>　旧紀州街道では、道がクランク状に曲がって、だんじり通過の難所となっている「堺口門跡」や、小篠家御用達の「小川のコロッケ店」（旧・西田ミート）、大正～昭和初期の市の中心街だった「欄干橋」界隈などを一巡。「かじやまち」「寿栄広（すえひろ）商店街」などを通って、昼食場所となっている同市別所町の「日本料理　うおり」に到着しました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="187" width="140" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111210-kisiwada-03.jpg" alt="20111210-kisiwada-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《イチジク味噌の朴葉焼き》</strong></span></p><p>　「うおり」の女将、平松弓枝さんは、綾子さんの大姪にあたります。つまり、ドラマでは小原静子として出てくる綾子さんの妹、系（けい）さんの孫です。平松さんは、元気なおばあちゃんだったという綾子さんの思い出などを語ってくれました。</p><p>　昼食は、綾子さんが大好きだったという「イチジク味噌の朴葉焼き」をメーンにした特別御膳です。「&hellip;朴葉焼き」は、和牛や野菜とイチジク味噌を、その場で陶板で焼く同店のオリジナル料理。香ばしく、甘辛い味で食が進みます。</p><p>　ほかにも、マグロとイカの刺身▽ゴマ豆腐▽サワラの塩焼▽サザエのクルミあえ▽エビや海老芋などの煮物▽魚そうめんの吸い物－など豪華な内容。なかでも玉子焼は、昆布だしと隠し味にオレンジジュースを使った、綾子さん得意の一品を再現したものでした。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="226" width="150" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111210-kisiwada-04.jpg" alt="20111210-kisiwada-04.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《中退した&ldquo;母校&rdquo;も訪問》</strong></span></p><p>　食後まず訪れたのは、岸和田駅南東にあり、綾子さんが入学した府立泉南高等女学校（後の府立岸和田高等女学校、府立和泉高校）の跡地。現在、岸和田市福祉総合センターとなっていますが、高等女学校時代の建物も残り、センター分館として利用されています。</p><p>　建物は鉄筋３階（一部４階）建てで、和泉高校百年誌によると、昭和１２（１９３７）年１０月落成とのこと。綾子さんの中退はこれより少し前で、通った校舎ではないようです。しかし４階となっている南隅の角を円く処理するなど、凝ったデザインは時代を感じさせ、色あせた壁や窓枠も年季十分。「学校をやめてパッチ屋にいく」。そう友人らに宣言し、服飾の道へと進み出した当時の雰囲気を伝えてくれます。</p><p>　次いで立ち寄った「別寅かまぼこ城内寮」は元旅館「萬翠園」で、綾子さんらが三味線会などを開いたとか。ドラマでは神戸の祖父母宅という設定で、外観などが登場しています。近くの「岸和田市立自泉会館」も見学。昭和７年に当時の寺田財閥が建てたスペイン様式のモダン建築で、国登録有形文化財です。この後は岸和田城、岸和田だんじり会館なども見て回り、小篠家を育んだ文化の一端に触れました。</p>]]>
        
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    <title>「ホテルクリスマスケーキと中之島サンセットクルーズ」を開催しました</title>
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    <published>2012-01-05T02:04:06Z</published>
    <updated>2012-01-05T02:19:40Z</updated>

    <summary>　クリスマス直前の昨年１２月１７日、ブッシュドノエルを味わい、船からイルミネーションを楽しむイベント「ホテルクリスマスケーキと中之島サンセットクルーズ」（ウェーブ産経主催）が、大阪市内で開催されました。約７０人の会員が参加し、一足早く、クリスマス気分を満喫しました。　参加者は、ま...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="148" width="290" alt="20111217-xmas-cruising-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111217-xmas-cruising-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　クリスマス直前の昨年１２月１７日、ブッシュドノエルを味わい、船からイルミネーションを楽しむイベント「ホテルクリスマスケーキと中之島サンセットクルーズ」（ウェーブ産経主催）が、大阪市内で開催されました。約７０人の会員が参加し、一足早く、クリスマス気分を満喫しました。</p><p>　参加者は、まず大川の川沿いに建つ大阪キャッスルホテルに集まりました。１９８０年代に活躍した英国のデュオ「ワム！」のヒット曲「ラスト・クリスマス」などがＢＧＭに流れ、会場はクリスマスらしい雰囲気に。サンドイッチとパンケーキ、クリスマスケーキの定番、ブッシュドノエルなど、オリジナルのアフタヌーンティーセットをいただきました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="188" width="250" alt="20111217-xmas-cruising-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111217-xmas-cruising-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　クリスマスケーキを味わった後は、ホテルの近くにある八軒家浜船着場へ。赤と緑の衣装を着たサンタクロースによるアコーディオンとクラリネットの生演奏に迎えられながら、観光船、アクアライナーに乗り込みました。</p><p>　船内でも「赤鼻のトナカイ」「サンタが街にやってくる」など、おなじみのクリスマスソングが演奏され、参加者も口ずさみながら、いよいよクルーズが始まりました。</p><p>　船から眺めるのが、クリスマスシーズンに水都、大阪のシンボル、中之島をイルミネーションで彩るイベント「ＯＳＡＫＡ光のルネサンス」です。</p><p>　今回のクルーズは、中之島をぐるっと１周し、たっぷりとイルミネーションを楽しむことができるコースが特別に設定されました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="210" width="280" alt="20111217-xmas-cruising-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111217-xmas-cruising-03.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　点灯前の準備が進む会場の様子を眺めながら、船は土佐堀川を進み、淀屋橋もくぐり、進んでいきます。残念ながら、この日は雲に隠れてしまい、夕焼けを見ることはできませんでしたが、中之島の西端でＵターンし、堂島川へ。すでにイルミネーションが点灯し始め、青く輝く中之島ガーデンブリッジをくぐり、光に彩られた会場を眺めながら、ライトアップされた天神橋をくぐると、中之島東端でＵターンし、再び土佐堀川へ。</p><p>　さっきまでは準備中だった会場も、すっかり光り輝き、大勢の人でにぎわう様子が船からも見えました。約１時間のクルーズを楽しんだ後は、淀屋橋港に上陸しました。</p><p>　その後も会場を自由に散策。ロマンチックなクリスマスを楽しみました。</p>]]>
        
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    <title>「粟田山荘で味わう京菓子の心と京料理」を開催しました</title>
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    <published>2012-01-04T07:02:32Z</published>
    <updated>2012-01-04T07:14:00Z</updated>

    <summary>　贅（ぜい）を凝らした数寄屋造りの建物で京都の和菓子を味わうイベント「粟田山荘で味わう京菓子の心と京料理」（ウェーブ産経主催）が１２月１４日、京都市東山区の粟田山荘で開催されました。　スイーツの情報サイト「関西スイーツ」の協力で実施。午前と午後の２回合わせて約６０人の会員が参加し...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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    <category term="関西スイーツ" label="関西スイーツ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="238" width="310" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-sweets-01.JPG" alt="20111214-sweets-01.JPG" /></span><p>　贅（ぜい）を凝らした数寄屋造りの建物で京都の和菓子を味わうイベント「粟田山荘で味わう京菓子の心と京料理」（ウェーブ産経主催）が１２月１４日、京都市東山区の粟田山荘で開催されました。</p><p>　スイーツの情報サイト「<a href="http://www.kansaisweets.com/">関西スイーツ</a>」の協力で実施。午前と午後の２回合わせて約６０人の会員が参加しました。ウェーブ産経では毎月、スイーツを味わうイベントを企画していますが、今回は珍しく、和菓子でした。</p><p>　会場の粟田山荘は昭和１２年に西陣の織元の別荘として建てられ、現在は京都ホテルオークラ別邸として京料理を提供しています。「ミシュランガイド京都・大阪・神戸・奈良２０１２」では、３年連続で一つ星に選ばれ、快適性では最上級の評価を得ています。</p><p>　今回は、１０月２９日から１１月６日まで京都府内で開催された「第２６回国民文化祭・京都２０１１」の茶会に出された茶菓子が、このイベントのために特別に再現されました。</p><p>　テーブルに並んだ茶菓子は、以下の通りです。</p><blockquote><p>　</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="356" width="470" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-sweets-02.JPG" alt="20111214-sweets-02.JPG" /></span><p>「水に浮かぶ紅葉」　「からくれない」　「つながり」　「秋のおとずれ」　「まゆまろ」　「露玉草」　「うろこ雲」　「二本松」　「京の秋」　「秋の落ち葉」</p></blockquote><p>　これらの茶菓子は市販されていないため、国民文化祭の茶会でしか食べることができなかったものです。参加した皆さんは「貴重やなー」と言いながら、それぞれが選んだ和菓子を味わいました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="167" width="250" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-sweets-03.JPG" alt="20111214-sweets-03.JPG" /></span><p>　その後は、京都府菓子工業組合理事長で府菓子技術専門校校長、北岡恵夫さんから京菓子の歴史や文化について話を聞きました。</p><p>　まず京都独特の和菓子として例に挙げられたのが、意外にも、みたらし団子でした。北岡さんによると、みたらし団子は京都が発祥で、形は５つが基本だそうです。</p><p>　続いて、なぜ京都の和菓子が甘いのかについて、昔は甘いイコールうまいだったからと説明。また、「京菓子」というブランドが法的に整備され、現在では、京都で作られたものしか京菓子という名前を使えなくなっていることなども説明しました。</p><p>　昼食は、旬の食材を使った季節の弁当。紅葉が見事な庭園を眺めながら、いただきました。</p><p>　しめくくりは、京都市営地下鉄の四条駅、京都駅、山科駅で限定発売され、人気のオリジナルスイーツ「麿のお気にいり　水尾の柚子ちーず」。参加者におみやげとして配られ、京菓子、京料理づくしのイベントになりました。</p>]]>
        
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    <title>こころつたえ第七回「和宗総本山　四天王寺を訪ねる」</title>
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    <published>2012-01-04T02:51:45Z</published>
    <updated>2012-01-04T03:25:35Z</updated>

