2011年12月 9日
「錦の里 正暦寺を訪ねる」を開催しました
紅葉の名所として知られる奈良の古寺を訪ね、風情にひたりながら歴史なども学ぶウェーブ産経の「錦の里 正暦寺を訪ねる」が11月15日、奈良市菩提山町の同寺で開かれました。
会員約30人が参加し、大原弘信住職から一条天皇の勅命で建立された同寺の由来や特色を聞き、カエデなどが色づき始めた境内の散策を楽しみました。
《山里の名刹へ》
奈良市内とはいえ、天理市に近い山間部の菩提仙川上流にある同寺だけに、近鉄奈良駅に集合後、貸し切りバスで向います。県道から離れ、細く曲がりくねった道の先に木立に囲まれた古刹が現れました。
まず訪れたのが、1681(延宝9)年建立で重要文化財の「福寿院客殿」。部屋に入り大原住職から話を聞きました。同寺は992(正歴3)年の創建。勅願寺で86もの僧坊があり大変栄えたそうです。現在の奈良ホテルの位置にあった興福寺の塔頭・大乗院の別所でもあり「大乗院住職が隠居後すごす場所」。それ故「平氏による南都焼討ちで興福寺の僧が逃げ込んだため、平氏の追撃を受けて全山が焼けた」とか。
鎌倉時代に再建され、以前にも増して隆盛した時期もあったとのことですが、再三の山火事での被害や時代の変遷を経て、1坊である福寿院の客殿しか古い建物は残らなかったとか。
客殿内には、狩野永納が富士山と松原を描いた襖などの絵が残ります。このうち富士の絵は色が薄れてはいますが、バックを黒く塗って山を浮きだたせる珍しい手法を使っています。
《清酒造りの原点》
菩提仙川の清流、荘園からの米を生かし、同寺では昔から「僧坊酒」造りも盛んだったようです。室町時代には酒母(もと)=醗酵菌=を育て、麹(こうじ)と掛米に精白米を使う「諸白酒(もろはくしゅ)」を創り出し、酒造史上でも高い評価を集めているとか。
同寺で創られた酒母「菩提もと」は、酸を含む糖液で培養するため雑菌が殺され、アルコールが防腐剤の役割をするという巧妙な仕組みで、当時としては一大革新技術。これに麹・蒸し米・水を3回に分けて仕込む「三段仕込み」や「火入れ殺菌法」なども加わり、現在の清酒の原型が出来たとか。境内に「日本清酒発祥の地」の石碑があるのもうなずけます。
大原住職は「昔、酒をどのように造っていたのかは具体的には分からないが、一帯の山中からは酒造りに使われたとみられる麹菌、酵母菌、乳酸菌が確認されている」「大乗院の日記には酒の販売額が記され、興福寺のドル箱であったことが分かる」「この酒造技術が民間に伝わり、『南都諸白(なんともろはく)』が生まれた。奈良漬けがあるのもこのため」などと説明してくれました。
《境内を巡って》
宝物殿で、大神(おおみわ)神社=奈良県桜井市=が明治の神仏分離令により境内の寺院を取り壊すことになった際、同寺へと移された国宝級という仏像などを拝観した後、境内を散策しながら本堂へと向いました。紅葉にはまだ早い時期でしたが、南天が数多く植えられ、赤い実が彩りを添えています。
「本尊に薬師如来をまつっていることもあり、漢方薬になる植物も多数持ち込んで育てていた。南天もその1つ。一般的な山なら植物は100種程度だが、ここには220種ほどが生えている」そうです。
本堂へと上る坂の下に、多数の供養塔や墓石が集められています。「多い時で約120カ寺もあった塔頭の僧坊にある僧侶の墓を集めたもの。広すぎて墓守が大変だったため昭和35年ごろ集めたと聞いている。いろいろな時代のものがあるが、苦難の時代の墓石は小さな自然石などが多く、当時の状況がしのばれる」とか。
重要文化財の本尊・薬師如来像(白鳳時代)がまつられる本堂は大正時代の建築。立派な建物ですが、境内が広いせいか小さく見えるほどです。中へ入って本尊を拝観。大原住職が唱えるお経に合わせて頭を垂れました。
《昼食は「錦の里御膳」》
境内見学後は、待望の昼食。精進料理ですが内容は多彩です。
菊の花の和え物▽山の芋のとろろ汁▽ゴマ豆腐▽タケノコとワラビの煮物▽ヤーコン(ペルーの芋)の煮物▽天ぷら(ヤーコン、カボチャ、サツマイモなど)▽高野豆腐やダイコンなどの煮物▽柿▽ギンナンごはん-などが並びます。小鉢にそれぞれ盛られており、手作り感にあふれた料理ばかり。デザートに、くず餅と栗の甘露煮まで付きました。
食後は帰りのバスが出発するまで自由時間。会員のみなさんは菩提仙川沿いに散策したり、オープンカフェでお茶を楽しむなどしながら、深まりゆく秋の風情を満喫していました。
(2011年12月 9日 13:23)
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