産経新聞ファンクラブ「ウェーブ産経」大阪事務局

こころつたえ第七回「和宗総本山 四天王寺を訪ねる」

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 聖徳太子の建立とされ、日本最古の官立寺院である四天王寺。伝統文化を重んじ、日本人の美しい心を伝える「こころつたえ」の第7回会合「和宗総本山 四天王寺を訪ねる」(ウェーブ産経主催)は12月14日、かつての国家鎮護・済世利民の拠点で、志を引き継いできた大阪市天王寺区の同寺で開かれました。

 「こころつたえ」とは、関西150社寺で構成する神仏霊場会の協力で、住職や宮司らの講話を聞き、文化財にも触れて、日本人の心や生き方を再発見する運動です。

 今回講話を行ってくれたのは同寺執事長の森田俊朗さん。「聖徳太子の遺業を受け継いで」がテーマで、約130人の会員が参加、重要文化財の五智光院で話に耳を傾けました。

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《断悪修善、社会貢献》

 森田さんは、東日本大震災後に略奪や暴動もなく被災者が協力したことで、外国メディアも驚いたことを挙げ「日本人の心を再確認できた。譲り合い助け合うのは、日本人の体の中にある宗教心から」と指摘。

 さらに、創建の経緯を記す「四天王寺御手印縁起」(国宝)の一節で、聖徳太子の教えの言葉である「断悪修善...」を引用し、「修善、つまり善を修めるのは相手がいなければできない。私の考えだが、宗教というのはみんなを幸せにする行動が伴わなければならない」と続けました。

 そして、太子による仏教導入について「仏教を利用したと言う人もいるが、やはり仏教をみなが信仰することで、人の為に役立てていくことを目指された。実践し社会貢献する仏教。そのために四天王寺を建立し(敬田院や悲田院などを設けて)社会貢献事業を行い、浄土を作ろうと考えられた」としました。

 「四天王寺はその心を受け継いでいる」そうです。ゆえに、四天王寺学園の学園訓に十七条憲法の条文を取り入れ、四天王寺福祉事業団の宣言に「人の幸せこそを大切に」などと教えを取り入れているのだとか。「社会貢献するのが四天王寺の特徴。自分のためでなく人のために生きることこそ仏教の本質」と締めくくりました。

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 《昼食は仕出しの名店のお弁当》

 本坊客殿に場所を移しての昼食は、仕出し料理の専門店「木津 うを新」による「幕間膳」です。▽刺身(マグロ、イカなど)▽天ぷら(エビ、オクラ、カボチャなど)▽煮物(高野豆腐、カボチャ、生麩など)▽漬け物-が彩りよく並べられ、見るだけでおいしさが伝わってきます。魚の吸い物も上品な味でした。

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 《太子の志を学ぶ》

 午後からは伽藍の見学ですが、その前に同寺参詣部課長で、支院の1つ「勝鬘院(しょうまんいん=愛染堂)」住職の山岡武明(ぶみょう)さんが、同寺建立の由来や太子の功績などを紹介してくれました。

 山岡さんによると同寺建立前は、蘇我氏が仏教で国をまとめようとしたが、蘇我氏に上に立たれるのが嫌なライバル物部氏は、旧来の神道を盾に反対する状況だったとか。仏教は試しに導入されますが、飢饉が起き結局禁止。しかし蘇我氏だけは仏教を学ぶことを許されたそうです。

 このため天皇の血筋でも蘇我一族に産まれた太子は幼い頃から仏教を学ぶことができたとか。太子14歳の時に起きたという蘇我馬子と物部守屋の争いは軍事氏族である物部氏が当初は有利に。ところが太子が、勝てばお堂を建てると四天王に祈願したところ、守屋に矢が当たり蘇我氏が勝利したそうです。太子は593年に願いを立てた場所に同寺を建立。「四天王寺は"約束の地"に建っているのが他の寺院とは大きく違うところ」だそうです。

 晴れて仏教が認められ外国文化も流入。しかし「太子は仏教の哲学を入れたかったが、神様を追い出したかったのではない。宗教戦争で悲惨な目にあったから『仏教のいい所を勉強しながら神道のいい所も取り入れなさい』と諭した。日本人が各宗教の"いいとこ取り"できるのも、このおかげ」とのことです。

 「四天王寺は宗派を広める寺ではなく太子の遺業を受け継ぎ実践する寺で、人の為になることをするのがモットー」「太子は見返りを求めず人助けしたいという信念を貫いたが、これは大変な事。どれだけ偉大だったのかが分かってくる」と締めくくりました。

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 《古式伝える伽藍配置》

 この後は班に分かれ、僧侶による案内で境内を見学しました。立派な「本坊通用門」(重要文化財)を出て、まず向かったのが境内中央にある雄大な「六時礼賛堂」(同)。六時堂とも呼ばれ、薬師如来や四天王などをまつっています。回向や納骨などを行う同寺の中心道場だそうです。六時堂前の「亀の池」に面しているのは、こちらも重要文化財の「石舞台」。元々は白木の舞台だったとか。

 境内西側には「北鐘堂」「見真堂」「大師堂」などが並び、浄土真宗の親鸞上人や真言宗の弘法大師らの像も。宗派を問わない同寺ならではの光景です。西側入り口には、驚くことに「石の鳥居」が建っていました。木造だった創建時の鳥居を1294年に石造に変えたものが残り、重要文化財。寺に鳥居とは奇妙ですが「昔は結界の意味で建てた。寺にも無かったわけではない」そうです。

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 転法輪がある「極楽門」をくぐって中心伽藍に向かいます。同寺は昭和20年3月の空襲で七堂伽藍の大半は焼失しましたが、中心伽藍は同38年に再建されました。「仁王門」「五重塔」「金堂(本堂)」「講堂」が南北一直線に並んで周囲を回廊が巡る、古式の「四天王寺式伽藍配置」を再現しています。

 中心伽藍には「西重門」から入りました。高さ39・2メートルの五重塔をはじめ、どの建物も堂々たる風格を感じさせます。金堂にあり、寺の本尊で太子の化身とされる救世観世音菩薩像や四天王像、講堂にある阿弥陀如来坐像などを拝顔し、地下に保存されている国内最古の下水道跡も見ることができました。

 続いて「万灯院」「南鐘堂」などを見ながら東へ回り、「太子殿(聖霊院)」へ。ここには太子摂政像が安置され、毎月22日には法要が営まれているとか。裏には物部守屋の祠もあるそうです。

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 《釣鐘まんじゅうに舌鼓》

 境内を歩いた後は本坊客殿に戻り一服。サンケイミュージック所属の歌手、小川千春さんが歌声を聴かせてくれました。

 お茶請けは、名物の「釣鐘まんじゅう」(釣鐘屋本舗)です。明治33(1900)年に地元有志が大梵鐘を奉納し、これを記念に作られたお菓子だとか。梵鐘は戦争での供出で失われましたが、このまんじゅうが在りし日の姿を伝えているそうです。

 会員のみなさんは休憩後も、極楽浄土の庭と言われる「本坊庭園」や、これに面した「方丈」(重要文化財)も見て回るなど、心ゆくまで楽しんでいました。

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