    <summary> 　聖徳太子の建立とされ、日本最古の官立寺院である四天王寺。伝統文化を重んじ、日本人の美しい心を伝える「こころつたえ」の第７回会合「和宗総本山　四天王寺を訪ねる」（ウェーブ産経主催）は１２月１４日、かつての国家鎮護・済世利民の拠点で、志を引き継いできた大阪市天王寺区の同寺で開かれ...</summary>
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        <category term="イベントレポート" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="207" width="140" alt="20111214-kokoro-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-01.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　聖徳太子の建立とされ、日本最古の官立寺院である四天王寺。伝統文化を重んじ、日本人の美しい心を伝える「こころつたえ」の第７回会合「和宗総本山　四天王寺を訪ねる」（ウェーブ産経主催）は１２月１４日、かつての国家鎮護・済世利民の拠点で、志を引き継いできた大阪市天王寺区の同寺で開かれました。</p> <p>　「こころつたえ」とは、関西１５０社寺で構成する神仏霊場会の協力で、住職や宮司らの講話を聞き、文化財にも触れて、日本人の心や生き方を再発見する運動です。</p> <p>　今回講話を行ってくれたのは同寺執事長の森田俊朗さん。「聖徳太子の遺業を受け継いで」がテーマで、約１３０人の会員が参加、重要文化財の五智光院で話に耳を傾けました。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="183" width="280" style="float: right; margin: 0 0 10px 10px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-02.jpg" alt="20111214-kokoro-02.jpg" /></span> <p><span style="color: rgb(128, 128, 0);"><strong>《断悪修善、社会貢献》</strong></span></p> <p>　森田さんは、東日本大震災後に略奪や暴動もなく被災者が協力したことで、外国メディアも驚いたことを挙げ「日本人の心を再確認できた。譲り合い助け合うのは、日本人の体の中にある宗教心から」と指摘。</p> <p>　さらに、創建の経緯を記す「四天王寺御手印縁起」（国宝）の一節で、聖徳太子の教えの言葉である「断悪修善...」を引用し、「修善、つまり善を修めるのは相手がいなければできない。私の考えだが、宗教というのはみんなを幸せにする行動が伴わなければならない」と続けました。</p> <p>　そして、太子による仏教導入について「仏教を利用したと言う人もいるが、やはり仏教をみなが信仰することで、人の為に役立てていくことを目指された。実践し社会貢献する仏教。そのために四天王寺を建立し（敬田院や悲田院などを設けて）社会貢献事業を行い、浄土を作ろうと考えられた」としました。</p> <p>　「四天王寺はその心を受け継いでいる」そうです。ゆえに、四天王寺学園の学園訓に十七条憲法の条文を取り入れ、四天王寺福祉事業団の宣言に「人の幸せこそを大切に」などと教えを取り入れているのだとか。「社会貢献するのが四天王寺の特徴。自分のためでなく人のために生きることこそ仏教の本質」と締めくくりました。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="110" width="160" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-03.jpg" alt="20111214-kokoro-03.jpg" /></span> <p>　<span style="color: rgb(128, 128, 0);"><strong>《昼食は仕出しの名店のお弁当》</strong></span></p> <p>　本坊客殿に場所を移しての昼食は、仕出し料理の専門店「木津　うを新」による「幕間膳」です。▽刺身（マグロ、イカなど）▽天ぷら（エビ、オクラ、カボチャなど）▽煮物（高野豆腐、カボチャ、生麩など）▽漬け物－が彩りよく並べられ、見るだけでおいしさが伝わってきます。魚の吸い物も上品な味でした。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="146" width="220" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-04.jpg" alt="20111214-kokoro-04.jpg" /></span> <p>　<span style="color: rgb(128, 128, 0);"><strong>《太子の志を学ぶ》</strong></span></p> <p>　午後からは伽藍の見学ですが、その前に同寺参詣部課長で、支院の１つ「勝鬘院（しょうまんいん＝愛染堂）」住職の山岡武明（ぶみょう）さんが、同寺建立の由来や太子の功績などを紹介してくれました。</p> <p>　山岡さんによると同寺建立前は、蘇我氏が仏教で国をまとめようとしたが、蘇我氏に上に立たれるのが嫌なライバル物部氏は、旧来の神道を盾に反対する状況だったとか。仏教は試しに導入されますが、飢饉が起き結局禁止。しかし蘇我氏だけは仏教を学ぶことを許されたそうです。</p> <p>　このため天皇の血筋でも蘇我一族に産まれた太子は幼い頃から仏教を学ぶことができたとか。太子１４歳の時に起きたという蘇我馬子と物部守屋の争いは軍事氏族である物部氏が当初は有利に。ところが太子が、勝てばお堂を建てると四天王に祈願したところ、守屋に矢が当たり蘇我氏が勝利したそうです。太子は５９３年に願いを立てた場所に同寺を建立。「四天王寺は&quot;約束の地&quot;に建っているのが他の寺院とは大きく違うところ」だそうです。</p> <p>　晴れて仏教が認められ外国文化も流入。しかし「太子は仏教の哲学を入れたかったが、神様を追い出したかったのではない。宗教戦争で悲惨な目にあったから『仏教のいい所を勉強しながら神道のいい所も取り入れなさい』と諭した。日本人が各宗教の&quot;いいとこ取り&quot;できるのも、このおかげ」とのことです。</p> <p>　「四天王寺は宗派を広める寺ではなく太子の遺業を受け継ぎ実践する寺で、人の為になることをするのがモットー」「太子は見返りを求めず人助けしたいという信念を貫いたが、これは大変な事。どれだけ偉大だったのかが分かってくる」と締めくくりました。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="168" width="250" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-05.jpg" alt="20111214-kokoro-05.jpg" /></span> <p>　<span style="color: rgb(128, 128, 0);"><strong>《古式伝える伽藍配置》</strong></span></p> <p>　この後は班に分かれ、僧侶による案内で境内を見学しました。立派な「本坊通用門」（重要文化財）を出て、まず向かったのが境内中央にある雄大な「六時礼賛堂」（同）。六時堂とも呼ばれ、薬師如来や四天王などをまつっています。回向や納骨などを行う同寺の中心道場だそうです。六時堂前の「亀の池」に面しているのは、こちらも重要文化財の「石舞台」。元々は白木の舞台だったとか。</p> <p>　境内西側には「北鐘堂」「見真堂」「大師堂」などが並び、浄土真宗の親鸞上人や真言宗の弘法大師らの像も。宗派を問わない同寺ならではの光景です。西側入り口には、驚くことに「石の鳥居」が建っていました。木造だった創建時の鳥居を１２９４年に石造に変えたものが残り、重要文化財。寺に鳥居とは奇妙ですが「昔は結界の意味で建てた。寺にも無かったわけではない」そうです。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="210" width="150" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-06.jpg" alt="20111214-kokoro-06.jpg" /></span> <p>　転法輪がある「極楽門」をくぐって中心伽藍に向かいます。同寺は昭和２０年３月の空襲で七堂伽藍の大半は焼失しましたが、中心伽藍は同３８年に再建されました。「仁王門」「五重塔」「金堂（本堂）」「講堂」が南北一直線に並んで周囲を回廊が巡る、古式の「四天王寺式伽藍配置」を再現しています。</p> <p>　中心伽藍には「西重門」から入りました。高さ３９・２メートルの五重塔をはじめ、どの建物も堂々たる風格を感じさせます。金堂にあり、寺の本尊で太子の化身とされる救世観世音菩薩像や四天王像、講堂にある阿弥陀如来坐像などを拝顔し、地下に保存されている国内最古の下水道跡も見ることができました。</p> <p>　続いて「万灯院」「南鐘堂」などを見ながら東へ回り、「太子殿（聖霊院）」へ。ここには太子摂政像が安置され、毎月２２日には法要が営まれているとか。裏には物部守屋の祠もあるそうです。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="153" width="230" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111214-kokoro-07.jpg" alt="20111214-kokoro-07.jpg" /></span> <p>　<span style="color: rgb(128, 128, 0);"><strong>《釣鐘まんじゅうに舌鼓》</strong></span></p> <p>　境内を歩いた後は本坊客殿に戻り一服。サンケイミュージック所属の歌手、小川千春さんが歌声を聴かせてくれました。</p> <p>　お茶請けは、名物の「釣鐘まんじゅう」（釣鐘屋本舗）です。明治３３（１９００）年に地元有志が大梵鐘を奉納し、これを記念に作られたお菓子だとか。梵鐘は戦争での供出で失われましたが、このまんじゅうが在りし日の姿を伝えているそうです。</p> <p>　会員のみなさんは休憩後も、極楽浄土の庭と言われる「本坊庭園」や、これに面した「方丈」（重要文化財）も見て回るなど、心ゆくまで楽しんでいました。</p>]]>
        
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    <title>《花に親しむ》正月の準備</title>
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    <published>2011-12-28T01:38:49Z</published>
    <updated>2011-12-28T01:43:04Z</updated>

    <summary>　今回の「花に親しむ」はホテルオークラ神戸の正月装飾について紹介しています。《詳細はこちら》...</summary>
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        <name>管理者</name>
        
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        <category term="コラム" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[<p>　今回の「花に親しむ」はホテルオークラ神戸の正月装飾について紹介しています。《<a href="http://www.sankei-kansai.com/2011/12/28/20111228-059145.php">詳細はこちら</a>》</p>]]>
        
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    <title>アフタヌーン健康サロン＜第２回＞「季節と身体（冬の養生）～冷え対策と風邪（かぜ）予防～」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-28T00:50:30Z</published>
    <updated>2011-12-28T01:00:56Z</updated>

    <summary>　「風門を暖め、風邪（ふうじゃ）を防ぎましょう」　冬の寒さ対策は万全ですか？。ウェーブ産経とキリン堂共催のアフタヌーン健康サロン。その第２回講座が１２月６日、大阪市北区の新阪急ホテルで開かれました。テーマは「季節と身体（冬の養生）～冷え対策と風邪（かぜ）予防～」。キリン堂マーケテ...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="150" width="200" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111206-kirin-01.jpg" alt="20111206-kirin-01.jpg" /></span><p>　「風門を暖め、風邪（ふうじゃ）を防ぎましょう」</p><p>　冬の寒さ対策は万全ですか？。ウェーブ産経とキリン堂共催のアフタヌーン健康サロン。その第２回講座が１２月６日、大阪市北区の新阪急ホテルで開かれました。テーマは「季節と身体（冬の養生）～冷え対策と風邪（かぜ）予防～」。キリン堂マーケティング戦略室室長で薬剤師の百海（どうみ）典子さんが、漢方からみた風邪の考え方や漢方薬の効能などを説明し、会員約７０人が耳を傾けました。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《風邪ってなに？》</strong></span></p><p>　養生を考える上で、まず知っておきたいのが「冬の環境」です。寒さと乾燥が影響し、粘膜が乾燥して風邪をひきやすくなり、寒さによる血管収縮で高血圧の人に影響が出やすく、血行不良で起こる病気もあります。冬の健康ポイントは▽風邪をひかないこと（ひき始めの対応）▽冷え対策（体の暖め方）－の２点となるそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="144" width="120" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111206-kirin-02.jpg" alt="20111206-kirin-02.jpg" /></span><p>　ところで、風邪とはなんでしょうか。西洋医学では主にウイルス感染による上気道の炎症性の病気で「風邪症候群」といいます。８０～９０％が複数のウイルス感染、１０～２０％が細菌やマイコプラズマ（真正細菌の一属）などの感染によるものだそうです。</p><p>　ウイルスなど分からなかった太古に確立された東洋医学では、風の邪気「風邪（ふうじゃ）」によって引き起こされるとされ、経絡（気が通る道）が背中・首・頭・鼻・のどを通っているため、背中の上部の「風門」が冷えたりすると、風邪をひくとされているとのことです。</p><p>　予防法は▽手洗い▽マスク▽うがい－などがありますが、百海さんは「充分な睡眠と休養をとることが一番」と強調しました。東洋医学的には▽風門がある背中を暖める▽カロリーと水分を補って体温調節と内の気（抵抗力）を強くする－の２点がポイント。背中に温湿布を貼るのも効果的とか。「西洋医学は外邪（菌など）を制するのに特化したが、東洋医学は抵抗力を高めるのに重点を置いている」のだそうです。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="218" width="290" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111206-kirin-03.jpg" alt="20111206-kirin-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《治療と漢方薬》</strong></span></p><p>　風邪治療は「こじらせないよう、ひき始めが大切。漢方薬で共通するのが『暖めて発汗させる』という作用」だそうです。</p><p>　薬以外で効果があるのは日本茶▽葛湯▽卵酒。「例えば日本茶のタンニンは鉄分吸収を妨げるが、ウイルス増殖には鉄分が必要なため有効」「ビタミンＣやカテキンなど抗酸化作用があるものは、自損作用がある活性酸素を抑えてくれる」「免疫は小腸で作られるので、消化に時間がかかる油分は避ける」などと説明してくれました。</p><p>　漢方薬に含まれる生薬の種類と選ぶポイントです。</p><p>　◎葛根湯（かっこんとう）＝葛根・麻黄・桂枝（けいし）・生姜（しょうきょう）・甘草・大棗（たいそう）・芍薬（しゃくやく）－の７種。風邪初期の頭痛、発熱、寒気に有効。「葛粉入りの生姜湯の上級品と言える。肩こりにも有効で、常備薬として使い勝手が良い」そうです。</p><p>　◎桂枝湯＝桂枝・芍薬・大棗・生姜・甘草－の５種。葛根湯と同じ症状で、かつ汗が出ている「虚症」（体力があまりない人）タイプ向け。のぼせを下げる効果あり。</p><p>　◎小青竜湯＝麻黄・桂皮・乾姜（かんきょう）・半夏（はんげ）・細辛（さいしん）・五味子（ごみし）・芍薬・甘草－の８種。風邪初期にくしゃみ・鼻水が止まらず、水っぽい痰が多く出る場合。水分代謝を改善する。</p><p>　◎麻黄湯＝麻黄・桂皮・杏仁（きょうにん）・甘草－の４種。３８度以上の高熱が出て、関節痛や腰痛がある場合。</p><p>　◎麦門冬湯（ばくもんどうとう）＝麦門冬・半夏・人参・粳米（こうべい）・大棗・甘草－の６種。咳止めで、風邪の後に咳が残った時にのどを潤す薬。</p><p>　以上の５つの薬を覚えておけば、概ね対応できるそうです。</p><p>　<span style="color: rgb(0, 0, 128);"><strong>《冷え性と対策》</strong></span></p><p>　体が暖まっても手足が冷たい冷え性は「血行不良」とも言えるそうです。この症状が出やすいのは▽胃腸の弱い人▽泌尿器が弱い人（水分代謝が悪い）▽婦人科系のトラブルがある人。冷えで体温が０・５度ダウンしただけで免疫活性が３５％低下し、免疫力も弱くなるとのことです。</p><p>　冷え性は、不適切な食生活▽衣服の薄着▽夏の冷房▽運動不足や筋力の低下－が主な原因になるといいます。これを解消するには、▽旬の食べ物（体を温める物）を食べる▽熱い物を食べる▽水分を採りすぎない▽過食を避ける－ことが大切だそうです。足の血行を良くして冷え性を解消するための「かかと上げ下げ運動」や、足の指による「タオルたぐりよせ運動」も教えてもらいました。</p><p>　　　　◇</p><p>　講義終了後も会員のみなさんは、冷え性の状態などについて百海さんに質問。キリン堂の専売で、高麗人参、生姜エキスなどが入り冷えや風邪予防に効果がある「紅人参四物飲料」（７２０ミリリットル、３９８０円）の試飲も行われ、人気を集めました。</p>]]>
        
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    <title>トーク＆ミュージックフォーラム「真田幸村と大坂の陣」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-28T00:14:35Z</published>
    <updated>2012-01-05T01:56:57Z</updated>

