産経新聞ファンクラブ「ウェーブ産経」大阪事務局

トーク&ミュージックフォーラム「真田幸村と大坂の陣」を開催しました

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 大坂の陣で大活躍し「日本一の兵(つわもの)」とまで賞賛された豊臣方の武将・真田幸村の魅力に、講演や歌などで迫るウェーブ産経のトーク&ミュージックフォーラム「真田幸村と大坂の陣」が12月5日、大阪市中央区のKKRホテルで開かれました。

 大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さん▽OSK日本歌劇団トップスターで、幸村役を演じた桜花昇ぼる(おうか・のぼる)さん▽幸村の妻役などを演じた朝香櫻子(あさか・さくらこ)さん▽シンガー・ソングライターのリピート山中さん-の4人が出演。知的で、かつゴージャスなイベントになりました。

 《基調講演「真田幸村と大坂の陣」》

 大阪城天守閣復興80周年プロジェクト参加事業。会員約120人が参加しました。最初に北川さんが、幸村ら真田一族の興亡について講演しました。

 ◎真田氏の出自=清和天皇の皇子・貞保親王を祖とする海野氏の流れをくむ幸村の祖父・幸隆が、信濃・真田郷に住み「真田」氏を名乗ったとするのが、真田氏の公式見解。幸隆は天文10(1540)年に村上義清らに攻められ逃げますが、後に武田信玄に仕えて領地奪回。信玄が死んだ翌年の天正2(1574)年に亡くなりますが、跡継ぎの長男や二男が翌年の長篠の戦いで討死、真田家はピンチとなります。

 ◎真田昌幸と豊臣政権=昌幸は幸隆の三男。幼い頃から信玄の人質で、近習として信玄から薫陶も得たそうです。長篠の結果を受けて家督を継ぎますが、武田家滅亡後は主家を北条、徳川、上杉と次々鞍替えします。「上野国沼田の領地を守るためだが、かなり特異な動き」だそうで、昌幸のしたたかさが伺えます。上杉傘下での第1次上田合戦(神川合戦)では、上田城で徳川勢7千人余りを2千弱の兵で撃破します。

 豊臣秀吉の仲裁で沼田は真田領と北条領に分かれますが、北条が約束を破り真田領に攻め込んで起きたのが秀吉の小田原攻め。この頃、昌幸は徳川家康に長男・信幸、秀吉に二男・信繁(後の幸村)を出仕させ、信幸は家康重臣・本多忠勝の娘、信繁は豊臣家奉行・大谷吉継の娘と結婚。2人の行く末にも影響します。

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 ところで信幸は正式には源三郎信幸、信繁は源次郎信繁。長男が「三郎」、二男が「次郎」では逆のような気がします。北川さんは「2人は正室の山手殿の子とされているが実は違うのでは。信繁が側室の子で先に生まれた可能性もある」との見解を示しました。

 ◎関ケ原合戦から大坂の陣へ=慶長5(1600)年の関ケ原の戦いでは昌幸・信繁が西軍、信幸が東軍に。昌幸・信繁は第2次上田合戦で、秀忠率いる徳川本隊約3万8千人をわずか3千人ほどで引きつけ、関ケ原本戦に遅参させます。「秀忠にとっては大きな傷となり、豊臣ゆかりの大名に借りができてしまう」結果となりました。

 信幸の嘆願で2人は助命されましたが、昌幸は慶長16(1611)年に配流先の九度山で死亡。同19年の大坂冬の陣を前に九度山を脱出した信繁は、大坂城の弱点に真田丸を設け大軍を翻弄します。翌年の夏の陣では道明寺の戦いで退却のしんがりを務め、決戦では家康本陣へ突入。「三方ケ原で(武田信玄に)負けて以来、金扇馬印が倒れるほど家康を追いつめた」が最後は力尽きました。

 ところで「幸村」という名は「古文書にはなく、なかったという説と夏の陣前に名乗ったとの説がある。『幸』は真田の通字で、幸村という名は大坂の陣後、早々と色々な資料に出ており、名乗ったという考えは否定できない」とか。

