産経新聞ファンクラブ「ウェーブ産経」大阪事務局

「真夏の夜の怖い話 大阪城の怪談」を開催しました

 「暗闇の間」「禿雪隠(かむろせっちん)」「化物屋敷」…

 おどろおどろしい名前が続きます。今回のウェーブ産経のイベントは、「真夏の夜の怖い話 大阪城の怪談」。8月20日夜、大阪市中央区の大阪城で開催されました。“異色”のテーマですが約150人もの会員が参加。大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さん▽怪異蒐集(しゅうしゅう)家で“平成の怪談師”中山市朗さん▽推理作家の有栖川有栖(ありすがわ・ありす)さん-によるディスカッション「怪談鼎談(ていだん)」や、「暗闇の間」など怪談が伝わる現地の見学も行われ、納涼気分を満喫しました。

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《怨霊になった秀吉・秀頼》

 まずは、北川さんが「怨霊になった秀吉・秀頼」のテーマで講演しました。

 秀吉は死後、豊国大明神としてまつられますが、大坂夏の陣の後、徳川幕府が神号を剥奪。さらに、秀吉の墓がある山の麓に寺を建て、墓に参ることができないようにします。「秀吉が神号をもらったのが慶長4(1599)年の4月17日で、徳川家康が死んだのも元和2(1616)年の4月17日と同じ日。当時の人らは間違いなく秀吉のたたりと思っていたはず」とのことです。

 秀頼についても「千姫観音」の話があります。豊臣家が滅亡し再婚した千姫ですが、嫡子が早世し何度も流産するなど不運続き。これは秀頼の恨みとみて、祟らないよう祈った願文などを体内に入れてまつったのが千姫観音像で、近年見つかったとか。「これでも分かるように秀頼も祟ると思われており、大坂城に赴任する武士は恐れおののいていた」そうです。

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《現代の怪談》

 続くは“怪談師”中山さんによる怖いお話。照明も薄暗くなり、否応なくムードを盛り上げます。ある人が体験したという奈良・吉野の山村での話で、古民家で不思議な現象が続出、人の形をした光が次々と現れたという内容でした。

 民家は、吉野川がはんらんした時に亡くなった人を弔った石碑と神社の間にあり「霊が通り抜けたのでは…」との疑いが…。中山さん自身は「幽霊はいるかどうか分からない。僕自身は見たことないし、疑問に思いつつ話している」そうですが、なんだか背中が寒々としてきました。

《怪談鼎談》

 北川さん、中山さんに、有栖川さんを加えての対談です。

 この中で、有栖川さんは「怪談を書いてみようと調べてみたが、大阪には、なじみの怪談がない。これは京都が(怪談に似合う)ファンタジーやオーソリティー(権威)を、大阪はリアリティーをそれぞれ担当し、関西圏として2つで一体となっているからではないか」と独自の見解を披露してくれました。

 また、北川さんは「上町台地は京都よりも古くから開け、歴史的にみても本願寺合戦などで、ものすごく多くの人が死んでいる。それなのに、お化けになるのは豊臣家の人たちだけ。なぜなのか…」と核心に迫りました。

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《怪談の現場でドキドキ》

 ラストは夜の大阪城巡りです。シトシトと雨が降る中、城内の怪談が残る場所を巡り、北川さんや中山さんから話を聞きました。いくつか、怪談の内容を紹介しましょう。

▼暗闇の間=天守南側にあった本丸御殿の中の部屋の話。絶対入ってはならないとされ、無理をして中を見ようとすると災いが降りかかったという。将軍が使う本丸御殿はふだんは誰もおらず、このような怪談が生まれたとも。

▼禿雪隠=旧大阪市立博物館付近にあった番頭泊所での話。便所に妖怪が出るという噂があり、旗本が正体を暴こうと夜中に訪れると、オカッパ頭の少女が現れ鬼の形相で飛びかかってきた。ひるまずにらみ返すと姿を消し、その後は二度と現れなかったという。

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▼胎衣松(えなのまつ)=公園事務所の城内詰所あたりにあった松の木の話。枝を切った人の夢に秀頼が現れ「松のたもとに私の胎衣(えな)が埋めてある。枝を切らないように」と言われ、その後は松に御神酒を供えるようになった。

  ◇

 夜に現場で怖い話を聞くと、いやおうなく盛り上がります。江戸時代のような暗闇なら、想像力もより豊かになるでしょう。豊臣の怨霊に恐れた徳川の武士たちが生み出した怪談。これが実態でしょうが、分かっていても何となく薄ら寒くなってしまいました。

【本紙の記者によるレポートはこちら】
お化けは「豊臣」ばかり 徳川の罪悪感から生まれた「大阪城の怪談」(上)
「我は秀頼…」、火の玉舞う門、五芒星…「大阪城の怪談」(下)

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