    <summary> 　大坂の陣で大活躍し「日本一の兵（つわもの）」とまで賞賛された豊臣方の武将・真田幸村の魅力に、講演や歌などで迫るウェーブ産経のトーク＆ミュージックフォーラム「真田幸村と大坂の陣」が１２月５日、大阪市中央区のＫＫＲホテルで開かれました。 　大阪城天守閣研究主幹の北川央（ひろし）さ...</summary>
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    <category term="大阪城" label="大阪城" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="225" width="220" alt="20111205-sanada-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　大坂の陣で大活躍し「日本一の兵（つわもの）」とまで賞賛された豊臣方の武将・真田幸村の魅力に、講演や歌などで迫るウェーブ産経のトーク＆ミュージックフォーラム「真田幸村と大坂の陣」が１２月５日、大阪市中央区のＫＫＲホテルで開かれました。</p> <p>　大阪城天守閣研究主幹の北川央（ひろし）さん▽ＯＳＫ日本歌劇団トップスターで、幸村役を演じた桜花昇ぼる（おうか・のぼる）さん▽幸村の妻役などを演じた朝香櫻子（あさか・さくらこ）さん▽シンガー・ソングライターのリピート山中さん－の４人が出演。知的で、かつゴージャスなイベントになりました。</p> <p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《基調講演「真田幸村と大坂の陣」》</strong></span></p> <p>　大阪城天守閣復興８０周年プロジェクト参加事業。会員約１２０人が参加しました。最初に北川さんが、幸村ら真田一族の興亡について講演しました。</p> <p>　◎真田氏の出自＝清和天皇の皇子・貞保親王を祖とする海野氏の流れをくむ幸村の祖父・幸隆が、信濃・真田郷に住み「真田」氏を名乗ったとするのが、真田氏の公式見解。幸隆は天文１０（１５４０）年に村上義清らに攻められ逃げますが、後に武田信玄に仕えて領地奪回。信玄が死んだ翌年の天正２（１５７４）年に亡くなりますが、跡継ぎの長男や二男が翌年の長篠の戦いで討死、真田家はピンチとなります。</p> <p>　◎真田昌幸と豊臣政権＝昌幸は幸隆の三男。幼い頃から信玄の人質で、近習として信玄から薫陶も得たそうです。長篠の結果を受けて家督を継ぎますが、武田家滅亡後は主家を北条、徳川、上杉と次々鞍替えします。「上野国沼田の領地を守るためだが、かなり特異な動き」だそうで、昌幸のしたたかさが伺えます。上杉傘下での第１次上田合戦（神川合戦）では、上田城で徳川勢７千人余りを２千弱の兵で撃破します。</p> <p>　豊臣秀吉の仲裁で沼田は真田領と北条領に分かれますが、北条が約束を破り真田領に攻め込んで起きたのが秀吉の小田原攻め。この頃、昌幸は徳川家康に長男・信幸、秀吉に二男・信繁（後の幸村）を出仕させ、信幸は家康重臣・本多忠勝の娘、信繁は豊臣家奉行・大谷吉継の娘と結婚。２人の行く末にも影響します。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="147" width="150" alt="20111205-sanada-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　ところで信幸は正式には源三郎信幸、信繁は源次郎信繁。長男が「三郎」、二男が「次郎」では逆のような気がします。北川さんは「２人は正室の山手殿の子とされているが実は違うのでは。信繁が側室の子で先に生まれた可能性もある」との見解を示しました。</p> <p>　◎関ケ原合戦から大坂の陣へ＝慶長５（１６００）年の関ケ原の戦いでは昌幸・信繁が西軍、信幸が東軍に。昌幸・信繁は第２次上田合戦で、秀忠率いる徳川本隊約３万８千人をわずか３千人ほどで引きつけ、関ケ原本戦に遅参させます。「秀忠にとっては大きな傷となり、豊臣ゆかりの大名に借りができてしまう」結果となりました。</p> <p>　信幸の嘆願で２人は助命されましたが、昌幸は慶長１６（１６１１）年に配流先の九度山で死亡。同１９年の大坂冬の陣を前に九度山を脱出した信繁は、大坂城の弱点に真田丸を設け大軍を翻弄します。翌年の夏の陣では道明寺の戦いで退却のしんがりを務め、決戦では家康本陣へ突入。「三方ケ原で（武田信玄に）負けて以来、金扇馬印が倒れるほど家康を追いつめた」が最後は力尽きました。</p> <p>　ところで「幸村」という名は「古文書にはなく、なかったという説と夏の陣前に名乗ったとの説がある。『幸』は真田の通字で、幸村という名は大坂の陣後、早々と色々な資料に出ており、名乗ったという考えは否定できない」とか。</p> <p>　一方、信幸は「徳川家に逆らった『幸』をはばかり『信之』に改名。大坂の陣後、松代（現・長野市）に転封され、改易の危機も乗り越えて９３歳まで長生きした。真田家の松代藩は幕末まで存続。他にはほとんど残っていない石田三成の手紙も残すなど、気骨ある一族」とのことです。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="146" width="110" alt="20111205-sanada-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《昼食は「真田御膳」》</strong></span></p> <p>　ランチは、ホテル特製の「真田御膳」。内容は、塩サバ黄味焼き▽高野豆腐含め煮▽車エビあぶり▽厚焼き玉子▽若鶏山椒焼き▽菜種胡麻浸し▽マグロ山かけ▽茶碗蒸し▽タイのすまし汁－など。ご飯は、おにぎりといなりずしを竹の皮に包んだ&ldquo;戦国風&rdquo;です。すまし汁のニンジンやダイコンも丸くくり抜かれ、並べると真田の旗印「六連銭」になる凝りようでした。</p> <p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《華やかに歌とトーク＝第１部》</strong></span></p> <p>　午後は、幸村が主人公のＯＳＫミュージカル「真田幸村～夢・燃ゆる～」「ＹＵＫＩＭＵＲＡ－我が心　炎の如く－」にそれぞれ出演した桜花さん、朝香さんと、リピート山中さんが加わり歌とトークのフォーラム。スター登場で会場は一気に華やぎました。</p> <p>　まずは、リピートさんがヒット曲『ヨーデル食べ放題』を披露。次いで、桜花さんが「我が心&hellip;」の挿入曲『白き信濃路』を歌い上げました。豊かな声量で聴く人を魅了します。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="155" width="300" alt="20111205-sanada-05.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-05.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　北川さんは両ミュージカルの監修に携わっており、「我が心&hellip;」の中で家康が淀殿に結婚を迫るシーンについて「史料的な根拠がある話で、秀吉が秀頼を守るため最後に考えた策。しかし淀殿が家康との結婚をいやがり大坂の陣になった」と紹介してくれました。</p> <p>　ここで、幸村が幽閉された和歌山県九度山町の岡本章町長もゲストで登場。同町では１１月に「夢・燃ゆる&hellip;」の公演があり、平成２０年の「真田まつり」では桜花さんらがパレードに参加。桜花さんは「馬に乗ったのはあの時が初。太鼓の音に馬が興奮して心配でしたが、幸村が落ちてはいけないと頑張りました」と思い出を語り、朝香さんも「十勇士の１人として出陣させていただき感動しました」と振り返ります。</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="159" width="140" alt="20111205-sanada-06.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-06.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　２人は九度山のシーンの歌となる『幸村・茜の歌』（「夢・燃ゆる&hellip;」より）と『走馬灯のように』（「我が心&hellip;」より）の２曲を披露してくれました。</p> <p>　歌の題名にもある「茜」はツツジの精で朝香さんが演じた役柄。北川さん創出のキャラで「夏の陣で赤備えの真田軍を見た東軍の武将が、ツツジの花が咲いているようだ、と記録していたことから思いついた」とか。ちなみに「我が心&hellip;」で朝香さんは幸村の妻、阿岐を演じますが「陣後の落人狩りで浅野家に捕まった後はどうなったか分からない」とのことです。</p><p>&nbsp;</p> <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="149" width="280" alt="20111205-sanada-04.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-04.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span> <p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《深紅の装束も鮮やかに＝第２部》</strong></span></p> <p>　休憩後の「歌とトーク」第２部で、桜花さんは深紅の甲冑姿に。「夢・燃ゆる&hellip;」の主題歌『もののふ』と、「我が心&hellip;」の同『我が心　炎の如く』を堂々と歌い上げます。朝香さんも妖精役の艶やかな衣装で花を添えてくれました。</p> <p>　幸村役が板に付いた桜花さんですが「劇をやるまで全く知らない存在」で、幸村最期の地の安居神社（大阪市天王寺区）近くに住んでいた時も「『真田』とあるので真田広之さんに関係あるのかな、と思っていた（笑）」とか。しかし今では「公演をやるたび、まだまだ幸村の心をつかんでいないと毎回反省しながら続けている」そうです。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="187" width="210" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111205-sanada-07.jpg" alt="20111205-sanada-07.jpg" /></span> <p>　リピートさんも２００７年に上演された演劇「大坂夏の陣　踊るシジフォス！１６１５」の主題歌『さめやらぬ夢』を披露。この劇は「冬の陣から夏の陣の間に民衆が踊り狂ったという事実を元に、庶民の側から大坂の陣を浮き彫りにした作品」（北川さん）とか。リピートさんも「歌には、支配者が変わっても庶民が『なにくそ』と立ち上がった、強い思いがこもっている」と語りました。</p> <p>　最期に北川さんは、幸村の首実検で持ち寄られた首は本人かどうか怪しく、生き延びた可能性があることや、天草の乱で天草四郎が秀頼の子を名乗ったことなど、大坂の陣にまつわる謎を述べて、トークを締めくくりました。</p>]]>
        
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    <title>「いずみホール　たのしっくクラシック♪」今年も主催公演を無事終えました</title>
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    <published>2011-12-26T08:06:15Z</published>
    <updated>2011-12-26T08:19:03Z</updated>

    <summary>　いよいよ年の瀬、さまざまな出来事が起こった２０１１年でしたが、皆様にはどのような１年だったでしょうか。おかげさまでいずみホールは全ての主催公演を無事に終えました。皆様のお引き立てに心から感謝いたします。　さて来年、ぜひ注目していただきたいコンサートは〈第７回　ウィーン音楽祭ｉｎ...</summary>
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        <![CDATA[<p>　いよいよ年の瀬、さまざまな出来事が起こった２０１１年でしたが、皆様にはどのような１年だったでしょうか。おかげさまでいずみホールは全ての主催公演を無事に終えました。皆様のお引き立てに心から感謝いたします。</p><p>　さて来年、ぜひ注目していただきたいコンサートは〈第７回　ウィーン音楽祭ｉｎ　ＯＳＡＫＡ〉です。</p><p>これは、ヨーロッパと日本の名だたるアーティストが揃う贅沢な音楽祭です。毎年元旦にテレビ中継される〈ニューイヤーコンサート〉で有名な「黄金のホール」を持つウィーン楽友協会の協力を得て企画し、３年に一度いずみホールだけで開催しているものです。</p><p>　この音楽祭の第１回目は１９９３年に開催しました。音楽祭の最後を飾ったのは、今は亡き朝比奈　隆さんが指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団。プログラムはベートーヴェンの交響曲第１番と第３番「英雄」でした。この演奏はＮＨＫが収録しＦＭで放送されることになりました。</p><p>　公演当日の客席は超満員、さらに音楽祭の最終日とあって、いやがうえにも緊張感が高まります。そして朝比奈さんと大阪フィルの期待に違わぬ熱演に、聴衆は惜しみない拍手を送ったのでした。</p><p>　ところで、この録音を放送しようとすると「え？！」ということに。「英雄」の演奏時間が６３分だったのです。ふつうは５０分ほどで演奏される曲ですが、朝比奈さんの棒にかかると、やはりと言うべきでしょうか、長くなってしまいました。</p><p>　当時、放送を予定していた番組は放送時間が６０分。どうしても放送時間内におさまりません。結局、この録音が電波に乗ることはありませんでした。それから１８年を経て、ついに幻の録音が聴ける日がやってきます。</p><p>　朝比奈さんが亡くなって１０年目の命日となる１２月２９日にＮＨＫ－ＦＭ「今日は一日&ldquo;朝比奈　隆&rdquo;三昧」（放送時間は午前１０時から午後９時までのたっぷり１１時間）の中で放送される予定です。</p><p>　毎回、ドラマを生む「ウィーン音楽祭ｉｎ　ＯＳＡＫＡ」は、来年の秋に開催します。詳細は来年の１月に発表する予定ですが、出演者も曲目も豪華な音楽祭になります。どうぞご期待ください。来年が皆様にとってよい年になりますように。</p><p style="text-align: right;">（いずみホール　石田富美子）</p><blockquote><p>《石田富美子さんのプロフィル》<br />事業局営業部副長。平成元年の開設準備当時から現在まで、いずみホールを見守ってきた。小鼓をたしなむ&ldquo;キャリアウーマン&rdquo;。　いずみホールホームページは<a href="http://www.izumihall.co.jp/">こちら</a></p></blockquote>]]>
        
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    <title>「奈良・東大寺ミュージアムへ行こう！」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-22T08:43:00Z</published>
    <updated>2011-12-22T08:52:52Z</updated>

    <summary> 　奈良市にある東大寺の境内に寺宝を展示する施設、東大寺ミュージアムを含む東大寺総合文化センターが、１０月にオープンしました。その東大寺について同寺の筒井寛昭上院院主から話を聞き、同ミュージアムを訪れるイベント「奈良・東大寺ミュージアムへ行こう！」（ウェーブ産経主催）が１２月９日...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img width="280" height="227" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111209-toudaiji-01.JPG" alt="20111209-toudaiji-01.JPG" /></span> <p>　奈良市にある東大寺の境内に寺宝を展示する施設、東大寺ミュージアムを含む東大寺総合文化センターが、１０月にオープンしました。その東大寺について同寺の筒井寛昭上院院主から話を聞き、同ミュージアムを訪れるイベント「奈良・東大寺ミュージアムへ行こう！」（ウェーブ産経主催）が１２月９日、同市内で開催されました。</p> <p>　会場は近鉄奈良駅から歩いてすぐのフランス料理店「ビストロ　ル・クレール」。地下にあるので隠れ家のようですが、実は、地元で評判の人気店です。まるで南仏のような店内に約３０人の会員が集まり、筒井院主から東大寺の建立などを学びました。</p> <p>　まず、なぜミュージアムが誕生したのかという説明から始まりました。もともとは古くなった収蔵庫を新しくしようと計画し、一般の人にも見てもらおうと、３年かけて完成したそうです。場所は東大寺学園の跡地で、地震に備えて、収蔵庫の一部とミュージアムは免震構造になっているそうです。</p> <p>　続いて、東大寺の建立という本題に入りました。境内の敷地面積は約１０万坪という説明に、参加者から驚きの声があがりました。かつては３倍の約３０万坪もあったというから、さらに驚きです。</p>      <p><img width="200" height="150" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111209-toudaiji-02.JPG" alt="20111209-toudaiji-02.JPG" /></p><p>　現在の大仏殿は江戸時代に復興されたもので、約１３００年前に創建された当時のものは正面の幅が約８８メートル。現在の約５７メートルよりも大きかったそうです。</p> <p>　奈良時代には、長屋王の変、藤原広嗣の乱、恵美押勝（藤原仲麻呂）の乱が続き、天然痘が流行しました。天然痘で亡くなった人は「公家から庶民まで数えることができないほど」とまで書かれたそうです。天候不順で飢饉（ききん）も続き、混乱の時代でもありました。</p> <p>　聖武天皇は、混乱の中で、人々を救うためには、人々が幸せになるためには、どうしたらいいのかと考え、全国各地に国分寺を建立。その延長として作られたのが、東大寺だと解説しました。</p> <p>　そして、「人々の幸せのために」という思いから作られた大仏についての説明もありました。座高が約１５メートルもある大仏は、３年かけて、８段に分けて作られ、現在の山口県の銅が約５００トンも使われたそうです。塗られた金は、現在の宮城県から運ばれたそうです。</p> <p>　また、平城京から平安京へ都が移る際、寺や神社は移さなかったため、京都にある寺は、すべて平安時代以降に作られたものと解説。それも内乱などで、そのまま残っているものは少なく、京都のまわりには平安時代のものが残っていますが、京都市内で平安時代のものを見いだすのは難しいそうです。</p> <p>　ところが、奈良には寺や神社が残されたため、飛鳥時代や奈良時代の文化がそのまま残されているそうです。平安時代よりも１００年も前のものが残っているのは大切なことだと訴えました。</p>      <p><img width="582" height="150" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111209-toudaiji-03.JPG" alt="20111209-toudaiji-03.JPG" /></p><p>　東大寺について知識を深めた後は、お待ちかねのランチタイム。この日のメニューはパルマ産の生ハムを使ったサラダ、黒毛和牛のほほ肉など。ほほ肉は赤ワインで３日間、煮込んだそうで、すーっとナイフが入るほど。とろけるようなやわらかさでした。</p> <p>　デザートはグレープフルーツを使ったプリン。グレープフルーツの皮を漬け込んだ牛乳を使っているそうで、さっぱりとした甘さに、皆さんも満足したようでした。</p> <p>　その後は、各自で開館記念の特別展「奈良時代の東大寺」を開催中の東大寺ミュージアムを鑑賞し、東大寺を参拝。古き良き奈良に触れることができたのではないでしょうか。</p>]]>
        
