産経新聞ファンクラブ「ウェーブ産経」大阪事務局

色は匂えど 姓名短歌 ◇ほ◇ 本田宗一郎(1906~1991)昭和期の技術者・実業家

色の 上拓きて励みたれば
        宗一すじの の偉業

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 ◇本色(もといろ)=本来固有の性質。持前・特色・本領
 ◇田土(でんど)
 ◇宗=おおもと。本源・または最もすぐれた人
 ◇郎(おとこ)

 わたしのような自動車などに全く無智な者でも、少女の頃から本田宗一郎の名前は知っていました。「バイク」という乗り物もそれが「ドリーム」号という名前も知っていて、なんとなく憧れていたのを思い出します。

 彼は英才教育とはほど遠い自動車修理工場に入ってほど遠い自動車屋の倅に生まれたけれど、根っからこれらの動く機械が好きだったのでしょうね。

 16歳でで上京し自動車修理工場に入って数々の技術をマスターして、ただそこにとどまったのではなく、そこを頂点として世界に羽ばたく自動車王の栄冠を獲得したのはなぜでしょうか。

 彼には素直な克己の精神がベースとして貫いていたのです。克己と素直さは時として両立しません。素直には冗漫が、克己には肩いからせた狭量が存在します。

 彼は即ち「太色」がすばらしいのです。この天性は人間などが感知できない神のすばらしい贈り物だと思われます。

 ドリーム号D型が高価で大衆消費に向かないと知ったら、50CCのエンジンを積んだ「カブ号」を開発し、これによって安い乗物にしたこと、更に1952年、工業界を視察する為渡米して、自動旋盤などの最新式工作機械をスイス、アメリカなどから当時の値段で4億5000万円分買ったというから驚きです。

 しかしこれによって他の有力企業を3年余りも先取りし、1961年、イギリスのオートバイレースの時、125CC・250CCクラスで1~5位を独占したというのです。更に1962年ベルギーに海外工場を、1964年、タイに大規模の合併工場を設立しました。

 彼の功績には、なぜか辛酸を舐めたとか、歯を喰いしばってというイメージが作れません。それはなぜでしょうか。

 彼は娯しんでいたのです。苦しみも苛立ちも彼の「スキ・スキ」の情熱精神の中ではいつのまにか朝焼色のあしたの向上心に色を変えていったのでしょうか。

 功成り名遂げてからも、常に作業服をまとい現場に密着して勉強を怠らなかったという彼は、ひとのいうように真の「技術世界の平民主義者」であり、人間の「宗」を弁えたすてきな人でした。

 「常識は破るためにある」「今みんなが苦労している時だろ。こんなときこそ夢がほしいじゃないか」―わたしは氏のこの言葉が大好きです。(辻歌子)

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 《辻歌子さんのプロフィル》
 元 公立学校教員、親子問題ライター。「姓名短歌」主宰、日本教育書道連盟教育部師範。主な著書―しんどい話やで(風発行所)息子をペースに嵌める法(学陽書房)天の師(関西書院)子供の字を上手にする本(学陽書房)どこまでいっても親子です(学陽書房)詩日和(日本文学館)共著

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