2010年9月 1日
「第2回加藤先生の日本史授業・古代『謎の四世紀』」を開催しました。
ウェーブ産経の文化サロン「第2回加藤先生の日本史授業・古代『謎の四世紀』」が9月1日、大阪市北区梅田のブリーゼタワー内にある産経新聞梅田オフィスで行われ、会員45人が元帝塚山学院大学文学部講師で高・大連携室長の加藤正彦さんの〝ミステリー講話〟に耳を傾けました。
加藤さんは、「歴史については記録よりも記憶を伝えよと言われています。謎の四世紀というタイトルですが、西暦300年代の日本列島は中国サイドの資料や文献には全く書かれていません。しかし、その時代の様子を伝えるいくつかの資料が残っています。一つは巨大な一枚の自然の石に1802字?が書かれている高句麗広開土王碑。もう一つが奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)のご神体になっている7つの刀、刃先を持つ七支刀に刻み込まれた約60文字です」と説明。中国吉林省集安にある高句麗広開土王碑について、「碑文は鴨緑江の中流の田んぼの中に西暦400年代からずっと立っていたそうです。しかし、四面はコケだらけ…。新王朝時代の末期に、農民が何か文字が書かれていることを見つけ、コケなどを焼いたら文字が出来たといいます。明治時代、日本陸軍の酒匂景信が拓本にして持ち帰り、何が書かれているのかを調べました。石碑ですが、高さ6メートル20センチで、レプリカが大阪経済法科大学(八尾市)の前にあります。文字も本物と一緒です」と説明。「碑文を改ざんしたという説は、日本人学者から否定されているが、問題提起した点に学者も耳を傾けている」と解説しました。
高句麗広開土王碑に刻み込まれている2文字が欠けて全く読み取れないことについて加藤さんは、「日本は『任那』、韓国では『招倭』と解釈する一方、北朝鮮の学者は、高句麗が海を渡って百済を破り、高句麗の同盟軍であった新羅をも破った、という見方もしています。1800字前後の文字をどう解釈するか?これが実に面白く、謎の四世紀を解き明かす1つの資料になっています」と話したほか、七支刀について、「百済と日本は対等で、百済の王様が友好連帯の証として七支刀を倭に送ったという説が韓国では大勢を占めています」などと解説しました。
(2010年9月 1日 18:13)
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