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    <title>文化サロン「京都検定１級合格記者の取材裏話」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-21T00:41:21Z</published>
    <updated>2011-12-22T08:36:42Z</updated>

    <summary>      　産経本紙の連載「新・都名所図絵　京都検定１級合格記者版」を執筆してきた園田和洋記者を講師に招いての、ウェーブ産経の文化サロン「京都検定１級合格記者の取材裏話」が１１月２１日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。園田記者は訪れた寺の四季折々の魅力、取材での思...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="224" width="298" alt="20111121-sonoda-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111121-sonoda-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　産経本紙の連載「新・都名所図絵　京都検定１級合格記者版」を執筆してきた園田和洋記者を講師に招いての、ウェーブ産経の文化サロン「京都検定１級合格記者の取材裏話」が１１月２１日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。園田記者は訪れた寺の四季折々の魅力、取材での思いやこだわりなどを語り、参加した約３０人の会員のみなさんも熱心に耳を傾けました。</p>
<p>　「新・都名所図絵&hellip;」は平成２１年５月２４日に序編、本編は同６月２日から２３年８月２０日まで２年余りの間、計８９回にわたり掲載されました。京都市内の寺社の庭や舞妓の花簪（かんざし）、恒例行事など、季節の&ldquo;表情&rdquo;を見せるものを主に取り上げ、京の風情を伝えています。講座では資料や映像の写真を見ながら、その魅力を紹介してくれました。</p>
<p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《寺社の四季》</strong></span></p>
<p>　<strong>◎正伝寺</strong>（北区西賀茂）＝小堀遠州作と伝わる庭が有名。岩を使わず白砂とサツキの刈り込みのみで構成されています。「比叡山を借景としている所が魅力だが天候にも左右される。写真では広く見えるが、意外に狭い庭。私自身は正月に正伝寺へ行くのが恒例となっている」そうです。冬の雪、春のサクラ、そしてツツジの開花期となるほど変化に富んだ庭です。</p>
<p>　<strong>◎詩仙堂</strong>（左京区一乗寺）＝禅寺ですが、元は小堀遠州と並び称される石川丈山が造った隠居所。「大雪の日は一番最初に行こうと決めていた寺。朝６時ごろは降っておらず寝直したが、８時ごろ雰囲気で雪に気付きタクシーで駆けつけた」「紅葉の名所で、その後に柿の実が残る雰囲気も良い。サツキも美しく、紙面では、角川映画の『天と地と』のキャッチコピーのパロディで『赤と白のエクスタシー』と題して、サツキと雪の写真を合わせて掲載した」とか。</p>
<p>　<strong>◎源光庵</strong>（北区鷹峯）＝「本堂の窓は丸が『悟りの窓』、四角が『迷いの窓』という。ここからのぞく庭の景色は趣があり、紅葉と雪では、全く違う写真になる。同じ寺でも季節で味わいが変わるのが、京の寺のすごさ」だそうです。</p>
<p>　このほかにも、▽瑞光寺（伏見区深草）や六角堂（中京区）の１本桜▽大田神社（北区上賀茂）の国天然記念物の自生カキツバタ▽光明院（東山区本町、東福寺塔頭）の名庭園▽拾翠亭（上京区、京都御苑内）の紅葉－などの写真を見ながら特徴を紹介。「光明院などもそうだが、有名寺院の隣ぐらいに隠れた名所がある」「なるべく自分の身近なお寺を出したいこともあり、段々と渋い選択になってきた」などと内実を語ってくれました。</p>

    <img height="304" width="208" alt="20111121-sonoda-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111121-sonoda-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　<span style="color: rgb(51, 51, 0);"><strong>《舞妓の花簪、祇園祭などｅｔｃ》</strong></span></p>
<p>　寺院が&ldquo;渋い&rdquo;ので紙面を華やかに、と選んだのが舞妓さんだそうです。花簪は月によって挿す種類が決められており、▽１月＝松竹梅▽２月＝梅▽３月＝菜の花▽４月＝桜－などと続きます。資料には簪を挿した、可憐な舞妓さんの写真が並びますが「この中で市和佳さんは５年余り舞妓をしており、芸妓になる直前で大変色っぽい。年頃になり色気が出てくると、舞妓の衣装が似合わなくなる」そうです。</p>
<p>　祇園祭の写真は、７月１０日の鉾建てから始まり、山建て（１３日）、宵々々山（１４日）、宵々山（１５日）、宵山（１６日）の各行事と続きます。１７日の山鉾巡行では、長刀鉾や船鉾などを&ldquo;激写&rdquo;。「巡行は自宅近くの新町通りで撮影したが、通りも狭いので迫力ある写真が撮れる」といいます。</p>
<p>　このほか、葵祭（５月）▽五山の送り火（大文字焼き、８月）▽花街総見（１２月）－などの写真も。会場には、祇園をどりでのサイン入り手ぬぐいや扇子、団扇、図録など、取材を通じて入手した品々も並び、目を引いていました。</p>]]>
        
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    <title>受け継いだ&quot;熱い役者魂&quot;　歌舞伎役者・市川染五郎さん</title>
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    <published>2011-12-16T08:00:00Z</published>
    <updated>2011-12-16T04:43:33Z</updated>

    <summary><![CDATA[　来年２月に大阪松竹座で歌舞伎の舞台に立つ市川染五郎さん。ジャンルを超えた活躍ぶりは父親譲り。物静かな雰囲気に隠された熱い役者魂は、「父の背中を見て」学び受け継いだ&quot;歌舞伎役者の自覚&quot;だった。（文・南本哲雄、写真・中里昭博）父の背中を見て    いちかわ・そめ...]]></summary>
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        <![CDATA[<p style="text-align: left;">　来年２月に大阪松竹座で歌舞伎の舞台に立つ市川染五郎さん。ジャンルを超えた活躍ぶりは父親譲り。物静かな雰囲気に隠された熱い役者魂は、「父の背中を見て」学び受け継いだ&quot;歌舞伎役者の自覚&quot;だった。（文・南本哲雄、写真・中里昭博）</p><p style="text-align: left;"><span style="color: rgb(0, 51, 0);"><span style="font-size: 120%;"><strong>父の背中を見て</strong></span></span></p>  <table width="1" cellspacing="0" cellpadding="0" border="0" align="right" class="catp"> <tbody><tr><td><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="225" width="150" alt="201112-somegoro-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201112-somegoro-01.JPG" /></span></td></tr> <tr><td align="left"><span style="font-size: 90%;"><strong>いちかわ・そめごろう</strong></span><span style="font-size: 80%;"><br /> 昭和４８年、東京生まれ。九代目松本幸四郎の長男。姉は松本紀保、妹は松たか子。豊かな演技力で古典から復活狂言、新作歌舞伎まで挑戦し、二枚目から実悪、色悪、女方までつとめる。』「劇団☆新感線」の舞台に立つほか、映画・テレビ俳優としても知られる。</span></td></tr> </tbody></table> <p style="text-align: left;">　「役者は何でもやらなくていいけど、なんでもできなきゃいけない」</p> <p style="text-align: left;">　父、松本幸四郎からよく聞かされた言葉だ。歌舞伎でもそれ以外の舞台でも、一人の人間を演じることに変わりはない。そんな強い意志を貫く父の姿に、同じ役者として尊敬を覚える。</p> <p style="text-align: left;">　「父は芝居に関してはこと細かく教えてくれましたが、叱ることはなかった。親の背中を見てればわかるということでしょうけど、それってプレッシャーだったりするんですよね」</p> <p style="text-align: left;">　一言ひとことを選びながら丁寧に話す。落ち着いた雰囲気に気品が漂う。</p> <p style="text-align: left;">　自身も歌舞伎以外の舞台やテレビ、映画など活躍の場を広げているが、いろんな世界を経験すればするほど、歌舞伎の特殊性を客観視でき、歌舞伎役者だという自覚が強くなるという。</p> <p style="text-align: left;">　歌舞伎の世界で言われる「型（カタ）と腹（ハラ」。セリフまわしなど型を表面的に覚えても、気持ち（腹）がないと何も伝わらない。どんな舞台でも、どんな役が来てもこの教えを肝に銘じている。</p> <p style="text-align: left;">　「スポーツなどと違い白黒つけられないのが芝居の世界。判断は（観客に）ゆだねる、いさきよくて儚い職業。だからそこ何物にも代えがたい」</p> <p style="text-align: left;">　２月の大阪は同世代の２人と共演する。</p> <p style="text-align: left;">　「一緒の時代を生きる３人が刺激し合って、自分も変われる舞台になるんじゃないかと期待がある興行です」と穏やかな笑顔を見せた。</p>]]>
        
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    <title>生活サロン「自分と向き合う『エンディングノート』」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-16T07:12:39Z</published>
    <updated>2011-12-16T07:20:31Z</updated>

    <summary>　「エンディングノート」という言葉をご存じですか？　エンディングノートとは「遺言ノート」「メモリアルノート」などともいわれ、自身の介護や医療、葬儀の希望、家族にメッセージなどを書き残しておくノートのことです。　そのエンディングノートについて学ぶウェーブ生活サロン「自分と向き合う『...</summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="190" width="290" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111207-note-01.JPG" alt="20111207-note-01.JPG" /></span><p>　「エンディングノート」という言葉をご存じですか？　エンディングノートとは「遺言ノート」「メモリアルノート」などともいわれ、自身の介護や医療、葬儀の希望、家族にメッセージなどを書き残しておくノートのことです。</p><p>　そのエンディングノートについて学ぶウェーブ生活サロン「自分と向き合う『エンディングノート』」（ウェーブ産経主催）が１２月７日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開催されました。ラジオ大阪カルチャーサロンの協力で実施され、約３０人の会員が参加しました。</p><p>　講師を務めたのは、きよみ行政書士事務所（大阪市住之江区）の生島清身さん。行政書士として活躍しながら、大阪市北区にある落語の定席、天満天神繁昌亭の落語家入門講座に通い、「天神亭きよ美」という高座名で社会人落語家としても活動しているそうです。この日は着物姿で会場に登場しました。</p><p>　生島さんによると、エンディングノートは昨年夏に大手文具メーカーから発売され、人気を呼んだそうです。「自分の死を見つめるだけでなく、自分と向き合うために、残りの人生をどう生きていくか、考えていただくきっかけになる」と解説が始まりました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="170" width="220" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111207-note-02.JPG" alt="20111207-note-02.JPG" /></span><p>　遺言書に近いものですが、法的な効力はなく、決まった形はありません。つまり、自由に作ることができ、書店などでも手に入れることができます。「遺言書の代わりにはならないので、遺産相続を確実にするには、別に正式な遺言書を作っておく方がいい」という注意もありました。</p><p>　この日の講座では、生島さんが作ったエンディングノートをもとに講義が進められました。</p><p>　書く内容は、５つのテーマに分かれます。プロフィルや思い出、仕事、趣味などの「私について」。小さい頃の夢や、何にあこがれていたかについて考えてみることで、いまやりたいことができているか、確認してみましょうというアドバイスも。</p><p>　さらに、希望の介護について、病名、余命の告知を望むか、望まないか、臓器提供や献体、延命治療などの「介護、医療について」。希望の葬儀、棺に入れてほしいもの、遺影に使ってほしい写真、お墓や仏壇についてなどの「葬儀、お墓について」。財産について、相続についての考えなどの「財産・相続に関すること」。最後に「大切な人へのメッセージ」。</p><p>　特に、伝えたいことは何度でも、そのときの気持ちで書き直してみましょうと呼びかけました。</p><p>　生島さんは「死後のことばかりを考えて書くのではなく、残りの人生を悔いなく生きるために書くもの」と、くり返しました。そして、「自分の思いや考えを遺言書とは別に、ぜひエンディングノートに残していただきたい」と、まとめました。</p>]]>
        
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    <title>「大阪府クリスマスケーキコンテスト見学」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-16T07:04:19Z</published>
    <updated>2011-12-16T07:10:27Z</updated>