 一方、信幸は「徳川家に逆らった『幸』をはばかり『信之』に改名。大坂の陣後、松代(現・長野市)に転封され、改易の危機も乗り越えて93歳まで長生きした。真田家の松代藩は幕末まで存続。他にはほとんど残っていない石田三成の手紙も残すなど、気骨ある一族」とのことです。

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 《昼食は「真田御膳」》

 ランチは、ホテル特製の「真田御膳」。内容は、塩サバ黄味焼き▽高野豆腐含め煮▽車エビあぶり▽厚焼き玉子▽若鶏山椒焼き▽菜種胡麻浸し▽マグロ山かけ▽茶碗蒸し▽タイのすまし汁-など。ご飯は、おにぎりといなりずしを竹の皮に包んだ“戦国風”です。すまし汁のニンジンやダイコンも丸くくり抜かれ、並べると真田の旗印「六連銭」になる凝りようでした。

 《華やかに歌とトーク=第1部》

 午後は、幸村が主人公のOSKミュージカル「真田幸村~夢・燃ゆる~」「YUKIMURA-我が心 炎の如く-」にそれぞれ出演した桜花さん、朝香さんと、リピート山中さんが加わり歌とトークのフォーラム。スター登場で会場は一気に華やぎました。

 まずは、リピートさんがヒット曲『ヨーデル食べ放題』を披露。次いで、桜花さんが「我が心…」の挿入曲『白き信濃路』を歌い上げました。豊かな声量で聴く人を魅了します。

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 北川さんは両ミュージカルの監修に携わっており、「我が心…」の中で家康が淀殿に結婚を迫るシーンについて「史料的な根拠がある話で、秀吉が秀頼を守るため最後に考えた策。しかし淀殿が家康との結婚をいやがり大坂の陣になった」と紹介してくれました。

 ここで、幸村が幽閉された和歌山県九度山町の岡本章町長もゲストで登場。同町では11月に「夢・燃ゆる…」の公演があり、平成20年の「真田まつり」では桜花さんらがパレードに参加。桜花さんは「馬に乗ったのはあの時が初。太鼓の音に馬が興奮して心配でしたが、幸村が落ちてはいけないと頑張りました」と思い出を語り、朝香さんも「十勇士の1人として出陣させていただき感動しました」と振り返ります。

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 2人は九度山のシーンの歌となる『幸村・茜の歌』(「夢・燃ゆる…」より)と『走馬灯のように』(「我が心…」より)の2曲を披露してくれました。

 歌の題名にもある「茜」はツツジの精で朝香さんが演じた役柄。北川さん創出のキャラで「夏の陣で赤備えの真田軍を見た東軍の武将が、ツツジの花が咲いているようだ、と記録していたことから思いついた」とか。ちなみに「我が心…」で朝香さんは幸村の妻、阿岐を演じますが「陣後の落人狩りで浅野家に捕まった後はどうなったか分からない」とのことです。

 

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 《深紅の装束も鮮やかに=第2部》

 休憩後の「歌とトーク」第2部で、桜花さんは深紅の甲冑姿に。「夢・燃ゆる…」の主題歌『もののふ』と、「我が心…」の同『我が心 炎の如く』を堂々と歌い上げます。朝香さんも妖精役の艶やかな衣装で花を添えてくれました。

 幸村役が板に付いた桜花さんですが「劇をやるまで全く知らない存在」で、幸村最期の地の安居神社(大阪市天王寺区)近くに住んでいた時も「『真田』とあるので真田広之さんに関係あるのかな、と思っていた(笑)」とか。しかし今では「公演をやるたび、まだまだ幸村の心をつかんでいないと毎回反省しながら続けている」そうです。

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 リピートさんも2007年に上演された演劇「大坂夏の陣 踊るシジフォス!1615」の主題歌『さめやらぬ夢』を披露。この劇は「冬の陣から夏の陣の間に民衆が踊り狂ったという事実を元に、庶民の側から大坂の陣を浮き彫りにした作品」(北川さん)とか。リピートさんも「歌には、支配者が変わっても庶民が『なにくそ』と立ち上がった、強い思いがこもっている」と語りました。

 最期に北川さんは、幸村の首実検で持ち寄られた首は本人かどうか怪しく、生き延びた可能性があることや、天草の乱で天草四郎が秀頼の子を名乗ったことなど、大坂の陣にまつわる謎を述べて、トークを締めくくりました。

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