産経新聞ファンクラブ「ウェーブ産経」大阪事務局

歴史講座「近代の大阪城と天守閣復興」と城内探索ウオーク

042701.jpg  大阪城天守閣復興80周年プロジェクト参加事業となる、ウェーブ産経の歴史講座「近代の大阪城と天守閣復興」と城内探索ウオークが4月27日、大阪市中央区の同城一帯で開かれました。大阪城天守閣研究主幹の北川央さんが講師となり、参加した会員45人が「近代」を切り口にした大阪城の一面を、座学と実地で学びました。

 まず同城前のKKRホテルで歴史講座。北川さんは徳川時代の大坂城について「西国支配の拠点で城代は老中と同格。将軍から白紙委任状である朱印状も預かり、事実上“副将軍”であった」と説明。「大坂には幕府正規軍12組中、2組が駐屯し、意外にも武士が多い町だった」と紹介してくれました。

 《陸軍の拠点》
042702.jpg 幕末に激動期を迎えた大坂城ですが、官軍占拠後、後に陸軍省となる「陸軍所」が初めて開設され「陸軍発祥の地」となります。その後も大阪鎮台、第4師団司令部が置かれるなど、常に陸軍の拠点に。周辺の大阪砲兵工廠(しょう)などの軍需工場は「東洋一」と称されたそうです。

 《天守閣の復興》
042703.jpg 大正14年に大阪城などで開かれた「大大阪記念博覧会」で天守跡に設けられた桃山様式の「豊公館」。これを見た政治家の後藤新平が、天守閣建設を関一・大阪市長に発案したのが出発点だそうです。建設資金は寄付でまかない、半年で150万円(現在の約750億円)集めて、昭和6年に完成。整備費は天守閣建設が47万1千円に対し、第4師団司令部庁舎新築に80万円投入。軍の了解を得るにはやむを得ない出費だったようです。

 《幻の浪速神宮》
 ところで、天守閣建設前の大正12年、大阪城本丸に仁徳天皇をまつる「浪速神宮」を造る計画が立案されたことが近年資料から分かっています。「大阪市が陸軍と折衝したら“新庁舎も造ってくれ”と言われ、費用がなく断念した」そうで、もし神宮ができていたら天守閣はなかったはず。また、徳川大坂城の天守台に、豊臣大坂城の天守をモデルにした天守閣を造ったのは「当時は、現在の石垣や堀などは秀吉築城時のものと信じられていたから」だそうです。

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042705.jpg 講義の後は、豪華な「太閤弁当」の昼食。続いて北川さんの案内で見学ウォークが行われ、天守閣や戦争で爆弾直撃の痕が残る石垣、陸軍の防空壕(ごう)などを見て回り、講座での説明を実感しました。

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