    <summary><![CDATA[　大阪のパティシエたちが自慢の腕を競う「第４５回大阪府洋菓子コンテスト&ldquo;水都なスイート&rdquo;クリスマスケーキコンテスト」（府洋菓子協会主催）が１１月２９日、大阪市北区の市中央公会堂で開かれました。出品されたケーキは約１１０点で、その光景はまさに技の競演。ウェー...]]></summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="223" width="290" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111129-cake-01.JPG" alt="20111129-cake-01.JPG" /></span><p>　大阪のパティシエたちが自慢の腕を競う「第４５回大阪府洋菓子コンテスト&ldquo;水都なスイート&rdquo;クリスマスケーキコンテスト」（府洋菓子協会主催）が１１月２９日、大阪市北区の市中央公会堂で開かれました。出品されたケーキは約１１０点で、その光景はまさに技の競演。ウェーブ産経の会員はじめ多くの来場者があり、熱気に包まれました。</p><p>　コンテストは、アメ、チョコレートを素材に、サンタクロースや花などを表現するピエスモンテ、形から「クリスマスの薪」を意味するブッシュ・ド・ノエルなど５部門で、今回から学生部門が新設されました。</p><p>　府内の洋菓子店やホテルなど３５の事業所のパティシエ、専門学校の学生らが、丹誠込めて製作、出品しました。同協会理事ら審査員は、色彩やアイデア、ストーリー性などをポイントに、各作品をチェックしました。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="178" width="230" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111129-cake-02.JPG" alt="20111129-cake-02.JPG" /></span><p>　見学したウェーブ産経の会員らは、精巧かつ豪華な装飾がほどこされたケーキの甘い香りに引き込まれるように、デジタルカメラなどのシャッターを盛んに押していました。</p><p>　このあと、同公会堂の特別室（旧貴賓室）でコンテストに出品した若手パティシエらの話を聞きながら、北浜の菓子店「五感」のケーキを味わいました。</p><p>　「今朝までかかり作品を仕上げた」「アメ作りに苦労した」など製作秘話を明かしてくれたのは、菓子工房「らふれーず」の濱口彰子さん、欧風菓子「ケンテル」の金沢敦樹さん、関空で機内食を製造する「エイエイエスケータリング」の河内定さんの３人。</p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="193" width="250" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111129-cake-03.JPG" alt="20111129-cake-03.JPG" /></span><p>　いずれも大阪の精鋭若手技術者の会「Ｏｓａｋａ　Ｐａｔｉｓｓｉｅｒ　Ｍｏｄｅｒｎ」（ＭＰＯ）のメンバーで、日々、切磋琢磨しているそうです。</p><p>　「五感」の小柴学さんプロデュースのケーキは、「紅玉りんご（青森産）のタルトタタン」「和栗のモンブラン」「クルミのムースショコラ」の３種類。その中から１品を選び、クリスマスの伝統菓子「シュトーレン」「レープクーヘン」を添え、紅茶、またはコーヒーで味わいました。</p><p>　質疑応答では、パティシエを目指している高校２年の女子生徒が「専門学校に進学した方がいいのでしょうか」と尋ねると、パティシエらは「科学的根拠に基づく料理の手順など知識は身に付くと思うが、壁にぶち当たると戸惑うなど頭でっかちな部分がみられる」と応えていました。</p>]]>
        
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    <title>「京の紅葉を訪ねて　伏見稲荷と東福寺界隈」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-16T02:28:37Z</published>
    <updated>2011-12-16T02:53:47Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 　鎮座１３００年を迎えたという伏見稲荷大社や紅葉が見頃の東福寺など&quot;旬の京都&quot;を巡る、ウェーブ産経の歴史探訪ウオーク「京の紅葉を訪ねて　伏見稲荷と東福寺界隈」が１１月２４日、京都市の伏見区と東山区で行われました。会員約６０人が参加し、&quot;隠れた名所&...]]></summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="163" width="200" alt="20111124-rekisi-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111124-rekisi-01.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span> <p>　鎮座１３００年を迎えたという伏見稲荷大社や紅葉が見頃の東福寺など&quot;旬の京都&quot;を巡る、ウェーブ産経の歴史探訪ウオーク「京の紅葉を訪ねて　伏見稲荷と東福寺界隈」が１１月２４日、京都市の伏見区と東山区で行われました。会員約６０人が参加し、&quot;隠れた名所&quot;も訪ねるなどしながら、季節が移りゆく京の風情を楽しみました。</p> <p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《竹林に集う石像》</strong></span></p> <p>　案内役は京都観光企画会社「らくたび」代表の山村純也さんと同社の森明子さん。ＪＲ奈良線の稲荷駅前に集合、２班に分かれて出発しました。同駅は大社の参道入り口に当たり、華やかな朱色の社殿が見えますが、それを横目に最初に向かったのは、静かな住宅地にたたずむ「石峰寺（せきほうじ）」でした。</p>  <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="113" width="170" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111124-rekisi-02.jpg" alt="20111124-rekisi-02.jpg" /></span><p>　石峰寺は黄檗宗の寺で、裏山にある「五百羅漢」が有名。この羅漢像は、江戸時代中期の京都出身の日本画家、伊藤若冲（じゃくちゅう）が描いた下絵を元に石工らが彫ったものだそうです。コスモスなどが花開く寺の境内を進み、裏の坂を上ると竹林があり、石像を並べて〈釈迦生誕〉〈托鉢修行〉〈涅槃場〉など釈迦の生涯を場面ごとに表現しています。</p> <p>　若冲は晩年、この寺の門前に住んでいた縁で石像の下絵を描いたそうですが、鶏などを描いた緻密な日本画とは異なり、大胆にデフォルメされた姿。風雨にさらされ苔むしていますが、素朴で温かみのある風情は伝わってきます。</p>  <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="179" width="270" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111124-rekisi-03.jpg" alt="20111124-rekisi-03.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《迷い込んだ朱色のトンネル》</strong></span></p> <p>　再び伏見稲荷まで戻り境内を巡ります。狛犬の代わりに、神の使いとされる白狐の像が出迎えてくれました。大社は奈良時代の７１１年創建と伝わり、全国に３万ほどある稲荷社の総本宮。初詣で客の多さは全国有数です。鎮座１３００年に合わせて社殿も塗り替えや修理が行われたとか。１５世紀末再建の「本殿」、１７世紀に移築建立の「御茶屋」（いずれも重要文化財）などが並びます。</p> <p>　本殿の裏へ回ると出現するワンダーワールドが「千本鳥居」です。信者が鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まったらしく、特に密集して建てられているのが、神蹟がある稲荷山を遙拝する奥社奉拝所までの区間。朱色に染めた洞窟にも見え、異空間のラビリンス（迷宮）に導かれたような気分になりました。</p> <p>　大社見学後は、門前にあるお食事処「日野家」で昼食です。お稲荷さんは豊穣の神で、稲を食べるスズメは天敵。店頭では大社名物となっているスズメの焼き鳥も売っていました。食事はこちらも名物の、いなり寿司ときつねうどん。京都らしく身欠きニシンの甘露煮や生麩（ふ）、だし巻きもつきました。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="193" width="290" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111124-rekisi-04.jpg" alt="20111124-rekisi-04.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《どこかで見た庭園も》</strong></span></p> <p>　伏見稲荷を後にして北上します。安産の神様・産場稲荷などを経て、平安末期～鎌倉初期の歌人で千載和歌集の撰者「藤原俊成」、室町前期～中期の東福寺の画僧「明兆（兆殿司）」の墓も訪れました。</p> <p>　明兆は東福寺の大涅槃図や聖一国師像なども描いたといわれ、禅宗系仏画の中心人物となった大画家。室町幕府４代将軍の足利義持からも支持されました。東福寺を紅葉の名所にしたのもこの人だそうで、義持が褒美を与えようとしたところ、境内の桜が人の心を浮かれさせ修行の邪魔になるので、花が咲かない木にして欲しいと要望。これで多数あった桜がカエデに植え替えられたとか。</p> <p>　続いて、豊臣秀吉の妹で徳川家康の正室となった朝日姫（旭姫）の墓所がある「南明院」（東福寺塔頭）、&quot;虹の苔寺&quot;と称され池泉式枯山水庭園（昭和１４年、重森三玲作庭）で知られる「光明院」（東福寺塔頭）を訪れました。</p> <p>　光明院の庭園の写真は近年、ＪＲのキャンペーンでも使われたそうです。これ以外にも、どこかで見たような気がしたところ、実は清酒「松竹梅」のＣＭで石原裕次郎と宇野重吉が&quot;問答&quot;したのが、この場所とか。「喜びとは？」「飲むことよ」。２人の渋い声が聞こえてくるようです。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="159" width="240" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111124-rekisi-05.jpg" alt="20111124-rekisi-05.jpg" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《錦秋の大寺院にて》</strong></span></p> <p>　最後にたどりついたのは東福寺。臨済宗東福寺派の大本山です。紅葉の盛りとあって、境内は観光客であふれかえっていました。</p> <p>　現存する禅寺の三門では日本最古の国宝「三門」をはじめ、明治～昭和に再建された巨大な「本堂」「方丈」、重要文化財の「六波羅門」「禅堂」「浴室」などが並び、迫力十分。鎌倉時代に摂政・九条道家が奈良の東大寺、興福寺になぞらえて造営しただけのことはあります。建造物でユニークなのが「東司」（重要文化財）。禅寺としては一番古いトイレだとか。</p> <p>　境内北側の通天橋などが架かる渓谷一帯は、カエデなどが紅葉し、赤や黄色に染まっています。境内で解散し、大半の参加者はＪＲ・京阪の東福寺駅に向かいましたが、途中渡った臥雲橋からも美しい紅葉を堪能することができました。</p>]]>
        
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    <title>「コシノ家ゆかりの岸和田散策２」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-15T07:52:36Z</published>
    <updated>2011-12-15T08:06:51Z</updated>

    <summary>      　世界的なファッションデザイナー、コシノ三姉妹の母、小篠綾子さんの人生を描いたＮＨＫ連続テレビ小説「カーネーション」の舞台を訪ねるイベント「コシノ家ゆかりの岸和田散策」（ウェーブ産経主催）が１１月１９日、大阪府岸和田市内で開かれました。 　１０月２２日に続く、２回目の...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="237" width="212" alt="20111119-kisiwada-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111119-kisiwada-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　世界的なファッションデザイナー、コシノ三姉妹の母、小篠綾子さんの人生を描いたＮＨＫ連続テレビ小説「カーネーション」の舞台を訪ねるイベント「コシノ家ゆかりの岸和田散策」（ウェーブ産経主催）が１１月１９日、大阪府岸和田市内で開かれました。</p>
<p>　１０月２２日に続く、２回目の開催で、あいにくの雨だったにもかかわらず、約８０人の会員が参加。今回は、ドラマに小原静子として登場している綾子さんの実妹、系（けい）さんの孫、すなわち、綾子さんの大姪にあたる平松弓枝さんから思い出話を聞き、綾子おばあちゃんの素顔に触れました。</p>
<p>　平松さんは「日本料理　うおり」の三代目女将（おかみ）。昼食は、南海本線岸和田駅から岸和田だんじり祭の宮入で知られる岸和田天神宮の境内を通り、歩いて５分ほどの同店へ。</p>

    <img height="151" width="132" alt="20111119-kisiwada-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111119-kisiwada-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　綾子さんが大好きだったという同店オリジナルの料理、イチジク味噌（みそ）の朴葉焼きを味わいました。参加した皆さんも珍しい料理に興味津々。朴葉が焼ける香ばしいにおいが立ちこめる中、甘めの味噌に、ご飯が進みました。</p>
<p>　平松さんによると、綾子さんは、妹の系さんよりも１０歳以上は若く見える、元気なおばあちゃんだったそうです。声が大きくて、だんじりのやりまわしのような迫力があったというたとえには、一同、納得。</p>
<p>　逆に、ドラマで麻生祐未さんが小原千代として演じている曾祖母は、テレビで見たまま、あるいは、それ以上に、おっとりとした、ひいおばあちゃんだったそうです。飼っていた小さなサルからカツラをとられても怒らずに、にこにことしているような、ひいおばあちゃんだったという裏話も聞くことができました。</p>

    <img height="129" width="232" alt="320111119-kisiwada-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/320111119-kisiwada-02.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />

<p>　そして、綾子さんが若さの秘訣（ひけつ）として書き残した日記を紹介してくれました。「みんな連日の仕事で疲れている。私は、もっともっと疲れている。でも、それは言えない。これこそが私の若さの秘訣」と。</p>
<p>　平松さんは「決して疲れたと弱音を吐かないことが、何よりの若さの秘訣だったんじゃないでしょうか」と解説しました。</p>
<p>　午前中は雨を避けるためにコースを一部、変更。アーケードのある岸和田駅前通商店街などを中心に観光ボランティアガイドの案内で散策しました。</p>
<p>　綾子さんの次女、コシノジュンコさんが、お釣りだけを大事に持って帰り、買った肉を忘れてきたという逸話が残る「はり重」の前を通り、今回もギャラリー「洋裁コシノ」を見学。「２階から（ヒロインが）だんじりを見てはったね」と、ドラマの場面を思い浮かべる参加者もいました。ＮＨＫのギャラリー「カーネーション」では、撮影風景の放送に見入るなど、ドラマの世界を体感。本徳寺や円教寺にも足を伸ばしました。</p>
<p>　午後は、古い町並みが残る紀州街道を通り、岸和田だんじり会館へ。市のシンボル、岸和田城も見て回り、コシノ家ゆかりの地を満喫しました。</p>]]>
        
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    <title>「紅葉の奥河内でうどん手打ち体験と新酒試飲」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-15T05:26:46Z</published>
    <updated>2011-12-15T06:06:15Z</updated>

