2011年12月 5日
色は匂えど 姓名短歌 ◇う◇ 宇野千代(1897~1996) 昭和期の小説家
宇内よし 野もよしただに書き継ぎて
千紫万紅 代々に花咲く![]()
山口県の岩国で生まれた彼女は、16歳の春、小学校の教師になったのを振り出しに「何か仕事をしていなかったということは1日もなかった。縫い物の賃仕事や食堂の給仕女など仕事は何でもよかった」と、自らの回想録に書いております。
文筆に手を染めたのは、「万朝報」という新聞に掌編小説を書いたのち、東京の大新聞である「時事新報」に応募した懸賞小説で第1位に入ったときからだそうです。
大正11年4月、中央公論の5月号に「墓を発(あば)く」(120枚)が掲載され、366円の賞金をもらったとき「……わたしは腰が抜けるほど驚いたものであった」のでありました。これがきっかけで、そのとき彼女の下位の2等になった若い尾崎士郎と知り合い、彼女の恋の人生は次から次へと花開いていくのです。
尾崎と別れて33歳になった彼女は、巴里帰りの情死事件をおこした直後の東郷青児と「…男女の血痕がこびりついてガリガリになった蒲団」で寝たのです。
つぎの男性は10歳年下の北原武男で、この人とも北原が女を作ったことで別れることになるのです。こう書くと、あたかも男遍歴の猛者である如くきこえますが、われわれ通りいっぺんの常識で推し量ることはできません。彼女が彼女であった透明さをわたしの稚拙な表現に代えるよりは、彼女自身の表現を引用するにしくはないのであります。
『生きて行く私・下』に“鴉が空を飛ぶように”と題し、「私は生きているどの瞬間にも『虫が地面を這うように』『鴉が空を飛ぶように』自然であった。……人に会いたいと心を奪われることがあっても忽ち醒め、その間にいささかも関連のないのは常習のことであった…」。
彼女の力説もエッセイも、このように素敵であります。浅薄な批評では、彼女の深奥の魅力はわからないでしょう。それにしても、わたしの好きな作品は『薄墨の桜』です。(辻歌子)
《辻歌子さんのプロフィル》元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで(風発行所)息子をペースに嵌める法(学陽書房)天の師(関西書院)子供の字を上手にする本(学陽書房)どこまでいっても親子です(学陽書房)詩日和(日本文学館)共著
(2011年12月 5日 10:10)
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