    <summary>　大阪市中心部から電車で約３０分の河内長野市。大都市の近郊にありながら、豊かな森、清らかな水など自然に恵まれたこの地域を「奥河内」と呼びます。　ウェーブ産経の今回のイベントは、この地の名水にもこだわった「紅葉の奥河内でうどん手打ち体験と新酒試飲」です。１１月２６日に開かれ、会員約...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="173" width="248" alt="20111126-kawachi-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111126-kawachi-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　大阪市中心部から電車で約３０分の河内長野市。大都市の近郊にありながら、豊かな森、清らかな水など自然に恵まれたこの地域を「奥河内」と呼びます。</p><p>　ウェーブ産経の今回のイベントは、この地の名水にもこだわった「紅葉の奥河内でうどん手打ち体験と新酒試飲」です。１１月２６日に開かれ、会員約３０人が参加。竹炭を入れたうどんを手作りし、紅葉の名刹を見学。絞りたての新酒まで味わうなど、中身の濃い１日となりました。</p><p>　<strong><span style="color: rgb(0, 51, 102);">《会場はダムのある山里》</span></strong></p><p>　集合場所は南海高野線と近鉄長野線が交わる河内長野駅。貸し切りバスで、うどん作り会場の「市立滝畑ふるさと文化財の森センター」へ向かいます。１０分も走らないうちに、回りは奥深い山里の雰囲気。自然の身近さを実感します。</p><p>　センターは同市滝畑地区の、石川をせき止めた滝畑ダムを見下ろす高台にありました。昭和５６年にダムが建設された際、民俗文化財などを守ろうと整備された滝畑民俗資料館と、旧滝畑小学校を利用した青少年活動センターを合わせた施設です。</p><p>　ダムに沈む場所にあった茅葺き民家を移築した「旧梶谷家住宅」は、市指定文化財。同地区の古民家は、府内でも他にない「妻入横割型」という間取りが特徴だとか。同住宅も移築の際に、１８世紀頃一般化したというこの間取りに戻されており、江戸期の暮らしをしのばせてくれました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="161" width="218" alt="20111126-kawachi-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111126-kawachi-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《うどん作りに汗》</strong></span></p><p>　うどん作りは旧青少年活動センターの調理室で。赤々と薪ストーブが燃えています。講師はうどん店などをチェーン展開する「グルメ杵屋」（大阪市住之江区）の京阪奈・和歌山事業部第五地区マネージャーで、うどん職人でもある硲（はざま）保人さん。３、４人ずつテーブルについて作業に取り組みました。</p><p>　まず、用意された２５０グラムの小麦粉に、名水で仕込んだ塩水を徐々に混ぜて、団子ができるまでこねてゆきます。竹炭も入り、色は薄い灰色。「耳たぶぐらいの柔らかさになるように」「塊を作るような感じで体重をかけて」などとアドバイスしてくれますが、少なめの塩水なのでパサついて固まりにくく、なかなか難しい作業。少し水を足すなどし、ようやく団子を作り上げていました。</p><p>　</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="144" width="208" alt="20111126-kawachi-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111126-kawachi-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>本来はここで２時間ほど寝かせるそうですが時間がないため早めに切り上げ、次の三つ折りして圧縮する作業に。「体重をぎゅっとかければ、はね返りが強いコシを生む」とか。さらに麺棒を使い３０センチ四方ぐらいに伸ばします。ここまでくると、みなさんも慣れてきたのか手つきも様になってきました。</p><p>　最後の麺切りは専用の機械で。取り付けてある包丁を一定のリズム、高さで降ろすと、自動的に生地を動かし、同じ太さの麺に切ることができる優れものですが、見た目以上に難しく、太かったり細かったり&hellip;。それでも、何とか完成した&ldquo;マイうどん&rdquo;には、みなさん感慨深い様子でした。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="158" width="224" alt="20111126-kawachi-04.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111126-kawachi-04.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《しみじみ味わう鍋焼きうどん》</strong></span></p><p>　苦労して作ったうどんで調理してもらったのが特製の鍋焼きうどん。さらに、コンニャク田楽▽黒豆の煮物▽カブの漬け物▽原木シイタケを使った炊き込みご飯－が並びました。</p><p>　いずれも滝畑産中心の&ldquo;地産地消&rdquo;の食材がメーンですが、なかでもコンニャクは、この日朝採ったイモを使った新鮮なもの。使っている水の質も影響してか、ご飯の味付けやうどんの出汁も絶妙で、疲れた体にしみじみと染みいる昼食だったようです。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="202" width="138" alt="20111126-kawachi-05.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111126-kawachi-05.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《紅葉の名刹にて》</strong></span></p><p>　滝畑地区を後にして向かったのは、市内でも紅葉３名所の１つと言われる「天野山金剛寺」です。</p><p>　同寺は聖武天皇の勅願で行基が開創し、弘法大師も修行したという由緒正しい寺院。南北朝時代には、南朝の後村上天皇が食堂（じきどう）を正殿として６年間執務し「天野行宮（あんぐう）」と呼ばれた一方、同じ頃に南朝方に軟禁された北朝の３上皇と皇太子も同寺を御座所とし、南北両朝が同座するという極めて珍しい状況になったと言われています。</p><p>　境内を「かわちながの観光ボランティア倶楽部」の人たちの案内で見学。金堂（重要文化財）は修理中で建屋に覆われていますが、同じく重要文化財の楼門、食堂、多宝塔などを見て回りました。本坊にも入り、宝物館などを見学。中庭にあたる庭園の紅葉は最盛期を迎えており、会員のみなさんも会心のショットを目指し、熱心にカメラを構えていました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="158" width="228" alt="20111126-kawachi-06.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111126-kawachi-06.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(0, 51, 102);"><strong>《絞りたての新酒で&ldquo;乾杯&rdquo;》</strong></span></p><p>　境内を清流が流れ、水に恵まれた天野山金剛寺は室町時代、現代の酒造りにつながる僧坊酒「天野酒」を生み出したことでも知られます。最後に訪れたのは、その天野酒を&ldquo;復活&rdquo;させた地元の酒蔵「西條合資会社（西條酒造）」でした。</p><p>　同社では、前日に絞ったばかりの新酒を試飲。フルーティでかぐわしい香りが鼻をくすぐります。この日は人気の「栗入り酒まんじゅう」も販売しており、会員のみなさんも熱々に舌鼓を打ったり、お土産用に酒を品定めするなどして、楽しかった１日を締めくくっていました。</p>]]>
        
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    <title>《花に親しむ》「ソリに乗ってさぁ出発！」クリスマス　ディスプレイ</title>
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    <published>2011-12-14T02:56:09Z</published>
    <updated>2011-12-14T03:08:45Z</updated>

    <summary>　今回はクリスマスディスプレイの制作過程を写真付きでご紹介しています。《詳細はこちら》...</summary>
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        <![CDATA[<p>　今回はクリスマスディスプレイの制作過程を写真付きでご紹介しています。《<a href="http://www.sankei-kansai.com/2011/12/14/20111214-059004.php">詳細はこちら</a>》</p>]]>
        
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    <title>文化サロン「平安時代のライバルたち」第２回を開催しました</title>
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    <published>2011-12-13T01:23:24Z</published>
    <updated>2011-12-13T01:31:45Z</updated>

    <summary><![CDATA[　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」シリーズで、&ldquo;平安時代のライバルたち&rdquo;をテーマにした「歴史人物対決シリーズ」平安時代編の第２回講座が１１月１７日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。午前と午後の部で会員計約８０人が参加し、京都観光企画...]]></summary>
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        <![CDATA[<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="199" width="270" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" class="mt-image-right" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111117-heian-01.jpg" alt="20111117-heian-01.jpg" /></span><p>　ウェーブ産経の文化サロン「３回で学ぶ京都」シリーズで、&ldquo;平安時代のライバルたち&rdquo;をテーマにした「歴史人物対決シリーズ」平安時代編の第２回講座が１１月１７日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれました。午前と午後の部で会員計約８０人が参加し、京都観光企画会社「らくたび」代表の山村純也さんが「菅原道真ＶＳ藤原時平～天才学者と名門貴公子との駆け引きとは～」と題して講義しました。</p> <p>　<strong><span style="color: rgb(0, 51, 0);">《異例の出世を遂げた「菅原道真」の歩み》</span></strong></p> <p>　菅原道真と言えば誰もが知る著名人ですが「菅原氏は大和の菅原村出身の一族で、代々文書を起草したり整理をする文章（もんじょう）博士の家柄。貴族では中流」だったそうです。その中で道真は「１８歳で文章生になり、エリートとして頭角を現わした。讃岐守を拝任した時も、任地に赴き地方政治に携わるなど、真面目で実直な人柄が伺える」とのことです。</p> <p>　学問に秀でて頭脳明晰。私利私欲もなく、実直に仕事をこなす人柄で宇多天皇の信頼を得て、キャリアを積み重ねたとか。遣唐使という国家事業に対しても不要と判断して中止を申し出るなど、気骨にもあふれ、藤原氏をけん制したい宇多天皇にも大いに重用されたそうです。</p> <p>　ところが「宇多天皇が現役時代は問題なかったが、この天皇は元気なのに引退して後を醍醐天皇に譲り、自分で創建した仁和寺に僧として入るという前代未聞の行動に出た」のです。後ろ盾を失った道真は８９９年、右大臣に昇進したものの、左大臣だった藤原時平の讒言（ざんげん）で太宰府へ左遷（９０１年）、２年後に亡くなります。</p> <p>　その後、時平が病死し、天皇の皇子らが相次いで死去。御所の清涼殿に落雷して死傷者が出るなどして道真の祟りと恐れられ、北野天満宮に神としてまつられるようになります。</p> <span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="146" width="230" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" class="mt-image-left" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111117-heian-02.jpg" alt="20111117-heian-02.jpg" /></span><p>　<strong><span style="color: rgb(0, 51, 0);">《名門・藤原氏の棟梁「藤原時平」の歩み》</span></strong></p> <p>　道真より約２６歳も若い時平。名はあまり知られていませんが、藤原北家の跡継ぎとして嘱望されていたようです。</p> <p>　父は藤原氏では初めて関白になった基経で、この基経が晩年引き起こしたのが「阿衡（あこう）事件」（８８７年）です。新たに即位した宇多天皇が基経を引き続き関白にしようと出した詔（みことのり）の文章が不適切だと迫り、天皇が謝罪した事件で、藤原氏の権威を誇示しました。</p> <p>　しかし基経は８９１年に死去。当時の時平は２１歳でまだ力はなく「宇多天皇は『阿衡事件』のような事が起こってはいけないと藤原氏を押さえにかかり、代わって道真らが台頭した」そうです。しかし、前述のように宇多天皇の引退で道真は後ろ盾が無いまま時平と対決、敗れたのでした。</p> <p>　時平はその後、宇多上皇との関係を改善し、初の荘園整理令を出すなど意欲的に政治改革にも着手。例えば「醍醐天皇と示し合わせて、わざと豪華な衣装で参内。天皇から叱責を受けて謹慎し、それを見た貴族らがぜいたくを慎むように仕向けるということもした」とか。政治家としても人間的にも魅力があったようですが、３９歳で亡くなり、後は弟の忠平とその子孫が継ぐようになります。</p> <p>　<span style="color: rgb(0, 51, 0);"><strong>《対立の構図》</strong></span></p> <p>　２人の歩みは以上だそうですが、基本的な対立点はなんだったのでしょう。</p> <p>　山村さんは、道真は私利私欲がなく国や皇室の安定を願い、時平は藤原一族がいかに栄えるかを考えていたと解説。その上で「政治的には、道真が桓武天皇時代のような天皇中心の政治を、時平が貴族が有利になる政治を目指し、水と油の関係だった」としました。</p> <p>　一方で、すでに貴族社会のピラミッドは出来上がっていたため「中級貴族らは現在の生活を維持したいと願っていた。道真が昔に戻すと、築き上げた地位を失うかもしれず『気持ちは分かるけど困るよね』という貴族が多かったはず。道真は基本的には学者で、優れた政策は打ち出すが、全体の気持ちからは離れていたと言える」そうです。</p> <p>　そして、左遷の原因とされる讒言（道真が娘婿の親王を皇太弟にしようとしている）についても「周りも道真の人柄を知っているのだから、そんなことをすると思ってはいなかったはず。なのに止めなかった」「宇多上皇もその辺りを分かって道真を守ろうとしたが、及ばなかった」と解説してくれました。</p> <p>　<span style="color: rgb(0, 51, 0);"><strong>《その後への影響》</strong></span></p> <p>　醍醐天皇と次の村上天皇の時代には、摂関を置かない天皇親政が実現します。これを「延喜・天暦の治」と言いますが「宇多天皇と道真が一定の安定を生んだためできたこと。朝廷の権威を高め、貴族から力を取り戻したので、それに乗った形での政治を進めた。藤原氏を継いだ忠平も穏健派で天皇ともうまくやった」との評価です。</p> <p>　しかし、この時代には平将門の乱や藤原純友の乱が起こっており、地方は疲弊し混乱していたそうです。安定とは言っても、あくまで中央のみ。道真の限界も感じられます。</p> <p>　道真が死後、怨霊神とされるのは、清涼殿への落雷が大きな要因の１つです。「この時、太宰府へ行くまで見張りした藤原清貫に直接落雷し、見ていた醍醐天皇が約３カ月後に亡くなった」とか。そして道真＝雷神となり、雷神＝天神のことであったため、道真＝天神になったそうです。</p> <p>　道真をまつった北野天満宮ですが、ここには元々、天から豊かな恵みを与えてくれる「火雷天神」をまつる地主神社がありました。このため正面の鳥居をくぐって真っ直ぐゆくと地主神社。道真をまつる社殿へは途中で斜めに曲がって行かなければなりません。「天神社は元々全国にあり、大半が天満宮になった」が、京都市北区の「わら天神」のように道真とは無関係の神社も一部あるとか。</p> <p>　最後に山村さんは「政治力では時平が上回ったが、藤原氏以外にこの時代で名を残してるのは道真だけ。やはり偉大な人だった」と締めくくりました。</p>]]>
        
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    <title>「藤田美術館と太閤園淀川邸で和食ランチ」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-12T07:22:10Z</published>
    <updated>2011-12-12T07:31:31Z</updated>

    <summary>      　明治時代の実業家で男爵、藤田傳三郎（でんざぶろう）のコレクションを鑑賞し、料亭でランチを味わう―。そんな優雅なイベント「藤田美術館と太閤園淀川邸で和食ランチ」（ウェーブ産経主催）が１１月１６日、大阪市都島区の藤田美術館と太閤園で開催されました。 　同美術館は、傳三郎...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="205" width="270" alt="201117-fujita-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201117-fujita-01.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
</span>
<p>　明治時代の実業家で男爵、藤田傳三郎（でんざぶろう）のコレクションを鑑賞し、料亭でランチを味わう―。そんな優雅なイベント「藤田美術館と太閤園淀川邸で和食ランチ」（ウェーブ産経主催）が１１月１６日、大阪市都島区の藤田美術館と太閤園で開催されました。</p>
<p>　同美術館は、傳三郎らが収集した東洋古美術品を中心に保存しています。春と秋に公開され、秋季展「コレクター藤田傳三郎の審美眼」が、９月１０日から１２月１１日まで開かれていました。イベントに参加した約４０人の会員は、まず隣接する太閤園の淀川邸に集まりました。</p>
<p>　旧藤田男爵邸である淀川邸は現在、料亭として使われており、平成２０年には、サミット財務大臣会合で晩餐（ばんさん）会の会場にも使われました。結婚式場としても人気があり、この日も玄関の外で記念撮影をする新郎新婦の姿が見られました。</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img height="175" width="230" alt="201117-fujita-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201117-fujita-02.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　今回、昼食の会場となった羽衣の間は、かつて客間として使われていた書院造りの広間。床の間の格天井（ごうてんじょう）は神社仏閣の様式を個人宅に用いた珍しいものだそうです。窓の外に広がる庭園を眺めながら特別和食「季節の松花堂弁当」をいただき、優雅なひとときを過ごすことができました。</p>
<p>　ぜいたくな気分に浸っていると、時間がたつのも忘れてしまいそうでしたが、続いて、藤田美術館へ。</p>
<p>　現在、展示室として利用されている同美術館は、かつて美術品を収めていた蔵でした。昭和２０年の空襲で藤田家本邸は焼失してしまいましたが、幸いにも、この蔵は焼失を免れたそうです。</p>
<p>　今回、見学した秋季展では、三蔵法師の一生を仕立てた鎌倉時代の絵巻で国宝、玄奘三蔵絵（げんじょうさんぞうえ）の第７巻をはじめ、重要文化財１３点を含む、約４０点が展示されていました。</p>

    <img height="236" width="270" alt="201117-fujita-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/201117-fujita-03.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　同美術館の学芸員が解説してくれた交趾大亀香合（こうちおおがめこうごう）は、中国・明時代の陶器。黄色い亀の形をした香を運ぶための入れ物で、明治４５年に傳三郎が亡くなる１０日前に落札した最後の買い物でした。</p>
<p>　当時、９万円という落札価格に参加者からは驚きの声があがりました。それもそのはず。現在の価格では、５千倍とも１万倍とも推定されるため、４億５千万円から９億円ということになるのですから！</p>
<p>　交趾大亀香合は現在、３点しか確認されていないそうで、非常に貴重なものです。傳三郎が病床から指示し、非常に高い値段で落札したことから有名になり、同美術館を象徴する収蔵品になりました。</p>
<p>　ただ、病床に届いたときには、すでに傳三郎は昏睡（こんすい）状態で、枕元に置いたまま亡くなったと伝わっています。その話に尾ひれがついて、落札の知らせに「それはよかった、わっはっは」と大きな声で笑ったまま昏睡状態になったと、ふくらんだという説明には、思わず参加者からも笑いがもれました。</p>
<p>　ほかにも珍しい茶道具や仏教美術が展示されており、参加者は熱心に見入っていました。</p>]]>
        
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    <title>[ミニニュース]堺のパワースポットを巡る日帰りバスの旅「堺の遠足」</title>
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    <published>2011-12-12T05:41:48Z</published>
    <updated>2011-12-12T06:18:30Z</updated>

    <summary>ＪＴＢ大阪　堺支店では、歴史・伝統産業に触れ、さらに堺の町歩きを楽しめる「堺のパワースポットを巡る　日帰りバスの旅　堺の遠足」を３月２５日の日・祝日（一部除く）まで実施します。堺市役所２１階展望ロビー（集合　９時１０分）―――バス―――方違神社（２０分）――薫主堂（３０分）・・・...</summary>
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        <name>ウェーブ産経大阪事務局</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<p>ＪＴＢ大阪　堺支店では、歴史・伝統産業に触れ、さらに堺の町歩きを楽しめる「堺のパワースポットを巡る　日帰りバスの旅　堺の遠足」を３月２５日の日・祝日（一部除く）まで実施します。</p><p>堺市役所２１階展望ロビー（集合　９時１０分）―――バス―――方違神社（２０分）――薫主堂（３０分）・・・・・・水野鍛錬所（３０分）・・・山口家住宅（２０分）―――シティホテル青雲荘（昼食・６０分）―――妙國寺（６０分）――大寺餅河合堂（２０分）―――南海本線堺駅―――南海高野線堺東駅（１５時５０分頃着）</p><table style="width: 557px; height: 103px" cellspacing="1" cellpadding="1" width="557" border="1"><tbody><tr><td>開催日</td><td>毎週日曜日・祝日出発（但し、１月１日・２日は除く）</td></tr><tr><td>集合場所</td><td>堺市役所２１階展望ロビー（堺市・南海高野線堺東駅すぐ）</td></tr><tr><td>旅行代金</td><td>５９００円（おとな・こども共おひとり）</td></tr><tr><td>最少催行人数</td><td>各１５人</td></tr><tr><td>締め切り</td><td>各日　６日前申込み締切</td></tr></tbody></table><blockquote><p>■お申込み・お問い合わせは</p><p>エースＪＴＢの「日帰りバスの旅　堺の遠足」とお申し出いただき</p><p>ＪＴＢ大阪　堺支店　㈱ＪＴＢ大阪　観光庁長官登録旅行業第１７７５号　（社）日本旅行業協会正会員</p><p>ＴＥＬ：０７２―２２１―４６４４　ＦＡＸ：０７２―２２３―８４６８</p><p>営業時間　１０時３０分～１８時３０分　休業日　日・祝・12/30～1/3</p><p>総合旅行業務取扱管理者：石原裕子</p></blockquote>]]>
        
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    <title>「錦の里　正暦寺を訪ねる」を開催しました</title>
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    <published>2011-12-09T04:23:59Z</published>
    <updated>2011-12-09T04:57:37Z</updated>

    <summary>      　紅葉の名所として知られる奈良の古寺を訪ね、風情にひたりながら歴史なども学ぶウェーブ産経の「錦の里　正暦寺を訪ねる」が１１月１５日、奈良市菩提山町の同寺で開かれました。 　会員約３０人が参加し、大原弘信住職から一条天皇の勅命で建立された同寺の由来や特色を聞き、カエデな...</summary>
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="270" height="180" alt="20111115-kawati-01.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111115-kawati-01.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　紅葉の名所として知られる奈良の古寺を訪ね、風情にひたりながら歴史なども学ぶウェーブ産経の「錦の里　正暦寺を訪ねる」が１１月１５日、奈良市菩提山町の同寺で開かれました。</p>
<p>　会員約３０人が参加し、大原弘信住職から一条天皇の勅命で建立された同寺の由来や特色を聞き、カエデなどが色づき始めた境内の散策を楽しみました。</p>
<p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《山里の名刹へ》</strong></span></p>
<p>　奈良市内とはいえ、天理市に近い山間部の菩提仙川上流にある同寺だけに、近鉄奈良駅に集合後、貸し切りバスで向います。県道から離れ、細く曲がりくねった道の先に木立に囲まれた古刹が現れました。</p>
<p>　まず訪れたのが、１６８１（延宝９）年建立で重要文化財の「福寿院客殿」。部屋に入り大原住職から話を聞きました。同寺は９９２（正歴３）年の創建。勅願寺で８６もの僧坊があり大変栄えたそうです。現在の奈良ホテルの位置にあった興福寺の塔頭・大乗院の別所でもあり「大乗院住職が隠居後すごす場所」。それ故「平氏による南都焼討ちで興福寺の僧が逃げ込んだため、平氏の追撃を受けて全山が焼けた」とか。</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="200" height="133" alt="20111115-kawati-02.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111115-kawati-02.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />
</span>
<p>　鎌倉時代に再建され、以前にも増して隆盛した時期もあったとのことですが、再三の山火事での被害や時代の変遷を経て、１坊である福寿院の客殿しか古い建物は残らなかったとか。</p>
<p>　客殿内には、狩野永納が富士山と松原を描いた襖などの絵が残ります。このうち富士の絵は色が薄れてはいますが、バックを黒く塗って山を浮きだたせる珍しい手法を使っています。</p>
<p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《清酒造りの原点》</strong></span></p>
<p>　菩提仙川の清流、荘園からの米を生かし、同寺では昔から「僧坊酒」造りも盛んだったようです。室町時代には酒母（もと）＝醗酵菌＝を育て、麹（こうじ）と掛米に精白米を使う「諸白酒（もろはくしゅ）」を創り出し、酒造史上でも高い評価を集めているとか。</p>
<p>　同寺で創られた酒母「菩提もと」は、酸を含む糖液で培養するため雑菌が殺され、アルコールが防腐剤の役割をするという巧妙な仕組みで、当時としては一大革新技術。これに麹・蒸し米・水を３回に分けて仕込む「三段仕込み」や「火入れ殺菌法」なども加わり、現在の清酒の原型が出来たとか。境内に「日本清酒発祥の地」の石碑があるのもうなずけます。</p>
<p>　大原住職は「昔、酒をどのように造っていたのかは具体的には分からないが、一帯の山中からは酒造りに使われたとみられる麹菌、酵母菌、乳酸菌が確認されている」「大乗院の日記には酒の販売額が記され、興福寺のドル箱であったことが分かる」「この酒造技術が民間に伝わり、『南都諸白（なんともろはく）』が生まれた。奈良漬けがあるのもこのため」などと説明してくれました。</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">
    <img width="230" height="147" alt="20111115-kawati-03.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111115-kawati-03.jpg" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" />
</span>
<p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《境内を巡って》</strong></span></p>
<p>　宝物殿で、大神（おおみわ）神社＝奈良県桜井市＝が明治の神仏分離令により境内の寺院を取り壊すことになった際、同寺へと移された国宝級という仏像などを拝観した後、境内を散策しながら本堂へと向いました。紅葉にはまだ早い時期でしたが、南天が数多く植えられ、赤い実が彩りを添えています。</p>
<p>　「本尊に薬師如来をまつっていることもあり、漢方薬になる植物も多数持ち込んで育てていた。南天もその１つ。一般的な山なら植物は１００種程度だが、ここには２２０種ほどが生えている」そうです。</p>
<p>　本堂へと上る坂の下に、多数の供養塔や墓石が集められています。「多い時で約１２０カ寺もあった塔頭の僧坊にある僧侶の墓を集めたもの。広すぎて墓守が大変だったため昭和３５年ごろ集めたと聞いている。いろいろな時代のものがあるが、苦難の時代の墓石は小さな自然石などが多く、当時の状況がしのばれる」とか。</p>
<p>　重要文化財の本尊・薬師如来像（白鳳時代）がまつられる本堂は大正時代の建築。立派な建物ですが、境内が広いせいか小さく見えるほどです。中へ入って本尊を拝観。大原住職が唱えるお経に合わせて頭を垂れました。</p>

    <img width="150" height="182" alt="20111115-kawati-04.jpg" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111115-kawati-04.jpg" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" />

<p>　<span style="color: rgb(153, 51, 0);"><strong>《昼食は「錦の里御膳」》</strong></span></p>
<p>　境内見学後は、待望の昼食。精進料理ですが内容は多彩です。</p>
<p>　菊の花の和え物▽山の芋のとろろ汁▽ゴマ豆腐▽タケノコとワラビの煮物▽ヤーコン（ペルーの芋）の煮物▽天ぷら（ヤーコン、カボチャ、サツマイモなど）▽高野豆腐やダイコンなどの煮物▽柿▽ギンナンごはん－などが並びます。小鉢にそれぞれ盛られており、手作り感にあふれた料理ばかり。デザートに、くず餅と栗の甘露煮まで付きました。</p>
<p>　食後は帰りのバスが出発するまで自由時間。会員のみなさんは菩提仙川沿いに散策したり、オープンカフェでお茶を楽しむなどしながら、深まりゆく秋の風情を満喫していました。</p>]]>
        
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    <title>こころつたえ第六回「大津・西教寺を訪ねる」</title>
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    <published>2011-12-06T01:39:46Z</published>
    <updated>2011-12-06T08:49:53Z</updated>

    <summary>　滋賀県大津市の坂本は、紅葉の名所としても知られています。日本の伝統文化を守り、日本人の美しい心を次世代に伝える第６回「こころつたえ」（ウェーブ産経主催）は、その坂本にある西教寺で１１月２３日に開催されました。　《紅葉の参道を通って》　坂本城の城門が移築されたという総門を入ると、...</summary>
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    <category term="西教寺" label="西教寺" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="202" width="230" alt="20111123-saikyoji-01.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111123-saikyoji-01.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　滋賀県大津市の坂本は、紅葉の名所としても知られています。日本の伝統文化を守り、日本人の美しい心を次世代に伝える第６回「こころつたえ」（ウェーブ産経主催）は、その坂本にある西教寺で１１月２３日に開催されました。</p><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《紅葉の参道を通って》</strong></span></p><p>　坂本城の城門が移築されたという総門を入ると、参道の紅葉は赤や黄色に色づいていました。見事な紅葉を眺めながら参道を上がり、突き当たりの勅使門から右へ入った研修道場本館が今回の会場で、約１００人の会員が集まりました。</p><p>　西教寺は天台真盛宗の総本山。聖徳太子の創建とも伝えられていますが、室町時代に宗祖、真盛（しんせい）が再興し、不断念仏の道場としました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="143" width="160" alt="20111123-saikyoji-02.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111123-saikyoji-02.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《西教寺と真盛上人》</strong></span></p><p>　今回は同寺の西村冏紹（けいしょう）貫首が講師を務め、「西教寺と真盛上人」をテーマに講話。応仁の乱、文明の乱が続いた時代に、真盛は権力や欲を嫌い、仏の慈悲で国をおさめることに尽くしたことなどを説明しました。</p><p>　その上で「私たちは自己中心になりがちですが、みんなで助け合って、ともに国をよくしていこうという気持ちがなくてはならない」「我を抑え、いかに人に喜ばれる行いにつなげていくことが大切」と訴えました。</p><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《名物・食用菊の菊御膳料理》</strong></span></p><blockquote><p>　坂本では古くから食用菊が栽培されており、昼食には郷土料理の「菊御膳料理」をいただきました。赤い器に盛られた料理は見た目も華やかで、献立は以下の通り。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="225" width="300" alt="20111123-saikyoji-03.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111123-saikyoji-03.JPG" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span><p><span style="color: rgb(51, 51, 153);">菊酒（菊を１年間、焼酎に漬け込んだもの）、ごま豆腐の田楽、菊なます、菊の白あえ、菊のてんぷら、秋のかおり、菊ずし、菊のすまし汁、菊の一夜漬け、菊のゼリー</span></p></blockquote><p>　食前酒の菊酒には思わず、「うまい」の声もあがり、それぞれの料理には菊の香りがただよい、デザートのゼリーまで菊づくしを味わいました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="189" width="280" alt="20111123-saikyoji-04.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111123-saikyoji-04.JPG" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《本堂でお話も》</strong></span></p><p>　食後は２班に分かれて境内を見学しました。案内役は西教寺社会部主事で、塔頭・実成坊の住職、中島敬瑞さんらです。</p><p>　まず入った「本堂」（重要文化財）は江戸時代の元文４（１７３９）年に落成した、総欅（けやき）入母屋造りの豪壮な建物です。用材は紀州徳川家から寄進されたとか。欅の１本造りの欄間に十六羅漢の彫刻が施されるなど、内部も豪華な仕様。内陣には本尊の阿弥陀如来像（重要文化財）がまつられています。</p><p>　本堂では座って中島さんの話を聞きました。最初に説明してくれたのは、食事でも出された食用菊の「坂本菊」について。「坂本菊は花びらが筒状で３２弁。最澄法師が中国から持ち帰って桓武天皇に見せ、『素晴らしい』と評価されて天皇家の家紋になった」そうです。そして「みなさんも天皇家の紋を食べました」と笑いを誘いました。</p><p>　同寺が総本山となる天台真盛宗については「天台は密教が中心の延暦寺と三井寺、念仏中心の西教寺と３つに分かれる。それぞれ総本山だが、なぜか西教寺は一番知られていない」とユーモアを交えながらの解説です。</p><p>　本堂でまつっている「真盛上人『身代わりの手白猿』」の像の由来も説明。室町時代の明応２（１４９３）年に坂本で一揆が起きた時、真盛上人が首謀者だと誤解した比叡山の僧兵が同寺に押し寄せたが、誰もおらず手白の猿が鉦を鳴らしていた。これを見た僧兵は日吉山王の使いの猿まで帰依していると感じ入り立ち去った、という伝承を紹介してくれました。</p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img height="153" width="230" alt="20111123-saikyoji-05.JPG" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/20111123-saikyoji-05.JPG" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><p>　<span style="color: rgb(128, 0, 0);"><strong>《名庭園も鑑賞》</strong></span></p><p>　本堂に次いで訪れたのは「客殿」（重要文化財）。元は豊臣秀吉の伏見城にあった殿舎を移したとされ、「桃山御殿」との別称もあります。こけら葺きの簡素な建物ですが、「鶴の間」「花鳥の間」などと名付けられた各部屋の襖や障子などには、狩野派による絵が描かれています。「賢人の間」の内仏は、京都・法勝寺伝来の薬師如来座像（重要文化財、秘仏）です。</p><p>　この客殿に面しているのが、大名で建築家、作庭家としても知られる小堀遠州による庭園です。庭木や石灯籠、岩石などを複雑に配置しており、独自の個性が感じられます。境内には、この庭も含めて４つの日本庭園がありますが、残りの３つは地元の石垣職人集団「穴太（あのう）衆」によるものとか。小堀遠州の庭よりもシンプルな構成になっていますが、建物のしつらえと調和した美しさがあり、むしろこちらを好む人も多かったようでした。</p><p>　このほか、屋根の上にはところどころに「身代わりの手白猿」にちなむ猿の瓦があり、見つける楽しさもありました。</p><p>　　　　　◇</p><p>　境内の見学を終えた後は再び研修道場に戻り、紅白の落雁をお茶請けに一服。サンケイミュージック所属の歌手、小川千春さんがさわやかな歌声を聴かせてくれました。</p>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇う◇　宇野千代(1897～1996)　昭和期の小説家</title>
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    <published>2011-12-05T01:10:18Z</published>
    <updated>2012-02-22T06:45:30Z</updated>

    <summary><![CDATA[ 宇内よし　野もよしただに書き継ぎて 千紫万紅　代々に花咲く      &nbsp; 　山口県の岩国で生まれた彼女は、16歳の春、小学校の教師になったのを振り出しに「何か仕事をしていなかったということは１日もなかった。縫い物の賃仕事や食堂の給仕女など仕事は何でもよかった」と、自ら...]]></summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://wave.sankei-kansai.com/">
        <![CDATA[<blockquote>
<p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">宇</span></strong><span style="font-size: 130%">内よし　<strong>野</strong>もよしただに書き継ぎて<br />
千紫万紅　<strong>代</strong>々に花咲く</span></p>
<span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">
    <img width="300" height="276" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/16-uno.jpg" alt="16-uno.jpg" />
</span>
<p style="text-align: center;">&nbsp;</p>
</blockquote>
<p>　山口県の岩国で生まれた彼女は、16歳の春、小学校の教師になったのを振り出しに「何か仕事をしていなかったということは１日もなかった。縫い物の賃仕事や食堂の給仕女など仕事は何でもよかった」と、自らの回想録に書いております。</p>
<p>　文筆に手を染めたのは、「万朝報」という新聞に掌編小説を書いたのち、東京の大新聞である「時事新報」に応募した懸賞小説で第１位に入ったときからだそうです。</p>
<p>　大正11年4月、中央公論の５月号に「墓を発(あば)く」(120枚)が掲載され、366円の賞金をもらったとき「&hellip;&hellip;わたしは腰が抜けるほど驚いたものであった」のでありました。これがきっかけで、そのとき彼女の下位の２等になった若い尾崎士郎と知り合い、彼女の恋の人生は次から次へと花開いていくのです。</p>
<p>　尾崎と別れて33歳になった彼女は、巴里帰りの情死事件をおこした直後の東郷青児と「&hellip;男女の血痕がこびりついてガリガリになった蒲団」で寝たのです。</p>
<p>　つぎの男性は10歳年下の北原武男で、この人とも北原が女を作ったことで別れることになるのです。こう書くと、あたかも男遍歴の猛者である如くきこえますが、われわれ通りいっぺんの常識で推し量ることはできません。彼女が彼女であった透明さをわたしの稚拙な表現に代えるよりは、彼女自身の表現を引用するにしくはないのであります。</p>
<p>　『生きて行く私・下』に&ldquo;鴉が空を飛ぶように&rdquo;と題し、「私は生きているどの瞬間にも『虫が地面を這うように』『鴉が空を飛ぶように』自然であった。&hellip;&hellip;人に会いたいと心を奪われることがあっても忽ち醒め、その間にいささかも関連のないのは常習のことであった&hellip;」。</p>
<p>　彼女の力説もエッセイも、このように素敵であります。浅薄な批評では、彼女の深奥の魅力はわからないでしょう。それにしても、わたしの好きな作品は『薄墨の桜』です。（辻歌子）</p>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></div>
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<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div>
<blockquote>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div>
<div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br />
<p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p>
</div>
</blockquote>]]>
        
    </content>
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇む◇　紫式部(生没不詳)平安中期の女流文学者</title>
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    <published>2011-12-05T01:05:02Z</published>
    <updated>2011-12-05T01:07:36Z</updated>

    <summary> 紫の　文書く褥式楽の鳴りただよいて　伴部ら侍る 　ユネスコが選んだ「世界の偉人」の中に、日本ではただ一人紫式部がいるという話は、日本人としましてまことにうれしい限りでございます。　その紫さんの「式部」という呼称は、父が花山天皇時代に蔵人式部丞という名まえであったことによるものだ...</summary>
    <author>
        <name>管理者</name>
        
    </author>
    
        <category term="色は匂えど　姓名短歌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">紫</span></strong><span style="font-size: 130%">の　文書く褥<strong>式</strong>楽の<br />鳴りただよいて　伴<strong>部</strong>ら侍る</span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="276" width="300" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/15-sikibu.jpg" alt="15-sikibu.jpg" /></span> </blockquote><p>　ユネスコが選んだ「世界の偉人」の中に、日本ではただ一人紫式部がいるという話は、日本人としましてまことにうれしい限りでございます。</p><p>　その紫さんの「式部」という呼称は、父が花山天皇時代に蔵人式部丞という名まえであったことによるものだそうであります。</p><p>　彼女の父為時も、当時屈指の漢詩文家であったといいますから、いいルーツではあります。また、源氏物語五十四巻はたしかに超長編ですが、それぞれ短編的性格をもってはおります。そして、いずれも彼女の宿世思想で貫かれていることに気づきます。</p><p>　紫式部は私生活では29歳の頃、親子以上に年長の、しかも妻妾の多い藤原宣孝という男性に嫁し、娘の賢子と大弐三位(だいにのさんい)の二子を産んでいます。彼女が源氏物語に構想するものは、女の歓喜と苦悩を知ったこの世の盛衰の歴史そのものにちがいありません。</p><p>　すなわち、主人的の光源氏が正妻の葵上(あおいのうえ)以外に数知れぬ女性と交渉を持ち、宮廷の愛欲図絵はとりとめもなく乱れ咲きますが、それでもあきたらなくて、自らの死別した母親に似ているといって、父天皇の藤壺と道ならぬ恋をするのです。その代替として、彼女の姪の紫上(むらさきのうえ)を獲得するに至るのですが、その上兄帝に頼まれたという理由でその内親王三宮(さんのみや)と結婚するというのです。まったく入り乱れて忙しい恋模様ではあります。</p><p>　ところが、源氏と母三宮の子であるべき「薫」は、実は女三宮と柏木大納言との子であったという話は哀しくも笑わせるではありませんか。なぜならば、晩年の光源氏にとって自らの女遍歴の栄光(?)がもの悲しい女の性(さが)の復讐にあったことでしょう。52歳の永遠の高貴な色オトコは、初老の(当時ならまさしく&ldquo;老&rdquo;)白髪頭を抱えて憮然としていたのではありませんか。</p><p>　紫式部は、この五十四巻の長編を書き終わってもまだ「言わない想い　言えない想い、迸りおさまらぬ主張」を持っていたのではないかと余白を見て想います。これがせめて与謝野晶子の時代ならばどうでしょう。女の煩悩と男への弾劾は、もっと強烈であったと思いませんか。（辻歌子）&nbsp;</p><div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></div> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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    <title>色は匂えど 姓名短歌　◇ら◇　雷電為右衛門(1767～1825)江戸後期の力士</title>
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    <published>2011-12-05T00:57:10Z</published>
    <updated>2011-12-05T01:00:28Z</updated>

    <summary> 雷電も　おそるる技を為す日々は　左右の衛門に　とどろく誉れ 　とにかく滅茶苦茶に強い、古今無双といわれた力士のお話です。　1767年、信州の小県郡大石村というところに生まれました。２歳の頃母親が庭のすみにころがっていた石臼にしばっておいて、野良仕事から帰ってみると、石臼をひきず...</summary>
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        <![CDATA[<blockquote> <p style="text-align: center"><strong><span style="font-size: 130%;">雷電</span></strong><span style="font-size: 130%">も　おそるる技を<strong>為</strong>す日々は<br />　左<strong>右</strong>の<strong>衛門</strong>に　とどろく誉れ</span></p><span style="display: inline;" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img height="276" width="300" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" class="mt-image-center" src="http://wave.sankei-kansai.com/newsimage/14-raiden.jpg" alt="14-raiden.jpg" /></span> </blockquote><p>　とにかく滅茶苦茶に強い、古今無双といわれた力士のお話です。</p><p>　1767年、信州の小県郡大石村というところに生まれました。２歳の頃母親が庭のすみにころがっていた石臼にしばっておいて、野良仕事から帰ってみると、石臼をひきずって遊んでいたというのです。まだ歩きもできない赤児が。</p><p>　また14歳の頃、家業の手伝いで繭を積んだ馬を引いて村から碓氷峠に向かっていたとき、一団の武士の行列に出くわしました。何しろ殿様の行列です。妨害すれば即座に切り捨て御免です。彼は咄嗟に荷馬もろとも両肩に担ぎ上げ、片足を谷にせり出した松の根もとを踏んずけて、行列をさけたというのです。</p><p>　これらは伝説のたぐいですが、このような話が生まれるということは、やはり根拠のないことではないでしょう。<br />　彼は45歳まで相撲をとり続け、江戸本場所での総取組185番。そのうち勝星は254、負け10、引き分け２、預かり14、無勝負。それにしても、21年間の相撲人生でわずか10敗しただけというのは、実に化け物の如き強さでしょうね。</p><p>　わたしは相撲の手口など一切知りません。少しでも知っていればこの話はもっと面白いと思います。それに彼が物理的な力(蛮力ではございませんが)のみでなく、記録によれば雷電日記という「諸国相撲控帳」「萬御用覚帳」などを、31年間も書き続けているというのですから、これには驚きです。</p><p>　ひと口に31年間といいますが、これだけでも尊敬します。わたしなどは、日記というものを正月のはじめに書きはじめますが、15・6日で匙を投げ、なんと続いたためしがございません。心と技と肉体の超能力は特筆に価するものでしょう。</p><p>　それにしても、なぜ横綱という地位が得られなかったのか、研究家の間でも諸説があるということですが、これはやはり大名同士の権力競争に巻き込まれたものであると、わたしも思います。</p><p>　よくは分かりませんが、雷電をひいきにしていたのは、親藩である主君の松平公ですが、横綱免許の実験を握っているのは外様の細川であったというのですから、このあたりの両者の軋轢は想像できますね。</p><p>　いつの時代にも人間は、このテの争いから逃れることができないのでしょうか。中国の客人陳景山という人が「あなたほどの大力士なら地方藩などに召し抱えられなくても、将軍家でも召し抱えられると思いますが、なぜ今の微禄で甘んじて居られるのか」とたずねたときの答えがかっこいい。</p><p>「君に仕うるにはそのことを敬しその食を後にす」</p><p>何分、頭が下がります。（辻歌子）&nbsp;</p><div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">「姓名短歌」とは&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-258.php">こちらをご覧ください</a></div> <div align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left">　あなたの名前を「姓名短歌」に&rarr;<a href="http://wave.sankei-kansai.com/2010/07/post-66.php">特別頒布はこちらをご覧ください</a></div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">&nbsp;</div> <blockquote> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">《<b>辻歌子さんのプロフィル</b>》</div> <div style="margin: 0mm 0mm 0pt">　元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで（風発行所）息子をペースに嵌める法（学陽書房）天の師（関西書院）子供の字を上手にする本（学陽書房）どこまでいっても親子です（学陽書房）詩日和（日本文学館）共著<br /> <p><a href="http://wave.sankei-kansai.com/2011/02/post-359.php">&rarr;「色は匂えど姓名短歌」目次へ戻る</a></p></div> </blockquote>]]>
        
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